昭和60年(1985年)3月ダイヤ改正

~昭和61年(1986年)10月31日

 山陰本線京都口50系客車等

(個人的な見解を記載している箇所あり)

【投稿日 令和5年3月24日】

【修正 令和5年4月11日等】

 

 

1 はじめに

(1)昭和60年3月ダイヤ改正

 #347等のブログで記載の通り、昭和60年(1985年)3月14日ダイヤ改正で山陰本線京都口の旧型客車が廃止され、山陰本線京都口の普通客車列車は50系客車のみとなりました(しかし、引き続き普通客車列車王国)。それと同時に、昭和60年(1985年)3月14日から令和5年(2023年)3月17日まで、山陰本線京都口の普通列車の運転区間は全て「京都~園部・福知山間」となりました。換言すれば、昭和60年3月ダイヤ改正以後は、園部から普通列車のみで豊岡へ行く場合は必ず福知山で乗り換える必要が生じることとなり(その逆も同じ)、その状況は城崎電化、園部電化、綾部電化後も継続し、令和5年3月17日まで続くことになりました。

 

(2)今回のブログでは

 上記(1)の事情により、令和5年3月18日ダイヤ改正(園部発豊岡・城崎温泉行き普通列車の新設や旧関空快速車両のJR嵯峨野線への投入等の改正が実施)の詳細について記載する前に、昭和60年3月14日ダイヤ改正後の山陰本線京都口のことを記載することにしました。なお、当時の気動車列車は、昭和60年3月ダイヤ改正前から「京都~園部・福知山間」の運行となっていたため、客車列車に関して記載します。また、この時期の50系客車については両数を判断するための1次資料が非常に少ないのですが、現時点で分かる範囲で記載しています。(R5.4.11修正)

 ギザギザギザギザ

 

【参考 昭和60年(1985年)3月ダイヤ改正(一部再掲)】

【参考】

昭和60年(1985年)3月ダイヤ改正は、山陰本線京都口からDD51が牽引する旧型客車が消滅したダイヤ改正で、山陰本線京都口の普通客車列車は全て50系になりました(ただし、引き続き非常に多くの普通客車列車が運行される普通客車列車王国で、機関車も引き続きDD51)

 

【参考 山陰本線旧型客車廃止時期等】

※昭和60年3月ダイヤ改正で山陰本線京都~福知山間及び出雲市以西で旧型客車が消滅(昭和60年3月ダイヤ改正から昭和61年10月31日については、山陰本線については福知山~出雲市間でDD51牽引の旧型客車が運行)

※山陰本線全線で旧型客車が消滅したのは、昭和61年11月1日ダイヤ改正(最終日は昭和61年10月31日)

 

【参考】

<一般的には>

 旧型客車最終日は昭和61年(1986年)10月31日であり、一般的に昭和61年11月ダイヤ改正は旧型客車全廃されたイメージが強いようです。また、昭和60年3月ダイヤ改正については夜行列車のいわゆる山陰号が廃止されたイメージが強いようです。旧型客車については、インスタやTwitterやブログ・YouTubeで確認すると、昭和60年3月ダイヤ改正~昭和61年10月31日の時期に関する投稿が非常に多い状況です。

 しかし、山陰本線京都口については上記の通り昭和60年3月ダイヤ改正で旧型客車が廃止されています。

 

<昭和61年11月ダイヤ改正後>

 国鉄最後のダイヤ改正である昭和61年11月ダイヤ改正において、普通客車列車王国時代の山陰本線京都口に12系客車が普通客車列車として投入されました。このダイヤ改正後の運用体系について当ブログでは「昭和61年11月体制」等と呼んでおり、その体制の前半における山陰本線普通客車列車について順次ブログを記載しているところであります。(下記#247等のブログ参照)

 さて、昭和61年11月ダイヤ改正後の山陰本線京都口普通客車列車の各列車番号や行先等については、昭和60年3月ダイヤ改正後の列車番号や行先等と同じ状況です(細かい発着時刻等については異なっている)。それについても、とりあえず下記2をご参照ください。

<参考>

 

<参考>

 

 

 

 

2 一覧表及び勇姿等

(1)一覧表

 昭和60年3月ダイヤ改正~昭和61年10月の山陰本線京都口普通客車列車の概要は次の一覧表の通りです。

(5.3UP)

 


(2)勇姿

 昭和60年3月ダイヤ改正~昭和61年10月31日の時期の山陰本線京都口の普通客車列車の勇姿等を数点引用します。

【834レ】

<引用>

※昭和60年(1985年)5月12日 国鉄山陰本線八木駅

 

(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)

※この写真は八木駅を7:07に発車する京都行き50系普通客車列車

※この写真の50系普通客車列車は、福知山5:36発京都行き50系普通客車列車である834列車(834レ)で、京都駅に8:06に到着。

※この写真は私の小6の時の修学旅行の写真。修学旅行終了後、学校が児童にこの写真を配布。

(自分で撮影した写真ではなく、当時学校から配布された写真のため、引用の形式で記載)

(#2、#258等のブログにおいても引用)

 
※834レについては、#286等のブログでも記載しています。

(3.9・4.3等再UP)

 

 

【834レ】

<引用>

※引用元:「80'S山陰本線写真館その2客車列車編」のHP。現在は見られない状況となっている。

※引用理由:1985年3月~1986年10月の時期の834レが10両編成の50系客車であったことを証明する資料はこれしかないため。上記の通り引用元の管理者と連絡が取れない状況であるが、834レが10両編成であることを証明するには引用せざるを得ないため、今回引用に踏み切りました。

※時期は1986年、とのこと。

※内容は、亀岡市内を走行する当時の10両編成の上り50系普通客車列車。当時の上り10両編成の50系普通客車列車は834レのみ。

(5.3UP)

 

 

【平日の326レ】

<引用>

※DFアロー・中原研二氏撮影。使用については、DFアロー・中原研二氏より了解を得ております。

※内容は、山陰本線旧保津峡駅で50系客車(326列車)とキハ47形気動車(127D)が交換する場面で、1986年2月27日に撮影、とのこと。

※LLP有限責任事業組合トランスポート・DFアローのホームページもご参照ください。 https://www.apionet.or.jp/DF5051/dd51/dd51_09.htm

 

 

(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)

・この写真の50系客車は7両編成。この写真の50系客車は326列車、とのこと。⇒1985年3月~1986年10月の326列車は50系7両であることを証明。

・1985年3月~1986年10月の326列車は、当時の時刻表等によると、園部発京都行の客車列車で、朝の通勤列車でもあった。326列車が京都に到着後、折り返し福知山行き833列車となった(多分)。

・1985年3月~1986年10月の時期については、山陰本線京都口の普通客車列車は全て50系。

 

<参考>

 326レは、1986年11月ダイヤ改正~1988年9月については12系客車で運行

 

(3.4等UP)

 

 

【833レ】(URL添付のみ)

 他の方のインスタグラムの投稿ですが、当時の833レが7両編成であったことを証明する写真を最近投稿されましたので、そのURLを参考までに添付します(事情によりURLの添付のみにします)

 

 

 

【836レ】

<引用>※事情により私のツイートのスクショを貼付する方法で引用

※引用元のサイトがなくなっているため、この写真の投稿者(懐古趣味氏)と連絡が取れない状況となっているが、今回は下記理由により引用せざるを得ないため、引用しました。

※引用理由:この写真は、1985年夏における八木駅に停車中の836レであるが、当時の八木駅の状況を伝えるために必要な資料であり、また当時の836レが八木駅に停車している写真は現時点ではこれしかないため、今回引用に踏み切りました。

※当時の836レは、福知山発京都行きの7両編成の50系普通客車列車。

 

(5.2UP)

 

【836レ】

 

<引用>

※引用元: h.itoyan氏のInstagram。この写真は、同氏がInstagramに投稿された写真。(使用については了承を得ています)

※保津川沿いを走る50系客車で、85年~86年頃の写真、とのこと。

※この写真のURLは次の通り

 

 

(ソロ鉄ブログ管理者 補足説明)

※この写真は、保津峡旧線を走行する50系客車で、1985年~1986年頃の福知山発京都行き836列車(836レ)。なお、1986年11月~1988年9月の福知山発京都行き836列車も7両編成の50系普通客車列車。

※この写真は、いわゆる愛宕山の箇所

 

 

(2.9等UP)

 

 

【838レ】

<引用>

※引用元:赤熊氏のツイート

※引用理由:1985年3月~1986年10月の時期の838レが7両編成の50系客車であったことを証明する資料はこれしかないため。引用元のツイートが見られない状況となっているが、838レが7両編成であることを証明するには引用せざるを得ないため、今回引用に踏み切りました。

※この写真は二条駅。

※引用元のツイートの内容は下記の引用の通り

 

<引用>

※昭和60年3月ダイヤ改正~昭和61年10月31日の山陰本線京都口50系客車の状況を説明するためスクショを引用しツイート。(引用元のツイートのURLは上記で記載の事情により省略します)

(5.3UP)

 

 

【835レ及び328レ】

 

<引用>

※引用元:赤熊氏のツイート

※引用理由:1985年3月~1986年10月の時期について、835レは7両編成、328レは9両編成の50系客車であったことを証明する資料はこれしかないため。引用元のツイートが見られない状況であるが、835レと328レの編成について証明するには引用せざるを得ないため、今回引用に踏み切りました。

※この写真は保津峡駅。

※引用元のツイートの内容は上記838レにおける引用の通り

 

(5.3UP)

 

【325レ及び328レ】

<引用>1986年6月丹波口

※引用元:あさいちRC@京都・大原氏(京都・大原朝市サイクリングRC@元管理人氏)がTwitterに投稿された写真☆(使用については別ツイートを通じて了承)

※1986年6月の丹波口駅、とのこと。

 

(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)

※1985年3月ダイヤ改正~1986年10月の時期については、山陰本線京都口の普通客車列車(当時は多数運行)は全て50系。
※この写真は、その当時の夕方のプッシュプル列車(325レ)が50系9両であったことを証明。(参考までに、他の方から、当時の朝夕のプッシュプル列車は休日の325レと326レで見られた旨聞いています)

 

※引用元のツイートやURLについては、#334のブログで記載した事情により記載省略します。

(5.3UP)

 

 

<引用>

※引用リツイートのうえ、ツイートのリンクをコピーの方法で引用

 

 

(3)編成

 詳細について不明であるため、記載省略します。

 

 

 

3 参考 昭60.3~昭61.10 福知山~出雲市間旧型客車

 山陰本線京都~福知山間(山陰本線京都口)及び山陰本線出雲市以西では昭和60年3月ダイヤ改正により旧型客車が消滅しましたが、山陰本線福知山~出雲市間については昭和61年10月31日まで非常に多くの旧型客車が普通客車列車として運行されていました。ダイヤ等の詳細については記載省略しますが、その勇姿について参考までに引用します。

 

<引用>

※引用元:あさいちRC@京都・大原氏(京都・大原朝市サイクリングRC@元管理人氏)がTwitterに投稿された写真☆(使用については別ツイートを通じて了承)

※場所は、あさいちRC@京都・大原氏より居組駅である旨連絡いただいています。

※時期は1986年10月以前の時期。撮影日は不明。

 

※引用元のツイートやURLについては、#334のブログで記載した事情により記載省略します。

(5.3UP)

 

【参考】
※1985年3月ダイヤ改正で山陰本線京都~福知山間及び出雲市以西で旧型客車が消滅。
※山陰本線全線で旧型客車が消滅したのは、1986年11月1日ダイヤ改正(最終日は1986年10月31日)

 

 

 

 

4 その後の経過

○昭和61年11月ダイヤ改正で普通客車列車王国時代の山陰本線京都口に12系客車が投入される。昭和61年11月~昭和63年9月の山陰本線京都口は多数の12系普通客車列車及び50系普通客車列車が運行される普通客車列車王国(#197や上記#248等のブログ参照)。

◯国鉄の分割民営化(JR発足)は昭和62年4月。(R5.3.25追記)

○昭和63年10月ダイヤ修正で山陰本線京都口普通客車列車大幅削減

○平成2年3月園部電化によりJR嵯峨野線12系普通客車列車廃止(#99や#346等のブログ参照)

 

 

○平成6年12月ダイヤ改正で特急はまかぜ等の運転区間が大幅に縮小等(例:特急はまかぜ1号は「大阪~浜坂間」に大幅縮小)

○平成8年3月ダイヤ改正で特急あさしお等廃止

○平成8年11月⇒豊岡~米子間の12系普通客車列車最終月

○平成9年3月ダイヤ改正で山陰本線普通客車列車全廃

○平成18年3月ダイヤ改正で寝台特急出雲廃止

○平成27年3月ダイヤ改正で京都発城崎温泉行の特急きのさき1号の京都駅発車時刻が朝の7時32分になる。

○令和5年3月ダイヤ改正で「園部発豊岡行き普通列車」「園部発城崎温泉行き普通列車」「豊岡発園部行き普通列車」等が新設。特急はまかぜ1号と特急はまかぜ4号の運転区間が延長され、「大阪~鳥取」(改正前は大阪~浜坂)に変更となる。

 

※上記以外にも記載しないといけないことはたくさんありますが、今回は記載省略します。

 

 

 

5 昭60.3.14ダイヤ改正に関する私の記憶や私見(私のイメージは山陰本線分割・分断化の嚆矢:私見)

【私見】

 昭和60年3月14日ダイヤ改正時、私は小5学年末でしたが、当時テレビで西川きよしが「便利になる、便利になる」と言っていた記憶があります。ところが、実際に新しい八木駅の時刻を見てみると、浜田行きや米子行きの旧型客車がなくなっており、全て福知山行きもしくは園部行きとなっていたため、「どこが便利なんや」と叫んだ記憶があります。そして、旧型客車がなくなり普通客車列車は全て50系になったことから、がっかりしてしまった記憶があります(ただし、それでも当時は普通客車列車王国であり、昭和61年11月ダイヤ改正で12系客車が新たに山陰本線京都口に登場したことは非常にうれしく思いました。しかし、昭和63年10月ダイヤ修正で普通客車列車が大幅に削減され、平成9年3月までに山陰本線全線で普通客車列車が消滅するとは夢にも思わなかった)

 また、昭和60年3月ダイヤ改正で京都発の普通列車は全て「京都~園部・福知山間」になったことについては、「山陰本線分断化」「山陰本線分割」のイメージを抱いてしまいました。私見ですが、昭和60年3月ダイヤ改正は「山陰本線分割(山陰本線分断化)の嚆矢」で、昭和61年10月ダイヤ修正による山陰本線京都口普通客車列車大幅削減、平成2年3月園部電化、平成8年3月ダイヤ改正による特急あさしお等廃止(特急はまかぜは平成6年12月ダイヤ改正で運転区間が大幅に短縮)、平成8年12月ダイヤ修正による521レ・552レ気動車化(平成9年3月ダイヤ改正で豊岡~米子間の気動車列車も運転区間縮小)、平成9年3月ダイヤ改正による山陰本線普通客車列車廃止で山陰本線分割(山陰本線分断化)が一気に進み、平成18年3月ダイヤ改正による寝台特急出雲廃止で山陰本線分割(山陰本線分断化)が完成した、と個人的に思っています。

 しかし、令和5年3月18日ダイヤ改正で「園部発豊岡行き普通列車」「園部発城崎温泉行き普通列車」等が登場したり、特急はまかぜ1号が鳥取行き(改正前は浜坂行き)になったり。特急はまかぜ4号が鳥取発(改正前は浜坂発)になったりしたことで山陰本線分割(山陰本線分断化)が修正されたと感じています(R5.4.11修正)

 

(投稿後追記)インスタの方でも同様の投稿を行いましたが、そこでは「山陰本線分断化」という言葉を使用しています。

 (R5.3.28追記)上記の出来事のうち、特に平成8年3月ダイヤ改正で山陰本線分断化が進んだ、と思っています。(これも私見です)

 



6 その他 参考までに

 普通客車列車王国時代の山陰本線京都口について一般の人がどう思っていたかを示すツイートがありますので、参考までに紹介します。

<引用>

※引用リツイートのうえ、ツイートのリンクをコピーの方法で引用

 

 

 

 

 

<参考文献>

・『国鉄監修 交通公社の時刻表』(1985年3月号、1986年10月号等)(日本交通公社)

・『鉄道ピクトリアル』(1985年5月号、1985年6月号、1985年11月号)(発行:㈱電気車研究会)

・『国鉄気動車客車情報』(86年版)(発行:㈱ジェーアールアール)

・ウイキペディア

・DFアローホームページ

・「80'S山陰本線写真館その2客車列車編」のHP

・Twitter情報

・Instagramに掲載の資料

 

 

 

<Pick>

 

 

 

 

 

 

 

※誤字脱字等があればその都度訂正します。

※引用箇所について転載等禁止

※本日も最後までご覧いただきありがとうございました。