さて、神山町鬼籠野から車で10分。

剣山方面へと向かうと、
神山町『神領(じんりょう)』に入る。

「神の領域」である。



さらに、道の駅神山がある神領上角(ウエツノ)



地名の「上角」を
「かみすみ」と読みかえることで
『神住み』に繋がる。



阿波(粟)の女神の降り立った場所。

そこが神山町神領なのである。



雪の中にも晴れ間が。

この大鳥居こそが、元々の阿波国一宮。


そして、『総稲荷』とも…


ここからは、
引用参考にさせて頂きながら
この西上角一帯は、
阿部宮司の祖である
阿閇氏の居館であった。

この地に降臨した女神は、
周辺の『装束谷』という上角谷川で身を清め
斎服に着替えて天辺へ上がり
大物主神を祀ったのだそうな。



降臨した女神とは、もちろん
阿波(粟)の女神『大宜都比売命』のこと。






五角形の『地神塚』や、
小さな祠も雪化粧。



狛犬の向こうにも鳥居が見える。




二の鳥居と随神門。



長く、そして美しい参道。





美しい石段の参道。

素晴らしいところだ。



来た道を振り返る。



ここの手水舎は凍っていなかった。



雪で覆われた荘厳なる境内。

ここは、
神話のカーテンに覆われた神社。



ついに参拝することが叶った
衣食の神様の全国総本宮。

阿波の総氏神であり、阿波最古の大社。


拝殿。


阿波國名方郡 延喜式内大社 阿波国一宮
天石門別八倉比売神社 論社
『上一宮大粟神社』

鎮座地 徳島県名西郡神山町神領字西上角
創建 不詳
神紋 丸に抱き粟
祭神 大宜都比売命


現在、
式内社『天石門別八倉比売神社』の論社は
下記の三社。

徳島市一宮町『一宮神社』
徳島市国府町『天石門別八倉比賣神社』
そして、
ここ神山町の『上一宮大粟神社』である。


論社三社あれど、その歴史を見るに、

天石門別八倉比賣神社は
神亀5年(728年)に聖武天皇の勅願所となり、
元暦2年(1185年)には正一位の神階を授けられ
平安時代、現在の徳島市一宮町に
分祠として一宮神社が創建された。

順番としては
上一宮大粟神社
一宮神社
国府町の八倉比賣神社
だと推測出来るが、
一方で国府町の八倉比賣神社は、
元々は式内社『天石門別豊玉比売神社』
だったという説も存在する。
社名を「埴生女屋神社」と
不当にも改めさせられたが、
氏子の請願により
明治28年(1895年)に
現在の上一宮大粟神社となった。

なぜか、明治時代には
阿波の重要な神社が
おかしな扱いを受けることが多い。

爆破された善入寺島や、
謎の土砂崩れがあった樫原神社など…

素晴らしい彫り物。


拝殿の天井画も面白すぎる。



中にはホワイトボードが設置されている。

この神社の宮司さんは、
この場所で講義などをおこなっている。

いつか参加してみたいものだ。


『梵鐘』。





横から本殿。

その背後には杉の御神木。

本殿は朱い。

これは『稲荷』を表しているのだそうな。

つまり、
この神社こそが元イナリ。

総稲荷』である。

ワタシが勝手に言ってることではないのよ



雪の中に映える朱い鳥居。





『瑜伽大権現(ゆがだいごんげん)』。
社の中には白い狐が。






仲良く二つ並んだ境内社。





積もった雪でわかりにくいが、
弁財天社のように思える。



『大師堂』。




隣接されているのは
四国三十三観音霊場第4番札所神宮寺。

大粟神社の境内と繋がっていた。


境内社『大御神社』。

『結びの大御社』と云われている。

祭神は豊玉姫命 他。


水の女神 豊玉姫を祀る深い意味がある。


大御神社からさらに参道がつづき、
かつて泉が沸いていた場所には
『真名井宮』が鎮座している。

祭神は罔象女神・龍王大神。

『真名井』の名で丹後一宮の
籠神社を連想する方は多いと思われる。

曰く、豊受大神。

曰く、豊玉姫。


式内社『天石門別豊玉比売神社』は
現在徳島市の眉山麓の春日神社境内に
鎮座しているが、
元をたどれば、
西竜王山・東竜王山に鎮座していたと
云われている。

春日神社境内『天石門別豊玉比売神社』↑



大粟神社の本殿が朱い理由は、
食物の女神 大宜都比売命の祭祀が
ある日、宇迦之御魂神として
インドのダーキニーを起源とする
『荼枳尼天』として習合された
稲荷信仰によるもの。

このキッカケは弘法大師空海。


空海が稲荷山で出逢った
『龍頭太』の伝承から見るに、
イナリとは元々龍神である。
そして、
阿波の竜王は天石門別豊玉比売。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
その昔、
空海は四国からキツネを追い出した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
追い出したキツネは、
四国に鉄の橋がかかった時に
戻ってくるだろう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

白狐に乗る『天女』の姿で描かれる
荼枳尼天の持ち物は『宝珠』であり、
豊玉姫も『二つの宝珠』を持ち、
空海もまた、
籠神社の娘から『二つの宝珠』が入った
玉手箱を受け取っている。

『天女』と言えば、
丹後の豊受姫(豊受大神)。


大宜都比売命=豊受大神=豊玉姫=元稲荷

この構図が説明出来るのではなかろうか。


付近の神山温泉の歴史↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
その昔、天女が授けたといわれる
塩辛く無色無臭の霊水が湧き出ている。

霊水を授けた天女
「塩水大明神」として奉っていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



境内社『粟神社』。

『粟』の名を冠する神社の祭神は
『大物主神』。


宮司さんのブログによると、
大宜都比売命が降臨する以前の
この地の神は大物主なのだそうな。








大昔、五穀を司る大宜都比売命は
伊勢国丹生の郷より阿波国に降臨し、
国土を経営し、この地一帯に粟を広めた。

阿波国はイの国。

徳島市の城山は元々
『渭ノ山(イのやま)』と呼ばれており、
渭ノ山を中心に、
北は渭北、東は渭東、
そして、西は『渭西(以西)』と呼ばれた。

伊勢ではなく『以西(イセ)』である。

阿波古代史のバイブル
『道は阿波より始まる』にも↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本書紀の中で伊勢皇大神宮など
写本されている神社は
以西(いせい)乃
皇大神宮(阿波国天石門別八倉比売宮)
の事思ってください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
と書かれている。


徳島の西に入田町があり、
そこが高天ヶ原の入り口だった。

つまり、
大宜都比売命は、
伊勢国丹生郷でなく、
以西(イセ)入田(ニウタ)から
現在の神山町神領へとやってきたのである。


元々、
この上一宮大粟神社に祀られる
大宜都比売命は、
付近の『天辺丸大粟山』の山頂に
祀られていた。

天辺丸の周りは山々に囲まれた
盆地になっているが、
神山風土記によると↓


太古は湖が広がっていた。

古代湖『神領湖』である。

神山町神領は盆地状の地形で、
古代の神領地区は湖だった。


その中心にある大粟山天辺丸は
神聖なる神の住む山。

現在でも山頂には祠が鎮座している。

大粟山天辺丸は神領湖に浮かぶ
小島のように見えたことだろう。


引用↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
海抜160mから180m付近に
古代の湖岸を連想させる地名が
点在している。

「室津」(160m)、
「船頭」(175m)、「和田」(170m)、
「筏津」(160m)、「高浜」(180m)
など。

​これらの地名は、
現在の河川から離れた
高台の地滑りの平坦部に位置しており、
古代に粟栽培が盛んだった
大粟山に続く中心地であったと
考えられている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


さらに、
伊勢国から八神を率いて
女神様が粟に降臨した。

八神とは、神話や神領村誌によると
以下の神々↓

八神は大神の直属の神の為、
神社には尊称がつく。

⛩️腰宮 葛倉神社

⛩️須佐宮 八坂神社

⛩️刻宮 津々姫神社

⛩️斎宮 倭姫神社【白桃妙見神社とも】

⛩️星宮 妙見神社

⛩️開宮 皇道神社

⛩️治宮 皇子神社

⛩️穂宮 葦稲葉神社【若宮神社とも】

以上八社を大粟八神と尊称し、
大神を守護する特に
重要な神々として摂社とされている。

なお、大粟神社には
八神を超越する別宮と呼べるお宮がある。

阿閇宮 上角八幡神社
(あえのみや【あべのみや】
うえつのはちまんじんじゃ)

八神を率いて降臨した
光り輝く絶世の美女である
女神様を迎えた太古の粟の王子。

神話では
「山の仕事をしていた」とされるが
太古の大粟山は鮎喰川がもっと深くて、
まるで大粟山は島のように
なっていたという。

大粟山とは実は山の所領全体をさす
中世の用語であり、
入田町あたりが大粟山の入口で『田口』。
現在の一宮神社あたりが
田之口(入田)であり大粟山の入口であり
大粟山(神山)は、古代は
海上交通が盛んな地域と考えられる。

阿閇宮の神は
彦火火出見神』山幸彦様。

大和の神話ではまさに皇子であり、
さらには豊玉姫神と結ばれるため、
海洋民族との関わりを示唆する神である。

粟の太古の神は、聖地大粟山自体を差す。

山自体を偉大な神とし、
神社など存在せず、山頂の天辺で
神籬(ひもろき)祭祀をしていた。


太古の粟の神は
宮司家の祖神として
宮司家の屋敷内の神社で祀られていた。

祭神を大物主神、または大山祇神である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

つまり、
大宜都比売命がやってくる以前に
この地に居た粟の皇子が
『大物主神』。

※ちなみに、大物主と同一と思われる
事代主の后が大宜都比売命である。


さらに、大粟神社の宮司さんの姓は
阿部(あべ)』。

現在、大粟神社の程近い場所に在る
上角八幡神社は『阿閇宮(あへのみや)』。

その祭神は、阿部宮司のご先祖様
始祖『阿閇御祖神(あへのみおやのかみ)』。

彦火火出見神(ヒコホホデミ)として
祀られている。

ヒコホホデミの神名は
山幸彦や神武天皇のイミ名と
されていることから、
大王(オオキミ)を意味する名である
可能性が高い。

さらに引用↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
宮司家は
太古に女神様と出会い、
女神様と聖なる契約を交わした
始祖の末裔とされる。

聖なる契約とは、

女神に始祖阿閇御祖神(あへのみおやのかみ)
清浄な水で炊いた米を供して
女神を迎えた。

女神は始祖に感激して、
始祖の神になると約束した。
そのかわり、
始祖に永遠に自らの食事を奉ることを命じ、
唯一の資格をもつ証として
聖なる柄杓を始祖に授けた。

始祖はこれにより、
女神の最も重要な神となり、女神を迎えた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まるで、
伊勢神宮内宮の天照大御神と、
その食事を司る御饌都(みけつ)神
外宮の豊受大神である。

内宮と外宮の関係性は、
ここから始まったのではなかろうか。

つまり、豊受の実態とは、
大宜都比売命の食事を司った

阿閇御祖神(大物主❓️ 事代主❓️)

天照の役割を持つ大宜都比売命の集合体。


男神だか女神だかよくわからないのも

無理はないのである。



アマテラスの元名ヒルメ

事代主のヒルコ

ついに、対(つい)を成した。



また、
天石門別八倉比賣神社の元の宮主は
『粟飯原(あいはら)家』。

名東郡下分上山村史付録↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
粟飯原氏に曰く大宜津比賣命
粟飯を炊き神供と為せしより
粟飯原の氏を冒せりと、
三日月と称する起因は
大祖月読尊に繋る。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
三日月家一族と云われ、
月読の末裔である粟飯原氏。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
粟飯原家は昔より「上山の三日月
といえば国内にだれも知らない者がない家柄。
代々当主となるべき者には
体の一部に三日月の痣が現れていたと。

またその者達は阿波の祖神である
大宜都比売命の子孫であり
代々国造として名西山分を支配し、
一宮大粟神社の神官をしていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

また、
参照させて頂くと↓


阿波国の国造であった
「粟凡直(あわのおおしのあたい)」の系図である
粟国造粟凡直粟飯原氏系図がヤバい↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
伊邪那岐神・伊邪那美神
 『撞賢木厳之御魂天疎向津比賣命』
亦御名 天照大日孁貴命 
亦名 天照大御神 
亦云 天照坐皇大御神 
亦名 大日孁貴命 
亦云 豊日孁命 
此者洗給左御目之時所成神也掛巻茂畏岐
天皇之御祖

 ↓

『月夜見命』
亦御名 健速須佐之男命 
亦云 神速須佐之男 
亦云 勝速日命 
亦云 熊野加武呂命 
亦云 熊野加夫呂岐櫛御気野命 
亦名 速須佐良命 
此者洗給右御目之時所成神也 
粟国造粟凡直等此大神之御末系也)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
月夜見命またの名を健速須佐之男命
と記されている驚き…
しかし、オオゲツヒメの登場シーンを
古事記と日本書紀で比較すると
あながちデタラメとは言えない。


さらに、
八嶋士奴美神
 天之冬衣神
大国主神と続いた後↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 『積羽八重言代主神

亦云 天事代主神 
亦云 都波八重事代主神 
御母身形之辺津宮坐多岐津比賣命 
故言代主神者粟国造粟凡直等之祖也


后神『粟国魂大宜都比賣神

 亦御名 大阿波女神 
亦云 阿波女神 
亦云 阿波波神 
亦云 阿波神 
亦御名 天津羽羽神 
亦名 天石門別八倉比賣神 
亦御名 天石門別豊玉姫神 
亦名 天津石門別稚姫神 
亦云 稚日女命 
亦名 栲幡千々姫命 
亦名 天御梶姫命 
故大宜都比賣者天之御中主神之子 
皇産霊神之子 角凝魂命之子 
天午刀男神之女 
粟国造粟凡直等所産神是也 
今名西郡神領村大粟山上一宮大明神也
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

天午刀男神(タヂカラヲ)の別名は
天石門別神』であり、
大宜都比売命の父神である。

大宜都比売命の別名に
天石門別(アマノイワトワケ)』が
冠されている根拠。


古事記では、タチカラヲ
佐那県(さなのあがた)に座す」とあるが
その場所は神山町のお隣、
古代には「佐那の県」「狭長村」と
呼ばれた佐那河内村のことであり、
佐那河内村上字牛木屋(大人小屋)の
天石門別神社』に祀られている。



素晴らしい上一宮大粟神社。

大宜都比売命はまだまだ尽きないが、

最後にひとつだけ。




始祖に永遠に自らの食事を奉ることを命じ、
女神が始祖に授けた
聖なる柄杓


実際に、宮司さんは
始祖阿閉御祖神の御神宝である
柄杓を発見されている。

他の方のブログばかりで
申し訳ありませんが、
大粟神社に関連する神社を繋ぐと
なんと柄杓の形になる…

つまり北斗七星❗❗


籠神社はヒサゴの宮であり、
135(ヒサゴ)⇒135(ヒミコ)である。

豊受に繋がる丹後伝承では、
8人の天女は7人になり、
神山町鬼籠野に繋がる八岐大蛇には、
8人の娘のうち7人が喰われた。

このお話って…


繋がってますよね❓️







さてさて、
次も大宜都比売命に関連する神社。


そのうちまた書きますが、
おそらく今回のお話は、


トヨ』の話だったのでしょう。


つづく。

ではまた❗





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