何故、平将門は子供の守り神なのか? | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
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●将門に関わる神社が北斗七星

●撃ち落された将門の首を祀る御首神社

●浅草寺雷門と平家

●雷門の「雷」は、イザナミの子供

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[将門に関わる神社が北斗七星]

平将門は、物語などで登場することから、名前は良く知られた平安時代の武将です。

伝説もいくつか残っていて、興味を持たれている方も大勢いることでしょう。

私は、その伝説の一つに疑問を持つのです。

それは、「子供の守り神」と言われる事にです。

 

将門に怨霊伝説がある事から、それは異なるようなご神徳に思うのです。

 

私の読者の方なら納得されるかと思います。

 

平将門で知られる神田明神を中心に、平将門に関わる神社を繋げると北斗七星の柄杓が現れると言われます。

 

これが、将門のご神徳「子供の守護」を解くカギと私は推測しました。

 

 

[撃ち落された将門の首を祀る御首神社]

将門は、940年に藤原秀郷に討ち取られ、その首は、京都へ送られ晒されますが、空を飛び故郷(千葉)へ帰ろうとし、伊吹山の東で、南宮大社の神に矢で堕とされます。

この場所は、前の記事で書いた神戸町の金幣社日吉神社の直ぐ近くです。

善光寺と同じ寺紋の神戸町赤坂の日吉神社を訪れた時に、立ち寄りました。

 

(将門の首を祀る御首神社)
 

ご神徳が首より上の災いにご利益があると書かれていますが、良く知られているのが、子供を守る力です。
 
(頭に関するご利益があるとされる事から、帽子を奉納する風習があり、帽子が沢山の奉納されてありました)
 

 

神戸町の日吉神社も、浅草寺も、慈覚大師が関わっている事から、将門伝説は、天台密教によって作られたと推測できます。

北斗七星は、天台密教の思想にとって重要なアイテムである事もそう思わせるのです。

 

【浅草寺雷門と平家】

問題は、何故、将門を天台密教の教義に登場させたかです。

「将門の北斗七星」を表す七つの神社は、将門が討ち取られる前から存在した神社もあり、その一つの鳥越神社(651年創建)では、将門との関わりを否定されます。 

神社が、北斗七星に配置されたのは、浅草寺創建当初からあったものと思われ、雷門が建てられた年とほぼ同年代なのです。

 

その柄杓の水が向けられている先は、今まで色々な場所を想定してきましたが、最近の記事を書いて来て、それは、私の中では、浅草寺に棲む「雷」だと確信しました。

 

浅草寺の代名詞の「雷門」は、当初は「風雷神門」と言われていましたが、1800年初めには、「雷門」と呼ばれていたようで、

これも、何故、雷門になったかは不明なのです。

ここまでの私の天台密教の紐解きでは、「雷」でなくてはなりません。

 

この門の建設には平公雅(平安中期の武将)が関わっていて、平家によって、浅草寺は関東の鎮護寺となって行ったのです。

それは、雷神の力が強くなり過ぎないように、北斗七星の柄杓を配置し、災の力を鎮めたと思われるのです。

慈覚大師の時代の浅草寺は、平家との繋がりが深かったことが分かります。

 

 

[雷門の「雷」は、イザナミの子供]

浅草寺も、善光寺も、甚目寺観音も、海で拾った如来や菩薩を祀っていると言う特異な由来を共有しています。

ですから、それらに現れる共通のアイテムを結びつける事ができるはずです。

それらから得られた大元は、下鴨、上賀茂の繋がりであったことから、雷の神が中心的な存在であるはずです。

その神は、火の神や、星の神として表され、北辰信仰の天台密教では、北極星で表されています。

イザナミの子供と言うのが、一番の深部にあるようなのです。

それらと対峙するものとして、猿や、北斗七星の水で表されるのです。

 

神戸町(岐阜県)の三猿の日吉神社の記事でも出てきたように、そこで現れた神紋は、立ち三葉葵紋と、ペアになった巴紋、橘紋でした。

日吉神社の葵紋は、京都の鬼門にある賀茂の神社につながり、橘紋と、巴紋とのペアは、裏鬼門にあたる石清水八幡宮に見られます。

 

裏鬼門は名古屋で言えば、荒子観音になります。

この「荒子」の由来は、はっきり、こうだと言うものは無いので、私は「荒ぶる子」とすると総てが繋がるのです。

また、名古屋の山王地区に在る願興寺にも雷の子供の伝説が残されているのです。

 

また、その場所にある日置神社も菅原道真が絡んでいて、雷が潜んでいて、山王の猿と、雷の組み合わせが見られます。

 

元善光寺のお祭り(麻績(おみ)神社)でも獅子舞は、菅原道真と雷の話を題材にした歌舞伎の舞で、イザナミの子を北斗七星の柄杓で鎮める施しがされていました。

我が家にも「イザナミの子」と言える子供がいます。

そして、消防関係の職業を、妻の兄弟や、昔火消しだった家柄を持つ義母、そして、私の子供や、子供の配偶者が持ちます。

その職業についてない家族は、施しの仕事を持つのです。

地蔵菩薩は、火に包まれた餓鬼に、慈悲の水を施し(お施餓鬼)、それは、消防と同じ意味と言え、私が水色の車に絶えず乗るのも、イザナミの子を守ろうとしているものと思われるのです。

 

このように我が家も含め、それらは、上加茂神社の祭神が、下鴨の神を母とする雷の名を持ち、基本になっています。

 

 

平将門を、北斗七星と重ねていることは、将門が、子供に憑いた荒ぶる神を鎮めることで、将門を討った藤原秀郷縁の成田山新勝寺が、逆に、お腹に子供がいる方は訪れない方が良いと言われるように、藤原秀郷を、災いをもたらす雷神と重ね合わせているようです。

また、神田明神のHPにも、将門は除災厄除けの神と謳われています。

 

平家によって発展していった浅草寺も、平将門が討ち取られ支配者が交代しても、将門を災いをもたらす神として配置する事はできなかったのではと思うのです。

 

また、討ち取った側としては、将門が怨念として故郷の佐倉市、四街道市(千葉県西部)に帰って来ないように、香取神社を迎撃ミサイルのように、この地に配置してあるのです。

香取の「香」は、大甕(おおみか)神社の星の神の「香香」の神の「香」で、一つ「香」を取り、力を半減させることを意味していると私は想像するのです。

そして、「香」の「か」は、「火」なのかもしれません。

 

将門と、雷門、神田明神の北斗七星は、別なものとして捉えるべきで、ここまで記事に書いてきた私の不思議な繋がりを考えると、2020年に千葉県西部に墜ちた習志野隕石に導くものと思われるのです。

未来に起きる出来事と重ねるなど馬鹿げているかと思われますが、私にとって、麻績神社の第五話に書く不思議な一致が有り得ない一致だからです。

 

私の想像ですが、人には眷属の魔物が付いていて、その魔物が強過ぎた時、産まれたばかりの子が、魔物のパワーを受け入れきれないので、鎮める必要があると将門伝説は言っているのではと思うのです。

そう思うのは、このブログを書き始めたきっかけの不思議な出来事からそう感じるのです。