太平洋戦争終戦から今年で80年だそうだ、(--〆)😠🤬👿。太平洋戦争は日本と米国に限れば西太平洋と中国、東南アジアの覇権を巡る戦争でどっちが正しい、間違っているもない戦争だった、(--〆)😠🤬👿。ただ当時の日米の国力を考えると何をどうしても勝てる戦争ではなかった、(^_^;)😅👿。
国の総合力ではどれほど低く見積もっても米国は日本の10倍以上、粗鋼の生産量は日本の20倍、石油🛢️の産出量は日本の600倍、工業技術力でも米国は日本の先を行っていて航空機のエンジン、プロペラ、燃料、オイルなどは米国の技術を導入、あるいは米国から購入していた、(^_^;)😅👿。その他のアルミニウム、タングステン、錫、マンガン、亜鉛、ニッケルなどの戦略物資の80%以上を英米圏に依存していた、(^_^;)😅👿。
その英米にケンカを売るということは理解ができないが、陸軍は主戦派が多数を占めていたし、海軍も短期決戦講和路線を主張する者が大勢を占めていた、(--〆)😠🤬👿。陸軍にも「米国と戦っても勝てない」と認識している理性派もいたし、海軍にも非戦派はいたが、主戦派に押し切られてしまった、(^_^;)😅👿。海軍は早期に米国艦隊を撃破して有利な条件で講和を目指したが、緒戦の勝利に勢いづいて作戦目的を統一できないままミッドウェー海戦で敗退、その後米豪分断を目指してソロモン方面に進出するが、ここで一大消耗戦に引き込まれて国力をすり潰して戦力に大差がついて敗戦が決定的になった、(^_^;)😅👿。
昭和19年以降の戦闘は米軍の残敵掃討戦で対等の戦闘ではなかった、(~_~;)😅👿。陸軍は島嶼戦闘で戦力の増強や兵站補給に苦しんで敗退していった、(~_~;)😅👿。陸軍師団の火力は米軍師団の1/3程度で戦車戦力や火砲の性能も劣っていて対等に戦えるレベルではなかったそうだ、(~_~;)😅👿。戦争末期には制海権、制空権の喪失によって海外から国内に物資を搬入することができず全ての資源物資が欠乏してまともに航空機を飛ばすこともできなかったそうだ、(^_^;)😅🛩️👿。
最後は広島と長崎に原爆が投下されソ連が参戦して万事休した、(--〆)😠🤬👿。米国が日本に原爆を投下したのは戦争の早期終結のためではなく莫大な予算を費やして開発した新兵器の威力を試したかったからでドイツに投下するという案もあったそうだが、「ドイツ系米国人の反発を引き起こして国内が混乱するし選挙で負ける可能性があるが、好戦的な黄色いサルの国なら構わないだろう」ということだったそうだ、(--〆)😠🤬👿。
開戦前に陸軍から海軍に「海軍が戦えないというなら陸軍も引くがどうか」と内々に打診があったとか、(^_^;)😅👿。しかし対米戦に莫大な予算を費やしてきたので「やれない」とは言えなかっただろうし、また国内の混乱😖の責任を取らされることや陸軍に政治的主導権を握られることも抵抗があったのだろう、(--〆)😠👿。当時本当に国のことを憂えていたのは昭和天皇と一部の側近だけで国家の指導的な立場にあった者は国家国民二の次、三の次で自分が所属する組織と自分自身のことしか考えていなかったのかもしれない、(--〆)😠🤬👿。
「国家の誇りを捨てるよりも一戦交えて滅んだ方が後世に有意」と唱える者もあったが、やはり臥薪嘗胆、艱難辛苦に耐えても引くべきところは引くべきだっただろう、(--〆)😠🤬👿。日本は明治以降急速に発展して世界の大国と言われるまでになったが、それは日本の実力というよりも周囲の状況の変化が日本を押し上げただけで日本の権力者はその辺りを正しく理解してはいなかったのかもしれない、(--〆)😠🤬👿。
国内経済の困窮が日本を外征へと向かわせたが、ある海軍士官が言ったように「軍艦を派遣して資源をぶん取ってくるなんて海賊🏴☠️のようなことは止めて軍艦を作る金で買ってくればいい」という正論を尊重すべきだったのだが、それができなかったことは日本にとって不幸なことだった、(--〆)😠🤬👿。