太平洋戦争中の日本海軍の駆逐艦は来攻する米艦隊を魚雷で撃破するために魚雷を多数装備した水雷戦に特化した艦ばかりだった、(^_^;)😇😅🛳️。しかし戦争が始まると駆逐艦は対空、対潜戦や船団護衛、輸送など様々な任務に酷使されて消耗していった、(^_^;)😇😅🛳️。時には魚雷を降ろして物資輸送を行うこともあった、(^_^;)😇😅🛳️。そして戦争中期になると艦隊編成に支障を生じるほどに減少してしまった、(^_^;)😇😅🛳️。
そこで海軍は簡易型の駆逐艦を量産することにした、(^_^;)😇😅🛳️。これが松型及びその改良型の橘型だった、(^_^;)😇😅🛳️。速力は27.8ノットで我慢して12.7センチ高角砲単装1基、連装1基の3門、対潜装備も充実させたが、魚雷は4連装発射管1基で従来の駆逐艦の1/4だった、(^_^;)😇😅🛳️。しかしこの量産簡易型駆逐艦が対空対潜戦で意外な活躍を見せた、(^_^;)😇😅🛳️。
米艦隊に水雷戦を仕掛けるなどは不可能となっていた戦争後期に来襲する米軍機や潜水艦を相手に善戦した、(^_^;)😇😅🛳️。また機関を左右並列ではなくシフト配置にしたことで被弾しても一気に推進力を失うことがなくタフな艦だった、(^_^;)😇😅🛳️。
また航空機の脅威が増大する中で防空艦とも言える秋月型駆逐艦も量産された、(^_^;)😇😅🛳️。この艦は長砲身の10センチ連装高角砲4基8門を搭載して防空任務に活躍した、(^_^;)😇😅🛳️。長砲身10センチ高角砲は最大射高14700メートルで毎分19発を発射できる当時としては最高性能の高角砲だった、(^_^;)😇😅🛳️。ただこの艦には4連装魚雷発射管1基が装備されていたが、これは魚雷バカの海軍が「大型艦と遭遇した場合は魚雷がないと戦えない」という不安から装備したものだそうだ、(^_^;)😇😅🛳️。でも魚雷よりも高角砲をもう1基増設したほうがよかったように思う、(^_^;)😇😅🛳️。
これらの艦は戦争後期の対空対潜戦に活躍して崩壊していく大日本帝国と海軍を支えようと奮戦した、(^_^;)😇😅🛳️。戦後は復員艦として稼働した後に賠償艦として連合国に引き取られたり港の防波堤にされたり解体されたりしているが、梨という駆逐艦は戦没したのを戦後浮揚修理して海上自衛隊の護衛艦わかばとして稼働している、(^_^;)😇😅🛳️。
数を揃えるために性能的には目をつぶった松型及びその改良型の橘型や米軍機の脅威に対抗するために建造された秋月型駆逐艦は絶望的な戦況の中で健闘してその任務を果たした名鑑ではある、(^_^;)😇😅🛳️。
