↑のつづき。

さて、
朝倉神社での参拝後、高知市街で仕事。

歩いている途中、
思わず立ち止まってしまった。


『河田小竜 生誕地』❗

河田小竜は、
坂本竜馬に当時の世界の情勢を語った人物。

竜馬の先生である。

偶然、こんな重要な場所にたどり着いた。

高知市は素晴らしいところですよ皆さん。




そして、仕事を終えてバスで15分。



『土佐神社』にやってきた。



拝殿。

土佐国一ノ宮 延喜式大社 都佐坐神社
『土佐神社』

鎮座地 高知県高知市一宮しなね
創建 第21代雄略天皇4年(釈日本紀)
別名 高賀茂大明神 志那禰(しなね)様
祭神 
味鋤高彦根神(アジスキタカヒコネ)
一言主神(ヒトコトヌシ)









拝殿の中まで入れるようだ。

奥には幣殿が見える。


ご祈祷などは
ここでおこなわれるのだろうか。


土佐神社の造りはとても興味深い。

「入り蜻蛉形式」という珍しい形式で、
拝殿・幣殿・本殿が十字に配置されており、
トンボが飛び込む姿に見立てている。


横から本殿。


境内の案内図。

さすがの一ノ宮。

敷地はおよそ1万坪もあるのだそうな。

とても広い。



『鼓楼』

2代藩主山内忠義公が寄進した
国の重要文化財。



『絵馬殿』

この中に入れる。


現在、楼門が修復工事中のため、
門を守護する随身像を
ここに遷してあるようだ。

向かって右から、
『櫛磐窓神』『豊磐窓神』。

間近で拝むことが出来た。



興味深い絵が沢山。



『しなね祭り』の様子だろうか。

土佐神社の別名は『志奈禰様(しなねさま)』。

毎年8月24.25日におこなわれる
高知市の夏祭り『志那袮祭』は、
土佐三大祭りのひとつである。

昔から、
「しなね様が終われば夏が終わる」とされた。

「しなね」の由来には諸説あり、
新稲がつづまったという説や、
台風の吹き荒ぶことから
風の神『級長津彦神(シナツヒコ)』に
由来するという説もあるが、定かではない。

祭のクライマックスでは、
漁船3隻に神輿を乗せ
供船として漁船20を従え
大漁旗をなびかせて
海上を船渡御が行われる。




『厳島神社』

祭神 市寸嶋姫命
   多紀理比賣命
   多岐都比賣命

ご存知、宗像三女神である。

厳島神社の鎮座する池は『放生池』。



『輪抜け祓所』

樹齢800年以上の御神木だった
大きな切り株が奉斎されている。

茅の輪くぐりは知っていたが、
御神木の輪をくぐるのは
珍しいのではなかろうか。

元は御神木だった切り株を
大切にしている土佐神社とその氏子さま。

大好きです。



礫石(つぶて石)』

土左大神が鎮座地を定めるときに
投げた石と伝えられている。

この地は蛇紋石の地層で成り立つが、
この礫石は珪石であり、
性質が大きく異なるため、
学術的にも特殊な資料とされている。


伝承では、
土佐に流されて浦ノ内湾に漂着した
一言主命を奉斎したのが鳴無神社で、
ここから祀り変える地を選ぶため
一言主命が投げて落ちた大石が
土佐神社境内の礫石だと云われる。


高知県須崎市観光協会のHPによると、
須崎市浦ノ内に鎮座する
鳴無(おとなし)神社』は
土佐神社の元宮と云われており、
海から入るように作られた参道や
海に向かって建つ社殿は
「土佐の宮島」と呼ばれる。


そして、『しなね祭り』は、
この鳴無神社でおこなわれるのである。


ちなみに、鳴無神社の祭神は
一言主命』。

社伝によると、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
葛城山に居た一言主命と
雄略天皇との間に争いがあり、
一言主命は船出して逃れた。
雄略天皇4年の大晦日に
この地に流れ着き、
神社を造営したことが始まりとされる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

また、
釈日本紀にも類似した記述がある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
雄略天皇が大和葛城山にて
狩りをしている最中、
天皇は一言主神と出会ったが、
その不遜な言動により
一言主神を土佐に流した。
流された一言主神は、
土佐において初め「賀茂之地」に祀られ、
のちに
土佐高賀茂大社(土佐神社)」に遷祀された。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

賀茂之地」については諸説あり、
須崎市や黒潮町の賀茂神社や、
鳴無神社などとされるが定かではない。

雄略天皇は第21代であり、
一言主との年代差に疑問が残るが、
一言主本人ではなく、
『葛城一言主』の一族との邂逅があり、
後に土佐でカモ一族と合流したとも
考えられるのではなかろうか。


いずれにせよ、
船に神輿を乗せる「しなね祭り」は、
祭神が「海からやってきた」
または、
「この地から出港した」ことを意味する。


しなね様」の由来とも云われる
シナツヒコ』は
奈良県の『竜田大社』で祀られ、
その真南には「葛城市」があり、
その隣の御所市には
葛城一言主神社』や
高鴨神社』が鎮座している。


土佐神社の東には
式内社『葛木男神社』が鎮座しており、
祭神の『葛木男大神』は
大和葛城地方(奈良県御所市一帯)の
豪族の葛城氏の祖神である
葛城 襲津彦』のことである。
※武内宿禰の子


また
八咫烏とも云われる
『味鋤高彦根神』を祀る土佐神社と
奈良県の高市郡『八咫烏神社』や
『高市御縣坐鴨事代主神社』から見るに、

『高知(こうち)』と『高市』に
深い繋がりを感じざるをえない。

※坂本竜馬と同郷の土佐藩郷士に
武市(たけち)半平太という人物もいましたね



この先には『神明宮』

祭神 天照皇大御神 豊受大御神

「豊受大神」ではなく、
豊受大御神』。

これはとても重要な情報だと思った。

『大御神』は三柱しかいなかったはず。

しかし、四国の古代史を学ぶと、
豊受が大御神なのは納得できるのである。




本殿の奥に広がる
『志那祢(しなね)の森』を散策。


向こうに朱い本殿が見える。



ご神木の『大杉』。

ご神木って素晴らしい。


しなねの森をぐるっと一周してきた。

森を歩ける神社は、素晴らしい。


社殿の左側にも鳥居があり、
奥には『三社殿』がある。

この三社がとても興味深かった。

明らかに土佐神社の祭神と
関係の深い、意味深な祀り方をしている。


三社殿の右奥側が『大国主神社』

祭神 大国主命

土佐神社の祭神である
味鋤高彦根神の父神。


三社殿の左奥側が『事代主神社』

祭神 事代主命

土佐神社の祭神である
味鋤高彦根神の弟神(異母兄弟)。


そして、三社殿の真ん中、
一番重要度が高そうな場所にある
『西御前神社』。

祭神 未詳❗❓️

祭神が未詳なのに、
ご神徳が「家庭円満」というのは
どういうわけであろうか。

本当はわかっているが、
あえて伏せているように感じる。

境内社にも関わらず、
本殿、弊殿、拝殿を揃えた造りになっている。

これは本殿と同格に近いということか。


祭神の正体は、
味鋤高彦根神の后神である
天御梶日女命』説もあるようだが、
それなら神名を伏せる必要性は感じない。

ご神徳が「家庭円満」ということから、
味鋤高彦根神の家族である
可能性は高いと思うのだか…


真ん中にある宮なので『中宮』。

『中宮』とは、
皇后の住居」という意味がある。

時代によっては、
皇后・皇太后・太皇太后の総称や
皇太夫人の別称、
皇后の別称なども当てはまるようだ。

可能性としては、

多紀理比賣命(アジスキタカヒコネの母神)
下照姫命(アジスキタカヒコネの妹神)
天御梶日女命(アジスキタカヒコネの后神)

あるいは、
土佐神社の祭神である
味鋤高彦根神が、
事代主と同一神であった場合、
土佐国二ノ宮の祭神
天津羽羽神(事代主の后神、阿波女、オオゲツヒメ)
の可能性もあるのではなかろうか。



下照姫が歌った
味鋤高彦根神の正体を明かす歌は
夷振(ひなぶり)の歌」。


』は「エビス」とも読むことから、
その正体は『事代主』である
可能性は否定できない。



ちなみに、
事代主の后である
天津羽羽神』の兄は
麻との神『天日鷲』。

ならば、妹神も麻とを司る女神。

そして、

味鋤高彦根神の后もまた、
天御日女命』。

神名に『』が入っているのだ。

仮に、
土佐国二宮の祭神
天津羽羽神』と
土佐国一宮の祭神の后
天御梶日女命』を同神としたのであれば、


その配偶神はおのずと…



そしてそして、
天津羽羽神の父神は『天石門別神』。

別名は『御門(ミカド)の神』

天御梶日女命の読み方は
『アメノミカジヒメ』。

『天津日女命』と同一神と云われ、
その父神は『天背男命』。

つまり、天津星(天香香背男)。

カガセオだったら面白いですね❗

ちなみに、
高知県香美市には『本宮星神社』、
そして『星神社』が二社あり、
なぜか高知県には、
天香香背男(カガセオ)』を
祀る神社が多いことも関係していそうだ。

また、
土佐国の式内社に
『天石門別安国玉主天神社』
が在るように、
天石門別神』と『天背男命』が
同一神であるようにも思えていた。


そんな中、

極めつけが、


コラクさんの記事によると、
『安房国忌部家系図』では
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
天背男命 
亦の名 天石門別命

天津羽々神
亦の名 天御梶比女命
八重事代主神后神
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
と記載されている。

また、
『粟国造粟飯原家系図』では、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
積羽八重言代主神后神
粟国魂大宜都比賣神
亦名 
   天津羽羽神 
   阿波女神
   阿波波神
   天石門別八倉比賣神
   天石門別豊玉姫神 
   天津石門別稚姫命
   稚日女命
   栲幡千々姫命
   天御梶姫命
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
と、はっきり書かれている。


つまり、まとめるとこうなる↓

(父)天手力男命=天背男命=天石門別神

(娘)天津羽羽神=天御梶日女命=大宜都比賣神


と、いうことは、
それぞれの配偶神である
八重事代主命味鋤高彦根神
おのずと同一神ということに
なるのではないだろうか。

(配偶神)八重事代主命=味鋤高彦根神❓️


まだ、決めつけるのは、よしましょう。


もう一息で、
阿波の神社の記事を書くことに
なるのですから。

『禊岩』

かつて禊の斎場であった
境内西方のしなね川に在ったが、
平成11年の河川改修工事によって
やむなく境内に移し祀られている。



ご神木の『大楠』



境内の横を走る道路沿いにも神社があった。

『東天神社』

かつては土佐神社の末社であり、
現在は東一宮の氏神様。

祭神 未詳❗❓️

また、わからない祭神。


さらに上に登ると、また神社。

『瀧宮』

祭神 未詳❗❓️

ご神徳は農業繁栄。

瀧の神様は、どなたでしょう。

なんとなく女神的な雰囲気があった。



境内に戻ってきて『秋葉社』。

祭神は安定の火之迦具土神。

鳥居のすぐ横にある。





長々と書いてしまったが、
とにかく見所が多く、
考察のしがいがある
素晴らしい神社でした。


夕方には長距離バスに乗るため、
高知駅に戻り、
あと一社だけ参拝することにした。


雨が大降りになってきたが
かまうものかぁー。


つづく。

ではまた❗



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