麻績の獅子舞と八咫烏(4) 獅子の正体は八咫烏(ヤタガラス)? | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
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読んで見て下さい。

第一話から続いた内容になっています。

一話から読まれてないと、内容が繋がらない箇所がありますので、一話からお読みください。

 

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第四話/獅子の正体は八咫烏(ヤタガラス)?

座光寺の変わった獅子舞

 **目が見えない獅子

 **幸福になれる「七つの花」

 **三人の先導役の童子の舞

 **元善光寺の矢場

 

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第四話/獅子の正体は八咫烏(ヤタガラス)?

 

[座光寺のお祭りの変わった獅子舞]

麻績神社の春祭りは長時間に渡り行われ、先導する烏天狗を担う人は、体力的に一人では持たないので入れ替わります。

その役を受けた人は、祭り数日前からランニングなどをして、体力をつけなければ保たないほどです。

 

この獅子の特徴は

黒い体。

目が見えない。

とされるのです。

三人の歌舞伎の隈取(くまどり/歌舞伎独特のメーク)をした童子が、この目の見えない獅子を導くのです。

その三人を守るのが、厄年を迎えた人が演じる烏天狗なのです。

他には見られない獅子舞で、

明らかに、隠れたストーリーを醸し出しています。

 

 
 
(カラス天狗)
 
それを紐解くと、神武天皇の東征の三本足の八咫烏(ヤタガラス)が見えて来るのです。

それは、美濃の洞戸の魔物に導いたウナギと同じです。

 

本多家が下鴨神社の直系とされる事から、間違いなくこの獅子は、

下鴨神社の八咫烏なのです。


この獅子舞では、カラス天狗の他に鼻の高い天狗も登場し、

この天狗からもそれは、感じられます。

京都で天狗が現れる伝説を持つ場所は、鬼門の鞍馬と、愛宕山です。

賀茂別雷神社(上加茂)も鬼門にあり、愛宕は、消防の聖地と言われるように、火の女神イザナミの地だからです。

 

***目が見えない獅子

目が見えないのは、「烏」の字が象形文字から作られ、カラスの黒い体から、目が有るのか無いのか分からないので、目の象形部分の線が無くなっている事と重なり、

三人により進む事は、三本足のヤタガラスを想像できるのです。

(横から見た獅子)

烏天狗

 

神武天皇の東征でのヤタガラスや、美濃の高賀神社の藤原高光の伝説で登場するウナギが「先導」した話からも繋がるのです。

共に黒です。

 

麻績神社の北側には虚空蔵山がある事も、それを想像するのです。

それは、虚空蔵菩薩はウナギに乗ってやって来たと言われるからです。

 

**幸福になれる「七つの花」

この獅子の尻尾の部分には七つの花を付けた竹の棒が数本、弓筒のような物に入れてあり、

これを、麻績神社前での最後の舞の後、人々が奪い合うのです。

これを手にすることができたら、一年が幸福になると言うものです。

 

 

 


 

 

この花の数が「七」なのは、麻績神社の七つ連なった摂社であり、裏山が火の神の山であるから、北斗七星の柄杓だと思われます。

もしそうであるなら、天台密教の守護宮、日吉大社の北斗七星信仰が大きく関わっているはずです。

少し前の記事で載せた滋賀の日吉大社のパンフにも北斗七星が描かれていましたね。

この日吉大社の本殿も階段は七段。

そして、極めつけは、本殿の狛犬の尻尾が七つある事です。

座光寺の獅子の尻尾の「七つの花」との繋がりは偶然ではなく、明らかに繋がりを感じさせるのです。

 

また、この様な花の取り合うお祭りが、白山美濃馬場(登山口)の白山長瀧寺に見られ、

それは、5つの花が付いた笠を奪い合う祭りです。

白山での花は、「5」です。

 

神戸町の日吉神社の七柱の中の白山神の社は、「客人宮」となっていて、天台密教(日吉神社)の「7」とは、同じ花の取り合いの祭りではあるが、別と言うことです。

 

長瀧寺を訪れた時、何故「花」なのか疑問でした。

座光寺の麻績神社を知って、その花が何なのか分かった気がしました。

麻績神社に隠れたものは、イザナミと、その子でした(多分)

白山の奥宮と、秋葉山がそれを表していました。

共に、白山が根底にあるとするとすると、それは、白山の神紋がキュウリの花であるから、取り合う花は、その花となります。

 

白山開山の祖、泰澄大師が信奉した十一面観音の「11」の「1」と、虚空蔵菩薩の33との「3」と、上記の「5」と、「7」の陽の数が表れていますが、白山の神は、「99」の神で、重陽の節句で表されるように、陽の数の最大の数で、忌み嫌われる数とされます。

この重陽の節句に、天皇家では、菊酒を飲み災いを避けます。

天皇家の菊の紋は、八重の花びらで、陰の数の最大の数。

つまり、陰陽の調和を計ったものと思われるのです。

キュウリの花の力が強くならないように、バランスを保つ事が必要と、私は思うのです。

祇園祭を見ても、災いを招く神の力を鎮める祭りである事からも、座光寺の祭りも、その可能性が高いと思われます。

 

キュウリの紋の織田信長が、甚目寺観音に、善光寺の如来を持って来たとされるのは、織田信長が、白山の氏子だったからと推測できるのです。

そう思わせる事がもう一つあります。

長瀧寺の「五の花」と、座光寺の「七の花」は、

猿の日吉大社が絡んでいた事から、思い浮かぶのが、

猿と呼ばれた「豊臣秀吉」の五七の桐紋と重なるのです。

祭りの時、麻績神社本殿の幕が五七の花の桐の紋だったからそう思ったのです。

上記で、七つの花は、キュウリの花としましたが、「桐」を表しているとも言えます。

 

**三人の先導役の童子の舞

この黒い目の見えない獅子を先導する三人の童子は、歌舞伎のクマドリのメークをして、最後の麻績神社前の舞台で舞を披露するのです。

三人の童子が八咫烏の「三本足」と、「先導する」が、それを表し、更に、烏天狗のカラスが八咫烏に導きますが、

童子が演じる舞は、菅原伝授手習鏡と言う、歌舞伎の演目で、登場人物は、菅原道真がモデルになっているのです。

物語の内容は、菅原道真の冤罪を受け太宰府へ左遷された事件の物語です。

死後、天皇の住む場所にを落とし復讐した事で知られます。

本多善光が氏子である上加茂の「雷」の神であり、麻績神社の秋葉山の「雷」と、麻績村の天皇家の伊勢神宮との繋がりが、この獅子舞の本当の姿を露わにします。

 

 

***元善光寺の矢場

元善光寺には矢場(弓の練習場)があります。

麻績神社が八幡神社(弓の神社)であった事からと思われますが、これも資料が少ない事から私の推測で進めます。

座光寺の春祭りの獅子舞は、菅原道真をモデルにした歌舞伎の演目なのですが、

これも、何故、この演目なのかも分かっていません。

しかし、厳島神社も、大甕神社も、「復讐」が潜んでいて、北斗七星と、北極星信仰で繋がっているのです。

上加茂の雷の神と、菅原道真の雷と、太宰府天満宮の牛と、善光寺の「牛に牽かれて善光寺」のフレーズが繋がるのです。

善光寺の「牛」は、善光寺の講の「御師」が「牛」だとも言われますが、私は、「伊賀氏」が麻績村に飛ばされた事が、演目、菅原伝授手習鏡と重なるのです。

 

これは、名古屋の大須観音にも言えるのです。

2月の記事で、「大須の矢場」を取り挙げました。

大須は、菅原道真ゆかりの地で、陰陽道にも関わる氏族の地でした。

大須には徳川家康が幽閉された万松寺があり、家康は、賀茂の氏子である事も、賀茂の直系の氏子である本多家と、善光寺の葵の紋でも繋がるのです。

2月に大須の矢場を訪れ、その後、座光寺の祭りに訪れた流れも偶然ではないようです。

それは、もう少し読み進めて頂くと、有り得ない偶然を目の当たりにするでしょう。

それは、この大須の矢場が、三十三間堂と絡んでいて、それに関わった星野氏(三十三間堂の通し矢で記録を出した人物)が、熱田神宮の大宮司の家柄であった事が、熱田神宮と縁の深い小臼命(ヤマトタケル)に潜む「三十三」も繋がって来るのです。

 

本多善光は、如来像を臼に乗せたら光った事が「小臼命」の「臼」が繋がるのです。

一つのストーリーを知っていた人物が、その物語の真理に繋げるように構成したのではと思うほどです。

こんなストーリーを多方面に繋げる事が出来るのでしょうか?

私の妄想である可能性の方が高いと思うのですが、「麻績」と、「善光寺」をもう少し知ると、妄想で無い事を確信するのです。

 

第五話へ続く