「麻績の獅子舞と八咫烏」 第一話から続いた内容になっています。
一話から読まれてないと、内容が繋がらない箇所がありますので、一話からお読みください。
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●麻績の祭神から見えて来る諏訪大社と善光寺との関係性
**麻績神社の祭神
●麻績神社の七つの神を祀る社
**七柱の社の役割
●麻績神社と、火の神の山・秋葉山
●麻績村を知ると・・・
**聖山の由来
**伊勢神宮との繋がり
**上加茂神社と麻績神社を重ねて見ると・・・
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第三話/善光寺から国譲り神話が見えて来る
(麻績神社入口)
(階段を登り切った場所から舞台桜の広場を眺めた風景)
(本殿)豊臣の五七の桐の紋ですね。
これの私なりの解釈は、秀吉と、日吉神社の三猿と、白山が絡んでいると思うのです。それは、もう少し後で。
[麻績の祭神から見えて来る諏訪大社と善光寺との関係性]
***麻績神社の祭神
建御名方命(たてみなかた)
大国主の御子神。諏訪大社の祭神
誉田別命(ほんだわけのみこと)
八幡神を指します(太陽神)
建御名方命は、古事記の国譲り神話に登場し、鹿島神宮の神に負け、諏訪湖に逃げ、国を譲ったとされます。
この神社も神と神との争いです。
前の大甕(おおみか)神社の記事も、神と神との争いの出来事で、この時は、鹿島の神が負けましたが、援軍が来て織物の神(倭文神)に、石の中へ北の星の神大甕の神は封印されました。
この神社の「麻を紡ぐ」意味が、関係があるかのように「織物」と重なるのです。
麻績神社は、場所的にも、善光寺と本地垂迹の関係(神仏習合)だと私は思うのです。
良く分からないのが、善光寺と、諏訪大社とは、仲が悪いとされることで、
麻績神社の二つ祭神がそれを表しているように私には映るのです。
通説では、百済系と、新羅系との関係と言われます。
日立市の大甕(おおみか)神社の祭神二柱も、敵対関係の神を祀っていました。
同じグループの対立軸であることから、やはり、私のここまでの紐解いて来たことが合っていたと言う事です。
そう思わせるのが、誉田別命の「ほんだ」が、「本多善光」の「本多」と重なるからです。
「誉田=本多=善光寺」(太陽神)
「建御名方命=諏訪大社」(大黒様)
伊勢神宮もこの形ですね。
元善光寺では、この繋がりを分からないと言われるので偶然なのでしょう。
しかし、この二柱は、善光寺と、諏訪大社との関係を表しているとすると、総てが収まるのです。
本多善光は、善光寺を造り、賀茂の直系だから寺紋を「立ち三つ葉葵」で使ったと思われます。
だから、下鴨神社と共に紐解くと、麻績神社の姿が見えて来るのです。
国譲り神話は、天照大神グループが、大黒様(大国主)のグループから領土を奪った話です。
天照大神は、太陽神であり、その巫女は、卑弥呼と呼ばれ「陽の巫女」です。
その巫女を下鴨神社に当てはめると、
下鴨神社は、卑弥呼とも言われる大神(おおみわ)神社の大田田根子をルーツとしている神社であるから、火の神大黒様を鎮めた方のグループになり、麻績神社の二柱の祭神から、善光寺と、諏訪大社とを重ね合わせた、国譲り神話の関係性が見えて来るのです。
そして、もう少し読んで頂くと、
何故、賀茂の神社が二つあるのか、
何故、上加茂神社(賀茂別雷神社)が、下鴨と字が違うのか、
何故、下鴨に御手洗の池があるのか、
何故、上加茂神社が下鴨神社の北にあるのかも納得されるのではと思っています。
【麻績神社の七つの神を祀る社】
麻績神社には、お参りした事は以前にもありましたが、境内を見て回った事は有りませんでした。
本殿に参拝した後、左手に摂社が見られたので行く事にしました。
七社連なっているお社がありました。
これを見て、やはりと思ったのです。
少し前に訪れた神戸町(大垣市北部)の日吉神社が、最澄と慈覚が七社を比叡山守護宮の日吉大社から勧請した神戸町の金弊社日吉神社と関わりがあり、善光寺と、この日吉神社の紋が同じ立ち三葉葵紋だったからです。
私が3月に訪れた西美濃の日吉神社は、私が訪れたかった日吉神社ではありませんでした。
その時の記事は、勘違いした内容でした。
もう少し北に行った神戸町(ごうど/大垣市北)にある日吉神社が、最澄大師、慈覚大師が七柱を勧請した神社だったのです。
この神社に立ち三葉葵紋の事を尋ねたところ、「我が社は巴紋で、立ち三葉葵紋については分からない」と答えられたのです。
もし、私が訪れる場所を間違えてなかったら、善光寺の紋と繋がらなかったのです。
ここを訪れた理由は、三猿がある事と、天台宗が関わった七柱勧請を知っていたから、それを見たかったからで、
七柱を忘れて、三猿があったことから「ここだ」と思ってしまったのです。
麻績神社の七柱それぞれの名前が消えかけていて、良く分かりませんでしたが、「伊雑(いざわ)社」の名前ははっきり読み取れたのです。
驚きました。
この神社も最近、伊勢志摩旅行で偶然訪れた神社だったからです。
長い年月の中で出会うなら分かります。
わずかな時で、この稀有な神社と繋がることはまずないてしょう。
この伊勢神宮別宮が、ここで祀られている事は、麻績村を知ると、納得するのです。
それも、もう少し先で書く事にします。
***七柱の社の役割
麻績神社の摂社を調べると、境内には10の摂社あると書かれたものがありましたが、一つにまとまった社の七社の名は恐らく次の7社と思われます。
- 琴平大神
- 伊雑皇社
- 島三社
- 社宮司社
- 子安社
- 疱瘡神社
- 浅間社
この他の摂社に火の神を祭神とする秋葉社もあり、この神社も愛染明王と北斗七星の関係があると思われるのです。
[麻績神社と、火の神の山・秋葉山]
これは、麻績神社の北側に山が聳え、その山が「秋葉山」と言う事と関係があると思われます。
秋葉山神社の祭神は、火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)
と言い、見たらわかるように「火」の神なのです。
火の世界の女王、イザナミと、イザナギの子です。
火の神を鎮めるために火の神を祀り崇めるのです。
現代に伝わる日本人らしい宗教観です。
秋葉山神社では、自然が起こす火の起因するものを神として崇めていて、雷や、火山も祭神に起因するものと、秋葉山本宮のHPには書かれています。
麻績神社に施された形が天台密教によるものであるなら、慈覚大師で知られる浅草寺の大提灯に「雷」と書かれた事と、その下と上に水の化身の龍が描かれ、神田明神を中心とする七つの社が北斗七星の形状をし、浅草寺に水を掛けるかのように、その柄杓のカップに日本橋の龍が入るのも偶然とは思えないのです。
そして、麻績神社も、北斗七星と、七社が重なり、北斗七星の柄杓で、火の神(イザナミの子)に水を掛ける仕掛けが、この神社には施してあると思われるのです。
それは、上加茂神社が、下鴨神社の祭神の子「賀茂別雷大神(かもわけいかづち」と言い、麻績神社の火の神同様、山を御神体としているのです。
秋葉山神社の神は、岐陛保神(キヘノホノカミ)とも言われ、この名は「天と別けられた火の神」と読めます。
上加茂の神も「賀茂から別けられた雷の神」となり、同じなのです。
下鴨神社には、この雷の子の母親が祀られている事が、麻績神社から不思議な繋がりを見せるのです。
また、麻績神社の近くには、風越山があり、そこには、火山で知られる白山を祀る白山神社奥宮があり、
白山ヒメ神社の本宮奥宮は、火の世界の主「イザナミ」を祀りました。
秋葉山の神は、イザナミと、イザナギの子とされる事からも、繋がりを理解できるのではないでしょうか。
【麻績村を知ると・・・】
***聖山の由来
麻績神社と、麻績村と関りがあるとすると、
麻績村の村内には、「聖山(ひじりやま)」があります。
この山は、越後の高僧、聖が修行した事で知られ、この僧の名前が山の名前になりました。
また、この名前の聖湖と言う美しい湖があります。
***伊勢神宮との繋がり
この地は「麻績御厨(おみのみくりや)」と言う伊勢神宮神領地で、伊勢神宮内宮の天照の食事を支える役割を持っていたのです。
伊勢神宮外宮の豊受大神の役割と同じなのです。
それは、伊勢氏族の住む地であったからで、それを担う神社が、この地の鎮守の麻績神明宮でした。
伊勢氏は、穴師と呼ばれていた事から、神と神との争いの「ムカデ」(穴師の守り神)と思われ、その後、ある事件の責任をとり伊賀氏族がこの地に飛ばされ、住み着く事になったのです。
伊賀氏は、伊香氏をルーツに持つ事から、前の記事で書いてきた大甕(おおみか)神社の「香香」の名を持つ北の星の神が繋がりを感じさせるのです。
この大甕(おおみか)神社も、伊勢からの援軍「倭文(しず)」の神に負ける事から、伊勢神宮が共に絡んでいるのです。
***上加茂神社と麻績神社を重ねて見ると・・・
もし、座光寺の麻績神社との繋がりに意味が有るとするなら、秋葉山の祭神からと、本多善幸が下鴨神社の氏子である事とを繋げると、こんな関係が見えて来るのです。
次回は、この麻績神社の変わった獅子舞に切り込んでいきます。
それからも、下鴨神社に繋がるのです。
第四話に続く