↑のつづき。

さて、神山町。

古代、この一帯は湖だった。
上一宮大粟神社の辺りは
小島が浮いているように見えた。

大粟山天辺丸は神聖な場所。

まさに神領。

『阿波国』の国名は、
の栽培が始まったとされる
粟島(現在の善入寺島)に
阿波忌部の祖天日鷲命とその妹君
大宜都比売(オオゲツヒメ)(阿波姫)
居住、または祀られていたことに由来する。
神山町の伝承では、
大宜都比売が八柱の随神を連れて
この地に現れてを広めたとも伝わる。



神山風土記によると↓


引用↓
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大粟山はかつて
神領湖に浮かぶ島のような形で、
濃密な樫や楠の森に覆われていたと
想像されます。

左右内(鍋岩)や
神領(じんりょう)大埜地(おのじ)で、
縄文後期の石棒や磨製石器が発見されており
そこに渡来人がやって来たと考えられます。

これらの渡来人は、
黒潮に乗り四国の南海岸に辿り着き、
原始の森を探り、大粟の地に
インド原産の粟種をはじめとする
多様な作物と焼畑技術を持ち込みました。

彼らは稲作文明の前の民で
の食文化を広め最終的に神領湖周辺、
現在の神山町神領大粟山に定住しました。
大粟山の環境は肥大な土壌と
水に恵まれており、
の栽培に適していたと思われます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

五穀を生んだ阿波の女神

大宜都比売が登場する

古事記の記述にもリンクする。


阿波国(粟ノ国)の由来は、

もしかしたらこの神山町の

大粟山にあるのかもしれない。


神山町ホームページにもこう記述される↓


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神領地区には日本神話に登場する

唯一の穀類の祖神である大宜都比売命

主祭神とする上一宮大粟神社があることから、

古くから先人たちがこの地に集い、

などの穀類を生産し、

生活が営まれていたと推測されます。


この地は、古来、阿波の語源ともいわれる

粟生の里」と呼ばれ、多くの人が

交流する拠点として栄えてきました。

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そんなの原種がインドから
持ち込まれたとなると
大宜都比売とはまさか…



大宜都比売大月姫であり、
月の神格を持つとも云われる。

粟の穂三日月に似ている。


『月のウサギ』の由来は
インドの説教仏話「ジャータカ神話」の
物語からである。

また、
サンスクリット語では
豊穣の象徴ともいわれるウサギを
『シャシャ』と呼び、
そして、
『シャシ』とは月を表す言葉なのだそうな。


大宜都比売の御子神とも云われる
『若室神(葦稲葉神)』は
大国主と出会う
イナバのシロウサギに関連し、

インド』の国名は
サンスクリット語の
 indu (月)に由来するとされる。




さてさて、
前置きが長くなってしまったが
上一宮大粟神社を後にして、
大宜都比売に深く関わる神社へと向かう。

大宜都比売直属の大粟八神が
祀られる神社↓

⛩️腰宮 葛倉神社
⛩️須佐宮 八坂神社
⛩️刻宮 津々姫神社(妹神❓️)
⛩️斎宮 倭姫神社
⛩️星宮 妙見神社
⛩️開宮 皇道神社
⛩️治宮 皇子神社
⛩️穂宮 葦稲葉神社(御子神❓️)

八神を束ねる神…
だから倉比売なのである。


さらに、
八神を超越する別宮と呼べるお宮
⛩️阿閇宮 上角八幡神社
 祭神 彦火火出見神(山幸彦)

※神山町神領には、天女伝説のみならず
浦島伝承』まである。
山幸彦と豊玉姫の物語が
浦島太郎の元話なのだ。

丹後国の伝承がまるっと収まっている。


そんな中、ワタシが向かったのは
神山町神領大埜地(おのじ)

縄文後期の石棒や磨製石器が
見つかっている場所。


その神社は、
神山中学校のすぐ隣にあった。
雪がまた降ってきた。



鳥居の扁額は『腰之宮神社』。


上一宮大粟神社 別格摂社
『腰宮 葛倉(くずくら)神社』

鎮座地 徳島県名西郡神山町神領大埜地
創建 不詳
祭神 葛倉神 八重事代主神

元エビスとも云われ、
日本最古のえびす神社の一社。


一宮大粟神社の正統なる摂社であり、
別格摂社である。



腰宮は、八神のうちの一柱、
葛倉神が治める宮です。
神話では姫さまが腰かけた場所だから
腰宮とも伝わりますが、
同時に姫さまの夫と伝わる
事代主神の鎮まる場所でもあります。

事代主神とは、
大粟神社の神話からたどれば、
粟の皇子です。

そして、
大粟姫と結ばれる可能性がある皇子は、
やはり浦島さましかおりません。


上角八幡神社(阿閇(あへ)神)の御祭神は、
山幸彦であり浦島さま

今でも、大粟神社の例大祭は、
大粟さんの旦那さまを
八幡さんへ迎えに行くと氏子伝承は伝えます。

大粟さんとは大粟姫
山幸彦さまの后神は、豊玉姫神です。
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これは腰が抜けるほどの衝撃です。

つまり、
山幸彦=事代主=浦島

大粟姫=大宜都比売=豊玉姫神

つまり、
天石門別豊玉比売
鎮座する式内社『天石門別豊玉比売神社』。

その元地は東西の竜王山だった。


上一宮大粟神社の境内にも
『天石門別豊玉比売神社』が在り、
豊玉姫の名を冠する延喜式内社は
阿波徳島にしか存在しない。

そんな超重要神社は
山から徐々にその祭祀を下ろしてきた。



また、
葛倉神社の『』はカツラとも読み、
『桂(かつら)』
勝占(かつら)
勝浦(かつうら)』にも通ずる。

勝占勝浦は、
大国主事代主が治めた長国(伊津毛)である。

粟島である善入寺島や、
大宜都比売の配偶神である
八重事代主神の式内社等
関連しそうな史跡を
地図上で示すと、こんな感じ↓

上一宮大粟神社腰之宮 葛倉神社
勝浦郡上勝町八重地(八重事代主)
蛭子神社(勝浦郡勝浦町和食)
腰宮神社(徳島県阿南市加茂)
⑤式内社 事代主神社(生夷神社)
⑥式内社 勝占神社
⑦東・西竜王山(天石門別豊玉比売神社 元地)
⑧式内社 天石門別八倉比売神社
粟島(善入寺島)






横から社殿。



六つの小さな祠。

傘地蔵のようだ。



阿波特有の五角形『地神塚』も
もちろんあります。




こじんまりとした境内だが、
その重要性は、ただごとではない。



狛犬さんも雪服を纏う。




上一宮大粟神社の祭祀を代々務める
阿部家』。

阿部宮司のご先祖様は
始祖『阿閇御祖神(あへのみおやのかみ)』。


三重県伊賀市一之宮に鎮座する
伊賀国一宮『國(あえくに)神社』。

主祭神の大彦命(おおひこ)
第8代孝元天皇第一皇子であり、
『日本書紀』によると、
四道将軍の1人として北陸道へ派遣された。

大彦命は、
伊賀国阿拝(あえ)郡を本拠地とした
アベ氏(敢・阿閉・阿部・安部)の祖神。


第8代孝元天皇の后の一人
伊香色謎命は阿波にしか祀られていない↓
その系図に繋がる人物が、
阿波徳島にルーツを持つことは
明白なのではなかろうか。

つまり、『アベ』の祖神は
この神山で大宜都比売を迎え入れ、

食事の世話を任された

阿閇御祖神なのである。



それが大物主または事代主であり、

大物主と同一とも云われる

大国主大神は元祖浦島太郎

山幸彦』だった。



古事記に記載される順番は

必ずしも時系列ではない。


古事記のページを開くだけではなく

閉じたときに重なる物語がある。



山幸彦大国主には共通点がある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
どちらも
兄弟にいじめられて、
外国(竜宮/根の堅洲国)に行き、
姫(豊玉姫/須勢理毘売)を娶り、
王(大綿津見/素戔嗚尊)に認められ
宝を受け継ぐ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

その逸話はソックリであり、
あえて異なる箇所をあげるなら、
大綿津見は『二つの宝珠』を、
素戔嗚尊は『』を授けるところ。



そして、
対となる兄弟神であり、
二つの宝珠によりこらしめられ、
山幸彦の軍門に下った
海幸彦』は誰かというと…


天村雲命なのである↓
阿波忌部の祖天日鷲命
大国主と同一神。

※天日鷲の子である大麻比古は
猿田彦と同一であり、
猿田彦は事代主だからである。


そして、

阿波國続風土記では、
天村雲命天日鷲命の兄弟とされる。


木の国の大屋毘古神の別名は
五十猛神」であり「射楯(イタテ)の神」。
阿多君の祖』であり、
天村雲命は、
阿多の小橋の』。

そして、海幸山幸の母神は
阿多都比売なのである。


おそらく、
天村雲命海幸彦は同一神。


天村雲の子であり、
神武天皇を導いた珍彦(ウズヒコ)もまた、
海幸の系譜を受け継ぐ海人族である。
保久良神社




さらに一説によると、

阿多都比売(コノハナサクヤヒメ)の

三柱の御子神には、


天火明命』が名を連ねている。




丹後一宮の海部氏の祖神と同名。


やはり、丹後と神山は繋がっている。



そう。



阿部(アベ)とは


海部(アマベ)である。



素戔嗚尊は大国主に

』を授けた。


そこに隠された意味とは…




天村雲は三種の神器のひとつ

アメノムラクモ(刀)に通じ、


大国主である天日鷲

の神である。



ならばはというと、



事代主ですよね❗


って話がしたかったのです(笑)




すぐ側を流れる鮎喰川には
冬至の太陽が反射していた。






極寒の中、朝から飛ばしていたので
道の駅神山町でしばし休憩。





アジの姿寿司にスダチ。

旨かったなぁ。


この後、神山町のさらなる深淵へ。


宇佐の元宮へとレッツゴー。


つづく。


ではまた❗






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