伊勢志摩旅行二日目の締めは、横山展望台を訪れました。
英虞湾に沈む夕日を見るためでした。
展望台駐車場へは、満車でガードマンに止められ、前にある駐車場に止めて歩いた上がって下さいと言われました。
展望台までは歩いて15分との事。
しかし、急な山道を登ってです。
仕方なく、駐車場へ止めてさっきのガードマンの近くまで来たら、数台降りてくる車がありました。
ガードマンに再び尋ねると、数台上がれるから、そこに並んで下さいと言われ慌てて車に戻り、並ぶと直ぐに通れる事に。
この旅行は目まぐるしく運が行き来します。
この横山展望台の「横山」は、私にとっては重要な名前で、今年に入って特に、人生の1ページを終わる名前なのですが、この場所とつなげるには、平凡な名前で、こじつけになることから止めます。
しかし、この志摩へ来た事は、導かれていたようです。
私の住む場所の隣は、海部郡(あまぐん)と言い、海の一族が関わっている場所で、海部一族は昔、天照大神へ海の幸を献上する役目があったと聞きます。
志摩の海女さんと重なる部分があります。
志摩の天照大神の御魂を祀る伊雑宮も、海女さんに信奉され、この地には、そのような神社が幾つかあります。
石神神社(鳥羽)が良くTVなどで取り上げられます。
タイミング良く、何度も不思議な繋がりをしてきた「旅サラダ」の番組で、伊勢志摩を流していて、石神神社が出てきました。
ほほ同時にCBCラジオでも、事故物件芸人と言われる人が取り上げていました。
この重なり過ぎに、少し怖ささえ感じます。
この神社のお守りに描かれているマークが独特で、良く取り上げられるので目にした方もいると思います。
【セイマン、ドーマン】
これは、志摩の海女さんの護符で、セイマン、ドーマンと言い、こんな図形で表されます。
これは、陰陽師の安倍晴明(セイマン)と、芦屋道満(ドーマン)が由来とされ、命がけの漁をする海女さんを守るものです。
セイマンの図形は、一筆書きで書かれ、元の位置に戻る事から、初めも終わりも無く、魔物が入る余地がないとして、護符として使われるのです。
時間の午前0時の正子(しょうし)や、正月は、終わりであり、始まりの「時」で表す事から紐解いた私の「賀正」の内容と、対極の意味を持つ図形と言えるのです。
これは、「一の信仰」の神馬牽参(しんめけんざん)に秘められた(?)事と繋がっているのです。
ドーマンの図形は馴染ないものですが、
これは、「九字」と言って、陰陽師が唱える九つの印(いん)の言葉から来ていて、それぞれの言葉の印(いん)を結び、次に手を刀のように結び、印を切ります。
ドーマンの図は、その時の手の動きを表し、その順番が決まっていて、海女さんは、その通りに黒糸で、漁で身に着ける手拭いに刺繍していくのです。
セイマンは、「善」を表し、ドーマンは、「悪」を表すとされます。
恐らく、セイマンは、守護神を招き、ドーマンは、魔物を斬り滅するのでしょうが、ここまでの紐解きの牛と馬の事を考えると、魔物とのバランスを保つ事を表しているのかもと私は思うのです。
海部(あま)郡の府、津島の興禅寺にある牛頭天王像が、馬と牛と、魔物である鬼が一体になっているからです。
(その記事はコチラ)
護符の印を二つ描く事には、違和感を感じるのです。
信じるものは普通、一つでしょう。
この印は、海に棲む「朋潜き(トモカヅキ)」から守るのです。
トモカヅキとは、一人しか潜っていない時、同じ格好の海女がいて、コチラを見て、アワビをあげると言って、貰ってしまうと命を落とすと言われるのです。
私は、中学生の時、この地でキャンプをし、海女さんが海から上がってきて、アワビをあげると言って貰ったことがありました。
当時、この伝説を知っていたら、ドキッとした事でしょう。
海女さんからアワビもらった経験の人、そうは無いでしょう。
ドーマンに話を戻します。
名古屋の橘にある日置神社は、山王地区にあり、山王の字は、タテの線をヨコで繋げ(山)、ヨコの線をタテで結ぶ事(王)を表すのです。
タテと、ヨコの線で繋がるドーマンと、基本同じです。
「九」で繋がらないと思われますが、この山王と、志摩は繋がるのです。
古い読者の方は、気が付いたかと思います。
これは、次回の記事で書きます。
文頭の横山展望台の横山の字を、私には「山」の字を横にしたと思え、「王」につなげるヒントのように映るのです。
横山展望台から正面に見えるのが、私が昔、キャンプをした「大王崎」だから、そう思ってしまうのです。
続く