さて、今回は万葉集のお話。


最近、阿波関連の書籍を読みあさっているが、
どの著者も「大切にしている」のは、
残された歴史書に勝手な解釈を入れず、
「素直に読むこと」だと感じた。

※勝手な解釈ばかりの
 ワタシとはえらい違いです🤣


飛鳥時代の天皇である
第34代舒明天皇の和歌はとても興味深い。



大和には 群山あれど とりよろふ 
天の香具山 登り立ち 国見をすれば 
国原は 煙り立ち立つ 海原は 
立ち立つ 美し国ぞ 蜻蛉島 大和の国は


意味は大体こんな感じ↓

~~~~~~~~~~~~~~~~
この大和には山が集まっているが、
とりわけ立派な天の香久山の
てっぺんから領土を見渡すと、
国土には炊煙が立ち込めている。
広い海ではあちこちでカモメが飛んでいる。
豊かで良い国だなぁ、
蜻蛉島すなわち、この大和は。
~~~~~~~~~~~~~~~~

『天の香具山』とは、大和三山のひとつ。
奈良県橿原市の天香久山のこと(だと言われている)


しかし、奈良盆地にある天香久山。
152mほどしかない。


素直に考えると、


盆地にある152mの山の頂上から果たして、
広い海原が見えるのだろうか…

そして、『カモメ』が飛んでいるのが見えたのだろうか…


という当然の疑問に行き当たる。



つまり、万葉集に描かれた情景は、
「大和国(奈良県)」ではなかったということになる。



ところ変わって阿波徳島。

徳島市と小松島市の境に、191mの
『日峰山(ひのみねさん)』がある。

東側は海(紀伊水道)に面しており、
日の出の山だから
『日峰山』なのである。

山頂からは、徳島平野はもちろん、
海原を見渡すことも出来る。

海岸沿いには、
「大神子(おおみこ)」「小神子(こみこ)」などの地名があり、明らかに古代において重要な土地であった。



そして、



現在でも、



カモメ』が飛んでいるのが見える。


さらに、


日峰山の徳島市側は、
籠山(かごやま)』『外籠山(そとかごやま)』と呼ばれており、周辺には「」の地名が残っている。



そう、「カグヤマ」は『カゴヤマ』。


元の『アメノカグヤマ』は、阿波徳島の
日峰山』のことだったのだ。






『阿波国風土記逸文』
-アマノモトヤマ-

阿波國ノ風土記ノゴトクハ、
天(ソラ)ヨリ降リ下リタル
山ノ大キナルハ、
阿波國ニ降リ下リタルヲ
アマノモト山ト云、
ソノ山ノ砕ケテ、
大和國ニ降リ着キタルヲ、
アマノカグ山トイフトナン申

-和訳-
阿波国の風土記によれば、
天より降ってきたといわれる大いなる山とは、
阿波の国に降り付いた天の元山であり、
その山のかけらが奈良大和に降り付いたのが
天の香具山であると云い伝えられている。



つまり、元は阿波であり、
そこから分かれたものが奈良に行ったのです。



阿波風土記はほぼほぼ残されていない。


しかし、全国の風土記の中で、天地開闢から記されていたのは、阿波風土記のみだったのだそうな。


なにが書かれていたのやら…





飛鳥時代、その帝都は本当は何処にあったのか。


知っていても知らんぷり…


言いたくても言えない…



そんな悔しい想いをした方々もいたのかもしれませんね。



さてさて、


平安時代以前の『アメノカグヤマ』が
阿波徳島だったのだとしたら、


色々とややこしくなってきそうである。



例えば、

天岩戸神話では、

アメノコヤネ命とフトダマ命は、
天香久山の真男鹿の肩骨を抜き取り
天香久山の天のハハカの樹皮を取って占った。

アメノウズメは、
天香久山の天の日陰を襷にかけ
天香久山の真折を鬘として
天香久山の笹の葉を束ねて手に持ち
踊った。


この神話も全て、阿波一国で起こった可能性があるたいうこと。



ではアメノウズメはナニを踊った…❓️



阿波踊り(の原型)』でしょうねやはり。




「ウズメ」の神名とは…❓️


ウズの女神。


『髻花(ウズ)』とは、髪や冠にさした飾りのこと。


『渦潮』の「ウズ」にも繋がり、

「鈿女(ウズメ)」とも書くことから、


「鈿(かんざし)」。


「櫛(くし)」に繋がり、
9(く)+4(し)= 13



「鈿」の画数は…



13画』なんですよ皆さん❗




蔓(カズラ)は「蔓(ツル)」とも読む。



籠女籠女(カゴメカゴメ)。



また少し、その謎に近づいたようで遠ざかる。




つづく。


ではまた❗


参考資料↓




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