仕事の予定が見えず、なかなか踏み切れないでイライラしていた今春から6月半ば。
参戦したいのはもちろん、これである。
7月21日(土)18:00~
Negicco 15周年アニバーサリーを祝うワンマンライブ “love my 15years at 朱鷺メッセ”
仕事に支障がないことが判明したとしても、カミさんには何といって新潟まで遠征しようか、
それも懸念となっていた。
そんなモヤモヤな気分も内包しながら過ごしていていると、朱鷺メッセ開催日が一ヶ月ほどに迫ってきた。
そんなある日。
6月30日(土)。
その夕食時に高校二年生の愚息から、ある一言が放たれた。
「欅共和国に行ってくるから」
なんだと!?
チケット激戦な、あのライブに参戦するというのか!?
いったいチケットは、どうやって確保したというのだ!?
しかも開催地は、富士急ハイランドという遠方。
カミさんと二人でその場でいろいろ問い詰めてみると、欅ヲタな友人が2枚ファンクラブ枠で当選したらしく、
その一枚を譲り受けて一緒に参戦することになったらしい。
高校の他の友人たちはもっぱら乃木坂のファンばかりのようで、
どうやら欅ヲタはその友人と愚息の二人だけらしい。
遠征費やらチケット代やらは部活で忙しい愚息にバイトできる時間がないため、
正月にもらえるはずであろうお年玉をあてにして、先にその分を前借りするという虫のいい話。
彼らが参戦する日は、3日間の連続開催の初日にあたる7月20日(金)。
要するに、Negicco朱鷺メッセの前日なのである。
う~ん、これはヤバい、愚息に先手を打たれてしまった。
しかも、愚息の一連の話を聞いていたカミさんが言い放った言葉は、
「うちには、ヲタクが二人いる」
というものだった。
半分冗談めかして、苦笑しながらの言葉ならまだしも、その言い方や声のトーンたるや、
冷たく突き放すような、取り付く島もないような、慈悲のカケラが一片も見当たらないような、
そんなニュアンスを伴ったものだった。
ダンナだけならまだしも、
腹を痛めた最愛の息子までもがアイドルにうつつを抜かしているというこの状況は、
カミさんにとってはおもしろいはずもなく、
(私一人だけ、楽しいことがなくてズルい) というココロの叫び声が聞こえてくるかのようだった。
いま思い返してみても、それだけでもおそろしい言い草だった。
愚息に先を越され、カミさんからはその言葉と雰囲気からプレッシャーを押し付けられ、
この二重重圧が一気に押し寄せてきたために新潟行きを諦めようかとも思わないではなかったのだが、
逆に何か対抗心のようなものが芽生え、踏ん切りが付いた。
よろしいではないか、上等だ。
二人して、ヲタクの真髄を見せてやろうではないか。
「ヲタク、かましたいの!」 という感じで。
愚息が富士急ハイランド遠征、その翌日に自分は新潟遠征。
だが、だがしかし、今後も末永く睦まじい夫婦生活を継続してゆくためには、
新潟遠征を発表するのはあまりにもリスクが大きい。
Negiccoのことはカミさんも好印象を抱いているのだから、
正直に新潟遠征を言えばよいのでは、と思われるかもしれないが、
あの発言を聞いてしまったあとでは、小心者の自分にはその告白は躊躇せざるを得なくなった。
あとあとまで根に持たれて、事あるごとにネチネチと言われるのはちょっと叶わない。
だから、決めた。
新潟ではなく、大阪へ出張するという架空な仕事をでっち上げることに。
だから、「ヲタク、かましたいの!」 という直前の大いなる叫びはいきなりトーンダウン化してしまい、
「ちょっとだけ、ウソかましちゃってゴメンナサイ」 という感じになってしまうのだが、
まあ、ここはやむを得まい。
もちろんカミさんには新潟遠征とは告げずに新潟出張と言ってもよいわけなのだが、
自分をネギヲタだと十二分に認識しているカミさんなのだから、
日程と新潟をキーワードにネット検索すれば新潟出張などというのは、
実はNegicco目当ての新潟遠征に他ならないことは、たちまちにわかってしまう。
だからそのリスクも、なんとしても避けたかった苦肉の策なのである。
翌々日7月2日(月)。
昨日に決心したとおり、さっそく新潟朱鷺メッセのチケットを一般発売で購入した。
B2ブロック ○○列。
かなり後方だろうけれど、その場所にいることができればそれでよい。
そして、ホテルも予約した。
新潟と大阪の2ヶ所である。
大阪のほうは、留守宅用のホテル予約票をプリントアウトしてすぐにその場でもちろんキャンセル。
それを自宅に持ち帰り、そのままカミさんに手渡した。
「7月20日の土曜日は、朝は会社に立ち寄ってからそのまま大阪へ行く。夕方に大阪で業界の集まりがあるからこのビジネスホテルに泊まる。翌日は朝の新幹線に乗って昼前に帰宅するから」
カミさんは無言で受け取った。
そのときの表情をうかがってみたかったのだが、
それをしてしまうと返ってこちらがウソをついているようなことを向こうに悟られてしまう恐れが重度に懸念されたので、
ここは辛抱が肝心だということで、
いつものような感じの雰囲気を出したつもりでカミさんの眼を見ずに手渡した。
カミさんには、疑惑も疑念も猜疑心も生じてはいなかったようだった。
そう思いたいし、そう思うしか手立てはなく、それに縋るしかなかった。
7月10日(火)。
富士急ハイランド行きを控えた愚息から、往復の経路を調べてほしいという依頼が入った。
どうやら友人と二人で自分なりに検索したらしのだが、念のためにということのようだ。
自分が検索してみると、往路復路ともに新宿駅発着の参戦者用チャーターバスはすべて売り切れ。
こういうところが高校生なわけで、チャーターバスを予約しようにもクレジットカードを持ち合わせていないのだから、
どうしても後手後手になってしまう。
まだまだ世慣れていないというか、さっさと手続きすることができない世間知らずさ。
いまとなっては、JRと富士急を乗り継いで往復するしかない。
そのことを告げてやる。
そして、サイトを引き続き検索してみる。
往路は、高校の一学期終業式を終え帰宅し、
適当な列車で向かえば17時の開演時間には十分に間に合うはず。
そし終演時間は、昨年の欅共和国の場合、19時半。
おそらく今年もそうであろうということで、復路の乗り継ぎ列車を調べてみる。
もちろん、復路でも最寄り駅は富士急ハイランド駅。
数年前に一度だけ富士急ハイランドを自分は訪れたことがあり、
その帰路には富士急ハイランド駅から乗車したのだが、
あの駅舎とホームのショボさといったらなかった。
あの駅に、ライブ後の参加者が殺到したら、ホームにたどり着くまでが難儀であろうし、
そもそも、会場から富士急ハイランド駅までへの経路も、思うように歩むことはできないことは容易に想像できた。
さらに調べると、一つ手前の河口湖駅は始発駅であり、
会場からそこまでだと遠回りにはなるのだが、2キロ強の距離なので歩けないはずがない。
だからライブ終了後はすぐに退場し、
河口湖駅まで歩いて乗車すべきであることを強くすすめておいた。
まったく、世話がやける。
7月20日(金)。
新潟遠征を控えた前日。
22時頃、会社から帰宅した。
カミさんに聞くと、終業式から帰ってきた愚息はすばやく着替え、富士急に向かったという。
もちろん、富士急ハイランドからまだ帰宅してはいなかった。
予定通りの列車に乗車できたとしても、帰宅は23時過ぎになる。
とにかく、19時半にライブが終わってから東京近郊まで列車でその日のうちにたどり着くには、
4本の限られた富士急行線に乗車しなければならない。
それもあって、富士急に無事に乗車したら母親にLINEするよう、きつく言い含めておいた。
カミさんにはLINEが届いていた、無事に河口湖駅20時31分発の列車に乗車したらしい。
23時10分、ほぼ予定通りに愚息が帰宅した。
身体は疲労感満載なのだか、その表情には疲れた中にも満足感がかなり存在していた。
「どうだった?」
「最高。神席。ねる、めっちゃカワイイ、すぐそばまで来た」
「てちは、どうだった?」
「う~ん、いまいち」
「河口湖駅まで歩いたんだろ?」
「ああ、30分くらい。最後はちょっとダッシュした」
「座れた?」
「ガラガラ、10人くらいしかいなかった、富士急からはヤバかった、殺到」
「大月からは座れた?」
「ムリ、ずっと立ちっぱまし」
「究極のヲタ活をやったから、これでもう勉強に集中できるな?」
「・・・・・・」
晩飯を食べそびれていた愚息に、カミさんが適当なものを供し、それをむさぼっている愚息。
奴のヲタ活は、マジでもうそろそろ勘弁してもらいたい。
奴等の学年は現役でどこかの大学にもぐりこまなければならない。
なぜなら、浪人してしまうと翌年から受験制度が大幅に変更されるためである。
だから受験までの残り1年半、勉学に励んでもらいたいところ。
果たして、そうなるかどうか、まあそれは奴次第。
彼等を尻目に、翌朝5時起床の自分は、一人寝床に入った。
7月21日(土)。
予定通り、5時に起床。
ついに、この日を迎えた。
さて、いまからいよいよ、自分のヲタ活動が開始する。
新潟にいるNegiccoのメンバーも、もう活動を始めた頃だろうか?
ネギヲタな方々も、それぞれがみな、それぞれに動き始めただろうか?
カミさんも愚息も、昨夜は何時に就寝したのかわからないが、起きてはこない。
そうでなければ、困る。
クローゼットの奥においてあるショルダーバックを取り出し、
そのジッパーをゆっくりと音をできるだけ立てないように動かしてポケットを開け、
その底に隠してあるネギライトを取り出す。
持ち手を捻ってみる、ライトが点灯する、点灯チェック完了。
それを、スーツ上着の内ポケットに忍ばせる。
その上着を脇に抱え、ワイシャツとスラックス姿で家を出る。
そう、あくまで出張なのだから、この姿でなければならない。
最寄り駅から通勤電車に乗車。
土曜日の早朝だから、ビジネス姿の方は見当たらない。
乗客の中で、これから新潟までNegoccのライブに参戦しに行く方はいるのだろうか、
いや、いないはずであろう。
自分だけだという特別感、いやそれは自分の勝手な勘違いだというのはわかってはいるのだが、
でもやはり、15周年を迎えたNegiccoの存在を知らない方が大多数を占める世間の方々に対し、
その存在の素敵なことを知らないのはあまりにも惜しいという感情が湧いてきて、
それに揺られながらやがてターミナル駅に到着した。
そこで乗り換え、会社に立ち寄った。
時刻は、6時30分。
もちろん、誰も出社してはいない。
パソコンを稼動させ立ち上がるまで待ち、メールをチェックする。
急を要する返信メールを作成するメールの到着はなく、大きく安堵してシャットダウンする。
そして、会社最寄りのJR駅から東京駅に向かう。
夏休み最初の土曜ということで、ただでさえ歩きにくい東京駅のコンコースが、
乗り慣れていない親子連れの右往左往、
その上に彼らはたいていキャリーバックを引きずっているので、
もはや半ば障害物と化して行く手を阻むも、
ココロは新潟へ向かっており、その期待感と高揚感に包まれているので、
彼らですら愛おしく思えてきてしまう。
階段を上がり21番線に到着すると、
すでにわが列車「MAXとき305号新潟行」は入線しており乗車可能となっていた。
このつややかにして巨大な2階建て新幹線「E4系」も、あと3年ほどで全廃となってしまう。
それもあって、指定券は2階3列シートの窓側を予約していた。
だが座席位置は進行方向右側に位置していたため、東からの朝の直射日光が容赦なく、
地下の上野駅から地上に出てそのまま高架を進み始めるとすぐにブラインドを下ろしたので、
2階席に特有な眺望を楽しめることはなかった。
大宮駅を発車しても、3列シートの隣席2つは空席のままだった。
これで、新潟駅までこのままの状態が続くことはほぼ確定した。
高崎、上毛高原、順調に停車駅を進み、列車は大清水トンネルに突入した。
全長22,221mのこのトンネルは、一時期、世界一長いトンネルだったこともある。
時速250キロで進む新幹線なら、ものの5分足らずでトンネルを抜けてしまう。
そして、これを抜けたところに越後湯沢駅がある。
そのトンネルの中間を過ぎたあたりだったのだろうか、速度がやや落ちだした。
すぐに元の速度まで戻るであろうという予想は裏切られてゆき、
そのまま、ますますスピードが遅くなってゆく。
そして、やがてついに列車は完全に停車した。
そんなバカな!?
ここは、天下の大清水トンネルのど真ん中!!
すぐに車内放送が流れ出した。
車掌の声は落ち着いたもので、
「これから車両点検を行います、お急ぎのところ申し訳ございませんがしばらくお待ちください」
というものだった。
その瞬間から、脳裏を様々なものが駆け巡りだした。
車両点検とひとことで言ってもピンからキリまで色々あるはず。
今回のそれが果たして運転席からの操作で点検できるものなのか、
あるいは運転手が運転台から下りてその個所をチェックするのか、
それを行うにしても、トンネルの暗い中ではチェックしづらいのでは。
万一このままここでこの列車の運転が打ち切りとなったら、徒歩で出口に向かうのか、
出口は、東京側と新潟側のいずれが近いのか。
または、牽引車両がやってくるのか、それまでにはどのくらいの時間を要するのか。
はてまた、このまま新幹線ホテルとしてここで一夜を明かすことになるのか、
そうなった場合、ここに軟禁されてしまうわけで、
それはもはや『死刑台のエレベーター』と同じ状況に自分が置かれてしまうことになる。
『死刑台のエレベーター』 1957年/フランス/監督:ルイ・マル 主演:ジャンヌ・モロー 音楽:マイルス・デイビス
サスペンス映画の傑作:
「土地開発会社で働く青年ジュリアンは、愛人関係にある社長夫人フロランスと共謀し、社長を殺すという完全犯罪を計画。自殺と偽装して社長を殺害することに成功したものの、ジュリアンはその後、思いがけず犯行現場のビルのエレベーターの中に閉じ込められたまま、むなしく一夜を明かすはめとなり、完全犯罪は崩れだす・・・・・・」
VIDEO
まだ午前9時、さすがに夕方までには復旧するのではないか。
でも、もしもそうでなかったら?
夜にカミさんがメールか電話で連絡が入ったとしても、
トンネル内では両方ともにまったく繋がらない。
繋がらないからということで、予約票に記載されているビジネスホテルに電話したら?
でもその予約名簿には、自分の名前は存在しない。
では、夫はいったいどこにいるの?
そんな状況を発生させないために、
前もって自分がカミさんに大阪の宿泊先へ無事到着したことを知らせたくても、その手段はない。
この車両点検が実はとんでもない大事故の起因だったとすると、その取材にマスコミが殺到し、
復旧したところにニュースカメラが待ち構えていて、その映像に自分が写し込まれてしまったら?
そしてそれをカミさんが観てしまったら?
大阪にいるはずの夫の姿が、なぜ上越新幹線の事故現場に登場するのか?
だからとにかく、ニュースに写り込むことだけは何としても避けなければならない。
そのためには、いざとなったら近いほうの出口まで徒歩で向かうことも辞さない、長くても10キロほどなのだから、
とにかく、新潟にいるという痕跡を残してはならない。
やがてふたたび、車内放送が流れた。
さきほどのものと大差はなく、
「ただいま車両点検を行っております、お急ぎのところ申し訳ございませんがしばらくお待ちください」
いまの状況における救いは車両のエアコンも照明も稼動しており、
どうやら電気系統のトラブルではなさそうなことだった。
そう、電気系統、架線系統の場合は、復旧まで長時間を要することがなきにしもあらず。
そして、緊急停車したわけでもなかった。
そこからは、一秒を争うトラブルに見舞われたものではないことが推察された。
待つしかなかった。
世界有数な大清水トンネルの途中で停車してしまうなどということはめったにあるはずもなく、
そういう意味ではいま貴重な体験をしている真っ只中ではあるのだが、
ブラインドを上げてある窓の外を見ても、トンネル内の暗さに浮かぶガラスに、
車内灯で照らされた自分の表情と眼が合うだけだった。
反対側に目をやると、当然ながら2つの空席の向こうに通路があり、その通路を隔てて2列シートが並んでいる。
そちらの乗客の様子を伺ってみても、いずれもが落ち着き払い手持ち無沙汰にしているだけだった。
いったい、どうなってしまうのだろうか?
実は、レアな体験などとやや浮かれている場合ではないのかもしれなかった。
大清水トンネル内に停車するように指示したのは、東京にある中央司令室のはずである。
ここに停車していることに、極めて重大な意図が隠されているのかもしれない。
それは、内閣危機管理室からの命令である可能性もある。
特殊な細菌に犯された乗客がこの列車に紛れ込み、すでに重篤な症状を発症。
これ以上の感染拡大を阻止しパンデミックを引き起こさないために、
あえてこの長大なトンネル内に、乗客を列車もろともに隔離。
乗客は全員、潜伏期間が終了するまでここに留め置かれてしまう。
そうであった場合、自宅に帰宅できる日はいったいいつになるのであろうか?
カミさんとの連絡は、完全に遮断されてしまうのだろうか?
政府がカミさんに、適当なことを言い繕ってしまうのだろうか?
もはや、Negiccoライブに行けなくなるどころではない。
映画でいえば、『カサンドラ・クロス』に近い状況かもしれない。
『カサンドラ・クロス』 1976年/イタリア・イギリス・西ドイツ合作/監督:ジョージ・P・コスマトス/主演:リチャード・ハリス
「細菌を浴びた過激派がヨーロッパ大陸縦断列車へ逃れた。車内には伝染病が広まり、機密の漏洩を恐れた軍は秘密裏に列車をポーランドへ運び隔離しようとするが、その路線には老朽化したカサンドラ大鉄橋が横たわっていた……。」
VIDEO
そんな妄想のようなものまでが脳内に出現し、怪物のように動き出しためたその時。
車内放送が流れはじめた。
「車両点検が終了いたしました、まもなく運転を再開いたします、お急ぎのところ申し訳ございませんでした」
やがて、何事もなかったかのように列車は動き始め、それに合わせて窓ガラスの暗さも流れ始めた。
そして、間もなく越後湯沢駅に到着するアナウンスとともに、上越線・北越急行ほくほく線への乗り換え案内も聞こえてきた。
どうやら、5分ほど遅れて到着するようだった。
トンネルを抜け緑色に覆われた山肌が見え、
次の瞬間、屋根に覆われたまるで車庫のような越後湯沢駅のホームにMAXとき305号は滑り込んだ。
ここまで来れば、いざとなったら在来線で新潟駅までたどり着くことができる。
まだ安心というわけではなかったが、
それでも少なくともカミさんと連絡不通になることだけは逃れられた。
そしてどうやら、パンデミックは回避されたようだった。
サスペンスにおいて、犯罪が成功することなく終わってしまうのは、
たいていが予期せぬ不慮の出来事に原因がある。
ヲタ活動と平穏な家庭生活を両立させているのは、
極細な橋の上を微妙にバランスをとりながら歩んでいるようなもの。
そのバランスを崩してしまうのは、予期せぬことなのかもしれない。
そんなことに一旦は思い至ったのではあり、
今回、5分程度の延着で済んだのはたまたまなのであろうかもしれず、
しかし、喉もと過ぎれば熱さ忘れる、ということわざのとおりに、
越後湯沢駅で降りるようなこともせず、そのまま乗車した自分を運んで、
MAXとき305号は遅れを取り戻すかのように一路、新潟駅へ向けて突っ走ったのだった。
気苦労が、実に絶えないことではある。
あるのがだ、しかし、この3人に彼女たちの地元、新潟で逢えるのであれば。
ましてや、15周年の記念すべきライブなのだから。