↑のつづき。


さて、関西出張も4日目。

この日は奈良県でのお仕事。


ちょうど一年前に奈良に来たときは、
憧れの等彌神社に参拝した。
あれから一年。 早いもんだ。


そんなことを思い出しながら、
天王寺駅から大和路線に乗る。


そのまま仕事先の奈良駅には行かず、
法隆寺駅で下車。

このために朝4時に起きたのだ。



法隆寺駅から徒歩10数分。

早朝の斑鳩町を散歩。

真夏でも少し涼しく
気持ちが良かった。


富雄川。

いかるがの 富の小川の絶えばこそ 
わが大君の 御名忘られめ (日本霊異記)

『トミ』という言葉は、
この関西出張では特に目にする。

重要な言葉です。


そして…

奈良県でも特に行ってみたかった
神社のひとつにたどり着いた。


『阿波神社』である。





朝日が眩しい。



社殿。

『阿波神社』

鎮座地 奈良県生駒郡斑鳩町阿波字宮の森
創建 不詳
祭神 素盞鳴命
末社 多度神社・多賀神社・野推神社


塗りの佇まい。

不思議な雰囲気を醸す。

スサノオは『朱砂の王』。


奥に本殿が見える。

両脇が末社だろうか。




この狛犬、すごく好きだ。



地名は生駒郡斑鳩町阿波。


なぜ『阿波』なのか。


シンプルに考えれば、
阿波徳島から人の移動があったから。

祭神がスサノオだということも興味深い。


朱砂の王』。

朱砂とは『水銀朱』のことである。


縄文~弥生まで、
水銀朱の大規模の採掘場は
阿波徳島にしか見つかっていない。


古事記では、
スサノオはオオゲツヒメと出会っている。

オオゲツヒメは『阿波』の別名。


つまり、スサノオも阿波にいたのだ。


スサノオは、父イザナギに
「海原を治めよ」と言われた。



古代、阿波の海岸部を中心は
『伊津面(イヅモ)』と呼ばれていた。


阿波の古代海人族は、
この『大倭(オオヤマト)』に移り住み、
その土地を、故郷と同じ
『阿波』と名付けたのかもしれない。


そして、一族の王を祀ったのである。




横から本殿。




『阿波』を冠する神社に
スサノオが祀られていることと、
忌部氏をルーツに持つ『織田信長』が
牛頭天王(スサノオ)を信仰していたことは
同じ意味を持つ」。



そう考えると
つじつまが合うのではなかろうか。




大きくはないが、とても素敵な神社。


社のと空の蒼、木々ののコントラストが
ワタシの旅を彩る。



古代、

阿波徳島は『倭(イ)国』と呼ばれていた。



阿波徳島の岸部を『イヅモ』呼び、
間部は『ソラ』と呼ばれていた。



『倭(イ)』⇒『大和(オオヤマト)』へ。



『道は阿波より始まる』



と、いうわけで、


『阿波の痕跡』みーっけ。






お仕事まではまだ時間がある。

朝の斑鳩町をもう少し歩いてみた。


つづく。


ではまた❗





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