↑のつづき。
さて、畝尾坐健土安神社のすぐ近くに
もうひとつ式内社が鎮座していた。
『畝尾都多本神社』である。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20231126/16/noginohi107/3e/06/j/o1080081015369418306.jpg?caw=800)
この地はまだまだ見るべきところがある。
また来たい。
そんな中、
この大和三山のひとつ『耳成(みみなし)山』。
上から見るとほぼ円錐形となっており、
余分なところが無い(耳が無い)ために
『耳無山』とも呼ばれていた。
そして、
天然の山ではなく、
古代に造営された上円下方墳という説がある。
ゼロから形成されたワケではないが、
人工的に山頂の場所が造られたのである。
●大和三山の意味
大和三山それぞれの山頂を結ぶと
きれいな二等辺三角形に成ることは
古代から理解されていたのだそうな。
そして、大和三山の畝傍山の付近には
『忌部山』がある。
さらに、忌部山⇒畝傍山と線を引いていくと、
『三輪山』がある。
つまりこういうことだ↓
美しい二等辺三角形を造り出した。
そして、その先にある『忌部山』。
一体なんの為に❓️
●阿波三山
次に、天香久山の話。
万葉集にあるように、
天香久山である条件は、
山頂からカモメが飛んでいる姿が
確認出来ることである。
奈良県の天香久山からは見えない。
なんなら海も見えない。
~~~~~~~~~~~~~~~~
大和には 群山あれど とりよろふ
天の香具山 登り立ち 国見をすれば
国原は 煙り立ち立つ 海原は
鴎立ち立つ 美し国ぞ 蜻蛉島 大和の国は
~~~~~~~~~~~~~~~~
次に、
『阿波国風土記逸文』を。↓
-アマノモトヤマ-
阿波國ノ風土記ノゴトクハ、
天(ソラ)ヨリ降リ下リタル
山ノ大キナルハ、
阿波國ニ降リ下リタルヲ
アマノモト山ト云、
ソノ山ノ砕ケテ、
大和國ニ降リ着キタルヲ、
アマノカグ山トイフトナン申
-和訳-
阿波国の風土記によれば、
天より降ってきたといわれる大いなる山とは、
阿波の国に降り付いた天の元山であり、
その山のかけらが奈良大和に降り付いたのが
天の香具山であると云い伝えられている。
書籍『道は阿波より始まる』の著者
岩利大閑氏は、大和三山の元山は
全て阿波にあると述べている。
例えば、
『畝傍山(畝火山)』は
「ウネビ山」ではなく、
正しくは「ウネホ山」であり、
「ウネホ」とは、
阿波国内の高所にある『燈台』のこと。
※万葉集に登場するウネホ山は
現在の徳島市多家良町の『中津峰山』。
『香久山(かごやま)』は、
付近に「籠(カゴ)」という地名が
点在する『日の峰』のことで
北の籠に面した峰を
『カゴ山』と呼んでいた。
※現在の小松島市の『日峰山』。
そこに、阿南市の『津乃峰山』を加え
三つの「峰」を
『阿波三山』と呼ぶ。
※三つの山に関しては諸説あり。
この阿波三山を結ぶと…↓
この阿波三山こそが、大和三山の元山。
その可能性は捨てきれないのでは
なかろうか。
そして、先ほどの
三輪山⇒畝傍山⇒忌部山のラインを
伸ばしていくと…
『剣山』までたどり着いてしまう事実。
ちなみに、
奈良の天香久山には『天岩戸神社』がある。
徳島にも『天岩戸』がある。
これを『岩戸ライン』と称して
繋いでみると…
こんなことになってしまうのだ。
こんなワクワクすることを
考えない方が難しいのである。
これでもか、というほど出会う
『阿波の痕跡』。
奈良大和、色々なことを気づかせてくれた
素晴らしいところだった。
これだから、神社巡りはやめられない。
出張の合間を縫って、
自分だけの生地(記事)を作り上げるのだ。
さてさて、翌日は神戸空港から
沖縄に帰る日。
飛行機の時間までは自由。
ワタシの生まれ故郷は
兵庫県宝塚市。
ふと、
『産土神』にご挨拶に行こうと思った。
つづく。
ではまた❗
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