↑のつづき。

さて、ホケノ山古墳を後にして
さらに大和奈良を歩く。

なんとも素敵な田んぼ道。


ホケノ山古墳の被葬者は崇神天皇の皇女
『豊鍬入姫命』だとされていた。

崇神天皇の時代、
国内情勢が不安になり、
天皇はその原因をこう考えた。

宮中に天照大御神と倭大国魂神を
同床共殿、つまり一緒に祀った為だと。


つまり『祟り』だと。

そこで、二神を別々に祀ることにした。

そして、
天照大御神の御霊を託されたのが
豊鍬入姫命だった。

天照大御神は、豊鍬入姫命によって
(ヤマト)の『縫邑(かさぬいむら)』に
遷された。

現在の伊勢神宮へと続く、
『元伊勢』のはじまりである。


『笠縫邑』の比定地は
いまだ未詳である。




山道をさらに歩く。




そして、たどり着いた。


大神神社摂社
元伊勢『檜原神社』である。


「大神神社に参拝するときは、
 まず檜原神社から」

たしか、第七十三世武内宿禰さんの言葉だ。




出た。三ツ鳥居だ。



大神神社摂社
『檜原神社』

鎮座地 奈良県桜井市三輪
創建 崇神天皇の御代
祭神 天照大神若御魂神 伊弉諾尊 伊弉册尊
社格 式内社「巻向若御魂神社」

由緒書き↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
第十代崇神天皇の御代、
それまで皇居で祀られていた「天照大御神」を、
皇女豊鍬入姫命に託し、
ここ檜原の地「倭笠縫邑」に還し
お祀りしたのが始まり。

その後、大神様は第十一代垂仁天皇25年に
永久の宮居を求め各地に巡幸され、
最後に伊勢の五十鈴川の上流に御鎮まり、
これが伊勢の神宮(内宮)の創祀と云われる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


ちなみに、垂仁天皇の御代、
初代斎王の豊鍬入姫命から倭姫命に
大神のバトンは託された。


左手には豊鍬入姫宮。

大神神社末社
『豊鍬入姫宮(とよすきいりのみや)』

祭神 豊鍬入姫命(初代斎王)

鍬入姫命と言えば、
卑弥呼の宗女『台与(トヨ)』と
同一人物だとする説が根強い。

ちなみに、その場合
卑弥呼=『倭迹迹日百襲媛命』となる。

豊鍬入姫命はホケノ山古墳が
倭迹迹日百襲媛命は箸墓古墳が
御陵に比定され、
古墳同士の距離は徒歩圏内である。


その説での問題点は、
縫邑(やまとのかさぬいむら)
という地名である。


古代、
この地で「笠が縫われてなければならない」。


三ツ鳥居、
遠くから見てもカッケー。





皇大神宮聖蹟『縫邑』。

堂々と書いてあった。


古代の笠(かさ)は『蓑笠(みのがさ)』。

材料には水に強い
『太布(たふ)』が用いられていた。


 

↑の書籍などを参考に。



『太布』とは

「梶(かじ)」や「楮(こうぞ)」の

繊維から織られた布。


その伝統技法を受け継いでいるのは、

徳島県那賀町木頭(旧木頭村)のみなのだそうな。



「木頭(きとう)」。


「祈祷」あるいは「鬼道」にも繋がりそうな
興味深い地名だ。



そして、
「麻(あさ)」や「梶(かじ)」の神と言えば
阿波忌部の祖『天日鷲命』である。



縫邑』の「倭(ヤマト)」は、
「大和(オオヤマト)」ではない。





日本書紀の天の岩戸のシーンでは、
「粟(あわ)の国の忌部の遠祖
天日鷲命の作る木綿 (ゆう)を用いた」と
記述されている。

『木綿』とはカジノキの一種
「楮(こうぞ)」の木の皮を原料とした
布のことなのだ。

「木頭」を「コウズ」と読み変えれば
「コウゾ」と響きが似ている。


また、「楮(こうぞ)」は
和紙の原材料に適している。

繊維が強く、
粘り気があり、
繊維同士がくっつきやすく、
栽培も出来、手に入りやすい。
仕上がりも綺麗。
 
素晴らしい素材だ。



『天日鷲命(アメノヒワシ)』は
『天日和紙(アメノヒワシ)』
 だった(笑)




徳島県美馬市美馬町轟に鎮座する式内社
『天都賀佐比古(アマツカサヒコ)神社』。

この地域は昔、
「郡里(こおざと)村」と呼ばれていた。
※「楮(こうぞ)」と繋がりそうな地名。



古くから現在までも、
和傘」が特産品なのだそうな。


さらに、
『天都賀佐比古神社』と同じ
美馬市に鎮座するのが、
倭大國玉神社』。


崇神天皇の御代、

豊鍬入姫命が天照大御神を
倭笠縫邑に祀り、

渟名城入姫命が祀るが上手くゆかず、
そして、後に
市磯長尾市が祀ることになった神が、
 
倭大国魂神。




大和大国魂神


ではなく、、




『倭大国魂神』。


日本各地に数社ある「大国魂神の神社」。

しかし、『』の字が付くのは
阿波徳島の美馬市にしか存在しない。

奈良の大和神社は、
式内社『大和大国魂神社』。

「坐」がつくのは、
「元の場所からこちらに来ましたよ」
という意味なのである。



天都賀佐比古神社の祭神は、
竜田大社と同じ、
津彦命(シナツヒコ)と
津姫命(シナツヒメ)。

倭大国魂神を祀った
市磯尾市。

その祖先の名は、
椎根津彦(シイネツヒコ)。



そして、「」。


古代、
粟(阿波)国には
北部の粟ノ国(アワのくに)と
南部のノ国(ナガのくに)が存在していた。




長国は『伊津面(イヅモ)』だった。





徳島市を南下し、
徳島県内で最も長い河川
那賀(なか)川を越えると、
阿南市がある。

徳島県阿南市生町宮内に鎮座する
式内社『八桙(やほこ)神社』。
祭神は大己貴命(大国主)。

「八桙」は、大国主の別名のひとつ
『八千矛神』のこと。



大己貴命はノ国造の祖先神として
尊崇されてきた。

 
全国的にはあまり知られていない
八桙神社。


しかし、
何故か平成3年に
皇太子殿下がお忍びで参拝に来られた。


重要でないワケがない。




『定説』は守るものではなく、
「作るもの」。


『伝統』と同じだ。



後ろ指を指されながらも
阿波古代史を追及してきた方々を
心から尊敬します。



多数決では決まらない時代が
やってきましたよ皆さん❗




さあ、ここからさらに山道がつづく。



市磯長尾市が倭大国魂神を祀り、

大田田根子が大物主神を祀った。





つづく。

ではまた❗




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