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計画をねりねり・・・・・・。

思いつくままにオッサンが、Negicco、WHY@DOLL(ほわどる)を筆頭とする音楽、そして映画や読書のことなどをゴチャゴチャと。

◆世田谷コンサート
4月22日(日)東京・世田谷区民会館
開場17:00/開演18:00

 

 

 

 

この日のNegiccoコンサート。

このコンサートの位置づけが、自分にはわからなかった。

 

今年の7月で、結成15周年を迎えるNegicco。

それを祝うべく7月21日には、「Negicco結成15周年記念ワンマンライブ“love my 15years at 朱鷺メッセ”」の予約が開始されており、その前にはNegicco結成15周年へのカウントダウンツアー「Negicco with you」の開催が名古屋・京都・大阪・新潟で決定している。

だから今日のコンサートを、その前祝いとして “15周年記念” と銘打ってもいっこうに差し支えないにもかかわらず、そうしていないことが解せなかった。

また、なぜあえて “ライヴ” ではなく、 “コンサート” と名づけているのか、合点がいかなかった。

そして、世田谷区民会館という、ここで行うことが公表されたときにさっそくアクセス方法を確認したところが、これが便利とはいえない、というかむしろ不便だといえる場所にあり、新潟から遠征するファンの方々も毎回少なからず参加しているのを十二分に承知している運営が、なんでまた、この会場をセレクトしたのか、いっこうに納得いかなかった。

 

そんなこんなのモヤモヤしたものを内包して、現場に到着したのだった。

そもそも、会館の建物だけがどっかりと唐突に住宅地で周囲とは違和感を持って出現しているのだろうと思っていた。

しかしそこは、予想とはまったく異質なエリアだった。

区民会館が区役所の建物の一部であるということにまず予想が覆り、また区役所と区民会館の建物群が余裕をもった敷地内にゆったりとたたずんでいて、それらを年季の入った、しかし、手入れのゆきとどいた樹木によって陰影が与えられていて、それによってこのエリア全体が作り出している雰囲気が、きわめて落ち着いてたものとなっており、この時点で、今日のコンサートがあえてライヴとは名づけていない意味の末端がほんの少しだけ顔を見せているように感じられた。

 

 

 

世田谷区民会館に入館しロビーに立ってみると、昨今のコンサート会場とは異なった様相となっていて、ネギヲタな同士が立ち話をしていてもそれがこのロビーになじんでいるのは、おそらくはこのロビーに包容力が潜んでいるからであり、またこのロビーの雰囲気を的確に察知しそれに合致させてしまう素質をネギヲタな方々が持っているからだと思われる。

2階へと続く階段も独特なもので、つい足を踏み出してそれを一段づつ歩んでゆきたくなったのだが、残念ながら自分の座席は1階だったために遠慮し、座席にもっとも近いであろう扉をくぐりホール内に進んでみると、眼の前のステージには緋色をしたビロードの幕が後方にゆったりとたわんで配置され、その手間には8つの譜面台、下手にはピアノが配置され、これらはまさにコンサートと呼ぶべきもので、長谷泰宏さんのアレンジによるストリングスをバックに行われることは承知していたのだが、Negiccoの本気度をここにいたってようやくに自分は知ることとなった。

そして、この日の座席である下手(かえぽサイド)、前から5列目に着席し開演を待った。

 

 

     【セットリスト】

    01. ネガティヴ・ガールズ!

    02. RELISH
    03. パーティーについて。
    04. サンシャイン日本海
    05. カリプソ娘に花束を
    06. 江南宵唄
    07. 土曜の夜は
    08. Falling Stars
    09. 矛盾、はじめました。
    10. スマホに写らない
    11. グッデイ・ユア・ライフ
    12. ともだちがいない!
    13. ライフ・イズ・キャンディ・トラベル
    14. さよならMusic
    15. 本日がスペシャル!
    16. ねぇバーディア
      <アンコール>
    17. 愛は光
    18. 圧倒的なスタイル
    19. トリプル!WONDERLAND

 

 

 

それは突然、眼の前にやってきた。

本編のラスト 『ねぇバーディア』 が終了し、しばらくすると下手からぽんちゃとNao☆ちゃんの2人がステージに登場し、ピアノの手間で立ち止まった。

一人足りない、もちろん、かえぽである。

かえぽはどうしたのだろう、と思っていると、照明に浮かんできたのは、ピアノの前にある椅子に座っているかえぽのシルエットで、それが鮮明となり、まちがいなく本人であることを会場のすべての方々が認識すると同時に、これからはじまることへの期待感のこもったどよめきがホール内に響き渡った。

 

                                 (以下の画像は、ナタリーさんからの借用)

 

動きはじめるかえぽ、その右手の指が稼動しピアノの鍵盤をたたき、それによって音色が生じ出す。

自分の座席位置からは、ピアノとかえぽを見上げる格好となるため、かえぽの左手や鍵盤上を行き来するかえぽの指先を見ることはできないのだが、それでも右手と右足の動きは十分に視野に入っている。

そして、ぽんちゃとNao☆ちゃんの歌声が、かえぽの伴奏に合わせて聞こえ出す。

 

 

かえぽによるピアノ伴奏を伴った 『愛は光』、この曲はいまのNegiccoの代名詞となった楽曲で、これまでいくつかのヴァージョンで披露されてきたが、この日のこれはまさにスペシャルで、「世田谷コンサート」と名づけられた所以の極みがここにあったことをようやくに知った。

かえぽの紡ぎ出してゆくピアノの一音一音を、けっして聞き逃してはなるまいと意識した。

同時に、どうかシクじらないでくれ、という保護者のように懸命な、手を握り祈るような感覚も生じていた。

 

ときには、ぽんちゃとNao☆ちゃんが、かえぽを見守るシーンも見られた。

新衣装を身に纏った3人は、ステージ上で輝いていた。

 

 

 

無事に終わった瞬間、場内じゅうからは割れんばかりの拍手が沸き起こり、ホールじゅうに鳴り響いた。

自分はそのとき、立ち上がって 「ブラヴォー」 と叫びたかった。

 

拍手だけでは、このピアノ演奏への感謝を表現するのに、物足りなかったから。

拍手だけでは、この日に備えたかえぽの努力への賞賛を伝えるのに、不十分だと感じたから。

拍手だけでは、かえぽのピアノ演奏を伴ったこの楽曲を披露してくれた3人への感動を込めるには、欠如があると思ったから。

でも、遠慮した。

それでよかったと思う。

 

 

 

 

「世田谷コンサート」、と名づけられた、この日のコンサート。

まさにその名にふさわしいものだった。

そして、かえぽのこれからの努力を要するにせよ、かえぽのピアノ演奏をバックにしたNegiccoの姿は、

これから先、末永く続くであろう3人の活動、その幅広さと多彩さをぼくらの前に展開してくれたということで、15周年の記念日を迎えつつある今だからこその、3人と運営からの決意の一端を垣間見たように思えた。

また、どうやら運営代表である熊倉氏はこの日は新潟にいたようで、これほどの規模のイベントにもかかわらず現場をスタッフに一任していたことも、今後の運営体制の何かに含みを持たせていることなのかもしれなかった。

 

 

後日、世田谷区民会館の設計者は、前川國男氏であることを知った。

前川氏は4歳まで新潟市の学校町で過ごし、フランスに渡って建築界の世界的巨匠であるル・コルビュジエの弟子となり、帰国後には数々の名建築を設計、その中には新潟市美術館も含まれている。

そんな前川氏が設計した世田谷区民会館をコンサート会場に選んだのは偶然だったのか、あるいは日程的なものだったのか、そこらあたりはもちろんつまびらかではないけれど、やはり偶然ではなく必然だったと思いたい。

世田谷区からは、隣接する庁舎を解体し新庁舎建設が公表されているけれど、幸いにも世田谷区民会館は歴史的建築物として保存する方針が決定されたことを公にしている。

 

だから、十年ほどのちに、さらに成長して大人となったNegiccoの3人による 「世田谷コンサート」 の再演が、いまからとても待ち望まれてならない。

 

 

 

 

 

 

「Nao☆生誕祭『30歳いぇーーい!~父、母、産んでくれてありがとん(^(II)^)!~Supported by かえぽん茶』」

4月10日(火)@ Shibuya O-EAST 開場18:30 開演19:30

 

 

 

拝啓

Negiccoリーダー、Nao☆様。

 

30歳のお誕生日を迎えられましたこと、誠におめでとうございます。

その生誕祭に駆けつけましたが、まず、おわびをしなければなりません。

Negiccoを聴き始めて約5年が経過しましたが、この生誕祭を通じてようやく気がついたことがございました。

まったく、自分の眼は節穴です。

 

 

 

さて、そんな生誕祭に、自分は妻を帯同いたしました。

妻がNegiccoの現場に参戦するのは、これで3度目になります。

その妻との間に生まれたのは、2001年4月10日が誕生日の一人息子です。

ということはもちろん、当日はその息子の17歳の誕生日でもあったわけですが、平日は高校2年生授業の予習やら復習やらで勉強しなければならないはずですので、彼のお祝いは日曜日に済ませまして、当日は一人自宅に残して夫婦で参りました。

果たして、彼が机に向かっていたかどうかは、定かではありませんが。

 

 

 

生誕祭は、お父上が好きだという松任谷由美 『カンナ8号線』 をカヴァーする歌声ではじめられましたね。

やがて、お母様がお好きだという中島美嘉 『ORION』 も披露されました。

そういたしますと必然的に、息子のことへ思いが至らないわけには参りませんでした。

彼が、父母のために何かを披露してくれる日がやってくることはあるのであろうか、という思いです。

しかしまあ、そんなことはいくら考えても、しょせんはまったく詮ないことであります。

現状すでに、期待しないでおいたほうがよさそうな具合なのですから。

彼を授かることができただけでも、よろこぶべきことなのでしょう。

ただそういたしますと、それに続く言葉はどうしてもこうなってしまいます。

   「それにひきかえ、Nao☆ちゃんは」 

Nao☆ちゃんは、生誕祭のタイトルにも 「父、母、産んでくれてありがとん(^(II)^)!」 とネーミングしてしまうのですから、実に親孝行な娘です。

もちろん、Nao☆ちゃんもご両親にはいろいろ心配をかけたことでしょう。

そしてご両親も、これまで幾度も何度も、様々にNao☆ちゃんのことをご心配されたことでしょう。

かくいう自分、地元で一人暮らしする83歳の母親をいまでも心配させております次第ですから、心配するのが親の仕事のひとつであると言えるかもしれません。

まあ、そういうことにいたします。

 

 

 

 

途中からは、Negiccoメンバーのぽんちゃ、かえぽも登場いたしましたね。

それまではNao☆ちゃんのリサイタルだったのですが、だからそれゆえ若干緊張していた風情のNao☆ちゃんだったのですが、それが一気に溶解して安堵感に包まれてゆくのがわかりました。

同時に、ステージの空気もNegiccoがいつも醸し出すものに変化したのでした。

3人それぞれに生誕祭は開催されておりますが、メンバー3人が揃って誰かの生誕祭ステージに立つのは自分の知るかぎりは始めてです。

そしててっきり、2人はNao☆ちゃんのサポート役に徹するのかと思いきや、3人でNegiccoの持ち歌を披露してくれたのには驚かされました。

しかもNegiccoのステージならば、そのときの新衣装を3人が着用してパフォーマンスするのですが、今日はちがいましたね。

3人とも、意匠の異なったワンピースの衣装を纏ってステージングしてゆくのがとても新鮮で、NegiccoなのだけれどNegiccoではない、でもやっぱりNegicco、という見慣れた光景とは異なり、今夜この場かぎりな祝祭性を帯びておりました。

 

またMCでは、Nao☆ちゃんから2人への質問が2つ用意されておりましたね。

   「Nao☆ちゃんの第一印象」

   「Nao☆ちゃんとの思い出」

   「Nao☆ちゃんに直してほしいところ」

というものでした。

通例ならば、お祝いをされる方に対して、サポート役がここぞとばかりにいろいろ問いかけるもののはずなのですが、今回は真逆で、お祝いをされる側が、言ってもらいたいことを2人に尋ねるというかなりユニークな展開で、ここらあたりもNao☆ちゃんの個性が表れているな、と感じました。

そして、2人からの回答に反応するNao☆ちゃんのその表情と、発せられる言葉。

そして、ツボに入ってしまって止まらなくなる笑顔。

それらを観て聴いておりますと、自然にこちらの顔がほころんでいくのを感じました。

隣に座る妻の横顔を自分の視野の隅から見てみますと、妻も同様に笑顔になっておりました。

Negiccoのライブで行われるMCでは、いつも場内が笑顔で満開になりますね。

今宵ももちろん同様だったのですが、格別にあたたかく感じられたのは、ゲストの2人にもぼくらにも、Nao☆ちゃんの誕生日をお祝いしたいという一年に一度な気持ちがこもっていたせいかもしれませんし、Nao☆ちゃんからしますと、自分の生誕祭をとにかく楽しんでもらいたいという気持ち、これらが混ぜ合わさったために生まれた、お祝い感の入ったものだったせいかもしれません。

 

 

 

2人が下手に去ってゆき、バンドメンバーがふたたび登場して、はじまった曲はこれでした。

 

 

 

Nao☆ちゃんが大好きな曲だという振りからこの曲が始まりましたが、自分にとっては初見の曲でした。

なぜ大好きなのか、その理由を懸命に知ろうとしたのですが、わかりませんでした。

でも、かすかに何かを感じることができました。

 

 

続いてはじまったのは、この曲でした。

 

 

この歌を唄っているときのNao☆ちゃんは終始、瞳を閉じたままでしたね。

そして、そのNao☆ちゃんを浮かびあがらせているのは、真上から照らす暖色なひとつのスポットライトでした。

その明かりの元、赤一色のワンピースを着て懸命に唄う姿はとても印象的でした。

やがて、青色に輝く4つのスポットライトが加わり、クライマックスになるとそこへ5つの白いスポットライトも照らされ、後から加わったそれら全部で9つのスポットライトが天井で回りながら、Nao☆ちゃんをしっとりと包んでいるのでした。

目を閉じ、歌詞に思いを込めて唄うNao☆ちゃんの姿は、ついさきほどのMCでの姿と同じ人と思えないものでした。

そこに立っているのは、Negiccoのメンバーとしてではない、一人のアーティストとしての姿でした。

 

 

 

ついに、大団円にふさわしい 『ねぇ、バーディア』 が登場しました。

妻も、『ねぇ、バーディア』 特有な手振りを行っておりました。

そして、ケチャするところでは、両手を胸のあたりにもってきて、そこで手のひらを広げ、その先をNao☆ちゃんに向かって投げかけておりました。

妻の横顔は、Nao☆ちゃんをいとしげに観ておりました。

そんな妻の横顔を見て、自分は妻をいとしく思いました。

そんなふうに感じるのは久方ぶりのことなので、Nao☆ちゃんには感謝しなければなりません。

 

 

やがて、この生誕祭のために制作されました 『菜の花』 をアンコールで披露して幕が閉じられましたね。

そして、Nao☆ちゃんがお見送りの準備をする間、それを待つぼくらの前に流されたのは、MV『菜の花』の生誕祭ヴァージョンでした。

そのラストに登場し、巨大モニターにストップされた画像は、これでした。

 

 

 

 

 

 

翌日。

『指輪』、『私へ』 この2曲を、歌詞を見ながら聴いてみました。

すると、ライブでは流れることのなかった涙が、あふれてきてしまいました。

それぞれの歌詞は十分にエモーショナルなものですので、聴くだけもそれはわかるのですが、歌詞を見ることによってそれぞれの歌の世界がスッと立ち上がってまいりました。

そして、鈍重な自分の想像力が勝手に起動いたしました。

 

 

     『指輪』

この曲の持つ世界に、生と死が自分には感じられました。

そして、Nao☆ちゃんの持つ感情の量が、実はぼくらと同じ量ではなく、計り知れない量なのだからこそ、この楽曲の持つ世界に親近感を抱くのだろう、と思い至るのでした。

感情の持つ量が多い方ほど、片側へ揺れたときの幅は量に伴う重さによって大きくなるでしょうし、それが揺り戻されたときの衝撃も普通の方よりもはるかにインパクトがあるのではないでしょうか。

そんな感情量から生まれるその振り幅、そして衝撃、それらと供に日々を過ごしているNao☆ちゃんの内面的な心労は、常人には計り知れないもののように思われます。

また、それによってほかの人から誤解が生じてしまうこともあったのではなかろうかと拝察します。

でも、持って生まれたその感情量だからこそ、歌うことによって人間の感情を人一倍表現できているのでしょうし、それは絵を描きたくなるという絵心にも通じている、と思えます。

 

 

      『私へ』

この曲はいつもならばNegiccoの3人が歌い分けているわけですけれど、あのときNao☆ちゃんがたった一人で歌い上げてゆくことを思い出しながら聴くことによって、ようやく合点がいった気がしたのです。

この曲は、Nao☆ちゃんの大好きな坂本真綾さんが歌詞を、尊敬するconnieさんが作曲された、まさにNao☆ちゃんのために創られ贈られた楽曲なのだということを。

でもそう言ってしまいますと、この歌を一緒に唄っているぽんちゃとかえぽには申し訳ないことになってしまうかもですので、ここでお詫びします。

でも、この曲の歌詞の一語一語が、Nao☆ちゃんの心情とその量を表現しつつ、Nao☆ちゃんに寄り添っているように思えるのです。

そして、その一語一語を載せた旋律は、Nao☆ちゃんの感情の動きを表現しているように思えます。

そう思い至ってこの曲を聴いてゆくと、歌によって生じた感慨がココロに沁みわたってゆき、それが涙を誘発させたようです。

何度も聴いてきたはずの曲なのですが、いま頃にようやく気づくボンクラな自分です。

 

 

 

Negiccoのリーダーとして、諸所、決めなければならない場面がこれまでも、これからも頻出するかと思います。

日々、たいへんなこととは存じますが、Nao☆ちゃんを手助けすることは自分にはできません。

自分にできること、それは、Negiccoの現場に足を運ぶことです。

そして 『私へ』 を聴くときは、この曲に託されたNao☆ちゃんの思いに心を寄せることです。

これらくらいなものではありますが、自分なりに続けてまいりたい所存です。

これからも、どうかよろしくお願い申し上げます。

敬具

                              

 

追伸

生誕祭、どうもありがとうございました。

妻も、大満足しておりました。

では、 「また、明日」 

                                                                     

 

 

 

 

 




3月24日(土)白金高輪 SELENE b2
開場12:00 開演12:30
WHY@DOLL ワンマンライブツアー2018 WINTER ファイナル 第1部
ダンスの部
 

 

         【セットリスト】

     1.菫アイオライト
     2.Promises, Promises
     3.バニラシェイク
     4.CANDY LOVE
     5.ジェットコースター
     6.あなただけ今晩は
     7.Ringing Bells
     8.夜を泳いで
     9.Show Me Your Smile
     10.GAME
     11.シグナル
     12.マホウノカガミ
     13.shu-shu-star
     14.Magic Motion No.5
     15.Tokyo Dancing
     16.秒速Party Night
     17.恋なのかな?
     UN.キミはSteady

 

 

ほわどる、ワンマンツアーライブ。

ファイナル、その第1部に参戦していたら、突如、どこかでこのステージを体験したことがあるかのような、懐かしい感覚に襲われた。

その感覚が、何に刺激されてわき起こってきたのか?

ライブに参戦しつつ、それを探ってゆくと、意外とあっさり、その源に行きつくことができた。

 

(Stereo Sound ONLINE より拝借いたしました)

 

 

それは、80年代に隆盛を極めていたアイドルの歌番組、そのスタジオ収録ライブに立ち会っているような感覚だった。

自分には、それを実際に体験したことは皆無である。

地方在住な中高生にとって、アイドルのスタジオ収録に参加できることはありえなかった。

参加しようという発想すら、思いつかなかった。

アイドルは、あくまでもテレビのブラウン管の中に存在する者だった。

だから、それに立ち会う体験をしたことは、年齢を重ねた現在に至っても、ない。

ないにもかかわらず、ほわどるのライブにはそれを感じてしまった。

 

 

以下に、Youtubeでキャプチャした80年代アイドルが歌番組で歌う画像を貼ってみる。

 

 早見優

  Cotton

  Wink

 南野陽子

 

 

今回のほわどるライブ、その特徴であるステージバックのLEDヴィジョン、その存在は大きかった。

普段のライブであれば、もっぱら黒を主体としたライブハウスの壁面か、ほわどるの定期ライブならば布地。

しかし今日は、輝かしい発色で様々な光源がその背景を彩ってゆき、それがスペシャルなライブであることを主張している。

80年代アイドルにとって、スタジオ収録は特別なもの。

テレビ局にとっても、視聴率が望めるそれはまったく同じく、スタジオセットにいろいろな趣向をこらして気合が入っている。

もちろんそこだけが似ていたとしても、郷愁が生まれてはこなかっただろう。

 

 

 

また、このライブハウスの雰囲気も、それに一役買っている。

 

 

上の画像は、第1部が終了したときに撮影した集合写真。

このライブハウスの構造が、スタジオかあるいは倉庫のよう。

普通のライブハウスならば照明がもっと暗く、壁面はブラック。

しかしここは、シンプルで飾り気のない壁面に高い天井。

テレビでしか見たことはないが、テレビ局のスタジオもこのような感じではなかろうか。

 

 

 

でもやはり、何といっても、ほわどるの2人が醸し出している雰囲気、それがもっとも大きく影響しているにちがいない。

ほわどるは、いまのアイドルには数少ない2人組。

かつてのアイドルには、2人組はいくつか存在していた。

そしてほわどるの2人から感じられるのは、清楚でエレガント、品のよさ。

かつてのアイドルは、これらが必須条件だったが、いまのアイドルからは逆にこれらを感じることが少なくなってしまっている。

ほわどるの2人、ビジュアル的にとてもかわいらしく美しい。

かつてのアイドル、まずなんといってもそれが優れていなければならなかった。

ほわどるの2人、歌唱力も実にしっかりしている。

かつてのアイドルは、基本的にみなそれがしっかりしていた。

ほわどるの、このステージでの衣装はシンプルなもの。

かつてのアイドルも、シンプルなものが多かった。

ほわどるの楽曲、“沸き曲”もあるのだけれど、それよりも、聴いていると心地よさを感じる楽曲ばかり。

そこには、かつてのアイドルの楽曲がほわどるのいまの楽曲、つまり、ほわどるの楽曲をプロデュースしている方々に影響を与え、そこにも由来しつつ楽曲を製作しているから、必然的にかつてのアイドルの楽曲の香りを感じてしまう。

 

そんなこんなが合わさり、ない交ぜになって、それがために、自分にノスタルジックな感覚が降り注いできたにちがいなかった。

でも、そんな中で、ほわどるのダンス、これだけはかつてのアイドルには見られないもの。

かつてのアイドルのステージング、いま見ると実にシンプル。

ほわどる、歌いつつ踊るのだから、踊っても微塵も歌唱に響かないのだから。

美しくダンスし、決めるところはビシッと決める、ほわどる。

 

 

自分が感じた郷愁は、ある一定の年齢以上な方にしか理解してもらえないだろう。

そう、80年代アイドルとリアルに中高大学時代を過ごした方々。

そんな方々のことを、世間はオッサンと呼ぶ。

だから、ほわどる、ある意味オッサンのためのアイドル。

ゆえになおさらに、ありがとう、ほわどる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
3月24日(土)白金高輪 SELENE b2
開場18:00 開演18:30
 WHY@DOLL ワンマンライブツアー2018 WINTER ファイナル 第2部
フルバンド編成
 
 
     【セットリスト】
    イントロ
    1.Show Me Your Smile
    2.恋なのかな?
    3.キミはSteady
    4.ベクトル
    5.曖昧MOON
    6.clover
    7.Dreamin' Night
    8.Tactics
    9.ラブ・ストーリーは週末に
    10.忘れないで(浦谷はるなソロ)
    11.Hello Hello Hello(青木千春ソロ)
    12.セツナSHOOTING STAR
    13. shu-shu-star
    14.Magic Motion No.5
    15.サンライズ!~君がくれた希望~
    16.初恋☆キラーチューン
    17.トラベリンバンド
    18.Dancin' For Broken Heats(新曲初披露)
    19.恋はシュビドゥビドゥバ!
      [アンコール]
    20.ありがとう。
    21.菫アイオライト
      [ダブルアンコール]   
                   (いしだいやさんのツイートより。どうもありがとうございます)
 

 

 

 

北海道生まれの2人組アイドル。

ほわどるに初めて会ったのは、8月1日に発売となった彼女たちの2枚目のフルアルバム「WHY@DOLL」、そのリリースイベント。

7月24日にTSUTAYA IKEBUKURO AKビル店で行われたそのイベントに参加するためには、事前にそのアルバムを購入しておく必要があった。

でも、整理券を持つ方の入場が終わればフリーで入場できることをその告知から理解していたので、まずは2人の様子やライブの雰囲気を観てみて、あまり自分に響いてくるものがなければこれっきりにしてしまおうという黒い魂胆をふところに隠し持ったまま、自分はフロアに降り立ってみた。

 

約30分が経過して、ライブが終了した。

あわてて1階まで上り、アルバムを掴んでレジに走って購入し、イベント参加券を握り締め、チェキ会に並んでいる自分がいた。

 

その日から、ちょうど約8ヶ月が経過した。

ほわどるの現場に足を運んだのは、15回ほどになるだろうか。

 

 

なぜ、そこまでほわどるに魅せられてしまったのかな?

ほわどるの存在自体は、3年ほど前から知っており、Youtubeで折々の新曲を視聴し、なかなかいいな、とは感じていた。

しかし、いざ現場へ足を運ぼうと考え、そのスケジュールをチェックしてみると、1ヶ月に3~4回ほどのライブか開催されており、それならばまた次回の機会にしようということで、優先順位を後回しにしてきてしまった経緯があった。

また、一度足を運んでしまうと、その魅力に絡め取られてしまうであろうという気配を自身で感じ取っており、それを回避するためには現場へ赴かないでおこうという抑制的な気持ちも働いていた。

だが、それら自分なりの配慮も、TSUTAYA IKEBUKURO AKビル店におけるリリイべの日時が、自分の行動日時とまさに合致し、するとこれも神の采配かもしれない、という自分に都合のよい解釈を脳内が勝手に妄想してしまったので、それならば、ではそれに従ってみようということで、おもむろにその現場に第一歩を踏み入れてみたのだった。

 

案の定、予想どおりの結果となった。

いや、自分が想定していたことよりも上を行く、これはハマりようなのである。

ほわどるの、何が魅力的で、どこに引き付けられてしまうのか?

これについては、これまで数多く言われてきたであろうから繰り返しになってしまうのはわかりきったことなのけど、やっぱりそれを何度叫んでも言い過ぎになることはないだろうから、あえてここで繰り返してみる。

 

   ◆ 2人の、フェイス的ヴィジュアルの美しさと可愛さ。

   ◆ 2人の、身体的ヴィジュアルの色香と引力。

   ◆ 2人の、人柄と性格のすばらしさ。

   ◆ 2人それぞれの、個性的で魅力的なヴォーカル。

   ◆ 2人のヴォーカルが合わさったときに生まれる、ほわどるとしての声のキャラクター。

   ◆ 2人の、歌唱力の確かさと安定感。

   ◆ 2人が身につける衣装の、オシャレ具合の絶妙さ。

   ◆ 2人の持ち歌の、魅力的な楽曲群。

   ◆ 2人の持ち歌の、ヴァラエティの豊富さ。

   ◆ 2人の持ち歌に付された、魅惑なコリオグラフィ。

   ◆ そのコリオを見事に踊りこなす、2人の表現力の高さ。

   ◆ そしてさらに、コリオから派生する手振りコピーするときの楽しさと一体感。

   ◆ ファンである、ほわどるファミリーのあたたかさ。

   ◆ これらすべてが集積されて、自然とかもし出されている現場の雰囲気のよさ。

 

これらそのいずれが、他に類を見ることができない、one and only。

 


さて。

さて、そんな、ほわどる。

ほわどるが、本年2月からライブツアーを行い、そのファイナルが先日の土曜日に開催された。

その第2部。

これは、バンドセットで行われることが、このツアー日程が公表されてから告知されていた。

だから会場に入ると、ステージ上にはもちろん、すでにバンドセットが用意されていた。

開演時間から15分ほど経過した頃、場内の照明が落とされ、同時にバンドメンバーが上手側からステージに登場し、それぞれ位置についた。

その全員が落ち着いたときを見計らって、演奏がはじまった。

それは、この楽曲だった。

 

 

 

 

 

 

 

ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin)の作品、「I got rhythm」

ガーシュウィンは、ご存知のとおりアメリカ音楽の父と呼ばれていて、クラシック音楽と黒人音楽を融和させたことで知られている。

「I got rhythm」、この楽曲はポピュラー音楽として著名で、ジャズのスタンダードナンバー。

上の動画は、映画『パリのアメリカ人』における有名なシーンで、主演:ジーン・ケリーの軽妙で軽快、そしてソフィストケイテッドされた歌とダンスが楽しめる。

そんなナンバーをバンドが演奏しはじめるのだから、かつて刷り込まれたこの動画のシーンが脳内で自動的に再生され、この映画のようなレトロでノスタルジックな雰囲気に満たされていった。

もちろん、頭の中だけではなくステージ上でも同様で、この楽曲の演奏だけですでに、都会的で洗練され、そして少しだけ懐かしくもある空気が生まれてきて、それとともに、これから開幕するほわどるのツアーファイナルステージへの期待感が高まってきた。

アイドルのライブ、それをガーシュウィンの楽曲からはじめてしまうという何と言う意外性。

品がよく、エレガントでスタイリッシュ、それが、ほわどるの持つ雰囲気に合致している。

 

 

そんなところに上手側からやってきたのが、ほわどるの2人。

その衣装は、「Show Me Your Smile」 のために用意された新衣装。

そしてはじまったのは、まさにその楽曲である 「Show Me Your Smile」

 

 

 

 

 

 

だれもが思うことだが、この楽曲はバンド編成をバックに歌うことこそが、もっともふさわしい。

そしてその際には、この楽曲のために準備された新衣装でなければならない。

このMVが公開されてから3ヶ月少々、ようやくその思いが叶い、それが眼前で展開されはじめる。

 

 

 

バンド編成による生演奏をバックに、歌い踊る二人。

その音の振動を肌でもっとも感じているのは観客ではなく2人にちがいなく、肌だけではなく聴覚でもそれをすぐそばで直接に感じているはずで、それらとともにパフォーマンスできるということへの慶び、悦び、歓びが2人の表情に溢れている。

その表情を見ていると、こちらまでもが幸せに包まれる。

それにしても。

この楽曲とバンドとの融合性は、だれにでも予想できたことなのだけれど、実際にそれを体験してみると想像のはるか上をゆくすばらしさ。

おまけに背景には、MVと同様のヴィジュアル動画が投影されていき、見たことはないけれどオフ・ブロードウェイのステージもかくや、と思わされてしまう。

これはもう、アイドルのライブという域を飛び出して、目の前で展開されているのはショーでもあり、エンターテインメント。

いま、このライブハウスに入場しているのは500名前後だろうけれど、いまこの場所が、わが国でいちばん多幸感に満ち満ちているのではないかしら。

いまこの場所でそれを体感できていることの、優越感、吉祥感。

でもそれを裏に返せば、いまここにいる500名でしかそれを味わっていないということ。

それはあまりにも、勿体ない。

アイドルという色眼鏡に覆われ、アイドルという先入観でバイアスがかかってしまうことの残念さ。

たしかに2人はアイドルで、それは2人も自覚していることで、ぼくらは手にペンライトを持ち、ケチャし、終演後には特典会が開かれそこで2人とチェキ撮影したりするわけだけれど、でも、いま現在のこのステージは、そのことを忘れさせられてしまい、ひたすら歌とダンスに魅入ってしまう、魅せられてしまう。

 

 

この印象を維持したまま、ステージは進んでゆく。

ほわどるの楽曲には、そのいずれにも単純ではないコリオが付けられていて、その一部分を手振りコピーするのがファンにとっては楽しい面もある。

たとえば6曲目に登場した 「clover」、これにも容易ではない手振りコピーする部分が登場するのだけれど、今日はいつもとはちがった。

それは、ほわどるの2人自らが手振りコリオの一部を省略し、その分、歌うことに集中する姿勢を表していた。

2人がそれを省略してしまえば、ぼくらはその振りコピを行うはずはなく、だからぼくらもステージ上のほわどるのパフォーマンスへの集中度が一層高まることとなり、それによって場内もさらにヒートアップしていった。

 

そんなことを感じつつ、だからこのステージをそのままバンドごと持っていけば、コットンクラブ東京あたりにも十分に出演できるのでは、と思い至っていた。

そんな矢先にぶちこんできた楽曲が、これだった。

 

 

 

 

 

 

リリースされている2枚のフルアルバムには収録されていないこの楽曲、自分にははじめて聴くも同然。

自分、アイドル楽曲にありがちな、いわゆる“湧曲”、いいかえればMixする曲が、好みではない。

だから、この楽曲のイントロがステージではじまった瞬間に、場内のあちらこちらから歓喜の声が上がってこれまでの雰囲気が一変してしまったのに驚愕し、そしてやや戸惑ってしてしまったのだが、同時にステージ背景には、まさにこのMVの動画が流れ始め、このMVをほとんど視聴したことのない自分にとって、これはたいへんに新鮮なもので、ほわどる2人のアイデンティティーである北海道、その冬景色の中で様々な表情を見せてゆく和んだ2人が魅力的で、すると“湧曲”にもかかわらず、自分の身体内ではなぜかこの楽曲を受け止めて溶解させてしまう流れがごく自然にできてしまい、次の瞬間には見よう見真似で手振りし、聞きよう聞き真似でMixしている自分がいた。

そうなってしまうと、続いて登場した同じ傾向を持つ楽曲 「初恋☆キラーチューン」、「トラベリンバンド」 においても同様に存分に楽しむことができ、これはこれでクセになるものであることを体感した上で理解し、会得してしまった。

自分がそのような境地になってしまえたということは、同様のことがはじめてアイドルの現場にやってきた方々にも生じるかもしれず、アイドル現場に赴くために立ちはだかる壁を容易に乗り越える可能性を示している。

またそれとは別に、自分の知りえなかったほわどるの過去の姿がステージ上に出現したわけで、その姿は、今日までのほわどるの歩み、もちろん自分にはそのほとんどを想像するしかないのだが、でもどうしても思いはそこに至るのだった。

 

 

 

自分がほわどるの現場に足を運び始めてから約8ヶ月。

その時間は、今日のこのライブ参戦のための準備期間だったのだ、ということを自明できた。

このライブ開催の日にそれが間に合ってよかった、このライブに立ち会うことができてよかったと、つくづく実感した。

 

そして特筆すべきことは、ガーシュウィンがクラシック音楽と黒人音楽を融和させたように、アイドルとアーティストを融和する可能性をほわどるが垣間見せてくれたように思えたこと。

ガーシュウィンの楽曲からはじまった今日のライブ、意図したのかどうかはちょっとわからないのだが、「I got rhythm」 はこのことを象徴するための、ということはライブの開幕を知らせるためのイントロという意図だけではなく、ほわどるのこれからについての、その新しい幕開けを告げる意味を包み込んだものだったのかもしれなかった。

 

 

 

 

「SPRING 2018 TOUR~あなたの街に花束を~supported by サトウ食品」 東京公演
2018年3月18日(日)開場 17:15/開演18:00
会場:恵比寿LIQUIDROOM/オールスタンディング
編成:Negicco&CRCK/LCKS

 

 

       

         【セットリスト】 

     ☆1部セットリスト☆

     1.Negiccoから君へ

     2.相思相愛

     3.磐越道応援ソング(フル)

     4.BLUE GREEN RED AND GONE (音源:新remix)

     5.江南宵唄

     6.トリプル!WONDERLAND (音源:新remix)

     7.恋のシャナナナ

     8.本日がスペシャル

 

     ☆2部セットリスト☆   (全演奏:CRCK/LCKS)

     1.ともだちがいない!

     2.ライフ・イズ・キャンディー・トラベル

     3.ねぇバーディア

     4.さよならMusic

     5.カリプソ娘に花束を  (特別ゲスト:前田大輔/トロンボーン)

     6.土曜の夜は

     7.愛は光  (小田朋美:鍵盤ソロ)

     Enc. 8.圧倒的なスタイル

          (あおさんのツイートより拝借。あおさん、どうもありがとうございます)

 

 

今回のライブは、「SPRING 2018 TOUR~あなたの街に花束を」ツアーの、ファイナルライブ。

しかし自分にとって、このツアーライブへの参加は、はじめて。

ということで、他の場所でのツアーライブについての情報は皆無に等しいということで、このツアーライブを初体験のつもりで書いていきます。

 

 

 

 

自分の整理番号は180番台だったので、前列から7列目のセンターというかなり良い位置を確保できた。

その自分の眼前にあるステージでは、1部と2部を合わせて約2時間のライブが展開されていった。

そのライブはすでに、Twitterでいくつもツイートされているとおり、1部も2部も、たいへんにすばらしいものだった。

そのすばらしさを体験しつつ、自分の脳内を何度か襲ってきたのは、つぎのようなものだった。

 

     「自分は、いったいいま、何のライブを見て聴いているのだろうか?

      アイドルのライブ? アーティストのライブ?  いったいどっちなのだろうか?」

 

 

 

1部は、打ち込みサウンドに乗ってのライブ。

そこは通常のライブと同様なのだけれど、大いに異なっていたのは、セットリストの特異性。

特異性というと語弊があるかもしれないので、個性と呼ぶべきか、いや、この日限りのスペシャルヴァージョンというのがやはりふさわしい。

 

これまでのNegiccoライブで、「Negiccoから君へ」。

この曲を、一曲目に持ってきたことはあったのだろうか?

この曲はもちろん、Negiccoが結成当時からお世話になっていて、この方がいなければNegiccoはとうに消滅していたであろう大恩人のconieさんに捧げた曲。

その曲をのっけに据えたということから感じる、conieさんへの感謝の思い。

そして、このライブに込めた気合いの半端なさ。

この曲からはじまったライブだからそれだけでも特筆すべきものなのだったが、さらにスペシャルヴァージョンと呼ぶべきところは、曲間をつなぐサウンドが、通例ならばそのイントロを聴いただけで次の曲を予想できるはずなのに、今回のライブはそうさせることのできない曲間サウンドであえて構築されているというものだった。

 

「Negiccoから君へ」、この曲が終演したとたんに、つなぎのサウンドが流れ出すのだが、そこからは次曲を予想させてはくれない。

だから、おのずと曲間サウンドに懸命に耳を傾けていってしまう。

そこに込められている一音に、何かしら次曲のヒントが込められているのではないかと推理する心理が動き出す。

それとともに、何を披露してくるのかという期待感が、自然的に必然的に高まっていってしまう。

同時に、予想できない、わからないという、ごくかすかな不安定さにも襲われる。

だから、それが投下され、それと認識できた瞬間には、次曲が自分の予想したものとはたとえ違っていても、その不安定さが一気に解消され、同時にその不安定さが安定性へと反転してしまい、それよって、これまで何度も聴いたことのあるはずであるその曲を、まったく新鮮な感覚で味わうができる効果を生み出してしまう。

だから、ひたすらに唸らされてしまう楽曲の連続だった。

 

そうして、久々に披露してくれた「相思相愛」。

それゆえに、この楽曲を聴くことができるなつかしさと共に、いま描写したフレッシュ感が満載だった。

 

続く「磐越道応援ソング」。

これはいったい?何という曲だったろうか?自分が忘れてしまった曲なのだろうか?いや、そんなはずはない?でも、いったい何?

しかしながら、それにしても、やっぱりとにかくNegiccoの楽曲になっている、という印象が、この楽曲を3人がパフォーマンスしている終始、脳内を駆け巡っていたわけだけれど、1部終演時のMCにて、実はほぼ初披露に近い楽曲だったというオチが告知され、ようやく合点がいった。

でも、何かわからずに聴いてゆくという感覚、同時に自分の楽曲記憶力を試されているという感覚、これがまた、たいへんになんとも言いがたい感覚で、ドラッグを用いずにトリップしているような錯覚に陥ってしまった。

 

「BLUE GREEN RED AND GONE」、「江南宵唄」。

リキッドルーム、このライブハウスの空気は、いったいどのようになっているのだろうか?

巨大な空気清浄機を稼動させているのだろうか?

ここを訪れるたびに、必ずそう感じさせられる。

なぜか、ここの空気感はとても清よらかで、透明で、輝度が高いのだ。

ステージ上の人物の表情が、ほかのライブハウスで見るそれよりもはるかに鮮明なのだ。

そんなはずはないだろう、気のせい、と思いたいのだが、この印象はここでオーディエンスとして立つたびに感じる。

その空気感だからこそなのだろう、各照明から放たれるライトの光線がクリアでくっきりしているのだ。

それゆえこの2曲は、そんな環境だからこそ、この条件下で体験することを究極の前提として製作されたのではなかろうか、と感じられてしまい、ということは唯一無二なパフォーマンスなのだった。

 

「トリプル!WONDERLAND」、「恋のシャナナナ」、「本日がスペシャル」。

この3曲に、文言は必要ない。

ステージ上の3人の煽りに乗って、ただひたすら楽しめればそれでいい。

 

 

 

 

第2部は、CRCK/LCKSが演奏するバックにのってのパフォーマンス。

CRCK/LCKSの音を聴くのははじめてなのだが、とても明快で小気味よく、でも、ぶ厚くて、迫ってくるものがある。

それは、3人が登場する前に行われた音合わせのためのリハーサルでわかったこと。

短い演奏にもかかわらず、というか、このリハはリハではなかったのかもしれない。

それはぼくらへの自己紹介、「自分たちバンドはこういう音でやりますから、どうかよろしく」、というもの。

だから、第1部とは趣向をまったく変えた第2部、この演奏に乗っていくNegiccoへの期待感がいやおうもなく高まっていく。

 

そんな中に、上手からステージ上に登場した3人が位置につき、イントロの演奏がはじまる。

第1部とは異なり、イントロが進むにしたがって、これから披露されるその楽曲が明確になっていく。

そう、1曲目はこの曲だった。

「ともだちがいない!」

Negiccoの持ち歌のなかで、バンドセットで聴くべき楽曲の筆頭と呼んでも過言ではないこの曲。

イントロに登場する音の圧縮は、バンドセットならではのもの。

そして、待っていたかのようにぽんちゃの歌声が始まる。

すると、たちまちこの楽曲が持つ世界感がぼくらの目前に展開されてゆく。

この時点ですでにもはや、つかみはオッケーというか、ぼくらにしてみれば、このバンド演奏によるNegiccoにココロをしっかり取り捕まえられ、鷲掴みにされてしまったというべきで、あとはNegiccoの3人とこのバンドのなされるがまま、言い換えれば、ぼくらはそれにただひたすらに乗っかっていればよいだけという、シンプルな心地ができあがってしまう。

ぽんちゃ、かえぽ、Nao☆ちゃん、それぞれのパート部分では、センターにあるお立ち台に交互にスタンドするメンバー。

それはこの曲だけでなく、第1部でもそうだったし、この曲に続いた楽曲群でも同様だった。

 

センターのお立ち台にメンバーが立つと、それは自分のちょうど正面にやってきてくれることであり、そのメンバーの表情をを斜め下から見上げることになる。

そこに立ったNao☆ちゃんのその表情を見ていると、ほとんどつねにその瞳はNao☆ちゃんからすると真正面の後方を見つめていて、自分の眼にはもちろん見えるはずもないのだが、その瞳からは後方へとひとすじの光束が放たれているように感じ、その放たれている先に見据えられているものは、これから進んでゆくべきNegiccoの彼方にちがいないと、こちらに確信させるに至るパワーを秘めている眼力だった。

 

Nao☆ちゃんのその眼の表情がとても印象的だったので、必然的にほかのメンバーのそれも気になった。

だから、センターのお立ち台にやってきたときに見入ってみた。

ぽんちゃは、ヘアスタイルの前髪のカットラインが眉毛を越えるか越えないかという際どい一線にあって、微妙絶妙なそのライン設定がぽんちゃならではのこだわりを髣髴とさせ、そしてそのすぐ直下にあるぽんちゃの瞳の表情は、いつもと同様におだやかであたたかさをいっぱいに讃えているものだった。

 

かえぽのそれは、これもまたいつも思うことなのだがまばたきが極端に少なく、それによってかえぽの持つ瞳の大きさがより一層大きく感じられ、すると大きさだけではなく、一度決めたことは頑としてやりぬく意志の強さを感じさせるのも、常に同じで不変だった。

 

「ライフ・イズ・キャンディー・トラベル」、「ねぇバーディア」、「さよならMusic」。

この楽しい3曲を続けざまに披露したあと、緩急を付けるかのようにスペシャルゲストの前田大輔氏を紹介し、まえっちのトロンボーンが加わった「カリプソ娘に花束を」は、それだけでカリプソ感が会場内で満開となったかのように花を添えるのだった。

 

続く「土曜の夜は」によって、その熱帯夜を和らげ聴衆の熱気を落ち着かせたところで、満を持してもってきたのはこの曲だった。

 

 

 

 

 

ファンは太陽で、アイドルは月、月は太陽によって光り輝く、という大意を持つこの楽曲。

自分は初めてこれを聴いたとき、あからさまなこの歌詞に、なじむことができなかった。

各界での好評を耳にするにつれ、その思いは頑迷さを増していった。

だが、聞き込んでゆくうちに、それは徐々に溶解していった。

もちろん、自分のひねくれた感情にはあきれつつ。

そして、素直に聴くべき曲である、と思い至った。


幾度か、ライブでのこの楽曲のパフォーマンスを見たことはあるのだが、今回の小田朋美さんによる鍵盤ソロ、というシンプルな演奏によってこの曲を聴いていると、歌詞の持つ意味とメッセージ性が一段と際立った。

そこにさらに、前述のこのライブハウス特有な空気感とライティングが加わり、それらによって至高な時空が生み出されていった。

そしてそれだけではなく、センターで歌うNao☆ちゃんの右手人差し指と中指には、銀色の指輪が装着されていて、それぞれの指輪の持つ意匠まではさすがに焦点が合わないために把握することができなかったのだが、おそらくそれはデザインの装われていない極めてシンプルなもの。

人差し指にある指輪のほうが、中指のものよりやや細めに見受けられた。

そのシンプルな銀色の表面のいずれにも、ライティングの白い光彩が時折あたると、その都度、一瞬だけ光源であるはずのない指輪から、銀色の輝きがこちらに向かってキラリと放たれる。

このことを、Nao☆ちゃん本人は気づいていただろうか。

おそらくは気づいていないだろう。

だが、「愛は光」の世界感が、小さな二輪の銀色の指輪によって、図らずも具現化されているように自分には感じられた。

 

 

ここに至って、ようやく思いに合点がいった。

自分の目の前で繰り広げられてきたライブ、それは。

それは、アイドルのライブでもなく、アーティストのライブでもなく。

どちらでもない、まさにNegiccoのライブなのだということを。

それはもはや自分には、音楽業界におけるジャンルのすみわけ、呼称などというものを超越したものに感じられた。

だからきっとそれは、遠くない将来、アイドルと呼ばれるにはいささか苦しくなってくる日が訪れたときに、Negiccoならば容易にその一線を越えられることをいまから確信させるものだった。

 

 

だからこれからも、Negiccoと供にも走っていればいい。

ただただ、それだけで、いい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開催日時:2018年2月8日(木) 19:00スタート
開催場所:タワーレコード渋谷店B1F「CUTUP STUDIO」
ミニライブ&特典会

 

 

 

経済観念がきわめて発達し進化の極北にまで達してしまっている、つまりひとことで言えばケチなのが、うちのカミさんなのである。

たとえば、ホットカーペットの半分にだれもいなくなるならば、いなくなる際すぐにスイッチを切れという。

そのくせ、自分は早朝まで照明とホットカーペットを点けたまま、うたたねしていたりするのだから、さっさと布団で就寝すればいいものを、そっちのほうがよほど不経済。

要するにケチで、その上に我がままなのである。

こんなカミさんと喧嘩もせずに30年近くを過ごしすことができるのは、世界中で自分しかいないと自負しているわけで、つまり自分は唯一無二な存在なはずわけである。

 

 

 

さて、そんなカミさんをNegiccoのライブにはじめて連れて行ったのは昨年8月のこれだった。

Negicco x lyrical school FREE LIVE 「Avec Summer Breeze」@ Yoyogi Park
会場:代々木公園野外ステージ 観覧フリー
日時:2017年8月15日(火)  開場:16:00  LIVE:17:00~18:30(O.A 16:30)

このときのことを書いたブログがこれ。

https://ameblo.jp/nokkinokinoki/entry-12306109725.html

 

入場無料という、まるでケチなカミさんのために設定されたかのようなライブイベントだった。

そしてこのとき、次回の新曲リリースイベントにも同伴させ(これならばやはり観覧フリーで、チケットを購入する必要がない)、特典会にカミさんとともに参加する決意が固まったのだった。

だが、その機会はなかなか訪れなかった、なぜなら、Negiccoが新曲をリリースするニュース、それがやってこなかったからだ。

 

捲土重来、ようやくそのニュースの詳細が届いたのは新年早々だった。

やがてしばらくすると、その新曲のリリースイベントの予定が発表された。

 

  2/5 新潟LOTS

  2/6 タワーR高崎オーパ店

  2/7 アリオ川口1Fセンターコート

  2/8 タワーR渋谷店B1F ※

  2/9 タワーR新宿店7F ※

   2/10 タワーR名古屋近鉄パッセ店

   2/11 タワーR梅田NU茶屋町店

  2/12 タワーR錦糸町店 ※

 

このうち、東京周辺で開催されるのが4回、そのうちライブが行われるのは3回。

せっかくなのでカミさんに代々木に続いてもう一度、Negiccoのライブを体験してもらいたい。

だから、3回行われるライブのいずれかで参戦したいところ。

そしてその3回いずれも、特典会ではハイタッチ会が開催される。

 

自分としては、ハイタッチ会、それに続くチェキ会にも参加したい。

だがしかし、ケチなうちのカミさんが同じCDを3枚も購入してチェキ撮影することに対し、その行動を理解することはありえないほどに遠い。

理解を得ようとする行為そのものが、暖簾に腕押しで糠に釘なことは顕著なほどに明らかなこと。

だから、自分はチェキ撮影したいのはヤマヤマなのであるが、そんな姿をカミさんの前に晒すことは絶対にしてはならない。

涙を飲んで、チェキ撮影への参加は即座にあきらめた。

また、ネギヲタとしては新譜のジャケットへのサインは外せなく、しかもタワレコ錦糸町店閉店の惜別イベントへのヘッドライナーとしてNegiccoが登場するのだから、その勇姿を見届けつつサイン会にも参加したい。

だが、サイン会に参加するためにはCDを3枚購入しなければならないのだから、条件はチェキ参加と同様。

したがって、錦糸町店にカミさんを同行することはありえない。

よって、渋谷店か新宿店への参加の二者択一となった。

 

どちらへの参加が、カミさんを同行するのに適しているだろうか?

渋谷店のリリイベは、店舗の地下にあるイベントスペースで行われ、あそこの照明はライブハウス仕様。

一方の新宿は、店舗内にスペースを設けて開催されるから、照明は白熱灯。

はっきり言って、カミさんを来場者の方々の視線に白日のもとで晒すことはあまりしたくないという心積もりがかすかに、いやかなり大きく存在した。

ゆえに、ここは新宿店を回避して渋谷店でのリリイベに参加する決意をした。

リリースイベント当日までの2日間、自分とカミさんはニューシングルをヘビロテしてライブに備えた。

 

 

リリイベ当日、カミさんとは18時15分にタワレコ渋谷店の1階で待ち合わせことを前夜に決めた。

一つ、思案があった。

その時間の待ち合わせならば、うまくタイミングが合致すれば、タワレコ渋谷店前を通過するネギトラックをカミさんに見せることができ、自分もついにその姿に拝謁することができるかもしれない、というものだった。

ネギトラック。

今回のニューシングルの告知のために、わざわざ用意されたこれは、15年目を迎えたNegicco史上、初めての試み。

 

  

 

これをなんとかカミさんに見せて、驚かせたかった。

 

 

5分ほど遅れた18時20分、カミさんが店舗前にやってきた。

さきほどから停車したままのネギトラックなのだが、その存在に気づいてはいない様子なので、そちらに視線を向けるように促したとたん、

       「すごいっ!大きくなったねえ~(Negiccoが)」

という、期待通りなうれしい一言を発してくれたということは、ネギトラックをカミさんに見せることができた安堵感とNegiccoが大きくなりつつあることを示すことができたわけで、ここでますます運営には感謝するしかなかった。

 

 

 

店舗の階段に準備されている整理番号の順の張り紙にしたがって、待機列をつくる。

やがて開演を知らせる係員の声がし、その番号順に入場してゆくと、最前から2列目を確保することができた。

2列目かえぽサイド、すばらしい立ち位置。

カバンの中からおもむろにネギライトを2本取り出す、今日まで自宅のドレッサー奥深くに隠し持っており、イベントの都度、取り出していたのだが、もはやその封印を切るときはいまこの瞬間しかなかった。

1本をカミさんに手渡して、スイッチの入れ方を伝授する。

どこから持ち出したのか、どこに隠しておいたのか、一切を問うてくることがなかったのは大人な対応でありがたかった。

ここまでくれば、あとは今日のライブの出来とMC次第。

ぜひとも、カミさんに絶好調なNegiccoを見てもらいたかった。

そして、3人の魅力でカミさんをNegicco推しにしてもらいたかった。

よろしく頼んだぞ、3人。

 

 

 

19時5分、下手から颯爽とステージに登場した3人。

今回の新曲『カリプソ娘に花束を』、それに合わせたアロハ仕様でくっきりとした青地のワンピースが3人の白い肌をいつもよりもなお一層際立たせていて、とてもきれいだ。

同性にきびしい目を向けがちであろうすべての女性、そのすべての女性がご覧になったとしても、全員から賞賛の声が聞こえるにちがいなかった。

 

 

       【セットリスト】

    1.本日がスペシャル!

    2.パーティーについて。

    3.カリプソ娘に花束を

    4.トリプル!WONDERLAND

    5.光のシュプール

    6.ときめきのヘッドライナー

 

 

2列目から観るライブは、やはりちがう。

1曲目からネギライトを手に握ってかざしてライブに参戦しているカミさん、ついにようやく、この時がきた。

もちろん、最前の方々の動きを見よう見真似で行っているだけなのだが、そのどこか遠慮がちで小さなネギライトの動きが初々しく、カミさんにその印象を感じることが絶えて久しい自分にとって、そんな感覚のよみがえってきたのは二人のかつてを思い出せた瞬間だった。

カミさん、ケチャもしている。

初心者にとっては、なかなかにハードルの高い行為であるはずのケチャを難なく躊躇なくカミさんがやってしまうのは、そうさせてしまうものを目の前の3人が放っているからにちがいなかった。

3人の笑顔の輝きは、手を伸ばせば触れることができるかのようだ。

その笑顔によって、自分の視野の隅でかろうじて見えているカミさんの横顔、そこの目尻にはかつての若かりし頃にはまったく存在しなかった数本のシワが刻まれており、それは明らかに深くなっている。

ということは、カミさんも笑顔を浮かべているということ。

よかった、Negiccoのライブを楽しんでくれている。

うれしい。

この日のライブは、ほころびがほとんど見当たらず、素晴らしいできばえだった。

そしてMCも、吉本新喜劇かお笑い芸人かと言えるほどに冴え渡っていて、Nao☆ちゃんの突っ込みにぽんちゃとかえぽがその人柄から生まれ出てきたとした思えない素敵な対応の数々で、いやはや、瞠目すべきものだったから、カミさんも心からよろこんでいた様子だった。

 

 

ライブが終了した。

次はハイタッチ会への参加だった。

立ち位置的に、その順番はすぐにやってきた。

自分につづいて、カミさん。

ハイタッチだから、ひと言しかメンバーと交わすことができないけれど、

     「カミさんを連れてきました」

とだけ言いながら3人とハイタッチした。

カミさんは、メンバーには何も言ってはいなさそうでハイタッチするだけだったのを背後に感じたけど、

ぽんちゃからの

     「どうもありがとうございますっ!」

というあいさつは耳に入ってきた。

 

ステージから階段で降りフロアに立った瞬間、カミさんが言い放ったのは、

     「すっごく、いい香りがしたっ!」

というものだった。

特典会参加への参加を待つ方々の間を縫って会場をあとにしてから聞いてみると、

冒頭で3人がステージに登場した瞬間から、そのいい香りがしていたということだった。

傍らにいた自分などは、そんなことをまったく感じることが出来ない鈍感な嗅覚の持ち主であることが判明した(さすがにハイタッチのときには、自分でもそれを感じられ、しあわせに包まれたような気がしてはいたのだが)。

 

 

カミさん、すっかりNegiccoのファンになってしまったようだ。

帰りの電車でも、自分が聞いたわけではないのに、

      「Negicco、可愛いかったぁ~~~~~」

と言って、ボォ~となっていたし。

そして先日の日曜日、ショッピングモール内を夕方に歩いていると、どこかのFMラジオをBGM代わりにしているらしく、そこから突然、『カリプソ娘に花束を』のイントロが流れ出したとたん、自分と見合わせたカミさんのその顔じゅうには驚きとうれしさの表情が広がっていた。

それを見た瞬間、ネギヲタが一人誕生したことを確信した。

 

だがしかし、

     「また、あの位置でNegiccoのライブをタダで見られないかなぁ~」

などとほざいてくる。

もちろんタダであるわけではなく、カミさんの整理番号付入場券を確保するために自分の財布からCD1枚分を購入しているわけで、そこのところを忘れてもらっては困るのだが、どうもそこらあたりの自分に都合のよくない面は気がつかないのか、気がつかない振りをしているのか、いまだにわかりかねる。

そもそもやはり、性根のかわっていないことはいまさらながらに明らかで、まったくもって、すぐにつけあがってしまうのは昔もいまも変わらない困ったチャンなのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

(改訂前の記事には、関係者の方々、Negiccoファンの方々、一般の方々に誤解を招く記載をしてしまっておりました。ここに謹んでお詫び申し上げます。それらにつきましては、すべて削除いたしました。当初はこの記事自体の改訂版をUPするつもりではございませんでしたが、自分にとってとても節目となったリリイベでありましたので、そのアーカイブのつもりで改訂版としてUPいたしました。重ねてお詫び申し上げます。)

 

 

 

 

先日の土曜日、2018年1月13日。

横浜ベイホールにおいて、「2018 Negicco 1st LIVE SHOW」 が開催された。

 

このライブは2部制によるもので、1部はアーティストなどのNegiccoに所縁のある方からのリクエスト曲が、DJによって披露されるリクエストショー形式のライブ。

2部はファン投票により選曲された楽曲を、15位からのカウントダウンで披露するファンリクエストライブだった。

自分は、その両方ともに参戦したのだが、第2部の12位には 『江南宵唄』 がランクインした。

 

 

 

 

 

 

自分の母親には、二人の兄と一人の弟がいる。

つまり自分にとっては、二人の伯父と一人の叔父がいることになる。

二人の伯父のうち、次男は昨年の1月2日に亡くなり、長男は今年の元旦に亡くなった。

母親にとって、残された兄弟は弟だけとなってしまった。

 

 

たいていの家庭がそうであるように、社会人となり勤め出すとその就職先によって居住地はバラバラとなり、兄弟の生活圏は離ればなれとなってしまう。

母親の兄弟も同様であり、長男は岐阜、次男は千葉、弟は東京、そして一人娘であった母は夫の仕事の関係上、名古屋で長らく暮らしている。

そして、彼らの両親である自分にとっての母方の祖父母は、藤沢で暮らしていた。

自分が幼少の頃は親戚としてお互いの家を行き来し、親たちは兄弟同士、僕らは従妹同士で親睦を深め合っていたから、その都度、伯父達からはずいぶん可愛がってもらっていた。

また、自分が大学に入学するために上京して以来、東京に住むその叔父には何かに付け相談に乗ってもらっていた。

母親にとっても唯一の弟だということで、幼少の頃から弟の面倒をずいぶんみてきたことを誇らしげに語ったことが何度もあった。

叔父は弁舌さわやか、なかなか端正な顔立ちをしていて、明らかに祖母に似た顔立ちの持ち主である。

この叔父以外の、つまりは母親を含めた三人の兄弟はといえば、おおらかな性格どっしりとした身体、面体も垢抜けているわけでなく、こちらは確かに祖父に似ている。

 

 

さて、彼らを生んだ母親、つまり自分の祖母のことである。

祖母は、自分が小学校六年生のときに亡くなった。

そのため、祖母との思い出は多くない。

年に一度か二度ほど、どこかの温泉地に出向く祖母と合流し、二泊ほど共に過ごしたことが何度かある程度である。

だから、家で料理をしている祖母の姿の記憶はまったくない。

祖母の手料理を、食べたこともない。

母親曰く、普段からそのようだったそうで、料理も掃除もまったく手をつけなかった、というかできなかったそうである。

その代わり、何をやっても器用にこなしてしまう祖父が、もっぱら料理や掃除を手がけていたらしい。

端的にいえば、祖母はお嬢様育ちだったということらしい。

たしかに、いつも和装を粋に着こなし、颯爽と歩いている姿をいま思い出してみると、そこからは生活臭がまったく感じられなかったし、見た目も山田五十鈴をもう少し親しみやすくしたような面持ちだったから、主婦というイメージからはほど遠いように思えた記憶がある。

そんな彼女が、どうやって自分の生んだ子供らを育てたのか、ここらあたりのことは夫婦の機微に類することになるので、ちょっと窺い知れない。

 

 

つい最近、昨年11月末に、空路で名古屋からやってきた母と新潟空港で合流し、そこからレンタカーで新発田にあるその祖父母の菩提寺へ墓参りに出向いた。

そしてその翌日、新津にある「北方文化博物館」に立ち寄ってみた。

「北方文化博物館」は、新潟の豪農の豊かさ、そしてその豊潤さが育んだ文化の素晴らしさを圧倒的な規模で目の当たりにするところで、母ともども瞠目するしかない場所だった。

そして、年末に名古屋へ帰省し母親と話しているうちに二人で晩秋に訪れた新潟の話題となり、そこで祖母が新潟の二本木の出身だったことを母から初めて聞かされた。

さっそく 「新潟」 「二本木」 で検索したところ、スマホの画面上には地図が表示され、それを拡大するとその場所は、母親と初めて訪れた北方文化博物館からわずか数キロの地であることを知り、母親ともども浅からぬ縁を感じてしまった。

現在、ここらあたりは、新潟市江南区に組み込まれている。

ちなみに祖母の旧姓は、井越だったそうである。

 

 

そして、もう一つの話を母は聞かせてくれた。

それは、母にとっての弟、つまり自分にとっての叔父、彼の父親は祖父ではないということだった。

国家公務員の祖父は、戦前から全国各地へ単身で赴任していた。

その仙台赴任時代中に生まれたのが叔父なのであるが、彼の父親は、祖父とは別の男性だったというのだ。

ということはつまり、祖父の長期留守中に祖母は浮気をし、その男性との間に子まで成してしまったということになる。

叔父は1942年(昭和17年)生まれ。

前年12月に太平洋戦争が開戦しているから、まだこの頃は全戦全勝で国じゅうが浮かれていたにちがいない。

だが、倫理観はいまよりもはるかにきびしいものがあったはずであり、“姦通罪” も存在していた。

これは、夫のある婦人が夫以外の男性と性的関係をもったとき、夫が告訴をすれば妻とその男性は本罪で処罰されるというものである。

そのような状況の中、いったいどんな衝動が祖母をそれへと奔らせたのだろうか。

まったく、わからない。

そしてこのことを、祖母が亡くなったあとのずいぶん後年になって、母はようやく祖父から聞かされたらしい。

同時に、叔父本人にも祖父は告げたという。

叔父の驚きは、いかばかりだったろうか。

それ以上に、かつての祖父がその事実を知ったときの感情はどのようなものだったのだろうか。

そして、祖母の心境はどのようなものだったのだろう。

自分の知るかぎり、叔父に対する祖父の態度は、ほかの子供とまったく同様なもので、蔑み、格差などを感じたことは微塵もなかった。

このことは母もまったく同様だったそうで、四人の子供に対して祖父はいつも同じように分け隔てなく接していたという。

あらためて祖父という人間の包容力、大きさ、おおらかさというものを感じ、そして尊敬した。

また、祖母へは、いったい何があってどうしてこうなったのかを聞いてみたい気もしたのだか、それは当然ながら叶わぬことである。

しかしあの祖母ならば、若い頃はたしかに男性が放ってはおかなかったであろうことは容易に想像できた。

そして、母を含めた四兄弟のうち、叔父だけがほかの三人とはちょっとちがった印象を自分は感じていたのだが、その資質の由来するものが実の父親からによるものではなかろうかということに思い至り、納得のいく自分がいた。

 

そうして、叔父がいつも間にやら兄弟とは疎遠になっていったのを不思議に思っていたのだが、それも自分の出生を知ったことに端を発していることであるにちがいなく、だから、やむを得ないことなのかもしれなかった。

そして、二人の伯父の葬儀に、叔父は顔を見せることはなかった。

 

 

 

 

先日のNegiccoライブにおいて、第12位の発表と同時に垂れ幕が開かれ、そこにはっきりと 『江南宵唄』 が書かれているのを見た瞬間、自分には祖母のことが思い浮かんだ。

いまは江南とよばれており、かつては二本木だった場所で生まれ、育ち、祖父に嫁入りするまでの娘時代を暮らしていた祖母のことを。

そして、曲がはじまりKaedeの歌声が聴こえてきた。

 

 

 

  江南宵唄

   (作詞:大坪加奈,connie    作曲:Spangle call Lilli line)

   あの空はまだ 遥かな丘の上
   あの鮮明な 残像に伸びる手

   言い伝えの浮く輪 実際にこの目
   泉に重なる ちょうどその前
   声にするも 考えていたのは
   雨に当たらぬ 遠い夏を

   減り砂 あとは繰り返すの
   愛を唱えて 強引なる 海へ

   そっと 濡れるわ 窓 禁断の停止信号
   そっと 夢 何度 連なる王冠で

   合わすための 混合な催眠は
   皆 目覚めない 日々 儚い
   一点 誤字の 裏の反省
   雨に当たらぬ 遠い夏を

   減り砂 あとは繰り返すの
   愛を唱えて 強引なる 海へ

   本当の事 本当の事
   本当の事 教えて
   本当の恋 本当の恋
   本当の恋 教えて
   愛をつぶやいた
   「それはすべて」と
   愛をつぶやいた
   それは「すべて」よ

   本当の事 本当の事
   本当の事 教えて
   本当の恋 本当の恋
   本当の恋 教えて
   愛をつぶやいた
   「それはすべて」と
   愛をつぶやいた
   それは「すべて」よ

   海の鼓動に似た
   舟の浮体に乗って
   海の鼓動に似た
   舟の浮体に乗って

   江南の 曽野木屋の
   永遠の 曽野木屋の

   言い伝えの 曽野木屋の
   宵の唄

 

 

 

 

祖母にも幼少期があり、あそこらあたりを歩き回っていたはずなのである。

あなたにも女学生時代があり、その姿で通学していたはずなのである。

そののち、どんな思いであなたは祖父に嫁いでいったのか。

なぜ、あなたは浮気をしたのか。

禁断の停止信号は、あなたには効かなかったのか。

それは、愛だったのか。

一瞬の誤りだったのか。

本当の恋だったのか。

あなたにとって、何が「すべて」だったのか。

どんなことを、祖父とあなたは話し合ったのか。

どんな思いで、あなたはそれからの日々を暮らしていたのか。

本当の事を教えてほしい。

 

いまとなっては、それらは永遠の向こうにいってしまった。

もちろん、在命していても聞くことはなかっただろうけれど。

 

 

 

これらのことに思いを寄せつつ、この曲を聴いたのは、もちろん今回がはじめてだった。

そして、江南とよばれるあのあたりの風景も同時に思い出していた。

「北方文化博物館」 からの帰り道は、冬間近なことを告げているのであろう氷雨が降っていた。

その中を、横雲バイパスとよばれていることをいまは知っている国道49号線をレンタカーで万代橋に向かっていたということは、二本木のわずか横を通っていたことになる。

そのときは、ここらあたりが祖母の育った場所だったということにまったく気づいてはいなかったが、それでも、あのあたりが肥沃な土地であることは、いまから振り返っても容易に察することができる。

あの場所のあの空から流れてくる風に吹かれて、もう一度、あなたのことを思い出してみたい。

 

 

 

もはや、思い入れなしにこの曲を聴くことはできない。

Kaedeがこの曲を歌い始めるたびに、涙腺が刺激されてしまうであろう。

 

自分にとって、この曲がランキング第1位になったのだった。

 

 

◆『NegiSUMMIT 2017』
本イベントは、ソーシャルテレビ局としてライブストリーミングを発信してきた2.5Dが、12年~14年に定期番組として配信してき「NegiSUMMIT」を一日限りで復活させた特別企画。メ

インキャストとして、3人グループのNegiccoが登場し、“さまざまなコラボ”をコンセプトに、ゲストを招いてトーク、ライブを行う2部構成となっている。過去のゲストにはDJみそしるMCごはん、fhána、ユメトコスメ・長谷泰宏らが登場。

今回、約3年半振りの復活となる「NegiSUMMIT 2017」のゲストにはORESAMAが出演。
また、会場の参加者限定特典として、これまで「ORESAMA」のアートワークすべてを手がけてきたイラストレーター・うとまる(THINKR/POPCONE)が、「NegiSUMMIT 2017」限定、Negicco × ORESAMAのコラボステッカーを描き下ろす。
初共演となるNeigiccoとORESAMAのコラボはプレミアムなイベント間違い無しだ!

◆概要
『NegiSUMMIT 2017』
日程:2017 年12 月7 日(木)
時間:OPEN 18:30 / START 19:00 /END 21:00
出演:Negicco / ORESAMA / 冨田明宏(トークMC)
会場:PLUG IN STUDIO by nana × 2.5D

 

 

 

 

 

単行本「Negiccoヒストリー Road to BUDOKAN2003-2011」の発売を記念して9月に行われたサイン会は参加しましたが、ネギライブへの参戦は8月の代々木公園以来となり、約4ヶ月でした。

この日のトーク&ライブにつきましては、配信をリアルタイムでご覧になっていた方々も多くいらっしゃいますでしょうし、下記の動画ではその全編が視聴できますので、現場でしか感じられなかったことや、動画配信ではちょっとわからなかったであろうことについて書いてみたいと思います(動画のUP主さん、ありがとうございます)。

 

 

 

 

 

いまは建て替え中のため、跡形もなくなってしまいました渋谷パルコ、そのPart1の6階にはソーシャルTV局「2.5D」のスタジオがありました。

そこのスペースはとても狭くて、初訪問のときは驚きました。

自分がはじめてここに参戦したときのブログが下記です、vol.5がお初だったようです。

https://ameblo.jp/nokkinokinoki/entry-11595516273.html

 

そして、vol.8に参戦したときのブログがこちらです。

https://ameblo.jp/nokkinokinoki/entry-11735472272.html

お読みいただければおわかりのように、vol.8のときは、当時小学6年生で、昔もいまも愚かなままの息子を連れて参りました。

奴も、いまは高校一年生です。

当時から、カミさんが一人で自由気ままに過ごせる時間を設けるために、Negicco、Perfume、きゃりーちゃんという自分の好きなアーティストの現場に愚息を帯同しておりました。

それがおそらく原因なのでしょう、奴の今年は、初夏のメトロック、真夏にはSiM主催イベント「DEAD POP FESTIiVAL」に参戦するために友人と2人でわざわざ川崎市の東扇島公園まで出向いて初モッシュ&ダイブ。

今月28日には欅坂、アジカン、WANIMAを見たさにカウントダウンの初日にぼっち参戦。

自宅にいるときはスペースシャワーTVを視聴しまくっているという、音楽とライブが大好きな高校生になってしまいました・・・・・・。

 

 

 

閑話休題。

その当時の2.5Dと現在の2.5Dを比較しますと、大きさが倍くらいに広がりました。

そして、ジャマだった柱もなく、とても見やすいライブ会場です。

現在のキャパは約150人、これも当時の倍になったはずです。

ステージに向かって右側には壁があり、その壁のすぐ向こう側が控え室になっているようで、出番を待つ間に控え室にいる出演者には会場のコールやクランプ、盛り上がり度が壁一枚を隔てているだけなので、リアルにビンビンと伝わっていたようです。

そして、かつてと変わらないのがステージと観客との距離感です。

メンバーもトークで触れてましたが、近いのです。

自分は5列目あたりでスタンディングしてましたが、ステージの奥行がそれほどないこともありまして、ステージ上にいる方々がとっても近いのです。

大規模会場の最前列よりも近いのではないでしょうか。

 

その近さだからこそ、Nao☆ちゃんとかえぽの顔に流れる汗のひと雫づつがわかりました。

また、コロコロと転がるように変化する3人の表情が、手に触れんばかりでした。

そして、その近さにゆえだったのでしょう、メンバーそれぞれの内面からは、輝きが溢れ出ているように感じられました。

それはライトが3人を照らすことによる自分の錯覚、では決してありませんでした。

そのことに3人は気がついているのでしょうか、気づいていない可能性が高いです。

周囲の誰かに指摘されて、ようやくはじめて、そうなのかしらん、という思いがよぎるたぐいのものだからです。

代々木公園から4ヶ月。

そのわずかな間には、2日にわたる「NEGIFES」、全国7ヵ所で開催された「Autumn 2017 Tour~ネギの産地でこんにちネギネギ2~」、「Road of Negiiiiii ~Three Never Give Up Girls!!!~ 2017 Autumn at 新潟県民会館」、やはり2日間で行われた「私をネギーに連れてって in Naeba 2017」、前日には「KIRINJI LIVE 2017」にゲスト出演、そして、がぜ薬ベンザブロックのMV『かぜぐすリリック』に出演して大きな話題となるなど、主なものでもこれだけのことを短期間に見事すべてを成功させてきているわけですから、ネガティヴ言葉を口癖のように日頃から放っているメンバーにとって、これらから得ることができた経験と体験と出会いは何者にも代えがたい財産となって蓄積され、自信となっているのはまちがいありません。

そしてそれによって、輝き、言い換えれば大多数につねに注目される芸能という分野に従事する人間にしか持ち得ることのない独特なオーラ、それが4ヶ月前よりも強くなってきているように感じられました。

また、それだけではなく、3人ともさらに垢抜けてきていて、その容姿の美しさも増してきているのです。

 

にもかかわらず、ひとたびトークコーナーになれば、いつもと変わらないざっくばらんで親しみやすい発言の数々で、でもこの日のNao☆ちゃんが暴走したりギャグをかましたりすることが少なかったのは、MC冨田明宏さんによる絶妙な進行状況と間合い、そして的確な質問、合いの手によって導かれたものかもしれず、そういう状況を醸し出してくれさえすれば、Negiccoの3人は引き締まって充実したトークタイムを生み出すことができるのだという証を見せてくれたようで、そこらあたりからも、以前の2.5Dにおけるトークコーナーのグダグダだった頃よりもグッと成長した姿をぼくらの前で披露してくれたのでした。

 

 

トークコーナーの途中では、かつての「NegiSUMMIT」の動画が両側の壁に投影され、自分も参加した回は、特になつかしく拝見したのです。

そしてこのとき、参戦しなかったことが惜しまれたのは、なんといってもVol.7のときだったと悔やんだのでした。

下記がその回の動画ですが、これの54分55秒以降に、いまではちょっと考えられない3人の姿が登場するのです。

色物企画だと呼んでしまえば言えることもできるもので、いまではもはやこの企画を遂行してもらえる可能性はほとんどありえないでしょう。

この動画のその部分が流れたとき、会場もちょっとざわつきましたが、配信ではこの動画は流されなかったようなので、そのざわついた理由がわからなかったかもしれません。  

 

 

 

 

 

そんなこんなで、充実したNegiccoのトークタイムののちに、本日のゲストでありますORESAMAがステージに招かれました。

ORESAMAの2人のメンバー、コジコジ(この日だけのネーミング)もぽんちゃんも2人とも控えめなところは、Negiccoのメンバーと共通しておりました。

でも、ひとたびマイクを手にすると、コジコジの手によるキラキラした楽曲をヴォーカリストぽんちゃんがその正体をあらわにしてオーディエンスを煽りまくりますし、コジコジのギタープレイもそれに合わせるのように畳み掛けてきて、アイドルではないまさにアーティストのライブであることがヒシヒシと伝わってまいりました。

 

      ORESAMA【セットリスト】

        SE.KARAKURI

        1.流星ダンスフロア

        2.オオカミハート

           (MC)

        3.ワンダードライブ

   

            転換

 

      Negicco【セットリスト】

        SE.Make Up Prelude

        1.トリプル!WONDERLAND

           (MC)

        2.マジックみたいなミュージック

        3.光のシュプール

        4.RELISH

        5.さよならミュージック(Negicco&ORESAMAのコラボ)

 

 

コラボで4人の女性が同じステージに立ちますと、ぽんちゃんのスタイルが抜群によいことがわかりました。

Negiccoのメンバーのスタイルがよくないと言っているわけでは、けっしてありません。

ぽんちゃんの身体が、まるでモデル体型なのです、スラリと背が高く、顔が小さいのです。

でもそんなステキなスタイルから、とてもパワフルな歌声が響いてくるのだから驚きで、それはいつもとはまたちがった趣きの『さよならミュージック』となり、Negiccoのメンバー3人もこのコラボをリラックスして楽しんでいたのがこちらにもわかりましたから、それにつられてこちらもリラックスして堪能することができたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは、来場者限定で配布されましたこの日だけのために作られた、イラストレーター・うとまるの手によるコラボステッカーです。

【NEHISAMA AirLine ネギサマ航空】ステッカーです。

とってもいいです。

ぜひ是非、この衣装でのステージを拝見してみたいものです、という願望を思わず瞬時に抱いてしまうのは、オジサンのどうしようもない習性でありますから、どうかお許しください。

 

 

 

 

新しい2.5Dは、バーカウンターもライブスペースの最後方に設置されていて、ドリンク券の引換もスムーズでした。

かつての2.5Dは会場入口に置いた小さなテーブルで、チケットの確認、ドリンクの購入、物販を行っていて、まあ、それも含めて狭かったです。

そして新しい2.5Dは、渋谷駅がメチャクチャに近いのです。

渋谷駅から最も近いライブ会場ではないでしょうか、小走りすれば1分かかりませんし、あの渋谷のウザったい雑踏を歩かなくてよいのです。

ですから、それもありまして、2018年にはぜひこの会場から、「NegiSUMMIT」を2ヶ月に1度程度の割合で開催、配信していただきたいところです。

配信の関係で、2時間キッチリに終わる時間配分も好ましいところです。

そして、この場所から、Negiccoと様々な方々との出会いによる新たなコラボレーションを拝見していきたいのです。

11月25日(土)、新潟空港でレンタカーを借り、豊栄と新発田の中間にある母方の菩提寺へ、母とともに墓参しました。

翌26日(日)、せっかくのレンタカーなので、新潟県新津市にある北方文化博物館に立ち寄ってみました。

 

そう、この場所で新潟のアイドルNegiccoが 今年の10月6~7日の2日間にわたって「NEGI FES」 を開催したのでした。

自分は残念ながら参戦できませんでしたが、参戦された方々のツイート画像や、ナタリーさんのレポに添付されている画像を拝見しているうちに、ぜひ、ここを訪れてみたくなったのです。

 

 

そもそも、北方文化博物館は、新潟市街地にある分館には訪問したことがありましたが、分館というからには本館が存在しているはずにもかかわらず、そのことに思い至らず、また 「NEGI FES」 も当初はてっきり分館で開催されると思っておりまして、あの場所にライブスペースなどあったかしらん、と不思議だったのでした。

しばらくしてようやく、「NEGI FES」 は本館での開催と理解したのでしたが、アクセスを確認してみると行きやすいとはちょっと言えない場所でした。

日程的にも予定が入っていたためムリだったので参戦を諦め、今回、ようやく念願を果たしたのでした。

 

 

Twitterでいくつかの画像をツイートしまして、それをすでにご覧になった方もいらっしゃると思いますが、全部の画像をツイートしたというわけではありませんでしたので、ツイートしなかった画像も含めて、あらためてこのブログで掲示いたします。

そしてとにかくともかく、越後の豪農のすごさに圧倒されたのでした。

新潟を語るのでしたら、この博物館を訪れる前と後では、その語る印象も内容も変わることになるにちがいありません。

そして、多少アクセスに難はありますが、あえてNegiccoがこの場所をライブ会場として選択したことも納得いたしました。

Negiccoの存在を知ったおかげでこの場所の存在を知り、そして訪れることができたわけでして、Negiccoには感謝しかありませんです。

同行した老母もこの場所の凄さに何度も感嘆し、そしてたいへん気に入っておりました。

 

画像をご覧いただけましたら、「NEGI FES」 に参加された方々にはそのときの思いが蘇るかもしれませんし、開催時よりも季節が一ヶ月半ほど進んでおりますので、そのときとは景色の色合いも異なっているはずです。

また、未訪の方には、ぜひ今後の参考にしていただきまして、この地に足を運ぶ一助になればと思っております。

 

では、是非どうぞご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

母屋の外観

 

 

母屋の内部

 

 

母屋の2階から見た屋根

 

 

母屋に展示されている伊万里焼

 

 

母屋と中庭を挟んで建つ大広間棟

 

 

その中庭

 

 

大広間から眺めた庭園

 

 

その庭園のアップ

 

 

大広間

 

 

庭園

 

 

大広間

 

 

大広間の照明

 

 

 

 

 

 

大広間に入るための玄関

 

 

母屋の囲炉裏

 

 

 

 

 

 

そして、「NEGI FES」 の会場となったステージ

 

来年も 「NEGI FES」 がここで開催されるならば、是が非でも参戦して、この場所をふたたび訪れたいものです。

この場所で観るNegiccoのライブは、とりわけきっと格別なものに感じられるにちがいありません。

 

 

過日、鹿児島市内での急な所用が入ってしまった。

どうしても出張しなければならなくなり、あわてて往復の航空券を購入した。

 

当日朝の出社後、必要となるものをまとめ鞄に入れ、それ以外に、いま読みかけの文庫本を1冊、通勤ではいつもそうしているようにスーツ上着の左ポケットに収め羽田に向かい、旅客機のシートに身を沈めた。

幸いにも窓際に座席を確保できていたし、天候はほぼ快晴、往路は空からの景色を楽しむことができそうだった。

 

 

駐機場を離れ、誘導路から滑走路へ。

その際、180度ターンして滑走路へ進入する。

するとこのとき、左右どちら側の座席かにもよるのだが、いずれ側からは自分の乗っている機に連なって誘導路を進む旅客機を2~3機、眺めることができる。

もっともこれは、つねに混雑している羽田空港ならではのもので、地方空港では1時間に1機程度の離陸しかないのが当たり前だから、この光景を見ることはない。

これを眺めるたびに、巨大な飛行機が行列を作っていることに微笑ましく思えるし、その巨大さをあまり感じさせなくなってしまっていることを不思議に思う。

 

順番がやってきて滑走路に進入、すると間髪を置かずにジェットエンジンがフルスロットルになって急激に加速するのを感じる。

この瞬間が、好きだ。

これから大空へ自分たちを乗せて羽ばたいてゆくために、渾身のエネルギーを空気に向かって排出している旅客機。

そして、わずかばかりの助走で離陸してしまう仕打ちには、いつも拍子抜けしてしまう。

当たり前のように空へ舞い上がった旅客機の中で、前席の背もたれに設置されているポケットから機内誌を取り出して最終ページ付近をめくってみる。

そこには、この航空会社の国内路線図が掲示されていて、自分が乗り込んだ空路ももちろん表示されている。

羽田~鹿児島間として表示されている日本地図上の線を見てみたところ、どうやらそれはリアルな空路ではなく、単に羽田~鹿児島間を当社が飛んでいるということを示しているにすぎなかった。

これでは、窓から下界を見下ろすことはできても、どこらあたりを飛行しているのかの見当をつけるには、自分の記憶の中にどれだけ日本地図が刷り込まれているか、そのレベルによって大きく差が生じてしまうことになる。

まあ、致し方ない、自分のその記憶を頼りにしながら窓からの景色を楽しむことにした。

 

 

自分の座席は機首に向かって左側、窓から見下ろすとちょうど軍港らしきものが眼に入ってきた。

おそらく横須賀港であろう。

そうすると、これから三浦半島上空を横断して逗子あたりの上を飛ぶことになる。

そう考えていると、やがてそのあたりの海岸線が眼下に見えてきた。

このとき、少しだけ不思議な感覚を味わった。

自分のスーツのポケットに入っている文庫本は、これだった。

 

 

 

 

まだ読みかけではあったのだが、このエッセイの舞台はかつて逗子に実在したホテルだった。

たまたまではあったのだが、したがってその上空からちょっとした聖地巡礼をしたことになった。

そのホテルの在りし日の姿を知るわけではなかったが、でもエッセイから思い浮かんでくる建物や佇まいなどを想像しつつ、その上空を通過した。

 

 

空路はしばらくすると、大島が姿をあらわし、次に伊豆半島を横断、そのまま駿河湾上空を飛行した。

やがて岬が登場してきた。

それは間違いなく、御前崎だった。

その岬からは、遠州灘の単調な海岸線が続いた。

そしてこのまま一直線に飛行を続ければ、伊勢湾の入口付近から志摩半島上空へ進入してゆくことになる。

ということは、まさか。

まさか、自分の郷里上空を通過することになるのではなかろうか?

期待したかった。

だが、このまま直進してくれるのかどうか、わからなかった。

でも、期待した。

すると、幼い頃から見知っている志摩半島の景色を上空から眺める地勢が眼下に入ってきた。

それは自分が固定された場所にいて、地形の方がロールスクリーンのように動いているかのようだった。

まず、遠州灘に面した相差地区の集落が見えた。

ということは、この飛行機は鳥羽上空を通過していることになる。

その相差地区からの海岸線の突端には菅崎、的矢湾の入口を挟んだ向こうが安乗崎だった。

ここまできて、確信することができた。

この飛行機の窓から、郷里を眺めることができることを。

畔蛸地区、千賀地区の入江、そして的矢地区の景色がやってきた。

伊勢志摩カントリークラブのフェアウェイが見える。

そのゴルフ場のすぐそばに、的矢小・中学校の運動場があり、その運動場に隣接しているのが的矢地区の墓地だった。

黄土色をした校庭が確かに目に入ってきた。

すると墓地は、あのあたり。

さすがに父、祖父、曽祖父らが眠っている墓石までは確認できなかったが、墓地全体は察しがついた。

だから、この席から父たちに向かって祈りを捧げた。

思いもかけず、墓参りすることができた。

旧盆に帰省することができなかったことを、詫びることができた。

渡鹿野島、三ヶ所地区、的矢湾大橋、自分が通っていた小学校の学区が見え、すぐに過ぎ去った。

そして飛行機は、そのまま五ヶ所湾から紀伊半島上空へと進んでいった。

 

こんなことって、あるんだな。

この飛行機には、2度も驚かされた。

 

 

 

今回の空路は、このようだった。

 

 

 

翌日の鹿児島からの復路も同じ経路のはずだったのだが、鹿児島市街を出発するときからすでに雨が降っており、離陸して上空から下界を眺めても雲に覆われ、羽田へ着陸する直前まで何も見ることはできなかった。

 

 

 

 

それからしばらくして、こんなことがあった。

最寄駅から自宅まで自転車で帰っているのだが、その途中、いくつかの交差点を横断しなければならない。

その交差点には、信号がある。

その交差点の手前はやや昇り坂になっており、また、横切る車道に沿った歩道には植え込みがあるため、自分の進行方向からすると交差点の間際にまで行かなければ横切って疾走する車の姿が見えない。

それはたとえ夜だとしても、植え込みによってヘッドライトが遮断されてしまうため状況は変わらない。

 

いつものように、帰宅の夜道で自転車のペダルを漕ぐ。

その交差点は、横切っている道路のほうが幹線道路で自分の進む道は脇道だから、自分の進行方向が青信号となっている時間は圧倒的に短い。

ちょうどそのとき、自分の進行方向の信号はわずかな青信号の時間だった。

もちろん、幹線道路の信号は赤である。

直前が昇り坂となっていることもあって、ペダルに勢いをつけ回転数をあげる。

そしてスピードを出せば、あっけなく幹線道路を横断できる。

青信号ならば、かならずそうしている。

だが、そのとき、頭の中をふっとよぎったのは、

   (このまま青信号に突っ込んでいけば、死んでしまうかも)

という感覚だった。

だから、その感覚になんとなく従ったままスピードを上げることをせず交差点の直前にやってきた瞬間、一台の乗用車が眼の前を滑走していった。

完全な信号無視だった。

いつもどおりにスピードを加速して交差点に進入していれば、まちがいなくはねられてことだろう。

 

 

 

自分は勘がよいほうではない、ましてや霊感を察知したこともない。

そんな自分に突然、降ってきた第六感のような感覚。

それは第六感というよりも、先日の空路からの墓参り、それによって父をはじめとする先祖が守ってくれた、そう考えることが自分には合っているような気がする。

そうにちがいない。
そう思うほうが、先祖への供養に叶うのではなかろうか。