日本海軍で滑った機体と言えば「雷電」だろう、(ーー゛)🤬😠😈🛩️。14試だから太平洋戦争の2年前から試作を始めて量産が始まったのは1943年、制式化されたのは1944年で海軍から試作要求書が出てから5年も経っている、(ーー゛)🤬😠😈🛩️。完成が遅れたのは振動問題と視界不良、そして性能不足だが、三菱重工にこの機体を開発させる必要があったのか疑問ではある、(ーー゛)🤬😠😈🛩️。他の会社にやらせるか、一番良いのは陸軍が開発した二式単戦を海軍仕様にして使えばよかった、(ーー゛)🤬😠😈🛩️。
二式単戦は雷電と性能的に似たような機体で後期型になると速度は615キロに達していた、(ーー゛)🤬😠😈🛩️。四式戦の影に隠れて推力式単排気管にも改修されなかったが、改修されていれば一般的には速度が15キロほど増加するそうだから630キロほどになって日本戦闘機最速の機体になった可能性がある、(^_^;)😇😅🤬🛩️。雷電も戦争末期にB29迎撃で多少の活躍はしたが、零戦の改修や烈風の開発にも大きな影響があった雷電の開発はムダだったとしか言いようがない、(--〆)🤬😠😈🛩️。
中島が開発した「天雷」も滑った機体だろうが、この機体は自社製の誉エンジンの不調が足を引っ張ったが、中島ではそれが分かっていながら軍需省からの増産要求でどうにもならなかったそうだ、(ーー゛)🤬😅🛩️。またナセルストールも性能不足の原因だったそうだ、(--〆)🤬😠😈🛩️。空力は当時の日本では遅れていた分野だったそうだ、(--〆)🤬😠😈🛩️。そして海軍の要求過大も滑った原因の一つだったそうだ、(--〆)🤬😠😈🛩️。
誉エンジンに泣かされた機体は烈風、紫電改、彩雲、陸軍の四式戦疾風などがあるが、陸軍はこのエンジンに見切りをつけていたが、海軍は何でもかんでも誉エンジンだったから影響が大きかった、(--〆)🤬😠😈🛩️。
陸軍の滑った機体は三式戦闘機「飛燕」だろう、(--〆)🤬😠😈🛩️。この機体のエンジンはドイツのDB601をライセンス生産したハ40だったが、当時の日本では液冷エンジンはあまり一般的ではなくまた製造元のドイツでも手を焼いたエンジンだから当時の日本の技術では手に余るエンジンだったようで製造もそうだが、前線でも不慣れな液冷エンジンの整備に手を焼いたそうだ、(--〆)🤬😠😈🛩️。
そして最も戦闘機を必要としたソロモン方面での戦闘に大きな影響を与えた、(--〆)🤬😠😈🛩️。製造元の川崎重工は液冷エンジンを看板としていたが、最初から空冷星型エンジンで試作しておけば、要は2年前に五式戦が出ていれば戦闘機が必要な時期にそれなり活躍しただろう、(--〆)🤬😠😈🛩️。
陸軍の定見のなさで滑った機体と言えばキ96だろう、(^_^;)😇😅🤬🛩️。この機体はキ45改、つまり「屠龍」を単座戦闘機に改修した機体で時速600キロの速度と大型の双発戦闘機としては抜群の運動性を有した機体だったが、陸軍はこの機体をどう使うか定見がなくて量産を中止してしまったが、対爆撃機用の防空戦闘機として量産していればそこそこ活躍しただろう、(^_^;)😇😅🤬🛩️。これは機体が滑ったのではなくて陸軍が滑ったのだが、1943年で未だ本土空襲が現実の脅威とはなっていなかったとは言え残念なことであった、(ーー゛)🤬😅🛩️。キ96から改修した地上襲撃機を再度改修してキ102という防空戦闘機を製作したが、性能が劣っていて数も25機程度で戦力とはなり得なかった、(ーー゛)🤬😅🛩️。
最後はキ87だろうか、(ーー゛)🤬😅🛩️。この機体は高高度戦闘機として開発さるたが、脚を90度捻って後方に引き込む方式にしたことが命取りになった、(ーー゛)🤬😅🛩️。地上では正常に作動した脚が空中では不調で脚を引き込むことができなかった、(ーー゛)🤬😅🛩️。その他にもエンジンや過給機の不調などもあったが、脚などは出来るだけ簡易な方式にしておくべきであった、(ーー゛)🤬😅🛩️。
零戦52型も「航続距離が短くなる」なんてことを言わずに金星エンジンに換装してパワーアップしておくべきだった、(ーー゛)🤬😅🛩️。航続距離なんかデカい増槽をつければいいことなんだから、(^_^;)😇😅🛩️🛢️。
他にも様々あるが、やはり海軍は雷電、陸軍は三式戦闘機「飛燕」が滑った代表だろう、(^_^;)😇😅🛩️。それから烈風があるが、あの機体が滑ったのは海軍の翼面荷重押しつけと誉エンジンのせいで翼面荷重170キロでエンジンがハ43だったら一流の機体になっていたと思う、(--〆)🤬😠😈🛩️。でも戦争後半の機体は多かれ少なかれエンジンで滑っているな、(ーー゛)🤬😅🛩️。