↑のつづき。

さて、香川県高松市での神社巡りから翌日。

ついにこの日がやってきた。

夜も明けぬうちに高松のホテルを出発し、特急うずしお(名前が良い)に乗って一時間で徳島駅に到着。

徳島駅で40分ほど待ち、徳島線に乗り換えて27分。

下浦駅で下車し、さらに徒歩15分。

中々の長旅である。



神社へ向かって歩く田舎道を、「ワクワクする」と感じ始めたのはいつ頃からだっただろうか。



やがて、鳥居が見えてきた。

この時の胸の高鳴りは、今でも思い出すことが容易である。


『多祁御奈刀彌(たけみなとみ)神社』に、ついにやってきた。




『元諏訪』ですよ皆さん❗



元諏訪の手水舎ですよ皆さん❗



注連縄柱。

これ好き。



狛犬が笑顔で出迎えてくれた。


勿論ワタシも笑みで返す。



拝殿。

『多祁御奈刀彌(たけみなとみ)神社』

鎮座地 徳島県名西郡石井町浦庄字諏訪
創建 不詳
祭神 建御名方命 八坂刀売命

社名は、祭神の夫婦神を併せた名であると言われている。

一方で、タケミナカタは『建御名方富命』であり、元々『トミ』が神名に入っている。

西暦927年頃にまとめられた延喜式神名帳にも記載されている、歴史ある古社。

しかし、それだけではない。


由緒書きには、驚くべきことが書いてあるのです。

「長野県諏訪市に有る諏訪大社は、宝亀十年(779年)に、移遷されたとの説もある」。


↓の記事を聞いたのは、2021年のこと。
ようやくその答え合わせができた。

勿論、この元諏訪の伝承だけでは、にわかに信じられない方も多いだろうし、ワタシとしても「この話面白い!」ぐらいだったかもしれない。

しかし、国譲り神話では、タケミカヅチに敗北したタケミナカタが出雲から諏訪まで逃げたなんて、あまりに遠すぎる。

しかも、諏訪地方の信仰対象は、元々『ミシャグジ』という縄文の神様だったことは有名な話だ。


そうした違和感を、「神話だからね」では片付けなかった人達もいる。




阿波の古代史を研究している方の多くは、徳島に住んでいるからこそ、古事記や日本書紀、あるいは魏志倭人伝などを、とても素直に読み解くことができるのだ。

それはなぜか。。

徳島には神話のエピソードに紐付く地名や社名、伝承が沢山見つかり、しかもちゃんとストーリーになる。


つまり、調べたら「楽しい」のが阿波徳島なのではないかと、個人的には感じております。




『タケミナカタ』の「タケ」は、
武人につけられる称号。
タケミカヅチ、タケハヤスサノオなど。

「ミ」は「御」であり尊称。

最後に、「ナカタ」は地名となっている。

延喜式神名帳には、
『式内社 阿波國名方郡 多祁御奈刀弥神社』
とあるように、この地域は元々「名方(なかた)郡」だった。



東京出張の時に参拝した西日暮里の『諏方神社』は、「諏訪」ではなく「諏方」の字を採用している。

古文書に記載されていたのが「方」の字だったからなのだそうな。
「名方」だから「方」だったのかもしれない。

「訪」は「訪れる」の意味であり、元々の場所から来たのだと解釈することが出来る。





勿論、諸説あるため、絶対にそうだと断言は出来ないが、調べれば調べるほど、「本当にここが元諏訪かも⁉️」と思いたくなる。

その根拠は、この記事の最後に。


御神木。



力石の由緒。

力石は、タケミナカタがタケミカヅチとの力競べに用いられた。






横から本殿。




三面のアシュラかな?











随神像。


『地神塚』。

五角形のそれぞれの辺に神名が彫られている。






五柱は以下の通り。

埴安媛命
倉稲魂命 
大己貴命 
天照大神 
少彦名命

地神塚は初めてみた。

徳島県の他、淡路島、香川県の東讃地方、岡山県などに多いらしい。

地神塚の『五角形』は、すごく重要に思えた。


この五柱は農業五神とも言われているらしい。





多祁御奈刀彌神社は最高にロマン溢れる神社だった。


神社を出ると、真っ直ぐに道が伸びていたので、少し歩いてみた。


なんと、こんなところにも鳥居が。

歩いてきた道は参道であり、これは一の鳥居ということか。



こっちから入れば良かった。

大変失礼しました。

当社の神紋は鎌が交差した『違い鎌』というらしい。

『鎌の打ち合い』とも言われているが、二つの鎌が繋がっていることから考察するに、どちらかと言えば、二つの勢力の「共闘」とか「仲直り」のような意味ではないか…と思うのはワタシだけだろうか。


神紋に関しては、恐らく諏訪大社含め殆どの諏訪神社の神紋は「梶の葉」。

興味深いのは、徳島が誇る『忌部神社』の神紋もまた、「梶の葉」なのである。


阿波忌部の祖『天日鷲命』は、『麻(アサ)』とともに『カジ』を普及させた織物の神とも言われている。

梶(かじ)は、柏(かしわ)と同様に、御食を献じる器に代用された。
※「柏」も徳島では重要なキーワード。



昔の七夕では、願い事を梶の葉に書いて下げた。
短冊の原型である。


これは妄想だが、本当にここが諏訪の元宮で、後に長野の諏訪地方にタケミナカタを勧請したのだとしたら、阿波に深く関連する人々が移り住んでいたのかもしれない。


仮に阿波から行くのだとしたら、まず「船」に乗る。


『舵(カジ)』を取って。


下浦駅のすぐ近くに、小さな神社を見つけたので寄ってみた。



『判之宮神社』というらしい。


由緒書きなどは見当たらなかった。

後日調べてみよう。



遺徳碑があったけど、じっくり見る時間は無い。

電車の本数が少ないため、早く下浦駅に行かなくては。



電車の中では数日前に購入した本を読んで勉強している。

 

 

勉強といっても、面白いから勉強している感覚は無い。


ただただ夢中になってしまう。


これからのワタシの記事は、この素晴らしい書籍に影響されていることを述べておきます。





さて、次の神社の記事を書く前に、一回まとめよう。


阿波の『タケミナカタ』にまつわる神社は、本当に興味深い。


自分のメモ用にサラっと書くだけなので、あしからず。




※地図はGoogle Mapを基に作成してみた簡易地図です。

西から順に↓

●建布都(たけふつ)神社 式内社
 祭神 建布都神(武甕槌神) 経津主神
    大山祇神 事代主神

●事代主神社 式内社
 祭神 事代主命(タケミナカタの兄神)

●敷島神社 別名『西の宮』
 祭神 天水沼間比古神
    天水塞比賣神
    事代主命 他錚々たる神々
   
●諏訪神社
 祭神 建御名方命

●杉尾神社
 祭神 天水沼比古神(沼河比売の父神) 
    天水塞比賣神(沼河比売の母神)

●沼河比売古墳
 沼河比売はタケミナカタの母

●多祁御奈刀彌(たけみなとみ)神社 式内社
 別名『東の宮』
 ※今回参拝した神社

●八倉比売神社 式内社
 ※記事は後日

●大御和神社 式内社
 別名『府中宮(こうのみや)』
 祭神 大己貴神(タケミナカタの父神)
    (大国主のこと)
 ※記事は後日
 

この神社の並びはスゴい。


大国主と沼河比売の子が『タケミナカタ』だということは以前から知っていたが、沼河比売は
『越国(こしのくに)』の女神。

つまり北陸出身だというのが定説である。


越国は、古事記では『高志(こし)』という字で登場している。



しかし、なんと、知らなかったワタシはビックリしたのだが、徳島のこの辺り…

昔は『高志(たかし)』という地名だった❗


「高志(こし)」と読んでしまったため越国に比定されてしまったが、本当は『高志(たかし)』だった。

タケミナカタの母『沼河比売』はこの地に住んでいた。

しかも沼河比売の両親が祀られている『杉尾神社』まである。

そこから東にいけば、タケミナカタの父が祀られている『大御和(おおみわ)神社』。


国譲り神話の一連の流れは、この吉野川流域で起きたことなのだ。



まだまだある。

タケミナカタの孫娘までが登場するのだ。

これ以上は、ワタシごときでは語れない。

興味がある方は↓のコラクさんのブログをぜひ。

もはや真実に近づきすぎて危険なのでは…と思うほど面白い記事です。


驚くべきは阿波の国。



徳島は本当に素晴らしいですよ皆さん。


さてさて、楽しすぎて長くなってしまったので、ひとまず今回はおわり。

次回は勿論、『大御和神社』。

「おおみわ」ですよ皆さん❗


つづく。

ではまた❗





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