第一話から続いた内容になっています。
一話から読まれてないと、内容が繋がらない箇所がありますので、一話からお読みください。
第二話 日吉神社の火祭りと、麻績神社(飯田市)との繋がり
<<<< 第二話 目次 >>>>
●神戸(ごうど)日吉大社の火祭り
●祭主の特徴
●金幣社とは
●山王日吉祭りと、七社の祭りと、法被
**牛尾宮
**樹下宮(じゅげみや)
**大宮
**二宮
**宇佐宮
**客人宮
**三宮
<<<< <<<< >>>> >>>>
第二話 日吉神社の火祭りと、麻績神社(飯田市)との繋がり
[神戸(ごうど)日吉大社の火祭り]
岐阜県神戸町の最大の祭りは、4月第四土曜・日曜に行われる「神戸山王祭り」で、通称「神戸の火祭り」と呼ばれている祭りです。
明治初年までは、卯月(4月)の2の猿の日に開催されていました。
神戸町は、伊吹山の西側に位置し、鍛冶屋町があり、鉄に関わる地です。
その信仰に、「金気」の数があり、それは13を表し、
ウサギ(4)と、猿(9)の数から構成されています。
恐らく、この祭りは、鍛冶屋の信仰から来ていると推測できます。
我が家もこの金気の数と、とても不思議な縁があり、何度も書いてきました。
やはり、それは、猿の山王信仰と関りがあったのです。
興味のある方は、「金気 猿」で私の記事を検索して見て下さい。
名古屋城が何故真北を向いていないかにまで繋がるのです。
日吉の火祭りを知った時、我が家の火の神の印を持つ者と重なるのではないかと感じたのです。
調べて合致しても、余りある符合に恐ろしくて書けないかも知れません。
それは、以前、良く繋がりを持つ方にも、同じ様な重なりを持ち、その方に起きた出来事が頭を過るからでもあるのです。
この祭りは、
七社の神輿が、土曜の深夜0時に松明を灯しながら下宮へ渡御(とぎょ)し、それは、「朝渡御」と呼ばれることで知られていて、午後5時にも上の宮へ戻る還御(かんぎょ)が行われます。
神輿の渡御は、止まってはいけないとされ、全力疾走で下宮まで行きます。
[祭主の特徴]
この祭りの祭主は、氏子総代から選ばれ、衣装は、麻の裃(かみしも)装束で、
この祭りの朝渡御で使われる松明(しょうみょう)も、松では無く「麻木の枝葉や、木の皮」で、特別に栽培された麻で作られるのです。
今紐解いている座光寺の麻績(おみ)神社の名前そのものです。
また、祭主に対して絶対してはいけないことがあります。
祭の装束を着ていない者は、祭主の前を横切ってはいけないとされるのです。
お祭りに行かれた時には気を付けて下さい。
このお祭りでの掛け声は「ワッショイ」ではなく、「うにょおい」と発せられるのです。
語源は仏教「右遶(うにょう)」や、「運良い(うんよい)」などの説があり、良く分かっていません。
還御の時、神輿がスタートする合図も独特で、赤白の紙を付けた御幣を22本、扇状にし、拝殿屋根から投げ、拾った人が、牛尾宮の神輿まで行き、神輿に向って投げる事が合図となるのです。
座光寺の麻績神社の祭りのように、激しく奪い合います。
牛尾の「尾」と、座光寺麻績神社の獅子の尾に付けられた七つの花とが繋がるのです。
麻績神社では、奪い合いが祭の最後になります。
[金幣社とは]
この祭りの中心になる日吉神社は、金弊社と付いています。
意味も理解できるし、別に気にするほどではなかったのですが、「麻」の繋がりを知り、気になりました。
これを紐解けとばかりに、前に付いている事に意識が行ったのです。
やはり、私は本来の御幣を見落としていました。
金幣とは、御幣を表し、御幣に付ける紙垂(しで)が金色である事を意味します。
「紙垂」は、雷の形をした飾りです。
御幣のルーツは、生贄の首を逆さに吊り下げた物が変化したもので、
神が降臨する目印とされます。
現在での「幣」は、食物のお供えですが、本来は「麻布」なのです。
座光寺の麻績神社の「麻」が繋がりました。
このタイミングの良さは、この日吉神社に来るべくして訪れたのだと思ったのです。
[山王日吉祭りは、七社の祭りと、法被]
この祭りは、日吉神社の摂社、七社が団結して行われる祭りです。
この祭りの七つの社の神輿を担ぐ人達は、神輿ごとに法被の模様、色が違うのです。
その七社は、
**牛尾宮
法被は、柿色の格子柄。
山王の字が表すタテとヨコは、伊勢神宮の伊雑(いざわ)宮と関りのある海女さんの護符、セイマン、ドーマンと思われます。陰陽道に関わる日吉神社だからです。
牛尾宮の神輿は、祭の一番神輿で、この神輿だけ八角形をしているのです。
少し前の記事で出て来た日立市の大甕(おおみか)神社(第5話)での神輿も八角形でした。
上加茂神社と重ねるのなら、雷(イカヅチ)が「伊香」と重なる事から大甕神社の祭神からも繋がりを感じるのです。
それは、南米のインカとも不思議な一致が見られるのです。
祭神・大山昨大神荒魂(おおやまくい/日吉大社主神ニ柱の一柱の荒魂)
**樹下宮(じゅげみや)
(樹下宮の磐座が並びます)
法被は青の格子柄。
鴨の玉依姫を祀ります。雷(火)神の母親である事からイザナミと同神と思われます。
それは、この日吉神社も、下と、上宮に分けられている事と、賀茂の神社に繋がっているからです。
牛尾宮と、樹下宮との法被の色からも、上加茂、下鴨のように火と、水の関係が見られるのです。この宮の名前をこじつけるなら、「きのした」と読め、
猿と呼ばれた木下藤吉郎(豊臣秀吉)の名前も、日吉の幼名も、本当は、本人も、猿の日吉神社との関係を知っていたのではないでしょうか?
「猿」も、「日吉丸」も死後に現れましたが、「木下」の姓は実在したからです。
祭神・鴨玉依姫大神
**大宮
法被は、青の亀甲紋。
亀甲紋から、白山と、出雲大社を表しているものと想像できます。
祭神・大己貴大神(大黒様/日吉大社主神ニ柱の一柱で、大神神社がルーツ)
**二宮
法被は、青地で、「二宮」と白抜きされています。
祭神・大山昨大神(おおやまくい/日吉大社主神ニ柱の一柱)
**宇佐宮
法被は、濃紺の地に、白の卍柄が連なります。
私的には、渦を表していると思うのです。
宇佐八幡宮との繋がりは見つけられませんが、この地の伊吹山がイノシシの神であり、宇佐八幡宮のイノシシ伝説からも繋がりが感じられるのです。
神戸町日置神社神紋が、巴紋と橘紋の二つ並んでいた事からも、八幡宮の橘紋と重なる事からもそう思うのです。
祭神・湍津姫大神(宗像三女神の一柱)
**客人宮
私には、「客人」と言う文字から、白山の神は、別のグループと受け取れます。
しかし、この祭りは、火祭りです。
白山古来の神「イザナミ」が原点と思われる事から、白山の奥宮が焼失して以後、「菊理媛」になり、「菊」を救済神と重ね合わせている事から、火の神を鎮める働きに招かれたと想像するのです。
祭神・白山媛大神
**三宮
この宮の祭神から、下鴨神社との関りを表していると受取れ、
この祭りの火の神の母親とされるのです。
それは、二つの日吉神社を渡御が、上加茂、下鴨の神社の関係を示唆しているものと感じ取れます。
祭神・鴨玉依姫大神荒魂
この宮の祭りが、飯田市の麻績神社の祭りと重ね合わせて見ると、
隠されたと言うか、忘れ去られた祭りの本来の姿が見えて来ました。
それは、火の神を鎮める事を、自然崇拝と重ね合わせ、調和する事が私達の生きる道と語り掛けているようです。
しかし、我が家との関りを見て見ると、同じ形が見られ、私にとっては、自然崇拝だけではない事を確信するのです。
それを三猿は、私に投げかけて来るのです。
私が子供の頃、一人で「猿投(豊田市)」へ父の友人宅へ泊りに行った事が、ずっと疑問でしたが、意味が有ったようです。
この事は、並行して投稿している麻績神社の最終章に書き記しています。
麻績神社の獅子舞と八咫烏(5)へ続く