↑のつづき。


さて、阿波徳島の旅三日目。

この日、
2023/12/22は冬至の日であり、
大寒波がやってきた日。

前日の夜から降った雪が、
標高の低い徳島市にも積もっていた。


本当はもっと山の奥へと進みたかったが、
無理しない程度にしようと決心した。


徳島市街から車で約30分。

鮎喰川沿いを西へと進む。


この素晴らしい朝焼けの町並みは、
徳島市入田町天ノ原

入田町には、気になる地名が
多く存在する↓





↑のサイトの入田町地名考を
引用させて頂きますと、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
天ノ原(あまのはら)』は、
天満(てんま)大原の合併名。

天満』とは、
天満の南の山あいを鍛冶屋谷といい、
神話時代の鍛冶の神
天真図一神(あめのまのとつのかみ)
亦の名『麻能登比古神(まのとひこのかみ)
を祀る古祠があり、
」と「」より天満に転化し
地名として残った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そう。

気になる地名や神社も沢山ある中で、
ワタシが選んだ三日目一社目の神社は、

麻能登比古神を祀る神社である。



鳥居が見えてきた。



昨夜降った雪がまだ残っている。

沖縄に住んでいては
まず出逢えない景色である。



手水舎。



一の鳥居だろうか。

扁額には『天神社』の文字。



二の鳥居。



拝殿。

式内社 
阿波国名方郡 麻能等比古神社 論社(合祀)
『天神社』

鎮座地  徳島県徳島市入田町天ノ原 
創建 不詳
祭神
天目一箇神
菅公
天児屋根命
武甕槌命
武経津主命
麻能等比古神



式内社の合祀が正しかった場合、
その祭神は

麻能等比古神(まのとひこ)一座。



この神については、

「阿波に秘められた古代史の謎」から
引用させていただきます。

「阿波誌」は、
麻能等(まのと)」は
水門(みなと)」也とし、
水門の神である
速秋津比古(はやあきつひこ)命とする。

「天ノ門(あまノと)」の彦(大人)の
「あ」が落ちて「まのとひこ」となった。

記紀では高天原のことを
」とも「天ノ原」とも表しており、
入田町天ノ原が地形上高天原
戸口(関所)にあたることや、
すぐ上流の広野に
高天原葦原中つ国との境界を意味する
天返(あまがえし)」の地名があり、
その間に古代の舟だまりの地に祀られた
前掲の船盡比売神社が鎮座するからである
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

つまり、ここが高天原関所
『天ノ戸(アマノト)』だったのである。


麻能等比古神(マノトヒコ)は、

その門番のような役割を

担っていたのだろうか。



また、イザナギイザナミの子てある

速秋津比古命の別名は、

水戸神(みなとのかみ)』であり、

その御子神には

沫那藝神(アワナギ)と

沫那美神(アワナミ)がいる。


つまり、阿波の神である。




阿波古代史を知らない方にとっては
「何を言ってるんだろう…」と
思うかもしれないが、

この入田町を境に南には、
佐那河内村や神山町がある。

この後に赴いたが、
衝撃の連続でした。。




味のある狛犬たち。


入田町から、鮎喰川を遡って西に行くと
神山町『広野』という地名がある。

神山町からは高天原

第41代持統天皇の和風諡号が
高天原廣野姫(たかまのはらひろのひめ)天皇』

なぜ、「高天原の広野の姫」なのかは、
この周辺の地名が語ってくれていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
春過ぎて 夏来たるらし 白妙(しろたえ)の 
衣(ころも)干したり 天の香具山
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この歌を詠んだ女帝は広野で生まれ、
ここから日峯山(天の香具山)を眺めた。

(かいさき)』とは、
海見」と「先代」の合併名であり
海見(かいみ)」の由来は、
この付近の辰ヶ山を登ると
海が見えたからなのだそうな。


位置関係を地図で表すと↓

①天神社(天ノ原)
②船盡比賣神社
③雨返八幡神社(天返し)
④神山町広野
⑤辰ヶ山(海先)
⑥船尽比咩神社
⑦日峯山(天の香久山)


①~④辺りが高天原との境目。



静かだが、迫力のある境内。


「この先、高天原につき関係者以外立入禁止」

そう言われているようだ。


横から本殿。

千木は男千木。






阿波特有の五角形『地神塚』。

大好きです。



この石碑❓️が謎である。
南無水神宮』と彫られていた。

徳島市八万町橋本地区にも
同じものがあるらしく、
「地神塔(塚)」ならぬ
『水神・山神塔』と呼ぶらしい。


奥が深いぜ阿波徳島。


入田町には本当に面白い地名があり、
素晴らしい景色で溢れている。


高天原伊津毛の国の境目にふさわしい。


例えば、
奈良時代の遣唐使『阿倍 仲麻呂』が作り、
百人一首にも選ばれている歌↓
ーーーーーーーーーーーーーーー
天の原 
ふりさけみれば 
春日なる 
三笠の山に 
出でしかも

和訳
(大空を振り仰いではるか見渡してみると、
美しい月が出ている。
あの月はふるさとの奈良の春日にある
三笠山に出ていた月なのだなあ。)
ーーーーーー―ーーーーーーーー

と、奈良の春日を歌ったものと言われるが、

この入田町には、
天ノ原
春日
笠木
月の宮
などの地名があり、
阿倍 仲麻呂の歌とリンクしているのは
果たして偶然なのだろうか。。






そして、「アベ」の一族は
高天原だった神山町の「ある神社」に
大いに関係がある。



さてさて、お次の神社も入田町。

天ノ原からさらに鮎喰川を遡り、
大久』に入る。

大久』の地名は、
大畑と久居の合併名。

「久居」の由来は、
二本木の下の平地に家がたくさんあり、
久居と称したのだそうな。


そんな『二本木』のバス停にある
小さな神社には、
なんと『三柱鳥居』が原初に近い形で
遺されていたのである。




朝焼けが鳥居の向こうで輝いている。


とても素晴らしい神社でした。


つづく。


ではまた❗





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