レポにはなってない、Negicco「love my 15years at 朱鷺メッセ」 | 計画をねりねり・・・・・・。

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思いつくままにオッサンが、Negicco、WHY@DOLL(ほわどる)を筆頭とする音楽、そして映画や読書のことなどをゴチャゴチャと。

 

 

 

 

この日、開演前に無事、自分の指定席に座ることができた。

あとは、これから展開されてゆくステージとその音楽に身をゆだねていればいい。

 

2018年7月21日 18:00~

Negiccoデビュー15周年記念ライブ 「love my 15years at 朱鷺メッセ」

 

 

 

朱鷺メッセのホールBに入場し指定席に歩みつつ場内の雰囲気を肌で探ってみても、15周年という節目的な祝祭感や高揚感、そして観客からの緊張感もあまり感じられず、それは意外といえば意外だった。

定刻どおりに、Negiccoの出囃子「Make Up Prelude」が流れ出す。

とたんに、ああ、Negiccoのライブに自分はやってきたのだ、という感覚が体内中を満たしてゆく。

さて、第1曲目には何を配置してくるのだろうか?

それが、この日における自分のもっとも関心のあることだった。

なぜなら、終盤からアンコールにかけては、そのあたりの曲の選択はおおよその予想がついていたから。

それは自分だけでなく、何度かNegiccoのライブに参戦している方なら、同様だったはず。

 

 

 

さて、その第1曲目は、イントロがほとんどなく、すぐに歌い始めるこの曲だった。

 

 

 

ライブのスタートにどの楽曲を持ってくるのか、運営や演出者、出演者は毎回、悩まれていることとかとお察しする。

ましてや、15周年記念というきわめて重要なライブ、その第1曲目に何を配置するのか、Negiccoの持ち歌もずいぶん多くなったのでそれこそ大いに悩んで関係者間でさまざまなアイデアや意見が飛び交ったのではないかと思う。

その中で選んできたのは、『ネガティヴ・ガールズ』 だった。

プロデューサーのconnieさんが作詞・作曲、編曲に吉田哲人さん、そこにメンバーも作詞に加わって制作されたこの曲は、ファーストアルバムで名盤な『Melody Palette』に収録されているわけだけど、その頃のメンバーの心象が反映されているのはあきらか。

 

  「ネガティヴ・ガールズ! まだ今は
  ネガティヴ・ガールズ! うん 弱いけど
  あきらめないで We're Never Give Up Girls!」

 

当時そんな風な思いを抱いていたメンバーがいま、

「お蔭様であきらめないで今日までやってきて、いま、こんなに大きく成長しました。そして、その姿を皆様にこれから披露してまいります。観てやってくださいませ」 

という運営と関係者、そしてメンバーそれらすべての方々からのメッセージが、この曲をここに置いたことによって込められているのをヒシヒシと感じた。

もうこれだけで、ここに足を運んできてよかった、とつくづく思った。

同時に、この楽曲をあえてこのライブの上置きにしてしまうのがNegiccoの唯一無二である所以だな、とも感じられた。

明るく元気でいつもポジティブ、それがすべてのアイドルのセールスポイントであるし、それを体現するための楽曲を次から次へと制作し披露してゆくのがすべてのアイドルの方針。

でも、Negiccoはちがう。

そもそも普通のアイドルとその運営の思考回路なら、マイナス・イメージにしかならない“ネガティヴ” というキーワードを使うことはないだろう。

Negiccoの場合は、自分たちがネガティヴな考え方の持ち主であることを公言してはばからない。

それは数あるインタヴュー記事内におけるメンバーからの発言の、あちらこちらに残されていること。

そして、『ネガティヴ・ガールズ』 というタイトルの楽曲までも作ってしまうのだから、恐れ入ってしまうしかない。

ちなみにYouTubeで“ネガティヴ”というキーワードで検索してみると、上位4つは“ネガティヴ”という思考についての解説的、またはスピリチュアルな動画、5番目に上の動画とはまた別の『ネガティヴ・ガールズ』の動画が登場する。

彼女たち3人は、心の底から自分たちが“ネガティヴ・ガールズ”だと思っている。

 

 

ネガティヴ、見方をかえれば謙虚と言える。

謙虚、言い方をかえれば控えめと言うことができる。

Negiccoの3人は、謙虚で控えめ。

そんな3人の人柄を思っていると、今日の昼間に歩いた新潟市という土地柄を思い出していた。

 

 

 

上越新幹線Maxとき 305号は、大清水トンネルで車両点検を行ったために新潟駅へ4分遅れの10時ちょうどに到着すると、すぐさま万代シティに向かった。

もちろん目的は、バスセンターのカレーライスだった。

1ヶ月ほど前に民放の番組でここのカレーが大きく取り上げられ、その直後からそのカレーを求める長蛇の列ができているということを耳に入れていたのだが、さすがに土曜日のこの時間ならばそんなことはないだろうと思っていたのだが、その予想どおりに待ち客は一人もおらず、かつて訪れたときのままの雰囲気だった。

そして、Negiccoメンバーぽんちゃの紹介記事も、その掲示位置は変わったものの、そのまま貼ってあった。

 

 

なんと控えめなことなのか。

民放テレビで放映されたのなら、幟とかポップとか案内表示とか、少しはアピールしてもよいのではないかと、こちらが思ってしまうほど。

むしろ、初めて訪れ方には不案内すぎるのでは、と感じてしまう。

このお店の、美味で手頃価格なカレーライスを日常に食べることができるのをうらやましく思ってしまうのだが、新潟市民は当たり前のことと思っているのかもしれない。

 

 

まったく偶然に、ここで友人と出会った、もちろん彼もネギヲタである。

その彼と2人して、バスに新潟交通のバスに乗車した。

目的は、「Negicco結成15周年記念ワンマンライブ“love my 15years at 朱鷺メッセ”便乗NegiccoファンによるプレDJパーティー」、これへの参加だった。

会場のある古町までさして距離のあるわけではなかったが、歩くには暑すぎる。

そのためバスで行ったのだが、経路的には当然、萬代橋を渡る。

そして、思う。

 

市街地のど真ん中を一級河川の、そしてわが国最長である信濃川が流れている、その景観のすばらしさを。

大きな河川がながれていれば、必然的に大きな空がその周囲には存在することとなり、川の流れと空の広さが見る者にどれだけの開放感とやすらぎをもたらしてくれることか。

他所からやってくるとつくづく、この景観をうらやましく思ってしまうのだが、新潟市民は当たり前のことと思っているのかもしれない。

 

また思う、このいま渡っている萬代橋のたたずまいのすばらしさを。

そして、この橋は国の重要文化財。

そんな歴史的にも貴重なものを日常生活で使えることをうらやましく思ってしまうのだが、新潟市民は当たり前のことと思っているのかもしれない。

 

 

たいへんに楽しかったプレDJパーティーをあとにして、2人で関屋浜に向かった。

古町からふたたび新潟交通のバスに乗車し10分ほど、松波町3丁目で下車し5分弱ほど歩いて防砂林を抜ける。

そこには夏の日本海が広がっていた。

 

 

県庁所在地の市街地よりわずか15分で、こんなすばらしい海水浴場に恵まれているとは。

しかも、最盛期の土曜日昼過ぎにもかかわらず混雑しておらず、実に適度な人出にうらやましく思ってしまうのだが、新潟市民は当たり前のことと思っているのかもしれない。

 

 

立ち並ぶ海の家、その中からいかにも生ビールが旨そうな「KIRIN 関屋浜 海の家」を選択して入店。

待つこともなく、好みの座席に座る。

これがあっさりとできることですら、それだけでもうらやましく思ってしまうのだが、新潟市民は当たり前のことと思っているのかもしれない。

 

 

この場所には違和感しか生み出さないいでたちである自分のビジネス姿に関心を抱いたのか、あるいは単に暇を持て余していただけなのか、おそらくはその両方かと思われるが、とにかく若くてかわいい女性従業員さんが、突然に自分たちへ話しかけてくる。

怪しい風体なおじさんに気軽に話しかけてくれるなんて、それだけでもうらやましく思ってしまうのだが、新潟市民は当たり前のことと思っているのかもしれない。

 

 

「お仕事ですかぁ~?」と問われた自分は、おっとり刀でスーツ上着の内懐に潜ませていたネギライトを取り出して彼女の目の前に示し出す。

それを振りながら、「今日の夜、朱鷺メッセでNegiccoの15周年記念ライブがあるのでそれのために東京から来ました」とお答えしたところ、「えっ!?、わざわざ東京からですか?」と驚かれてしまう。

Negiccoが身近な存在だなんて、それだけでもうらやましく思ってしまうのだが、新潟市民は当たり前のことと思っているのかもしれない。

 

 

 

わずか数時間だけ市内のごく限られた場所を訪れただけなのだか、それぞれのすばらしさを痛感してしまった。

でも、そのすばらしいさをどこまで理解し、それぞれの存在の稀有なことを新潟に住んでいる方々はどこまで把握していらっしゃるのか、いささか疑問に思ってしまったのは正直なところ。

そしてそれは、新潟の方々の謙虚さ、控えめなことに由来するのかもしれない。

昨秋、豊栄にある祖父母の墓参りで五泉市の咲花温泉に実母と宿泊した際も仲居さんが言ってたっけ、

「こんな何もないところにわざわざお越しいただいて」って。

いえいえ、それはちがいます。

まったく新潟という土地は、どこまで謙虚で控えめなのかしらん。

だから、Negiccoの3人の謙虚さ、控えめさは、当たり前なことだけれど、新潟という土地柄に育まれたに相違なく、いまもその謙虚さ、控えめさが失われていないのは、現在も新潟に生活基盤があるからこそなわけだと思う。

もしも、数年前に東京へその基盤を移していたら、はたしてどうなっていたか、それは誰にもわからない。

でも、彼女たちも運営もその選択をしなかったからこそ、今日のこの日を迎えることができたというのは、そう的外れな話ではないはず。

 

 

その彼女たちが、いま自分たちの目の前で歌っている。

持ち歌が次々と披露されていく。

過去のものからも、最新アルバムのものからも、今昔を出し入れするセットリストが心地よい。

開演前に観客からの高揚感や緊張感があまり感じられなかったのは開演してからも同様で、それはステージ上の3人も同様で、15周年ライブなのだからという妙な気負いが3人からは感じられず、と言ってグダグダになるわけでもなく、あたたかさとやさしさ、それが育む多幸感がホール全体をつねに包んでいるのだった。

それは新潟という土地でこのライブを行ったがゆえかもしれず、運営の売上を考慮すれば15周年なのだから当然ながら東京で開催したほうが集客面で倍くらいを見込めたであろうところをあえてそうはしないという、やはり運営自体も謙虚で控えめなことによるのかもしれない。

 

 

ネガティヴな3人が、いくつものつらいことを乗り越え、そのつどに少しづつ成長していまの姿を見せてくれている。

自分の知っているのは15年間のうち最近の5年だけだけれど、この5年の間でも節穴だらけな自分の目から観ても確実に成長している。

ヴォーカルしかり、ダンスしかり、MCしかり、ヴィジュアルしかり。

自分からこんな言葉を書くなんて、おこがましいこと甚だしいことなので躊躇してしまうことではあるのだが、でもそれは事実。

さて、翻って自分を見てみるとどうだろう。

身体能力面では、誠に遺憾なことではあるが成長はあり得ず、むしろ退化していることが如実である。

内面的にはどうかというと、こればかりは自分ではなんとも言い難いが、この5年で硬軟いろいろなことを通り過ぎてきたわけだから、少しは成長したと思いたい。

Negiccoは幸いにも、これからも末永く活動を続けてくれそうだから、今後も引き続き3人の成長を見届けることができる。

ということはつまり、自分のこれからもNegiccoとともに歩んでゆくことによって、成長していくのではなかろうか、というおぼろな期待が持てる。

 

Negiccoの30周年記念ライブがどこで行われるのかもちろんわからないのだが、それまで共に生きつづけていれば、自分も3人と一緒に精神的には成長した人間として、その日を迎えることができるのではなかろうかという希望が持てる。

その希望を持っていれば、それが叶えられるのではと思わせてくれるのが、Negicco。

 

 

だからNegiccoに出会うことができて、本当によかった。

それもあらためて確認できた、新潟朱鷺メッセの15周年ライブだった。