日本におけるメドゥーサ(5) メドゥーサの首を入れた袋 | パオンのブログ

パオンのブログ

最初から続いている不思議な話です。
読まれていない方は、ブログのテーマ・「まとめ」から
読んで見て下さい。

[メドゥーサの首を入れた袋]

メドゥーサの首を入れた袋は、メドューサの力を閉じ込める事ができる

袋で、「キビシスの袋」と呼ばれ、魔法のヤギの皮で作られたとも、金糸

で織られた魔法の袋とも言われています。

メドゥーサのアイテムについて気になったのは、このキビシスの袋から

でした。

この事を書く前に、少し、知っておいて頂かないと、ただのこじつけだと

思われるので、(確かにこじつけです)少しだけ、最近の記事をまとめま

す。


我が家のお墓が有る場所は、愛知県北部の江南です。

その地は、昔、養蚕業が盛んで、丹羽郡の中心でした。

この丹羽の名前の由来を知った時、とても不思議なつながりが見えて

きたのでした。

丹羽一族は、実在しないだろう日本武尊(ヤマトタケル)の子孫とされ、

この名前に何か隠されているようでした。

私が推測した この名前が持つ意味は、「大和の高野山」と「羽州の湯

殿山」を表しているとしました。(こちらの記事

丹羽の元の字は「爾波」で、
「爾」の字は、名前に使われる時は、「同

等」と言う意味があります。

つまり、高野山と湯殿山は、同等のパワー(波)を持つと言う事を表して

います。

この
「爾波」の字は、明らかにヤマトタケルの伝承をのせた者が付けた

名前だと言うことです。


江南のあたりが丹羽郡と呼ばれていた頃、役場は、江南の
布袋に有り

ました。

江南の有名なものは、藤の花で有名な「曼荼羅寺」と、布袋の大仏、そ

して、信長の最も愛した女性と言われる「生駒吉乃」です。


[布袋の大仏]

布袋には、大仏様は二つ有ります。

一つは、
平安時代末期に作られた高さ1m33cmの木造阿弥陀如来坐

像て、この地では、大仏と呼ばれています。

もう一つの大仏は、個人所有のコンクリート製大仏様で、奈良の大仏

様より2メートルほど高い坐像です。

1954年に完成した物で、御岳教を信心されている方が、夢のお告げで

作られたそうです。

布袋の大仏


[生駒吉乃(いこまきちの)]

生駒吉乃は、信長が最も愛した女性として知られている人物です。

正室の濃姫には子供はなく、
吉乃は、3人の子供を産み、実質、正室

の扱いを受けていました。

生駒家は、室町時代の応仁の乱(1466-1477)の戦禍から逃れるため

に奈良の生駒郡から丹羽郡へ来ました。

子供を産んでから、産後の肥立ちが悪く、39歳で亡くなり、菩提寺が布

袋にあります。

ここまで読まれて、何か引っかかりませんか?

丹羽も「
布袋」。大仏も「布袋」。生駒吉乃も「布袋」。

そして、丹羽も、生駒も「
大和」につながっています。

もう一つ、
大仏(奈良の大仏ともです。

それも、奈良の生駒は「
法隆寺」の有る場所です。

法隆寺から、メドゥーサにつなげた記事を書いたばかりだったので、

「また、法隆寺?」と驚きました。


江南には、「奈良」の地名が有ったり、近隣には、「大和」の地名や、大

神神社があり、法隆寺の池の配置は、この地域と似ています。

そして、我が家も同じように結ばれています。

江南が、大和とつながっているとは、我が家の和尚も思っていなかった

と言われ、私の周りや、市の歴史に詳しい方からでも、そのような話し

は伝わってきません。


何故、これだけ、指摘できるものが多く有るのに忘れ去られてしまった

のでしょうか?


江南市は今年、市制60周年を迎えます。

江南と言う名前について詳しい方と話をした所、当時の県知事、桑原

氏が命名されました。

木曽川を長江に見立てて、その南側に位置する場所だからと言うこと

からで、中国の江南を意識して付けたものではないそうです。

ですから、七夕の事、絹の事、など、その命名には意味としては入っ

ていませんでした。

そして、この地域の「桑」と、県知事の「桑」は偶然重なったとの事でし

た。

今日、私の仕事で、「桑原」の名前のお宅にお伺いする依頼が飛び込

んできました。私にとっては、この名前のお客様は、初めてでした。

いつもながら本当に直に現れます。


ここまで、この地域が、不思議なつながりをいくつか持っている事を、ご

理解頂けたでしょうか。

上の内容の中に、「布袋」がつながっていましたが、布袋の意味がどう

大和とつながっているのかは見えてきませんでした。


メドゥーサ信仰が、今までの記事でも絡みついていたので、この場所も

同じように関わっているだろうと思って紐解いてみました。

メドゥーサに登場するアイテムの中で、「キビシスの袋」と、「魔法の黒

い兜(帽子)」は、見つからないだろうと思っていました。


しかし、3週間ほど前に、運転中に、ひらめいたのです。


「布袋」が「キビシスの袋」を表しているのだと・・


布袋の大仏は、御岳教と結ばれています。



[キビシスの袋と御岳噴火]


御岳の噴火は「9月27日11時52分」に起こりました。


少しこじつけ気味ですが、

11と52は、何度も記事に書いてきた私の数。

「5月11日が始まり」とした記事を今年5月に書きましたが、この日

を導き出したのは、私の車の番号1151と、江南の対岸の各務原と、

元善光寺の対岸の喬木村から、鏡像のヒントを見つけ、1151を「始ま

り(1)は511」と導きました。

そして、洪水が起きるとしました。

それ以後、未曾有の洪水が日本中を襲ったのは記憶に新しいですね。

5月11日は、我が家でも重要な日でした。

今回は、1151から一つ進んだ1152。つまり、災いのセカンドステー

ジだったのかもしれません。

日付も、27日を「2+7」とした時、月の9と9で重陽(忌み嫌う数の重なり)。


布袋の御岳教の大仏は、メドゥーサの首を入れた袋を開かないよう

に、大仏様で封印したのではないでしょうか?


それが、封印が解け、噴火したのだと、私は思ってしまいました。



[おほほさま]

もう一つの木造の布袋の大仏には、もう一つ不思議なものが有りま

す。


それは、「おほほさま」と呼ばれる「女陰石」で、あまりにリアルなので、

見た人は笑ってしまう事から、この名が付けられました。

ある時、この石が行方不明になりましたが、大仏殿の境内の地中に埋

められていました。

何故、人々が祀っていた物を地中に埋めてしまったのでしょうか?

リアル過ぎたからだと思いますが、メドゥーサを入れた袋を意味してい

たのかもしれません。

少し強引な紐解きでしたが、皆さんにはどう写りましたか?

次回は、ペルセウスの黒い兜を紐解いて見ます。

これまた、偶然、私の目の前に現れたのです。

つづく