さて、
出張の合間の神社巡りは徳島編に突入。
その前に一度、
阿波国の延喜式内社を復習してみましょう。
○延喜式内社
延長5年(927年)に編纂された
律令の施行細則をまとめた法典『延喜式』。
その九~十巻は、
朝廷から官社として認識されていた
神社一覧表『延喜式神名帳』と呼ばれる。
延喜式神名帳に記載のある神社が
『延喜式内社(式内社)』なのである。
つまり、平安時代にはすでに存在し、
朝廷から認められた神社である証拠が
『延喜式内社』なのだ。
ちなみに、
延喜式内社は全国に2861社あり、
そこに鎮座する神の数は3132座である。
式内社は、
以下の4つに分類されている。
官幣大社 198社 304座
国幣大社 155社 188座
官幣小社 375社 433座
国幣小社 2133社 2207座
また、社格のひとつである『名神大社』は
日本の律令制下において、
名神祭の対象となる神々を祀る神社であり、
その全てが官幣大社、または国幣大社に
列している。
○神社の呼び方
現在では当たり前のように
『神社(じんじゃ)』と呼んでいるが、
本来は『神社(カミノヤシロ)』である。
神社名のつけ方にも様々あるが、
例えば、「諏訪神社」なら
「諏訪の神の社(ヤシロ)」であり、
「事代主神社」なら
「事代主神の社」である。
「地名」+「神」+「社」や
「神名」+「社」が基本的な組み合わせである。
また、
「大和坐大国魂神社」など
社名に『坐(います)』が入る場合は、
勧請などにより
「元々祀っていた場所から
移動してここに来ています」
という意味なのだそうな。
つまり、その神の元宮が別の場所に
鎮座しているということである。
そして、
式内社の社名が「神名」+「社」の場合が
最も重要であり、
祀られる神の元宮を意味するのでは
なかろうか。
○阿波国の式内社
阿波国の式内社は計46社で
鎮座する神は計50座。
よくよくその一覧を見てみると、
社名が「神名」+「社」のパターンが
とても多いように感じる。
Wikipediaを参照に、
阿波式内社の一覧を実際に見てみよう。
※「神名」+「社」の組み合わせは太字。
男神は青、女神は赤。
○板野郡4座
⛩️大麻比古神社
⛩️鹿江比賣神社
⛩️宇志比古神社
⛩️岡上神社
○阿波郡二座
⛩️建布都神社
⛩️事代主神社
○美馬郡12座
⛩️鴨神社
⛩️田寸神社
⛩️横田神社
⛩️伊射奈美神社
⛩️建神社
⛩️天椅立神社
⛩️天都賀佐毘古神社
⛩️八十子神社
⛩️弥都波能売神社
⛩️波尓移麻比弥神社
⛩️倭大国玉神 大国敷神社 二座
○麻植郡8座
⛩️忌部神社
⛩️天村雲神 伊自波夜比売神社 二座
⛩️伊加加志神社
⛩️天水沼間比古神 天水塞比売神社 二座
⛩️秘羽目神 足浜目門比売神社 二座
○名方郡9座
⛩️天石門別八倉比売神社
⛩️天石門別豊玉比売神社
⛩️和多都美豊玉比売神社
⛩️麻能等比古神社
⛩️大御和神社
⛩️天佐自能和氣神社
⛩️御間都比古神社
⛩️多祁御奈刀祢神社
⛩️意富門麻比売神社
○勝浦郡8座
⛩️勝占神社
⛩️事代主神社
⛩️山方比古神社
⛩️宇母理比古神社
⛩️阿佐多知比古神社
⛩️速雨神社
⛩️御県神社
⛩️建嶋女祖命神社
○那賀郡7座
⛩️和耶神社
⛩️宇奈為神社
⛩️和奈佐意富曽神社
⛩️室比賣神社
⛩️建比売神社
⛩️八桙神社
⛩️賀志波比売神社
また、延喜式神名帳には記載は無いが
編纂当時には存在した神社である
『式外社』はコチラ↓
⛩️葦稲葉神社
⛩️白鳥神社
⛩️伊比良咩神社
⛩️船尽比咩神神社
⛩️埴生女屋神社
あくまでワタシのわかる範囲だが、
社名に「神名」+「社」のパターンが
おそらく平均的に他府県より多く、
さらに、
社名には『坐(います)』の字が
全く入っていない。
なにより、
記紀神話に登場する
イザナミ、ミヅハノメ、ハニヤマヒメ
イカガシコメ、事代主、豊玉姫などの
神名を冠した式内社がこれほどまでに
多い地域。
それが阿波国なのである。
とくに、『イザナミ』を祀る式内社が
全国でも阿波徳島にのみ存在する事実を
ワタシ達はもう少し早く知るべきだった
のかもしれない。
ちなみに、
式内社の『伊弉諾神宮』は淡路国一宮。
「淡路」は「阿波への道」を
意味するという説もある。
○天孫の謎
さてさて、
阿波のみならず
様々な式内社を調べている内に、
あることに気づいた。
天孫降臨や、
后であるコノハナサクヤ姫との物語が有名な
『瓊瓊杵尊(ニニギ)』。
アマテラスの孫で、神武天皇の曾祖父。
圧倒的な存在感を放つ神様のはずだが…
式内社の一覧において、
あまりに存在感が無い気がした。
もっと言えば、
神名を冠した
『瓊瓊杵尊神社』が在ってもおかしくない。
もっと主祭神として祀られる神社が
多くてもよいはずだ。
ニニギを祀る式内社というと…
しいていうならば、
延喜式内社の論社である
『霧島神宮』や『霧島岑神社』だろうか。
※霧島岑神社は、
夷守(ヒナモリ)神社とも称されている。
また、
霧島神宮のホームページでは↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本で最も古い書物である
古事記および日本書紀に
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が
筑紫日向の高千穂の久土流多気に天降ります
日向の襲の高千穂に天降ります
と記されている霊峰が
霧島神宮の背後に天聳立つ高千穂峰です
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
と説明されている。
また、霧島市のホームページでは↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
天孫降臨神話の主人公である
ニニギノミコトを主祭神とし、
創建は6世紀といわれます。
霧島の山々の噴火による
焼失と再建を繰り返し、
現在の社殿は1715年に
薩摩藩主島津吉貴の寄進により
建立されました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
つまり、
創建は6世紀だと説明があった。
※霧島岑神社もまた、6世紀だと云われる。
ニニギを主祭神とする式内社だが、
創建不詳や、紀元前とかではないようだ。
そして、
播磨国風土記には、
ニニギの后神であるはずの
コノハナサクヤ姫について、
興味深い記述がある↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
雲箇(うるか)の里。
伊和大神の妻の許乃波奈佐久夜比売命は
その容姿が端麗であった。
だから、宇留加といった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
つまり、
伊和大神(大国主)の妻が
許乃波奈佐久夜比売命❗
(コノハナサクヤヒメ)
と、いうことである。
仮に、播磨国風土記が真実ならば、
ニニギとは一体何者なのか。。
アマテラスの孫であり、
天神の子と言われるニニギ。
実は、
ニニギと似た逸話を持つ者がいる。
○カラクニ
まずは、古事記の文面から。
古事記↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「天降坐于竺紫日向之高千穗之
久士布流多氣」
「此地者、向韓國、眞來通笠紗之御前而、
朝日之直刺國、夕日之日照國也。
故、此地甚吉地」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ニニギは
高千穂の久土流多気(クジフルタケ)に
天孫降臨した。
そして、「向韓國」。
これは、「韓國へ向かう」と書かれ、
「故郷は韓國」の意味だとする説がある。
韓國(カラクニ)とは、
古代日本から見た朝鮮半島の呼び名。
○韓国岳(からくにだけ)
標高1700mの霧島山系最高峰の山。
名称の由来は、
山頂からは韓国(朝鮮半島)まで
見渡すことができるほど高い山
だとする説があるが、
実際には山頂からは
朝鮮半島を見ることはできない。
○夷守岳(ひなもりだけ)
標高1344m。
霧島山の北東部に位置する火山。
生駒富士と呼ばれることもある。
1729~1873年までの間、
山の中腹の筑地に、
霧島岑神社(式内社論社)が鎮座していた。
○古代朝鮮半島の王
西暦1世紀頃~。
官加羅国の始祖であり、
古代朝鮮半島の王
『首露王(しゅろおう)。
別名 悩窒朱日
大伽耶の始祖 伊珍阿豉王
父 天神 夷毗訶之
母 正見母主(伽耶山の神)
后 許黄玉(阿踰陀(アユダ)国の王女)
※阿踰陀国には諸説。
中国や日本などの諸説あるが、
インドのアヨーディヤーが有力。
父親の名前が気になるところ。
そして、
首露王の出生神話には、
驚くべき内容が書かれている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
首露王は、
天から亀旨峰(クジの岳)に降臨した
金の卵から生まれたという伝説により
金姓を名乗る。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
まとめると、
首露王とニニギには、
共通点が多くあるのだ。
○ニニギ
天神の子。
クジフルタケに降臨。
降臨したと言われる霧島山には、
韓国岳と夷守岳。
○首露王
クジの岳に降臨。
古代朝鮮(韓国)の王で
父は、天神 夷毗訶之。
結論。
『瓊瓊杵尊(ニニギ)』とは、
大国主や首露王など、
複数の人物が習合した姿であり、
ニニギの逸話は、
記紀神話に差し込まれた物語である❗
(かもしれない)。
そうなってくると、
日向三代と言われる神様は
いったいどうなるのか。。
それはまた、別の話。
最後にオマケ。
首露王の后である
許黄玉の故郷アユダ国。
アユダ国は、
インドのアヨーディヤーと言われている。
アヨーディヤーとは、
「難攻不落の都城」を意味する。
アヨーディヤーは、
叙事詩『ラーマーヤナ』の主人公
ラーマ王子の故郷としても知られる。
この町を中心とした地域はかつて、
アヨーディヤーの名をとって
「アワド」と呼ばれたんですよ皆さん❗
つづく。
ではまた❗
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