↑のつづき。


さて、吉野川市の旅はつづく。


早朝は晴れていたが
まさか、雪が降るとは…

あまりの寒さに震えながらも
己のワクワクには勝てず。


中内神社から車で数分、
さらに西へと進む。


阿波国藩主 蜂須賀家政が設けた
阿波九城のひとつ、『川島城』。

元々、阿波国内にあった
9つの中世城郭を改修した城である。



川島公園の案内図。

こうして見ると、改めて善入寺島が
日本最大の川中島だということを感じる。



鳥居が見えた。

車で通った時にひとつ目の鳥居を見たので
これは二の鳥居だろうか。

両脇の石灯籠は
かつて存在した善入寺島(粟島)の
浮島八幡宮から移設したと云われている。

手水舎。

寒い時には辛いけれど、
ちゃんと作法には従いましょう。



拝殿。

『川島神社』

鎮座地 徳島県吉野川市川島町川島
創建 不詳
旧社格 旧郷社
祭神
誉田別天皇(第15代応神天皇)
天日鷲命
菅原道真

川島城の二の丸跡地に鎮座している。

由緒書き↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
もと宮島字宮の本に鎮座した
浮島八幡宮を中心に
旧川島町内の神社を合併して
大正五年十月現在地に創建された神社である。

浮島八幡宮は、口碑によると
白鳳二年(六七四)の創立と伝え、
一説には、延喜式内大社忌部神社に
疑せられる古社であった。

寛永六年(一六二九)再興の棟札には、
河島保内八幡宮とあり、
中古より川島保の領主や地頭、
川島城主の崇敬が厚かった社である。

文録三年(一五九四)、
川島城主林帯刀入道道閑が
朝鮮征伐凱戦の折りに
刀剣・馬具等を奉納した記録があり、
また領主稲田家累代の武運長久祈願所として
毎年御供米等の奉納があった。

ところがその鎮座地の宮島含む善入寺島
吉野川改修工事のために
移転を余儀なくされた。

そこで、大正四年、
善入寺島内の神社を
この浮島八幡宮に合併し、
御大典記念事業として
城山の現在地に社殿を新築、
大正五年十月遷座し、
併せて旧川島町内の神社を合祀し
川島神社と称することになった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
例大祭の十月第四日曜日には、
氏子崇敬者によって神輿の渡御行われ、
県下希に見る「七十五膳の神事」が
おこなわれるのである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回のポイントは『七十五膳の神事』。

由緒書きから推察するに、
恐らくは、
善入寺島の浮島八幡宮などで
行われていた神事だろう。

「五穀豊穣に感謝するお祭り」である

七十五膳の神事は、

忌部の神事とも言われる。


酒、穀物、魚、海藻、野菜、果物など、

75種類を神社の祭礼時に神前に

お供えする。



同じく吉野川市の

山川町の『川田八幡宮』、

美郷平の『平八幡神社』や、

神山町の『黒松八幡神社』などで

行われており、

忌部が開拓した土地ならではの

珍しい神事…


かと思いきや、以外と全国でも

行われている。


岡山県 吉備津神社の「七十五 膳据神事

栃木県 祖母井神社の「七十五膳献上」

東京都 亀戸天神社の

「大御食(おおみけ)御調進の儀」も

七十五膳」と呼ばれていた。


今年の1月、

千葉県の房総半島を訪れた際に

近くの『岩船』という地名が気になって

調べてみた。


岩船の由来は「祝い船」など諸説ある。


この地域の伝承には、

大しけにあった七十五座の神々が

漂流してこの地に上陸したという

古い言い伝えがあり、

岩船地区では、

この七十五座の神々に供応する神事が

昔から続いているのだそうな。



などなど、挙げれば各地に

なぜか「七十五」に関わる神事が見られる。


これも忌部の痕跡なのだろうか。。



徳島県美馬市の白人神社の祭祀は、

古来から七十五人の宮人(みょうど)が

担ってきた。


その奥宮の磐境神明神社には

自然石を積み上げて造られた祭祀場があり、

古代イスラエルの礼拝所とそっくりなのは

有名な話である。




興味深いのが、

阿波国式内社であり、

諏訪の元宮とも称される

多祁御奈刀彌神社でも

七十五膳の神事」がある。


また、

ワタシが最も大好きな川のひとつ

天竜川』が付近に流れる

静岡県浜松市天竜区『光明寺』の伝承では

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

遠江国司草壁大掾が天龍河に棲む

二俣の毒蛇を退治せんため

笠鋒坊権現に祈誓して法楽を奏し

七十五膳を献供したことが、

爾来約一千三百年連綿と

途絶えることなく続く

七十五膳献供の神事の始まり

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

とある。


天竜川

そして天竜川を遡っていくと、

諏訪湖にたどり着く。


諏訪大社の御頭祭では、

猪または鹿の頭を

七十五供えたのだそうな。



伝承の内容はともかく、

七十五』は明らかに聖数として

扱われている。



少し視点を変えてみると

さらに面白いことがわかった。

 


弘法大師空海による、

四国八十八ヶ所霊場。


その75番札所は

『屏風浦五岳山誕生院通寺』。


なんと、空海が生まれた地である。


空海さんが、札所の番号にも

何か意味を隠していることは明白である。






旧約聖書
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
創世記 12章11節
主はアブラハムに言われた。
「あなたは生まれ故郷父の家を離れて
 わたしが示す地に行きなさい。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

創世記22章2節

神は命じられた。

「あなたの息子、あなたの愛する独り子

 イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。

 わたしが命じる山の一つに登り、

 彼を焼き尽くす献げ物として捧げなさい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


守屋山や、物部守屋

諏訪神社上社の神長官「守矢氏」。


アブラハムはイサクのかわりに

75頭の羊を神に捧げた。


アブラハムは

「ハランを出発した時に75歳であった」。



と、ベタなことも書きつつ(笑)




ちなみに、

諏訪大社の神紋は『梶の葉』。


徳島が誇る『忌部神社』の神紋もまた、

梶の葉」なのである。



阿波忌部の祖『天日鷲命』は、

『麻(アサ)』とともに『梶(カジ)』を

普及させた織物の神様。


また、

梶(カジ)は、柏(かしわ)と同様に、

御食を献じる器に代用された。



東京都 亀戸天神社の「七十五膳」は

大御食(おおみけ)御調進の儀」。



河内国二宮『恩智神社』の祭神

大御食津姫命(オオミケツヒメ)

伊勢外宮の『豊受大神』と同一神。


つまり、阿波の国魂神

大気都比売神(オオゲツヒメ)』なのである。



ちなみに、
伊勢神宮外宮の敷地にある山域での
最高峰は『日鷲山(ひわしやま)』なのです❗




横から本殿。

千木は男千木。

さもありなん。




境内社『東道神社』。

祭神 罔象女神 天叢雲命 外五柱


天叢雲命(アメノムラクモ)

この神が祀られる式内社は
阿波にしか存在しない。

それもこの吉野川市。

吉野川流域である。

吉野川は三大暴れ川に数えられ、
この川の氾濫こそが
八岐大蛇』だとする説がある。

大蛇大蛇=治水作業というわけだ。


八岐大蛇の尾から出てきた聖剣の名もまた

アメノムラクモだった。


※天村雲神社は後日記事になります。

吉野川市指定天然記念物の『イブキ』。

あまり見たことがなかったが、
すごいうねり方をした幹だ。




阿波特有の五角形『地神塚』は
ここにもあった。

これ大好き。



ここからも本殿。

千木は男千木だったが、
鰹木は6本で偶数。

女神要素あり。




小高い丘に登ってみた。

社殿がよく見える。


「神宮 皇室 遥拝所」の碑が建っていた。

一体、どの神宮の遥拝所なのだろうか。


向こうに見えるは吉野川

そして、日本最大の川中島
『善入寺島(粟島)』である。

やっとこの目に映すことが出来た。

この日は雪が降るほど震える寒さ。

暖かい時期には渡ってみたいものだ。


阿波の青石だろうか。





『銅鐸出土地』の碑




とにかく、遠目からではあるが、
善入寺島を拝めてよかった。

目標のひとつを達成した。


善入寺島にはかつて、
粟島』と呼ばれ、
3000人もの住民が暮らしていた。

吉野川は暴れ川と呼ばれるほど
川の氾濫が激しく、
大規模な改修工事をおこなう為、
島民は島からの立ち退きが命じられた。

粟島は善入寺島に変えられ、

島内の『浮島八幡宮』は
爆破されたのだった。

この川島神社は
そんな浮島八幡宮を遷座した神社。


祭神は『天日鷲命』。


阿波の古代史研究の中では、
大国主命』と同一神だとも云われている。



画像ではわかりにくいが、
雪が降ったり止んだりの中、
どこまでいけるか不安もありつつ、
次の神社へと向かった。


その神社こそ、
「古事記の舞台は阿波」
「皇室の祖先は阿波に居た」
と、いわんばかりの超重要な神社であった。

その祭神の名には、
』という文字が入っている。



つづく。


ではまた❗







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