園部電化が口丹地区の悲願であった件

平成2年(1990年) 3月10日(土)

園部電化について 2

(今日は何の日?に関するブログ)

今回は、個人的事情に関する記述もあります。

【投稿日 令和3年3月10日】

【修正 令和6年6月19日等】

 

 

1 はじめに

(R4.1.10、R4.1.30、R4.3.8、R4.11.7、R5.3.12、R6.1.5修正)

 

(1)<平成2年3月10日>

 平成2年(1990年) 3月10日は、京都府の口丹波地域(口丹地区)が待ちに待ったJR嵯峨野線(山陰本線京都~園部間)電化開業の日です。

 

(2)今回のブログでは

 JR嵯峨野線の電化について、主に行政が発行の資料を引用して記載します。

 

<JR嵯峨野線>JR嵯峨野線は、山陰本線京都~園部間のこと。昭和63年3月ダイヤ改正より、JR嵯峨野線の愛称が使用されるようになった。

<個人的事情>京都府の口丹波地域は私の地元で、私は平成元年度(1989年度)が高校1年の時期です。

 

 

 

2 平成2年3月10日 園部電化

(R5.3.12等修正)

(1)山陰本線京都園部間電化開業記念式典

 平成2年(1990年) 3月10日、電化開業記念式典と祝賀会がJR園部駅構内にて開催されるとともに、JR亀岡駅においても電化開業式が行われました。

 その翌日(平成2年3月11日)、JR八木駅においても、八木町主催により電化開業記念式典及びふれあいひろばが開催されました。

 

①平成2年3月10日の園部駅における電化開業記念式典

【あいさつ等】(R5.3.12追記)

 

㋐<角田JR西日本社長の発言>

 

<引用>

「(前略)角田JR西日本社長は「電化で嵯峨野線は、都市圏輸送をになう重要線区に生まれ変わった」と述べ、(以下略)」

 

※引用元:京都府町村会七十年史(編集・発行 京都府町村会)におけるJR西日本社長発言の箇所

※引用理由:口丹地区等の喜びの様子等を伝えるため

ギザギザギザギザ

 

㋑京都府知事 荒巻禎一氏の対応

 

<引用>

「(前略)荒巻京都府知事は、更に福知山までの電化促進を要請した。(以下略)」

 

※引用元:京都府町村会七十年史(編集・発行 京都府町村会)

※引用理由:口丹地区等の喜びの様子とともに、京都府知事の対応等を伝えるため

ギザギザギザギザ

 

㋒園部町長 野中一二三氏(京都府町村会長)の発言

 

<引用>

「(前略)また地元の野中園部町長は「福知山までの電化と、京都ー園部間の複線化実現への出発の日としたい」と新しい飛躍を呼び掛けた。(以下略)」

 

※引用元:京都府町村会七十年史(編集・発行 京都府町村会)

※引用理由:口丹地区等の喜びの様子とともに、地元自治体の長の対応等を伝えるため

ギザギザギザギザ

 

 

㋓その他

上記㋐~㋒については、#346のブログにも引用。

 

 

【花束贈呈】(R5.3.12追記)

 

<引用>

※引用元:京都府町村会七十年史(編集・発行 京都府町村会)

※園部駅で実施の電化開業式典における、運転士等への花束贈呈の場面

※引用理由:電化開業式典の様子及び口丹地区の喜びの様子を伝えるため

※#346のブログに引用

(5.3UP)

 

 

<引用>

※引用元:『40年のあゆみー八木町合併40周年記念』(八木町 1991年)(八木町役場総務課編)(発行:平成3年9月)

※引用理由:電化開業式典の様子及び口丹地区の喜びの様子を伝えるため

 

ギザギザギザギザギザギザ

 

<引用>(平成2年3月10日 園部駅)

※引用元:「広報やぎーおおいばし」(№304、平成2年3月)(八木町役場発行)(→『広報大堰橋ーアメニティやぎー縮小版(第304号)』(八木町 2005年)(八木町役場人事秘書課編)より)

※引用理由:電化開業式典の様子及び口丹地区の喜びの様子を伝えるため

(3.3UP)(5.3UP)

 

②平成2年3月10日の亀岡駅における電化開業式典

 

<引用>(平成2年3月10日亀岡駅 電化開業式典)

※引用元:『新修亀岡市史資料編第三巻付録 グラフかめおか20世紀』(亀岡市)(亀岡市発行、平成12年11月発行)

※引用理由:電化開業式典の様子及び口丹地区の喜びの様子を伝えるため

※内容は亀岡駅における電化開業式

 

ギザギザギザギザギザギザ

 

<引用>

※引用元:『新修亀岡市史資料編第三巻付録 グラフかめおか20世紀』(亀岡市)(亀岡市発行、平成12年11月発行)

 

(3.3、4.11UP)

 

 

③平成2年3月11日 八木駅における電化開業記念式典

 

<引用>

※引用元:『40年のあゆみー八木町合併40周年記念』(八木町 1991年)(八木町役場総務課編)(発行:平成3年9月)

※引用理由:電化開業記念式典の様子及び口丹地区の喜びの様子を伝えるため

 

ギザギザギザギザギザギザ

 

<引用>

※引用元:「広報やぎーおおいばし」(№304、平成2年3月)(八木町役場発行)(→『広報大堰橋ーアメニティやぎー縮小版(第304号)』(八木町 2005年)(八木町役場人事秘書課編)より)

※引用理由:電化開業式典の様子及び口丹地区の喜びの様子を伝えるため

ギザギザギザギザギザギザ

 

<引用>

※引用元:「広報やぎーおおいばし」(№304、平成2年3月)(八木町役場発行)(→『広報大堰橋ーアメニティやぎー縮小版(第304号)』(八木町 2005年)(八木町役場人事秘書課編)より)

※引用理由:電化開業式典の様子及び口丹地区の喜びの様子を伝えるため

ギザギザギザギザギザギザ

 

<参考>

<引用>

※引用元:『40年のあゆみー八木町合併40周年記念』(八木町 1991年)(八木町役場総務課編)(発行:平成3年9月)

(3.3UP)

 

 

(2)口丹波地域(口丹地区)及び沿線住民の悲願であった園部電化

 八木町が当時発行した下記広報の通り、園部電化は口丹波地域(口丹地区)及び沿線住民の悲願でした。(R6.1.11修正)

<引用>

(前略)沿線住民待望の京都ー園部間の電化工事の竣工を祝し、電化開業記念式典と祝賀会が園部駅構内で開催されました(以下略)」

 

※引用元:「広報やぎーおおいばし」(№304、平成2年3月)(八木町役場発行)(→『広報大堰橋ーアメニティやぎー縮小版(第304号)』(八木町 2005年)(八木町役場人事秘書課編)に収録)

※引用理由:園部電化が口丹波地域(口丹地区)及び沿線住民の悲願であったことをお示しするため

 

 また、園部駅における電化開業式典でのあいさつ等は上記にて記載の通りですが、ここからも園部電化は口丹波地域(口丹地区)及び沿線住民の悲願であったこと等が分かります。(R5.3.12追記)

 

 

(3)園部電化後の、113系電車(湘南色)の勇姿

 平成2年3月の園部電化後、JR嵯峨野線の普通列車と快速列車は、上りの1本を除き全て113系電車(湘南色)で運行されることとなりました。その勇姿は次の通り(平成8年3月綾部電化後については記載省略)(平成22年3月以降の221系等についても記載省略)。

 

<勇姿1>(R4.1.10追記)

 

<引用>

※ヤフオクで入手、出品者了承、転載等禁止

※園部駅で撮影、とのこと。(1990年3月10日以降)

 

(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)

※1990年3月10日の電化開業のヘッドマークが付けられているため、1990年3月10日の113系電車と思われる。、

※この113系電車は、園部駅に停車中の京都行き普通列車

※この写真で確認すると、園部電化直後の園部駅のホームは、1~3番までしかなかったことが分かる。⇒この113系は、2番ホームに停車中。

 

(4.1UP)

 

 

<勇姿2>

 

<引用>

※ヤフオクで入手オレンジカード

(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)

このオレンジカードの電車は、113系電車(湘南色)

 

 

<勇姿3>(R4.11.7追記)

#259のブログをご参照ください。

 

 

 

(4)園部電化後の、113系電車の冷房問題(R5.3.12、R6.1.11修正)

 私の記憶では、平成2年夏までに、JR嵯峨野線の113系電車は全て冷房が設置された車両となりました。(後日改めてブログを作成予定)

 

(5)当時のオレンジカード

<参考>

<引用>

※ヤフオクで入手オレンジカード

(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)

このオレンジカードには、赤い色の電車が描かれているが、この赤い色の電車は、JR嵯峨野線においては使用されておりません。

 

<Pick>

 

 

(6)個人的事情等 (R4.3.8、R5.3.12修正)

(園部電化に関する私の想いと口丹波地域(口丹地区)の想いの相違(R4.3.8修正)

 私は、JR嵯峨野線から12系普通客車列車が消滅するのがイヤだったため、園部電化については実現しないでほしいと思っていて、実際に12系普通客車列車がJR嵯峨野線から消滅したときは非常にショックで気分が悪かったです。しかし、園部電化は、上記の通り、口丹波地域(口丹地区)・JR嵯峨野線沿線住民の長年の悲願でした。

 

 

 

3 参考 園部電化前の状況について

(R4.1.30、R4.3.8、R4.12.21修正、R4.11.7簡略化、R5.3.12修正)

 

(1)昭和63年9月以前

①昭和63年9月以前の山陰本線京都口は普通客車列車王国

 昭和63年9月まで、山陰本線京都口は普通客車列車王国でした。詳細は、#2や#190、#197、#248、#296、#398等のブログをご参照ください。

 

 

 

②個人的事情ー私の想いと口丹波地域(口丹地区)の想いの相違(昭63.9以前)

 私は普通客車列車王国時代の山陰本線京都口の方が良かったと思っていますが、上記の通り口丹地区の一般の人や沿線住民は山陰線京都口の電化・JR嵯峨野線電化が悲願でした。、(R6.1.11修正)

 

③並河駅の横断幕等…山陰本線京都口が普通客車列車王国であった時代の口丹地区の人の想いが分かる資料のひとつが次の並河駅等で設置の横断幕です。(R4.12.21追記、R5.3.12、R6.1.11、R6.6.19等修正)

 

<引用>

※京都伊勢丹鉄道フェスティバル(R4.9開催)にて購入した写真のため撮影者不明

※場所は、写真の内容から国鉄山陰本線並河駅。

※時期は昭和62年以前?(昭和55年~62年頃?)

 

<引用理由>

京都府口丹地区の住民と政治家と行政等の圧倒的多数が山陰線電化を強く願っていたことをお伝えするため

 

<その他>

#306や#433等のブログにも引用しています。

 

 

(4.10UP)

 

 また、昭和63年9月以前の普通客車列車王国時代の山陰本線京都口沿線住民、特に口丹地区住民の声については次の通りです。

<引用>

「(前略)山陰本線は、長年月にわたり単線非電化で、府民(京都府民)は不便を耐えてきた。かねてから改善要請の声は高いが、(中略)複線電化への足どりが進んでいる。(以下略)」

 

※引用元:京都府町村会七十年史(編集・発行 京都府町村会)

※引用理由:現時点では、「不便を耐えてきた」という表現で昭和63年9月以前のことが記された資料はこれしかないため。

 

 

④JR西日本が国鉄の事業(山陰本線京都口電化のための事業)を継承(R5.3.12追記)

 昭和62年4月に国鉄の分割民営化によりJRが発足しましたが、JR発足後に、山陰本線京都~園部間(昭和63年3月よりJR嵯峨野線の愛称使用開始)の電化(昭和62年4月のJR発足時は、電化の前に嵯峨~馬堀間の複線化工事を完成させる必要があった)についてJR西日本が大規模プロジェクトと位置付け事業を継承しました。それについては次の引用資料の通りです。

<引用>

 

「(前略)(昭和62年4月に)JR西日本は厳しい経営状況の中でも(山陰本線嵯峨~馬堀間複線化工事を)大規模プロジェクトに位置付け、事業を継承した。(以下略)」

 

※引用元:京都府町村会七十年史(編集・発行 京都府町村会)

※引用理由:JR西日本がJR嵯峨野線電化を大規模プロジェクトとして工事を継承したことを説明するため

 

 

(2)昭和63年10月ダイヤ修正

 昭和63年10月ダイヤ修正により、山陰本線京都口の普通客車列車は大幅に削減されました。これにより、JR嵯峨野線の普通客車列車は、1日3往復の50系客車のみとなりました。詳細は#183等のブログをご参照ください。

 

(3)平成元年3月4日 保津峡旧線最終日及び新馬堀駅での竣工式等

 #233、#234、#308、#344、#345、#346等のブログ等をご参照ください。

 

(4)平成元年3月5日 保津峡新線開業

 平成元年3月5日、保津峡新線が開業され、山陰本線嵯峨~馬堀間が複線化されました。詳細は#234や#344等のブログをご参照ください。

 

(5)平成元年3月ダイヤ改正等

①平成元年3月ダイヤ改正

 平成元年(1989年)3月ダイヤ改正~平成2年3月ダイヤ改正前の時期については、計2往復の12系普通客車列車(9両編成)がJR嵯峨野線にて運行されました。詳細については#190等のブログ等をご参照ください。

 

 

②平成元年6月からJR西日本がJR嵯峨野線電化工事開始

 これについては

<引用>

「(前略)京都ー園部間の電化工事は、昭和五十四年、運輸大臣の認可後、国鉄当時は計画が一時宙に浮いていたが、JR西日本が平成元年六月から三十三億円を投じて電化工事を進めた。(以下略)」

 

※引用元:京都府町村会七十年史(編集・発行 京都府町村会)

※引用理由:平成元年6月にJR西日本が33億円を投じて電化工事を進めた旨が明記されているため。また、現時点では、このことが明記されている資料はこれしか見つけられなかったため。

 

とのことです。即ち、JR西日本が平成元年6月よりJR嵯峨野線の電化工事を進め、平成2年3月10日にJR嵯峨野線の電化(いわゆる園部電化)が実現しました。#346等のブログもご参照ください。

 

(6)平成2年3月10日園部電化(再掲)

 平成2年3月10日の園部電化により、JR嵯峨野線の普通列車及び快速列車は、上りの1本を除き全て113系電車(湘南色)となりました。詳細は上記2をご参照ください。

 

 

(7)その他

<個人的事情1>

私の高校1年の時(平成元年4月~平成2年3月)の往路の通学列車は当時のJR嵯峨野線12系普通客車列車でした。#275等のブログにて記載しています。

 

<個人的事情等2>(R4.11.7簡略化)(再掲) 

(再掲 園部電化に関する私の想いと口丹波地域の想いの相違)

 再度の掲載で恐縮ですが、私は、JR嵯峨野線から12系普通客車列車が消滅するのがイヤだったため、園部電化については実現しないでほしいと思っていて、実際に12系普通客車列車がJR嵯峨野線から消滅したときは非常にショックで気分が悪かったです。しかし、上記の通り、園部電化は口丹地区住民の悲願でした。

 

【その他 参考までに】

<参考  kami-kitami氏のブログ>

kami-kitami氏のブログにおいても、1987年4月~1990年3月における、福知山地区のキハ58系気動車やJR嵯峨野線の客車列車の動きについてまとめておられますので、参考までにURLを添付します。

 

 

 

 <参考>平成2年3月の園部電化は、山陰本線全線の普通客車列車に甚大な影響を及ぼしました。それについては、#59のブログをご参照ください。

 

<参考>#54の私のブログにて、園部電化後のことについて少し触れておりますが、URLは省略します。

 

 

 

4(参考)園部電化後について

(1)いわゆる綾部電化等

〇平成7年4月、綾部~福知山間電化開業。

(ちなみに、綾部~福知山間についてはかなり以前に複線化されている。)

〇平成8年3月、園部~綾部間電化開業。(併せて、KTRの福知山~天橋立間電化)

→これにより、気動車である特急あさしお、急行丹後が廃止され、新たに電車特急である特急きのさき・特急はしだて・特急たんばが新設される。山陰本線京都口唯一の気動車普通列車であった上り820Dについても電車化される。また、園部~福知山間については、113系湘南色の2両編成の電車(ワンマンカー)が運行されることとなる(詳細については記載省略)(#349等のブログ参照)

 

(2)JR嵯峨野線全線の複線化

 園部電化は平成2年3月10日でしたが、JR嵯峨野線全線の完全複線化が実現するのは、平成22年(2010年) 3月です。(詳細については記載省略)

 平成22年3月ダイヤ改正後のJR嵯峨野線の普通列車・快速列車はすべて、221系(もしくは221系+223系)で運行されるようになりました。(詳細について記載省略)

 

【参考】

   JR嵯峨野線の普通列車、快速列車については、平成20年頃より順次221系電車等に置き換えられ、平成22年3月より全て221系(もしくは221系+223系)になる。令和3年になると、223系R編成も運行されるようになる(詳細について記載省略)(投稿後追記、R4.1.11追記、R5.3.12修正)

 

 

 

 5(参考)南丹市について

園部町、八木町、日吉町、美山町は、平成18年1月に合併し南丹市になりました。

 

 

 

6(まとめ)山陰本線近代化等について(概要)

(R5.3.12追記)

#346や#392等のブログでも掲載。

 

 

 

<参考文献>

・『JR時刻表』(1989年3月号、1989年7月号)(弘済出版社)

・『JR時刻表』(1990年3月号)(弘済出版社)

・『40年のあゆみー八木町合併40周年記念』(八木町)(八木町役場総務課編、1991年3月発行)

・『広報大堰橋ーアメニティやぎー縮小版(第304号)』(八木町 2005年)(八木町役場人事秘書課編)

・『新修亀岡市史資料編第三巻付録 グラフかめおか20世紀』(亀岡市 2000年)(亀岡市発行、平成12年11月発行)

・「わずか1年だけの華? 一瞬だけキハ58系が大量増殖した福知山区」(kami-kitami氏のAmebブログ)

・「世にも少ないアコモ格下げとアコモ格上げ両方を経験した車(小ネタ)」(kami-kitami氏のAmebaブログ)

・「保津峡新線を行く 最後の客車鈍行 1989年3月」(旅一郎氏のYouTube動画)

・その他旅一郎氏のYouTube動画

・各種Twitter情報

 

<R4.11.7の修正>

※最初に平2.3.10の電化開業記念式典関係の記載を行い、園部電化前後の経過についてはその後に記載する方法に修正。(R4.11.7修正)

※R6.6.19等タイトル変更

 

 

※引用箇所の写真について転載等禁止。

本日も最後までご覧いただきありがとうございました。