↑のつづき。


さて、
鍛冶集団の聖地
多家良町を後にしてバスで10分、
「勝占支所・ガラススタジオ」で下車。

徒歩で徳島市勝占町を歩く。


向こうに見える形の良い山。

あそこが今回の目的である。




勝浦川水系『多々羅(たたら)川』を渡る。


多々羅川沿いを西に行くと
徳島市渋野町の『渋野丸山古墳』がある。

徳島県最大、四国でも二番目に大きい
前方後円墳なのだそうな。


徳島県ホームページによると↓
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徳島に人々が住み始めたのは、
約2万年前頃からだと考えられています。
約1万年前、氷河期が終わり
暖かくなるとともに縄文時代が始まります。
狩りや漁、採集を生業としていました。
米づくりが本格的に始まった弥生時代には、
青銅器鉄器といった金属器
使用も始まりました。

徳島は銅鐸の多い地域で、
全国で発見されている銅鐸の約1割、
50個近くが発見されています。

稲作が発達するとムラの有力者の中から
地域の首長が生まれ、
その埋葬のために古墳が
つくられるようになりました。

県内最大の前方後円墳は徳島市の
渋野丸山古墳です。
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前回記事の鍛冶の聖地とも
大いに関連してくる。


向こうに見える形の良い山は『中山』。



中山の麓には社号標。

『式内 勝占神社』と彫られている。


鳥居。


阿形の狛犬。

吽の狛犬。

その表情は誇らしげ。


参道はちょっとしたハイキングコース。


小さな祠が点在していた。

どなたが祀られているのだろうか。


さらに登っていく。




最後の石段。

こんにちは「息切れ」。



社殿が見えてきた。



拝殿。

延喜式内社
勝占(かつら)神社

鎮座地 徳島県徳島市勝占町中山
創建 不詳
別称 杉尾大明神
祭神 大己貴命
配神 事代主命・須勢理姫命・少彦名命
   玉櫛姫命・大山祇命


配神の面々には、
葦原中(ナカ)津国の王
『大己貴命(大国主)』の
子(事代主)、
后(須勢理姫命)、
相方(少彦名命)、
事代主(大物主)の后(玉櫛姫命)など
興味深い。

式内 勝占神社の説明書き↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
当社は勝占町中山の中腹
海抜65mの高所に鎮座する古い社で
今を去る千余年前(西歴927年)の
延喜式神明帳にも載っている
阿波国五十社の一つ。

古代この附近一帯は海であって
出雲系海人の豪族が支配し
その大祖神の大己貴命(大国主命)を
海に突き出た中山の東端、
展望のよい景勝地の当地に祀った。

これが勝占神社の発祥であると思われる。

爾来中山をとりまく
篠原郷篠原庄の氏神となり、
古くは領主たる京都仁和寺より
神田七町五反の寄進、
源平時代には平家の重鎮田口一族の
尊信をあつめるかたわら、
小松島に上陸した源義経
屋島にむかう途次ここに参拝し
勝を占める」縁起を説いて
士気を鼓舞したとの伝説、
あるいは蒙古来襲の国難に当っては
当国代官司の必勝祈願、
降って戦国末期には
阿波国守護細川持隆の社殿建立、
江戸時代には蜂須賀家政ら三代の
社参についで治昭の堂宇建立、
等々国守級の人々からも
篤い信仰が続き今日に至っている。

なお、本殿北の脇社であった
金比羅祠は藩初家政に懇請せられて
城府鎮護のため二軒屋の勢見に
遷宮せられたことは広く人の
知るところである。

祭神の大己貴命は古来、
農林漁業の神、勝負の神、医術の神
として崇められている。
秋の例祭は10月10日
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二軒屋の勢見に遷宮された『金比羅祠』は
2023年2月に参拝した
金刀比羅神社のことだろう↓
時間差で繋がるのがとても楽しい。


古代、この一帯は海に囲まれていた。

出雲系海人の豪族が支配し
その大祖神の大己貴命(大国主命)を
海に突き出た中山の東端、
展望のよい景勝地の当地に祀った。

徳島は『粟国』と『長国』に分かれており、
この地は『長(ナガ)国』の支配下だった。

地名の『中山』は、
本来は『長山』であり
ナガ国の山(ナカヤマ)
という説は信憑性がある。

この勝占神社には
出雲系海人の祖『大己貴命』や
その御子神『事代主』など
出雲系の神が祀られており、
『長国(葦原津国)(伊津毛)』の
本拠地だったことが予想される。


さらに、勝浦郡の式内社8座を見ると↓
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勝占神社(大己貴命)の他、
事代主神社(生夷神社)※エビスの生まれた地
山方比古神社(金山神社・立岩神社)
宇母理比古神社(鵜鷲守神(ウガヤフキアエズ))
阿佐多知比古神社(朝立彦神社(豐玉毘古命))
速雨神社(豊玉比女神)
御県神社(御縣神社(大己貴命・事代主命))
建嶋女祖命神社
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
現在の皇室に繋がる
出雲系の神と海神系の神が
名を連ねている。

また、徳島最大の前方後円墳である
渋野町の渋野丸山古墳の真南、
徒歩圏内に鎮座する『佐野神社』には
初代天皇『神武天皇(幼名 佐野尊)』が
祀られている。


そして、


海人族と言えば、古代阿曇族



『卍』の社紋が見える。


横から本殿。

修繕中なのだろうか。


本殿の左側には、
『金比羅宮』

二軒屋の勢見に遷宮された後も
境内社として残されていた。





阿波古代史の重鎮
絶大な説得力とともに書いてある通り↓


勝占神社は元々『事代主命』の一柱のみが
祭祀されていた。


さらに、
阿波古代史のバイブル
書籍『道は阿波より始まる』より引用↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「古事記」でも例の少ない
実名の上に神をつけた比売命、
神矢楯比売命(と大国主)の間に
事代主命が生まれます。

蜂須賀入国記 生比奈村沼江の件りで、
当地「ゑびす」生れし所と明記したが如く
沼江の長柱(ナゴシロ)生れ、
生れし時より「ゑびす」と呼ばれ、
ゑびす」の地、ひなぶりの地から
生比奈の村名を太古より名乗るほど、
全国津々浦々まで「ゑびす大明神」として
祀られる海人族の大王です。

元来、長柱大人(ナゴシロノウシ)から転じ
事代主命、上流の八重地をその上につけ、
八重事代主命とも称します。

殯宮 勝占大明神より勝占比古命とも
称される生まれつきの知恵者で、
国神ども総てこの命に従い、
大国主命も大事なことは
事代主命に相談せねばならないほどの
海人族の大王。

この事代主命が、
山分の天蚕より釣糸を使用する
てぐす」を開発しました。
無論絹糸を紡ぐ過程より
発見したのでしょうが、
これより急速に一本釣漁業が
阿波国に発展し、近世に至るまで
わが国漁業の指導を阿波人が行い、
九州地方まで漁業をもつようになったのです。
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事代主は『勝占大明神』と称されていた。

つまり、この
勝占神社』の元の祭神は
ゑびす大明神である
海人族の大王、長柱大人
八重事代主命』だった。



境内社が三社並んでいる。
『袋振宮』
『秋葉神社』
『地神社』

袋振宮とは、初めて聞く社名だ。






もはや確信に近いことがある。


○『勝占(カツラ)』と『葛城(カツラギ』。

○別称の『杉尾大明神』の『スキ(杉)』の字、

○土佐一宮と土佐二宮の関係性、

○味鋤高彦根神の后天御梶日女命

○八重事代主命の后大宜都比賣神

天津羽羽神=天御梶日女命=大宜都比賣神

○妹の下照姫が歌った
味鋤高彦根神(アジスキタカヒコネ)
正体を明かす「振(ひなぶり)の歌」、

○勝浦郡の式内社
事代主神社(生神社)。

○大国主の長男

迦毛大御神(カモノオオミカミ)


それらのキーワードを集めれば
おのずと気づいてしまうのである。



事代主神 亦名 味鉏高彦根神

だということに。


『勝占(カツラ)』と『桂(カツラ)』の
関連性についても少し触れておこう。


桂(カツラ)の由来

桂(カツラ)の由来は、葉の香りに由来し、
落葉した葉は甘い香りを発することから、
香りが出ることを意味する
「香出(かづ)る」が転訛した言葉。



高知市の
よさこい節の歌詞に登場するように
の名所』。


勝浦郡の地名の由来

『徳島県史』にある
勝浦郡の地名の由来の中で、
の木は海人の信仰する聖樹であり、
賀茂の祭や松尾神社にかかわる桂も、
海神系だと記されている。


安曇氏

海人族安曇氏もまた、
桂の木を聖樹としていた。



葵祭(あおいまつり)

上賀茂神社・下鴨神社の葵祭では、
斎王と従者一行は、
桂(カツラ)や葵の葉を身に付けて行列を成す。

「葵祭り」に用いられる
(あおいかつら)とは、
葵の葉との枝葉を絡ませて作られる。

賀茂別雷神社(上賀茂神社)
祭神 賀茂別雷大神
『賀茂之本地』では味鉏高彦根神
同一視されているが、その御子神の可能性有

賀茂御祖神社(下鴨神社)
祭神 
賀茂建角身命 (三嶋溝杭命 大国主命 天日鷲命)
玉依姫命 (三島溝樴姫 玉櫛姫命)



古代中国の伝説では
に生えている。


湯津桂(ゆつかつら)
『湯津桂』とは、
彦火火出見尊(ヒコホホデミ・山幸彦)が
海神(ワタツミ)の宮に行って
豊玉姫と出会ったときに
井戸のそばにあった樹である。

豊葦原国は海神の国であり、
海神達が聖なる樹と崇めたのが
の樹だった。

山城風土記逸文
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
月読尊が天照大神の命令を受けて、
豊葦原の中国に天降り、
保食の神のところにやってきた。
その時に、一つの湯津桂の樹があった。
月読尊はその木に寄り添いながら立った。
その木のあるところを、
今に桂の里と名付ける。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
※日本書紀でも同様に月読保食の神に会いに来るが、
古事記では、スサノオとオオゲツヒメになっている。
オオゲツヒメ阿波の女神です。



このように、
』『海人族』『カツラ』『皇室』の
キーワードは深く繋がっている。


そして、

『勝占(勝浦)』地名の由来は
海人族が信仰する聖樹
『桂(カツラ)』だった❗


カツラの木だから
『カツラギ(葛城)』だったのである。


この後、賀茂別雷大神の話を
書きたいところだが、
それはまた後日にしましょう。
カモの元宮の記事でね(=゚ω゚=)




恒例の「狛犬の見る風景」。


中山、多々羅川とおさらば。

勝占町は、
とっても素晴らしいところでした。

真冬なのに、人や自然の暖かみを感じる町。


さてさて、
そろそろ徳島市街に帰ろうかと
思ったが、バスが全然来ない時間帯。

とりあえず歩いてみる。


二級河川『勝浦川』。

勝浦川や、一級河川の鮎喰川の水源地は
上勝町内の最高峰『雲早山』。

全国でも有数の豪雨地帯であり、
雲早山山頂には雨乞いの神である
雲早神社が鎮座している。





途方もない徒歩…


と、思ったら通りがかりにバス亭があった。

あと1時間待てばバスが来る。

しかし、沖縄に住むワタシは
寒すぎてじっとしていられなかった。。


そんな中、近くに見つけたのだ。

またしても『延喜式内社』の神社を。


つづく。


ではまた❗




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