↑のつづき。

さて、奈良県を堪能した翌日は
関西出張最終日。

神戸空港に行く前に、
生まれ故郷の兵庫県宝塚市に寄ってみた。


拠点にしていた大阪から電車に乗って
「売布神社駅」で下車。

『日本第一清荒神霊社』の碑。

この近くの清荒神清澄寺が
宇多天皇より賜った称号なのだそうな。



徒歩5分ほど。

賣布神社の鳥居だ。




参道。

良い雰囲気である。



注連縄柱をくぐり、石段を登る。


拝殿。

式内社『賣布(めふ)神社』

鎮座地 兵庫県宝塚市売布山手町
創建 推古天皇18年(610年)
主祭神 下照姫神(高比売神)
配祀神 天稚彦神(主祭神の配偶神)
旧呼称 貴船大明神


●「賣布(めふ)」とは

この地の旧地名である米谷村の
「米(まい)」が「めふ」の由来。

また、
島根県松江市の賣布神社では、
社名の「賣布」の由来について、
海藻や草木の豊かに生えることを
意味すると説明されている。


しかし、シンプルに解釈すると、
『女布(めふ)』。


下照姫も、どうやら織物の神格を持つ
女神であるらしい。


当地に来た下照姫は、
住民が飢えと寒さで困窮しているのを見て、
を植え、を紡ぎ、布を織ることを教えた。
その後豊かな生活を送ることが出来た里人が
そのご神徳を慕い、美しい下照姫神を祀った
という伝承が残っている。


だが、推古天皇の時代の創建なのであれば、
下照姫がその時代にいたとは考えにくい。

この地に移り住んだ住人達が、
元々いた場所で受け継いだ伝承を
遺したものだと推測できる。

横から本殿。


中世から近世まで貴船大明神と呼ばれており
水神を祀る神社だったことがある。


また、この周辺は物部一族の
『若湯坐連(わかゆえのむらじ)』
が拠点にしていたようで、
本来の祭神は、その始祖
『意富売布連(おおめふのむらじ)』。

またの名を『大売布命(おおめふのみこと)』。

大売布命の父はなんと、
『伊迦賀色許男命(イカガシコオ)』。

伊迦賀色許男命を祀る式内社は、
全国でも阿波徳島の『伊加加志神社』のみ。


つまり、を紡いだ下照姫の伝承を持つ
伊迦賀色許男命の一族(物部)が
この地に移住してきた可能性があるのだ。


『阿波の痕跡』である。



下照姫の父は『大国主』。

出雲風土記に登場しない出雲の王は、
阿波の海岸部
「伊津面(イヅモ)」の王だった。

かつて、徳島南部に存在した
長(ナガ)ノ国の開拓者だったのだ。


ナーガってことですね🐍




徳島の北部『粟ノ国』は粟。
徳島の南部『長ノ国』は稲。

環境により、広まる穀物は異なるのだそうな。



あっちにもなにかある。

右奥の朱い鳥居は稲荷社。



『神武天皇遥拝所』。


境内社
『豊玉神社』。

龍王大神 豊玉毘賣大神と彫られている。

元の呼称である貴船大明神は水神(龍神)。

この社に関係しているのだろうか。



『厳島神社』。

祭神 市杵島比売命



境内の様子。



ここは池だったところだろうか。

綺麗に清掃をされている方がいらした。



宝塚の賣布神社。

興味深い神社だった。



下照姫の神話

下照姫の神話といえば、
配偶神である天若日子との話がある。
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葦原中国平定の命を受け、
高天原から遣わされた『天若日子』。

あわよくば、
葦原中国を自分の物にしようと
大国主に取り入り、その娘である
『高比売命(下照姫)』を娶った
天若日子だったが
高天原からの矢が刺さり亡くなってしまう。

そして、

天若日子の葬式にやってきたのが
『阿遅鉏高日子根神』。

この二柱は、何故か瓜二つだった。

皆は、天若日子が生き返ったと
勘違いして喜んだ。
阿遅鉏高日子根神は、穢わしい死人と
間違えられたことに激怒し、
喪屋を斬り倒し、去って行った。

高比売命(下照姫)は、
阿遅鉏高日子根神の名を明かす歌を詠んだ。

この歌は「振(ひなぶり)」と呼ばれる。
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阿遅鉏高日子根神の名を明かす歌、
つまり、その本当の正体を明かす歌である。

なぜ、
その歌の名が「振(ひなぶり)」なのか。。


その答えは、阿波徳島にあった。




阿遅鉏高日子根神の別名は
迦毛大御神』。

「大御神」と称される神は少ない。


全国のカモ神社の総本社とされる
奈良県御所市の高鴨神社(上鴨社)の
祭神は阿遅鉏高日子根神

一方、同じく奈良県御所市の
鴨都波神社(下鴨社)の祭神は、
下照姫命と、
積羽八重事代主命』(なぜか)。


なぜ、
下照姫のペアが
天若日子でも
阿遅鉏高日子根神でもなく、
事代主なのであろうか。



阿遅鉏高日子根も事代主も
カモ」の名を冠するため、
この二柱の父神『大国主』も「カモ」である。
※この話はまた別の機会に。


そして、阿遅鉏高日子根の名を明かす歌
振(ひなぶり)」。

下照姫が真実の名を知っていたのは、
その「」だったからである。


では、なぜ振(ひなぶり)なのか…


阿波徳島には、
事代主の生まれ故郷の伝承がある。


事代主はエビス大神。

エビスまれた場所。」


徳島県の勝浦町に鎮座する式内社
生夷(いくい)神社』。
祭神はもちろん事代主。


その社名の意味は、
夷(エビス)まれた場所 」❗



振(ひなぶり)」とは、
『夷(エビス)』を暗示していた❗


実は、

阿遅鉏高日子根と事代主(エビス)には、
同一神説があるのですよ皆さん❗





さてさて、次の神社こそ
ワタシの産土神。


宝の塚は奥が深い。


つづく。


ではまた❗




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