コーネリアスこと小山田圭吾は学生時代に知的障碍者への凄惨な人権侵害を行い、その内容を雑誌に掲載したことから世間の非難が集中し、東京オリンピックの開会式の作曲担当を辞任した。件の知的障碍者へのいじめについて、私の経験を交えて考えを話す。

 


1.小山田圭吾の罪と罰


 小山田圭吾は罪を犯した。人にうんこを食わせ、暴行し、公衆の面前で自慰を強要した。そして、大人になってもそれを反省することもなく、雑誌で面白おかしい話のように語り、被害者家族を嘲笑い傷つけたのである。この行為が、20年以上経った今もなおオリパラに携わるものとしての是非が問われたのである。

 

 

 そして、小山田がここまで強烈に叩かれているのは、もちろん人権侵害の内容もある。が、やはり被害者に謝罪せず、償いを行っていないことである。もう、20年以上も償いをする機会はあった。今回、問題になってから頭を下げたところで、自分可愛さに損得勘定でやってるのがミエミエである。世間にすぐに許してもらおうなど、土台無理な話である。

 

 

 こうして、小山田圭吾は世間から批判の的となり、今後は公的なイベントで仕事を貰えないという烙印を押されたのである。が、実際のところは反オリンピック勢力にとって都合よく槍玉に挙げられたようにも見える。マスコミが静観していれば、きっと何事もなく全うしていたであろう。

 

 

 そして、報道により、多くの人の関心事は「オリンピックの人事」と「悪魔じみた小山田圭吾の人間性」に終始する。小山田の悪魔の所業に多くの人間が「悪魔の小山田圭吾を懲らしめなくてはいけない!」と思ったことだろう。そして、世間の希望通り辞任へ追い込んだ。世間的にはこれで一件落着である。

 

 

 が、この問題を小山田圭吾の断罪で済ませるのは非常に残念に思う。小山田圭吾は悪魔ではない。我々と同じ人間である。そして、この問題の背景には「知的障害者へのいじめを助長する環境」が関係している。

 

 

 というのも、私の通っていた中学校でも全く同じ人権侵害が起きていたからである。しかも、被害者は知的障害者でありながら、普通学級に通っているという全く同じケースである。そう、「小山田圭吾は悪魔ではない」と言ったのは、我々の子ども達が小山田圭吾になる可能性を十分に孕んでいるからである。

 


2.普通学級に通う知的障害者


 今回、キーワードとして、普通学級に通う知的障害者を挙げた。通常、知的障害者は特別支援学級に通うこととなるが、親の希望で普通学級に通う生徒もいる。私の通う中学校にも知的障害を持ちながら普通学級に通うAさんがいた。

 

 

 Aさんは始終落ち着きがない。授業中にブツブツ大きい独り言を呟いたり、教師へ無関係な質問を投げかけたりする。例えば、「先生はバナナは好き?」といったようなことだ。これがたまにであれば、ちょっとした笑いにもなるのだろうが、毎日、毎授業である。

 

 

 Aさんの行為は、授業妨害となっていた。授業が遅れるということはないが、教師やクラスメイトの集中力を欠くものである。Aさんは知的障害を持つため、教師からきつい口調で叱責されても、同じことをすぐに繰り返してしまう。教師から毎授業叱責されることもあり、授業中はピリピリした空気が流れていた。

 

 

 授業だけではない。Aさんはスポーツの部活動にも所属している。しかし、Aさんはスポーツ音痴で、競技のルールも理解できていないため、形だけ部活に所属している。が、皆勤賞である。部活動においても、Aさんは毎日、その言動によって周囲をイライラさせていた。そして、Aさんは身の回りの掃除や片付けも出来ないため、その尻拭いを誰かがすることになっていたのである。

 

 

 また、スポーツ音痴ということは、運動会などのイベントやクラス対抗での団体競技も当然、苦手である。健常者のスポーツが苦手というレベルよりもさらに落ちるため、やはり大きく足を引っ張ってしまう。このクラスはAさんというハンデを負うため、集団の努力が実を結びにくいのである。

 

 

 こうした背景から、Aさんを煙たく思うクラスメイトは少なくなかった。そして、Aさんが知的障害者でありながら普通学級にいることを疑問視する者、それはAさんや、Aさんの親の意思であり、理不尽なしわ寄せをクラスが受けていることに不満を持つ者も少なくなかったのである。

 


3.いじめのきっかけ


 通常、いじめには大なり小なり具体的な「きっかけ」があるものだ。しかし、Aさんにおいては具体的な話を聞いたことがない。いつの間にかいじめられていたのである。これは恐らく、前述での背景そのもののの積み重ねにより、自然発生したと考える。

 

 

 そして、きっかけがないと思うのにはもう一つ理由がある。それは「特定のいじめの主犯格」がいなかったのである。ある時から、クラス内外、男女問わず、Aさんを小突き、嘲笑っていた。それが許容される空気が漂っていた。

 

 

 いじめの原因は「いじめる側」、「いじめられる側」どちらにあるか?といった二次元論をよく見かける。そして、「100%いじめる側が悪い」と結論付けられる。しかし、これはいじめを良い・悪いで測っているにすぎず、いじめが発生してしまう原因の本質からは意識を遠ざけている。

 

 

 よく考えてほしい。こといじめにおいて、学校で自治を行っているのは、担任でも、PTAでも、生徒指導教員でもない。生徒達である。その生徒は思春期の真っ只中。自己中心的、自意識過剰、思い込みが激しい。悩みは多く、フラストレーションは尽きない。他人の理不尽が許せず、そのくせ自分の正当化はお手の物。非常に不安定な存在である。

 

 

 そんな子どもたちで構成された普通学級に放り込まれた知的障害者。Aさんは理不尽な存在そのものである。当時、Aさんに対して彼らがが正しい判断をし続けることは、今思えば難しいことだったように感じる。

 


4.止まらないエスカレート


 いじめは、Aさんが小突かれるのを見かけてから、日に日にスカレートしていった。最終的には小山田圭吾の所業と同じ、または同等のことが行われていた。ここまでエスカレートしたのもいくつか理由がある。

 

 

 まず、Aさんは殴られても、決して殴り返すことはしない。人を傷つけてはいけないと教えられているからだろう。そしてそれは、加害者から見れば都合がいい。ムシャクシャしたらノーリスクで一方的に殴れるサンドバッグである。

 

 

 そして2つ目に、Aさんは基本的に、他人からの命令を断らない。通常の人間なら屈辱的に思う変態行為も、痛みを伴わなければ躊躇なくやってしまう。加害者からすれば、人をおもちゃのように支配できることが、楽しくて仕方なかったことだろう。

 

 

 このように、Aさんはいじめの対象としてはうってつけの存在なのである。そして、このいじめは、多くの目撃者がいて、あれほど凄惨なことが行われていたのにも関わらず、卒業前まで続いた。学校の問題として最後まで表面化しなかったのである。

 

 

 これはAさん自身が、いじめられていることを認識できていなかったり、認識していても大人たちに上手く伝えられない事情もあったことも一つ、理由としてあると思う。また、Aさんが強いられた変態行為を面白がる生徒は多かった。当時のあのクラスは、多くの生徒がいじめの加害者や、間接的にいじめに加担する形となっていたのである。これにより、多くの生徒が共犯の意識を持ち、エスカレートに歯止めをかけることができなかったように思う。

 


5.知的障碍者は特別支援学級へ通わせよう


 今回、普通学級に通う知的障害者のいじめについて、Aさんの実例を説明した。全ての知的障碍者がAさんの症状があるわけではないし、普通学級に居て絶対にいじめられる訳ではない。が、いじめられやすい環境にあることは、間違いない。

 

 

 もし、読者が知的障碍者を持つ子供を授かった場合、特別支援学級に通わせることをお勧めする。特別支援学級であれば健常者からいじめられることもないし、人数が少ないため担任の目が届きやすいはずである。

 

 

 最後に。前述でも説明したが、学校の自治は生徒達によって行われている。あの先生達なら普通学級でも任せても安心だとか、そんな保証は一切ない。判断は慎重に行うべきである。