↑のつづき。


さて、阿波徳島の旅二日目の最後は、
日本神話において、
最も重要な女神が祀られる式内社。


天佐自能和氣神社から、
車で十数分。

場所は、徳島市国府町。



鳥居を発見。

とてもこじんまりとした境内だった。


天皇に直結する竜宮の女神は
とても静かに祀られている。



拝殿。

阿波国名方郡 式内社
和多都美豊玉比売神社 論社
『王子和多津美神社』
 (おうじわたつみ)

鎮座地 徳島県徳島市国府町和田宮の元
創建 不詳
祭神 豊玉姫命

延長5年(927年)に編纂された
延喜式神名帳に記載される神社の中で、
豊玉姫の名を冠する神社は、
阿波国のみである。



また、江戸時代に徳島藩が編纂した
阿波国の地誌『阿波志』には↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~
延喜式小祀となす
和多村にあり 今王子と称す
~~~~~~~~~~~~~~~~~
とあり、
数社ある和多都美豊玉比売神社
論社のひとつである根拠となる。


地名の和多(和田)は、豊玉姫の父
大綿津見神(ワタツミ)
ワタ』が由来だと推測される。


昨年、2月。

初めて徳島を訪れた時は、
香川県高松市を拠点にしていた。

山幸彦豊玉姫の子である
ウガヤフキアエズの誕生の地とされる
神社に参拝したことは記憶に新しい。
豊玉姫玉依姫の痕跡が点在していた。



少なくとも、
この一帯が豊玉姫らを信仰する
海人族の拠点であったことは明白である。


竜宮の王ワタツミの子豊玉姫の配偶神は、
天孫ニニギノミコトと
コノハナサクヤヒメの子山幸彦

兄の海幸彦の釣り針を失くし、
竜宮城まで探しに行った時に出逢った。




潮満珠潮干珠

満珠は海に投げ入れると潮を満ちさせ
干珠は潮を引かせる呪力を持つのだそうな。



この時の二つの宝珠は、
その後も度々、神話や伝承、
各地の神社の社伝などに登場する。


二つの宝珠はそれぞれ、
豊玉姫玉依姫の姉妹が管理するとも
云われている。

熊本県阿蘇郡高森町草部に鎮座する
『草部吉見神社』に伝わる
水の玉火の玉
満珠干珠と同じものだという。


つまり、
なぜ、豊玉姫を冠する式内社が
阿波にしかないのかというと、


『淡(阿波)』というわけなのだ。


また、

火(カ)水(ミ)=神(カミ)


火(日)水(ミ)=ヒミコ


など、
阿波=神であり日神子とも解釈出来る。

徳島市と小松島市の境にある
日峯山付近には、『』や、
大神子』や『小神子』という
地名が存在する。
※日峯山より




二つの宝珠には多くの暗号が
ちりばめられている。

そして、
宝珠の持ち主は移り変わる。

海神(ワタツミ)
山幸彦
神功皇后
浦嶋子(浦島太郎)
籠神社の神官 海部氏
真名井御前
弘法大師 空海
坂上田村麻呂



時を超えて、持ち主を変えて、
たまに表舞台に登場する。



※満珠・干珠の話は少しずつ進めていきます



興味深いのは、
同じく満珠干珠が伝わる
宮崎県日南市の鵜戸神宮(祭神ウガヤフキアエズ)
熊本県阿蘇郡の草部吉見神社、
そして、
上野国一宮貫前神社(祭神フツヌシ)
三大下り宮』と称され、
鳥居をくぐった後、
階段を下って本殿を参拝する。


そういえば、
フツノミタマ』ってあったなぁ。

※↑貫前神社は、そのうち記事になります

下り宮である理由は、
竜宮を表しているからなのかもしれない。




横から拝殿。

千木は女千木。



大事なことなのでもう一度。

927年に編纂された
延喜式神名帳に記載される式内社で、
豊玉姫の名を冠する神社は、

全国でもたったの二社。

阿波国の
天石門別豊玉比売神社』と
和多都美豊玉比売神社』だけである❗


天石門別豊玉比売神社を参拝したが、
今回の旅では、さらにそのルーツである
神社に出逢うことができた。

後日記事になります。




境内社。

どなたが祀られているのでしょう。




しかし、内容の濃い二日目だった。

途中、少し雪も降り、
沖縄住まいのワタシには
極寒だった。


冷えと疲労を回復させる為に↓

温泉に入りにいった。

『あらたえの湯』って
ネーミングセンスが良すぎて脱帽。

もちろん、最高の湯でした。


=湯❗


(笑)



さてさて、
無事に二日目を終えることができた。

翌日はさらに、阿波の深淵を目指す❗


…と思って意気込んでいたのだが、
阿波徳島の旅三日目の日付は、
2023/12/22。

冬至の日。


なんと大寒波がやってきた…


大雪が降ったのである。


つづく。


ではまた❗




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