◆世田谷コンサート
4月22日(日)東京・世田谷区民会館
開場17:00/開演18:00
この日のNegiccoコンサート。
このコンサートの位置づけが、自分にはわからなかった。
今年の7月で、結成15周年を迎えるNegicco。
それを祝うべく7月21日には、「Negicco結成15周年記念ワンマンライブ“love my 15years at 朱鷺メッセ”」の予約が開始されており、その前にはNegicco結成15周年へのカウントダウンツアー「Negicco with you」の開催が名古屋・京都・大阪・新潟で決定している。
だから今日のコンサートを、その前祝いとして “15周年記念” と銘打ってもいっこうに差し支えないにもかかわらず、そうしていないことが解せなかった。
また、なぜあえて “ライヴ” ではなく、 “コンサート” と名づけているのか、合点がいかなかった。
そして、世田谷区民会館という、ここで行うことが公表されたときにさっそくアクセス方法を確認したところが、これが便利とはいえない、というかむしろ不便だといえる場所にあり、新潟から遠征するファンの方々も毎回少なからず参加しているのを十二分に承知している運営が、なんでまた、この会場をセレクトしたのか、いっこうに納得いかなかった。
そんなこんなのモヤモヤしたものを内包して、現場に到着したのだった。
そもそも、会館の建物だけがどっかりと唐突に住宅地で周囲とは違和感を持って出現しているのだろうと思っていた。
しかしそこは、予想とはまったく異質なエリアだった。
区民会館が区役所の建物の一部であるということにまず予想が覆り、また区役所と区民会館の建物群が余裕をもった敷地内にゆったりとたたずんでいて、それらを年季の入った、しかし、手入れのゆきとどいた樹木によって陰影が与えられていて、それによってこのエリア全体が作り出している雰囲気が、きわめて落ち着いてたものとなっており、この時点で、今日のコンサートがあえてライヴとは名づけていない意味の末端がほんの少しだけ顔を見せているように感じられた。
世田谷区民会館に入館しロビーに立ってみると、昨今のコンサート会場とは異なった様相となっていて、ネギヲタな同士が立ち話をしていてもそれがこのロビーになじんでいるのは、おそらくはこのロビーに包容力が潜んでいるからであり、またこのロビーの雰囲気を的確に察知しそれに合致させてしまう素質をネギヲタな方々が持っているからだと思われる。
2階へと続く階段も独特なもので、つい足を踏み出してそれを一段づつ歩んでゆきたくなったのだが、残念ながら自分の座席は1階だったために遠慮し、座席にもっとも近いであろう扉をくぐりホール内に進んでみると、眼の前のステージには緋色をしたビロードの幕が後方にゆったりとたわんで配置され、その手間には8つの譜面台、下手にはピアノが配置され、これらはまさにコンサートと呼ぶべきもので、長谷泰宏さんのアレンジによるストリングスをバックに行われることは承知していたのだが、Negiccoの本気度をここにいたってようやくに自分は知ることとなった。
そして、この日の座席である下手(かえぽサイド)、前から5列目に着席し開演を待った。
【セットリスト】
01. ネガティヴ・ガールズ!
02. RELISH
03. パーティーについて。
04. サンシャイン日本海
05. カリプソ娘に花束を
06. 江南宵唄
07. 土曜の夜は
08. Falling Stars
09. 矛盾、はじめました。
10. スマホに写らない
11. グッデイ・ユア・ライフ
12. ともだちがいない!
13. ライフ・イズ・キャンディ・トラベル
14. さよならMusic
15. 本日がスペシャル!
16. ねぇバーディア
<アンコール>
17. 愛は光
18. 圧倒的なスタイル
19. トリプル!WONDERLAND
それは突然、眼の前にやってきた。
本編のラスト 『ねぇバーディア』 が終了し、しばらくすると下手からぽんちゃとNao☆ちゃんの2人がステージに登場し、ピアノの手間で立ち止まった。
一人足りない、もちろん、かえぽである。
かえぽはどうしたのだろう、と思っていると、照明に浮かんできたのは、ピアノの前にある椅子に座っているかえぽのシルエットで、それが鮮明となり、まちがいなく本人であることを会場のすべての方々が認識すると同時に、これからはじまることへの期待感のこもったどよめきがホール内に響き渡った。
(以下の画像は、ナタリーさんからの借用)
動きはじめるかえぽ、その右手の指が稼動しピアノの鍵盤をたたき、それによって音色が生じ出す。
自分の座席位置からは、ピアノとかえぽを見上げる格好となるため、かえぽの左手や鍵盤上を行き来するかえぽの指先を見ることはできないのだが、それでも右手と右足の動きは十分に視野に入っている。
そして、ぽんちゃとNao☆ちゃんの歌声が、かえぽの伴奏に合わせて聞こえ出す。
かえぽによるピアノ伴奏を伴った 『愛は光』、この曲はいまのNegiccoの代名詞となった楽曲で、これまでいくつかのヴァージョンで披露されてきたが、この日のこれはまさにスペシャルで、「世田谷コンサート」と名づけられた所以の極みがここにあったことをようやくに知った。
かえぽの紡ぎ出してゆくピアノの一音一音を、けっして聞き逃してはなるまいと意識した。
同時に、どうかシクじらないでくれ、という保護者のように懸命な、手を握り祈るような感覚も生じていた。
ときには、ぽんちゃとNao☆ちゃんが、かえぽを見守るシーンも見られた。
新衣装を身に纏った3人は、ステージ上で輝いていた。
無事に終わった瞬間、場内じゅうからは割れんばかりの拍手が沸き起こり、ホールじゅうに鳴り響いた。
自分はそのとき、立ち上がって 「ブラヴォー」 と叫びたかった。
拍手だけでは、このピアノ演奏への感謝を表現するのに、物足りなかったから。
拍手だけでは、この日に備えたかえぽの努力への賞賛を伝えるのに、不十分だと感じたから。
拍手だけでは、かえぽのピアノ演奏を伴ったこの楽曲を披露してくれた3人への感動を込めるには、欠如があると思ったから。
でも、遠慮した。
それでよかったと思う。
「世田谷コンサート」、と名づけられた、この日のコンサート。
まさにその名にふさわしいものだった。
そして、かえぽのこれからの努力を要するにせよ、かえぽのピアノ演奏をバックにしたNegiccoの姿は、
これから先、末永く続くであろう3人の活動、その幅広さと多彩さをぼくらの前に展開してくれたということで、15周年の記念日を迎えつつある今だからこその、3人と運営からの決意の一端を垣間見たように思えた。
また、どうやら運営代表である熊倉氏はこの日は新潟にいたようで、これほどの規模のイベントにもかかわらず現場をスタッフに一任していたことも、今後の運営体制の何かに含みを持たせていることなのかもしれなかった。
後日、世田谷区民会館の設計者は、前川國男氏であることを知った。
前川氏は4歳まで新潟市の学校町で過ごし、フランスに渡って建築界の世界的巨匠であるル・コルビュジエの弟子となり、帰国後には数々の名建築を設計、その中には新潟市美術館も含まれている。
そんな前川氏が設計した世田谷区民会館をコンサート会場に選んだのは偶然だったのか、あるいは日程的なものだったのか、そこらあたりはもちろんつまびらかではないけれど、やはり偶然ではなく必然だったと思いたい。
世田谷区からは、隣接する庁舎を解体し新庁舎建設が公表されているけれど、幸いにも世田谷区民会館は歴史的建築物として保存する方針が決定されたことを公にしている。
だから、十年ほどのちに、さらに成長して大人となったNegiccoの3人による 「世田谷コンサート」 の再演が、いまからとても待ち望まれてならない。