↑のつづき。


さて、

『瓢箪(ひょうたん)』の次に

気になっていたのは

『葛籠(つづら)』である。




※最後にクイズがあります。





葛籠(つづら)とは


ツヅラフジのツルで編んだ

蓋つきの籠のこと。


後に、

を使って編んだ四角い箱を

葛籠と呼ぶようになった。




○ツヅラフジ


ツヅラフジは漢字で書くと「葛藤」。

ツルがもつれ合う様から、

感情がもつれることを

葛藤(かっとう)」と呼ぶようになった。



○つづら折り(九十九折)


幾重にも曲がりくねった坂道のこと。


「つづら折り」の語源は諸説あり。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

葛籠の元々の原料である

ツヅラフジの蔓(ツル)が

複雑に曲がりくねっていることから

そう名付けられたとも云われている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~


どうやら、

「つづら」とは一般的に

「クネクネと入り乱れている」時に

用いられる言葉となっているらしい。




○かずら橋


「つづら」は「九十九(つづら)」。


9+9=18


18=18(イヤ)



徳島県三好市にある日本三奇橋のひとつ

「祖谷(イヤ)のかずら橋」。


いつか、渡ってみたい。




○九頭龍


「葛」は「クズ」と読めることから、

個人的に『葛籠』は「葛籠(くずりゅう)」で

「九頭龍(くずりゅう)」

関係があるのかなぁ…と思っていた。




○国栖(クズ)


国巣、国住などの

「くにす」と同じ意味であり、

「国を住む家とする者」

「国津神を祀る人々」を指す。



『常陸国風土記』では、

国巣は「つちくも」「やつかはぎ」のこと。


朝廷に逆らう者たちだった。


また、

『古事記』神武天皇の段では、

国神イワオシワクノコ

「吉野国巣之祖」と呼んだ。


『日本書紀』では、

応神天皇が吉野宮へ行幸したときに

国樔人が来朝し、醴酒を献じて

歌を歌ったと伝える。


人となりは淳朴で、

山の菓やカエルを食べた。

交通不便のため古俗を残し、

大和朝廷から珍しがられた。

その後、

国樔人は栗・年魚(アユ)等の産物を

御贄(みにえ)に貢進した。


ちなみに、

料理などにトロミをつけることで有名な

本くず粉の『吉野葛』は、

大和國吉野国栖(くず)という

地名に由来する。




○葛籠の「葛」


「葛」は「カツラ」と読めることから、

「桂(かつら)」

「桂浜(かつらはま)」

「桂川(かつらがわ)」

「勝浦(かつうら)」

「勝占(かつら)」

「葛城(かつらぎ)」


と葛籠が紐付かないかなぁ…

と思っていた。


 



○『カツラ』の地名


沢山あるので、興味深いものを

中心に挙げておこう。



○桂浜

高知県高知市の太平洋に臨む海岸。

土佐民謡よさこい節でも詠われる。


坂本馬の銅像がある。


桂浜は、一般的には

頭岬(上龍頭岬)と

王岬(下龍頭岬)の間に延びる

本浜のことを指す。


龍王岬には王宮が鎮座している。




○勝占町


徳島県徳島市勝占町に鎮座する

式内社『勝占(かつら)神社』。

祭神 大己貴命(大国主命)

配祀 事代主命 須勢理姫命 

   少名彦命 玉櫛姫命 大山祇命


いわゆるイヅモ系の神を祀る。


古代、この一帯は海であり、

イヅモ系海人族が支配していた。


創建年代不詳。

※勝占神社


ちなみに、勝占神社から
勝浦川沿いに11kmほど南下すると
夷(エビス)の生まれた地と云われる
勝浦町『生夷神社』にたどり着く。

延喜式内社「阿波國勝浦事代主神社」
に比定されている。

エビスとはつまり、大国主の御子神
『事代主神』である。


阿波の勝浦は
「ビッグひな祭り」で有名。




○勝浦市

千葉県勝浦市に鎮座する
『遠見岬神社』の祭神は、
『天冨命(アメノトミノミコト)』。
別名『由布津主命』、

祖父は『天日鷲命』で
父は『大麻比古命(津咋耳命)』。

神紋は『の葉紋』。


つまり、
阿波から黒潮に乗って房総半島へと
やってきた開拓神『阿波忌部』である。

また、
この勝浦市でも
「勝浦ビッグひな祭り」が
おこなわれる。
※遠見岬神社



○葛木山

『山城国風土記逸文』によると、
加茂建角身神は大和国の葛木山の峰から、
山城国の加茂に移ったという記述がある。

葛木山とは、
金剛山と葛城山の総称である。

金剛山は修験道の開祖『役小角』が
修行した山として知られている。

また、
金剛山には『葛木神社』が鎮座しており、
『葛城主大神』を祀る。

○葛城川

奈良県西部を流れる一級河川。
流域の自治体は、
奈良県の
御所市葛城市、大和高田市、橿原市など。


○葛城一言主(カツラギヒトコトヌシ)

奈良県御所市に鎮座する式内社
葛城主神社』。

祭神『葛城之一主大神』

事代主命やアジスキタカヒコネら
カモの祖神と同一神とされる説がある。


※土佐国一之宮には、
アジスキタカヒコネと一主が祀られている。


○剣山と葛籠堂

『葛籠堂』
美馬郡つるぎ町一宇葛籠 

八紘一宇(はっこういちう)
意味は「全世界を一つの家にすること」。

『八』+『一』=『

『一』と『八』=『イヤ』


そして、剣山山頂の住所は
徳島県三好市東祖谷(イヤ)


祖谷地方の伝承歌↓

里きて里行って里戻る。


三つの宝を運んでいた
『恵比寿』と『大黒』。

恵比寿=事代主
大黒=大国主

三つの宝は祖谷地方から運ばれた。

移動したのだ。


剣山は別名『太郎(たろうぎゅう)』。

『岌(きゅう)』とは、
修験者が大切なモノを入れて背負う
竹製の箱である。


葛籠と同じように。。





つまり、剣山には
「大切なモノが入れてあった」
から『太郎』と呼ばれたのである。


岌(きゅう)』=『九(きゅう)』



○天磐戸神社

剣山へと向かう山中に鎮座。

住所は徳島県美馬郡つるぎ町一宇法正

○阿波国式内社
『天石門八倉比売神社』
『天石門豊玉比売神社』
※元は王山の山頂に鎮座していた。


○土佐国式内社
『天石門安国玉主天神社』

四国の「アマノイワトワケ」は
剣山の『イワト』から別れた神社だと
解釈できるのではなかろうか。

ちなみに、
土佐国式内社には
『葛木男神社』
『葛木咩神社』
と「カツラギ」を冠する神社も在る。

※天石門別八倉比売神社



○戸隠神社

祭神 天手力雄命
長野県の戸隠山に鎮座。

伝承では、
この地の地主神である頭龍大神が、
天手力雄命を迎え入れたとされている。


御神体である戸隠山の名称は、
天照大神が籠っていた天の岩戸を
天手力雄命が投げ飛ばしたとき、
その一部が飛んできて山になったという
伝説が由来だと云われている。
※そんなことは無理なので、
一族が元々居た場所から移住してきた
解釈するのが自然である。


天手力雄命の別名は
『天石門別神(イワトワケ)』。

阿波忌部の祖神『天日鷲命』の父神である。

前述した「吉野国巣之祖」

イワオシワクノコ

『石門別(イワトワケ)の子』

なのでなかろうか。

※土佐国風土記では『天石帆別命(イワホワケ)』

※紀伊国式内社『朝椋神社』は『大国主』だが『天石帆別命』説有り


※土佐国二宮 朝倉神社



つまり、石門別(イワトワケ)の子とは

阿波忌部の祖神

天日鷲命(大国主=金鵄八咫烏)のことである。



○九十九(つづら)

九十九は「百から一を引いた数」。

「百」から「一」を引くと
『白』になる。

この原理が、日本の国神の中で
暗号化されている。

『天日鷲』=『大国主』=『金鵄八咫烏』。

『鳥』から「一」を引くと
『烏(カラス)』になる。

そして、
『鳥』に「九」を足すと
鳩(ハト)になる。

📗旧約聖書
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ノアの方舟伝説より

ノアは47日目に陸地を探すために
まずカラスを放ったが、
まだ水が乾く前であったため
カラスはすぐに戻ってきた。
次にハトを放ったところ、
オリーブの葉をくわえて戻り、
これによりノアは
水が引き始めたことを知った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ヶ島

住所は徳島県海部郡海陽町宍喰浦竹ケ島。
島内に鎮座する『竹ヶ島神社』。
祭神
国常立神
大黒主神
事代主神

創建不詳。

竹ヶ島神社の神輿の上には
金の鶏』が飾られている。

竹ヶ島の周辺には、小さな島がいくつもあり
その中の二子島には、
金の鶏が飛来したという伝承がある。

また、周辺にも金の鶏をご神体として
祀る神社があるのだそうな。


以下、竹ヶ島公式サイトより引用

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

徳島界隈には、古くから金の鶏が訪れた、

もしくは秘められた、という

言い伝えがある場所が複数あります。

穴吹にある石尾神社は、

ご神体が巨石そのものであり、

金の鶏の伝承が古くからある神社の一例です。


実は、竹ヶ島の周辺にも、
金の鶏に纏わる言い伝えが残されています。
竹ヶ島の南側には、海上にかすかに浮かぶ
程度の小さな島があります。
なかでも二子島は本当に小さく、
一番長い辺でも直径が10メートルあるか
ないかというような小さな島です。
今日、二子島は漁業組合が管理していますが
古代、この島が重要な位置づけにありました。 

竹ヶ島に隣接する四国の対岸でも、
徳島県側の南、
高知県東洋町側の熊野神社では
小戸ろくごとに金の鶏がご神体として
祀られているのです。
紀伊那智の熊野権現として
光明を放つ金の鶏が、
何とこの二子島に飛来した、というのです。
よって、古くからその金の鶏をご神体として
竹ヶ島のすぐそば、東洋町甲浦の高台に
建立された熊野神社では祀っています。
面白いことに、伝承によると、
この熊野神社には鳥居がなく、
その理由は幾度となく鳥居を建てても
すぐに倒れてしまうから、とのことです。
鳥居は魔除けのシンボルでもありますが、
そんな必要がないほど、
権現の御神体そのものが
到来したということなのでしょうか。
以来、熊野神社は鳥居のない神社として、
今日にいたっています。
大事なことは、
竹ヶ島から100mの距離もない
標高数メートルしかない
小さな二子島に金の鶏が飛来した
という伝説です。
火のない所に煙は立たず。

それから何世紀、いや、
一千年以上もの年月を経た今日、
竹ヶ島では例年、神輿が担がれています。
そして5月、祭りの日になると
「あばれ神輿」とも呼ばれる神輿が
若者の肩に担がれ、
竹ヶ島神社から勢いよく階段をくだり、
東岸の海にまで神輿は運ばれ、
そこから海中神輿が行われるのです。
無論、神輿の一番上には
金の鶏が置かれています。
なぜ神輿が海中までかつがれるのでしょうか。
なぜ竹ヶ島の目先にある小さな岩場、
二子島には金の鶏が飛来した伝承が
あるのでしょうか?
なぜ、その金の鶏のようなオブジェが、
竹ヶ島海中神輿で担がれる神輿の上に
置かれているのでしょうか。

もしかすると、
本当に金の鶏が竹ヶ島そばに
訪れたのかもしれません。
それを機に、熊野神社が建立され、
竹ヶ島では太陽が昇る東側の海岸に
磐座が定められ、
聖なる数字は3であることから、
そこで3列の巨石からなる磐座が
丁寧に造られたのではないでしょうか。
そして島が清められるために、
島の中心では土が盛られ、
そこで祭祀活動が執り行われたと
想定するには
果たして無理があるでしょうか。
島の中心を守るために、
竹林が人工で行われ、
そこに竹が生い茂るようになったのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
引用終わり。

※Google Map


「聖なる数字『』」。

ちなみに、

旧約聖書に出てくる数字は、
基本的に『角数』なのである。



二子』と『金の鶏』。

竹ヶ島の祭神は
大黒主神(大黒の神)と
事代主神(エビスの神)。


例えば、


この神輿の上に乗る『二子の金鶏』が、
元々は『天使』だったのだとしたら…



皆さん、

ケルビム』って知ってますか❓️






以上を踏まえて、
先ほどの祖谷地方の『みたからのうた』を
もう一度ご覧頂こう。


つの宝(神器)。



さて、どんな『』に
入ってたんでしたっけねえ…




🍙おむすびころりん


最後に、有名な昔話

『おむすびころりん』のお話を。


おむすびころりんは、

室町時代の御伽草子

「鼠浄土」が原話とされている。


おむすびころりん(抜粋)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

働き者のおじいさんは、

おばあさんが作ってくれた

昼飯のおむすびを

木の根元の穴に落としてしまう。


追いかけたおじいさんも穴へと落ちた。


穴の中には沢山の白いネズミが居て

おむすびのお礼にと、

大きいつづらと小さいつづらを差し出し、

おじいさんに選ばせた。


欲の無いおじいさんは、

小さいつづらを選んだ。


持ち帰ったつづらを開けてみると、

たくさんの財宝が出てきたのだった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


ポイントは、3つ。


「きっかけはおむすび」

「つづらの中には宝が入っている」

「それを渡したのは『ネズミ』」。



おむすびは『角』


日本の元神『造化神』は、

天之御中主神(アメノミナカヌシ)

高御産巣日神(タカミムスビ)

神産巣日神(カムムスビ)



そして、この場合の「ネズミ」とは、

根住』または、『根棲』。


根の国の住人』を表す。


「根」の響きから

「地下世界」や「黄泉の国」を

連想してしまうが、


実は、

」とは『ルーツ』を意味するのだ。



そして実は…


「おむすびころりん」の元になったのは、




大国主が根の国を訪問した時

の話なんですよ皆さん❗




さてさて、ここでクイズです。



では、

『葛籠(つづら)』であり、

『竹を編んだ箱』には

何が入っていたのでしょうか。


そして、

『葛籠(つづら)』とは、

なんだったのでしょうか。


太郎岌(剣山)に

恐らく一時的に保管されていたのは、

なんだったのでしょうか。



その答えは、ワタシからは言えません。



わかった方は手を挙げて下さい(笑)




つづく。



ではまた❗






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