馬を干支で「午」と書くのは・(第一章)牛頭天王は、閻魔大王の化身 | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
読まれていない方は、ブログのテーマ・「まとめ」から
読んで見て下さい。

ここまでの記事で、「牛頭天王」が良く絡んできました。

今日は、干支の午(うま)との繋がりを探って行こうと思います。

 

<<< 目次 >>>

 

[第一章]

●牛頭天王と、馬頭観音との関係

 **馬に関わる人との不思議な繋がり

●天台密教との関り

●牛頭天王は、閻魔大王の化身?

 

[第二章]

干支の午を「ご」と読むのは

正午の対極の正子の意味を考える

子と、午と、牛の繋がり

1ズレた世界

 

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第一章

[牛頭天王と、馬頭観音との関係]

我が家から西に、藤の花で知られる津島神社(愛知県西部)が在ります。

牛頭天王を祀り、古くは、祇園祭と並ぶほどの、牛頭天王の祭で知られていました。

しかし、この地は、馬飼のルーツの地とも言われる「馬」の地だったのです。

 

我が家の墓がある江南(愛知県北部)も、古くは、馬を生業にしていた生駒氏族ゆかりの地で、藤の花で知られ、家紋も下り藤だから、私的にも興味を持っていました。

(江南の生駒氏を扱った記事はコチラ)

 

*** 馬に関わる人との不思議な繋がり

津島の興禅寺に伝わる牛頭天王像に、私は興味を惹かれ、紐解いてきました。

この像は、牛と馬の顔と、鶏の足を持ち、一本の角を持つ鬼を伴う風変わりな姿をしているものです。

特に、何故、馬が繋がるのか不思議でした。

 

最近の記事で、泉と、牛頭天王と、瓢箪から駒の話を書き始めた時、中国の山東省の出身の「馬(マー)」と言う姓のお客様ができました。

馬と、言う名に出会う事も、一生で一度あるかないかです。

それも、馬について記事を書いている時にです。

私は、出身地にも驚きました。

この山東省の省都(済南市)は、沢山の吹き上がる泉(趵突泉/ほうとつせん)で知られ、女媧(じょか)と、伏義(ふっき)の創造神話が伝わる地だからです。

その記事は、コチラ)(コチラもご覧ください)

ここまでの泉の記事でも、日本の創造神イザナミ、イザナギが根底にあり、宮古島との繋がりでも、宮古島の創造神話で牛が登場し、泉が絡んでいました。

 

その中で、偶然知った宮古島に住む女性とも不思議な繋がりがあり驚きました。

記事にはしていませんが、馬さんと同じ様に、名前と、名前を見つけた場所と、出身地の場所に創造神話と泉と、牛が絡んでいたのです。

寒気がするほどのつながりなのです。

タイミングの良さにいつも驚かされます。

どうも私に牛頭天王と、馬は縁を結んでいるのかもしれません。

住んでいる場所からもそう思えてしまいます。

私の住む愛知県のシルエットが私には牛に見えるのです。

豊臣秀吉の誕生の地が目に当たり、

犬山の桃太郎神社が角のようにとがっている部分であるのも面白い偶然です。

 

[天台密教との関り]

牛頭天王と、馬頭観音との繋がりや、牛が「ご」と読み、午が馬となった経緯は伝わっていないので、私の解釈でしかありません。

私は、これを陰と陽として見てきました。

これは、天台密教に関わるものと思うのです。

最澄大師や慈覚大師が、美濃を横断している東山道を通り、布教して行った事と重なるからです。

 

愛知県の天台密教の伝播の拠点は、御嶽(みたけ)から伝わった名古屋の鬼門方向にある春日井市の密蔵院です。

その近くには名古屋の鬼門を守る龍泉寺があります。

この寺には、馬頭観音が泉から現れる最澄大師の伝承を持ち、それを知った時、不思議な縁で、同じ伝承を持つ弓削寺(岐阜県池田町/西美濃)を、養老を経て知ったのです。

龍泉寺と、弓削寺の伝説の記事はコチラ

弓削寺に導かれた記事はコチラから) 

 

[牛頭天王は、閻魔大王の化身?]

龍泉寺、弓削寺の特徴が、古代の墓が共通項として見られ、弓削を姓に持つ一族も、古墳群の場所に多く住むこともそう思わせるのです。

そして、弓削寺は、西国三十三ヶ所巡礼の閻魔大王が願いを叶えてくれる満願成就の寺、谷汲山華厳寺と繋がります。

 

この特徴から、馬頭観音は、黄泉から現れたと解釈できます。

馬頭観音は「救済」の特徴を持ち、

牛頭天王は「災い」の特徴を持ち、祇園祭の儀式から、地下に棲むと思われます。

 

興禅寺の牛頭天王像は、それを一つにまとめています。

つまり、

牛頭天王 = 閻魔大王の化身

と思われるのです。

これらから、

牛頭天王は、冥界の主であり、

馬頭観音は、現世の救世主となるはずです。

 

次の章では、牛と午の関りをもう少し明確に紐解いて行きます。

それは、私達の住んでいる世界が創造されている仕組みなのかもしれません。

 

第二章へ続く