洩矢諏訪子(もりや すわこ)は東方Projectに登場するキャラクター。

 

 諏訪子は山の神であり、遥か古代は「ミシャグジさま」と呼ばれる土着神として祟り神達を束ね、日本の一角に洩矢の王国を築き、国王を務めていた。だが、大和の神の一柱である「八坂神奈子」に侵略戦争を仕掛けられ、戦争での敗北を確信した諏訪子は神奈子に国を明け渡すことにした。しかし、王国の民がミシャグジ様の祟りを恐れて神奈子を受け入れなかったため、神奈子が洩矢の王国で信仰を得ることは出来なかった。
 そこで、神奈子は名前だけの新しい神と諏訪子を融合させた神を信仰させることにした。しかしそれは神奈子が考えた偽装工作であり、裏では諏訪子がそのまま信仰され、諏訪子は自分の力で神奈子を山の神とした。(ピクシブ百科事典洩矢諏訪子より)

 

 …というのは冗談で(´・ω・`) デオチ東方ネタデスマン...

 

 諏訪信仰(すわしんこう)

 長野県の諏訪神社の信仰。同社の祭神はいわゆる出雲系の神とされており、その信仰は中部、関東をはじめ全国各地に及んでいる。この神社の特色は、村々に頭郷 (とうごう) を指定して順ぐりに祭祀を行うことである。諏訪神社は狩猟の神、風の神とされ,また武神としても信仰され、神供として鹿頭を供えることが知られている。同社の祭礼として有名なのは式年御柱祭 (おんばしらまつり) で、寅年と申年に行われる。大木を山から切出してこれを社地に4本立てる古式の神事である。そのほか、かえる狩神事、粥占神事、御頭祭、御射山社祭などがある。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「諏訪信仰」)

 

 ●御柱祭

 他にも日本大百科全書やら百科事典マイペディア等々にも色々記載されておりますので気になる方はそちらでもご参照下さいませ<(_ _)>

 

 この「諏訪信仰」の起源と為すのが、皆様ご存知である信濃国一宮全国2万5千社ある諏訪神社総本社である諏訪大社(通称お諏訪さま)。

 竜神或いは霊蛇に関わる信仰から発生したと考えられており、祭祀神である建御名方神は、『古事記』国譲りの段にて、高天原から派遣された建御雷神らに服従し、当地諏訪に留まったとされる出雲大国主命の御子神です。

 後に鎌倉幕府の御家人となった諏訪氏により、この諏訪信仰が武家社会に広く浸透していったとされております。

 

 『古事記』の内容から思索しますと、後のヤマト王権(高天原アマテラス)側とは逆の、国譲りを迫られた(出雲大国主命)側の土着信仰と考えられるのが「諏訪信仰」となる訳です。

 今回はこの「諏訪信仰」が深く根付いてる長野県と、そこから遠く離れた徳島県との繋がりについて例の如く穿った私説による考察をして参りたいと思います。

 

 本稿は阿波・徳島説となる私説となりますのでご注意下さい。

 

 

 ではまず初めに、諏訪大社についてですが、「倭建命を穿って考察 ⑤」にもチョロリと書いておりますので、「そんなん知らん」という方はそちらもついでに参照してやって下さいまし<(_ _)>

 

 ザックリ説明致しますと(するんかい)、

 阿波国名西郡石井町浦庄字諏訪に御鎮座される式内社の多祁御奈刀弥神社(祭神:建御名方命と妃神の八坂刀売命)の社伝によりますと、信濃諏訪郡南方刀美神社(現 諏訪大社)は、奈良時代の宝亀10年(779年)、当社から移遷されたもの、つまり当社が「元諏訪」であるということが確認されます。

 

 

 で、ここまでは阿波の古代史研究ではよく耳にするお話なのですが、その建御名方命の孫娘をお祀りしておりますのが、

 

 

 式内社 天村雲神社 伊自波夜比売神社 二座(徳島県吉野川市山川町村雲133)となります。

 

 

 社名にもありますように、夫の天村雲命と共にお祀りされているようです。

 

 伊都速比売命(いつはやひめのみこと)は、長野県諏訪地方の民間伝承(諏訪信仰)の女神。

 

 ●概要

 伊都速比売命と表記され、会津比売神の別名ともされる。

 諏訪大社の祭神建御名方神の御子神出早雄命の娘。諏訪固有の神とされるが、阿波国の式内社「天村雲伊自波夜比売神社二座」に比定される天村雲神社の祭神に伊志波夜比売命(いじはやひめのみこと)がある。この神について『大日本神祇誌』では「建御名方命の孫にあたる出速雄命の女であり、天村雲命の妃であるとしており、『大日本地名辞書』には「信濃諏訪系に建御名方命の御子出速雄命の女に出速姫命あるは、伊自波夜比売神に由あり」とする。

 これについて『修補諏訪氏系図』では「(前略)按伊都速、伊自波夜、音訓相通ズ真ニ同神ナルベシ、而シテ天香語山命ハ越ノ国ヲ鎮護シ出速雄命ハ信濃国ヲ経営ス其ノ境相接スル等ノ縁由ヲ以テ其ノ婚約ヲ結合セシニヤ、自然投合ノ契約ト云フベシ」と結論づけている。(wikipedia 出早比売命より抜粋)

 

 wikipediaにもあるように、早速阿波との関連が指摘されるのですが、当社御祭神である伊自波夜比売は、建御名方神の子の出早雄命の娘とのこと。

 この伊自波夜比売(伊都速比売命)は別名に、会津比売の神名があり、

 

 会津比売命(かいづひめのみこと/あいづひめのみこと)は、長野県諏訪地方の民間伝承(諏訪信仰)の人物(女神)。

 

 ●概要

 会津比売神社では会津比売命と表記する。

 「かいづ」の名称の由来は不明であるが、神社周辺の松代一帯は古来海津(かいづ)と呼ばれており、松代城も海津城と呼ばれていた。

 『日本三代実録』にも見える式外社「會津比賣神」に比定される会津比売神社の祭神で、『松代町史』では建御名方神の子・出速雄命の御子で、初代科野国造の武五百建命の妻とされる。また伊津速比売神と同人とする説もある。(wikipedia 会津比売命より抜粋)

 

 …とまぁ、「会津:かいづ」が更に転訛した事で、かの有名な海津(かいづ)城(=松代城)の名前になったようです。

 

 次にこの姫の父にあたる出速雄命の妻、つまりお母さんですが、

 

 多満留姫(たまるひめ)は、長野県諏訪地方の民間伝承(諏訪信仰)の女神。

 

 ●概要

 洩矢神の娘で、建御名方神の出速雄神に嫁いだとされる。『神長官守矢氏系譜』では出早雄命の后となっているが、一方別の史料では建御名方神に嫁いで出早雄神を生んだともされる。

 多留姫命との記述もあるが、通常多留比売神は建御名方神の御子神とされる。(wikipedia 多満留姫より抜粋)

 

 (´・ω・`)ホォホォ 夫婦が同父という事は兄弟妹婚ということですな。

 

 文字ばかりではわかりにくいと思いますので、今回は「系譜コネクション」さんの大国主命の系譜を拝借してご覧頂きますと、

 

 赤囲いの箇所となり、いわゆる「出雲」→「諏訪」の地に移動した後の3世代系譜になります。

 で、その信仰の対象となっているのが、

 

 ミシャグジとは、中部地方を中心に関東・近畿地方の一部に広がる民間信仰(ミシャグジ信仰)で祀られる神(精霊)である。長野県にある諏訪地域はその震源地とされており、実際には諏訪大社の信仰(諏訪信仰)に関わっていると考えられる。全国各地にある霊石を神体として祀る石神信仰や、塞の神・道祖神信仰と関連があるとも考えられる。

 

 ●ミシャグジの実態 ・石の神か木の神か

 幕末に書かれた『諏訪旧蹟誌』はミシャグジについてこう述べている。

 御左口(ミサグチ)神、此神諸国に祭れど神体しかるべからず。或三宮神、或社宮司、或社子司など書くを見れど名義詳ならざるゆゑに書も一定せず。或説曰、此神は以前村々検地縄入の時、先づ其祠を斎ひ縄を備へ置て、しばしありて其処より其縄を

用(モ)て打始て服収(マツロヒ)むとぞ。おほかたは其村々の鎮守大社の戌亥にあるべし。此は即石神也。これを呉音に石神(シャクジン)と唱へしより、音はおなじかれど書様は乱れしなり。

 『駿河新風土記』にも、村の量地の後に間竿を埋めた上でこの神を祀る一説がみられる他、『和漢三才図会』は「志也具之宮(しやぐのみや)」を道祖神(塞の神の一種)としている。

 

 ●信仰 諏訪上社におけるミシャグジ ・守矢氏と神氏

 諏訪大社は上社と下社という2つの神社で成り立っている。諏訪湖南岸に位置する上社にはかつて大祝(おおほうり)と呼ばれる最高位の神官と、そのもとに置かれた5人の神職が奉仕していた。諏訪氏(神氏)から出た上社の大祝は古くは祭神・建御名方神(諏訪明神)の生ける神体とされ、現人神として崇敬された。

 

 ●ミシャグジと建御名方神

 国史では諏訪の神が「建御名方神」という名前で登場しており、『古事記』や『先代旧事本紀』の国譲りの場面で建御雷神との力比べに敗れてしまう大国主神の次男として描かれている。しかし、『日本書紀』や、出雲地方の古文献である『出雲国風土記』と『出雲国造神賀詞』にはこの建御名方神が登場せず、『古事記』でも大国主神の子でありながらその系譜に名前がみられないため、建御名方神は国譲り神話に挿入されたという説を唱える研究者が多い。

 諏訪にも建御名方神(正確に言うと『古事記』等における建御名方神)の影が薄いと言える。中世の祝詞には神名が出て来ず、「建御名方神」という神名もほぼ浸透しておらず、祭神の事を単に「諏訪明神」「諏訪大明神」「お明神様」等と呼ばれることが多い。また、『古事記』の説話とは異なる神話と伝承(入諏神話や、諏訪明神を蛇(龍)とする民話など)が現地に伝わっている。このことから、建御名方神は「ミシャグジ信仰をヤマト王権の神統譜に組み入れた結果生まれた神名」(大和岩雄、1990年)または「朝廷への服従のしるしとして諏訪に押し付けられた表向けの神」(寺田鎮子・鷲尾徹太、2010年)で、諏訪の本来の神はむしろミシャグジであるという説が度々立てられている。

 

 『年代神事次第旧記』(室町初期成立)によると御室には柱4本、桁2本、梁2本がある。田中基の計算によると24畳分の菅畳が用意されたため、広さはそれ以上ということになる。中には「萩組の座」というものがあり、神長による祭事の覚え書きである『年代神事次第旧記』(室町初期成立)には御室本体の用材とは別に「東の角、南の角、棟木、東西の桁、囲い」とあることから、御室の中に設けられる仮小屋と考えられる。「うだつ」とも呼ばれるこの構造物には大祝、神長、神使(おこう)しか入ることができなかった。破風には葦で壁体を作り、そこにミシャグジを祀ったという記録もあるが、このあたりの記述が混乱しているため、これは御室自体の破風を指すのか、「萩組の座」の破風を指すのか不明である。ミシャグジの依り代も剣先板と呼ばれる板なのか、八ヶ岳西麓にある神野(こうや、禁足地とされた上社の神聖な狩り場)から切り出された笹なのか、それとも別のものなのかよくわからない。

 22日の祭事の時に御室に入れられる「第一の御体」とは、祭事に関する部分が所々改変されている神長本『画詞』から、ミシャグジであることが明らかにされている。また「御体三所」は、『旧記』から「そそう神」と称する神霊で、23日の神事の項に「例式小へひ入」とあることから3つの蛇体であることが分かる。小蛇に麻と紙をからめて立てられるが、これは注連縄に紙をつけ、大幣に麻を垂らすのと同じで、蛇形に神格を付着するためである。

 

 ・女性的精霊説

 「そそう神」の正体については以下の説が挙げられている。

 女性器は「そそ」とも呼ばれていることから、「そそう神」は諏訪湖の方より水平的に訪れる女性的精霊と解釈され、上空から降りてくるミシャグジ(ここでは男性的精霊とされる)と対照的な存在とされている。この説では、御室の中に笹の付いたミシャグジと「そそう神」を象徴する蛇形が入れられるのはこの2つの精霊の「聖婚」を表し、それとともに参籠する大祝は蛇との婚姻で生まれる聖なる子供であると解釈される。12月25日に演じられた神楽歌(「総領申す」)がかなり淫猥な表現になっていることから、御室神事が性的な意味を持っていたと考えられる。(wikipedia ミシャグジより抜粋)

 

 元日に行われる「蛙狩神事」については、皆さまもよく知っておられる、

 

 三すくみ:三つの者が互いに得意な相手と苦手な相手を一つずつ持つことで、三者とも身動きが取れなくなるような状態のことである。

 

 ●虫拳:ヘビ → カエル → ナメクジ → ヘビ ……

 日本最古の三すくみ。平安時代の文献にも出て来くることから、日本の拳遊びで一番古いものだと思われる。

 ヘビはカエルを一飲みにする。ヘビには負けるカエルだが、相手がナメクジならばやすやすと舌でとって食べる。しかしカエルに負けるナメクジにはヘビ毒が効かず、身体の粘液で(カエルより強いはずの)ヘビを溶かしてしまう(実際にはそのようなことはおこらないが、古い時代の日本ではそう信じられていた。ただし、ナミヘビ科にはナメクジを捕食する種もいる)。このときにカエルがナメクジを食べると、その後ヘビに食べられてしまうので、ナメクジを食べられない。ヘビ、ナメクジも同様の状態で、三者とも身動きがとれず三すくみとなる。(wikipedia 三すくみより抜粋)

 

 つまり、ヘビ(蛇神)がカエルをやっつけるの構図の部分。いわゆる天敵ってやつですよ(´・ω・`)b

 因みに阿波においては、ナメクジがヘビをやっつけるというのもいいヒント。

 更に言うと、虫拳なので、蛇(ヘビ)、蛙(クク・カヘル)蝦(カハヅ)、蛞蝓(蚰蜒:ナメクヂ・ナメクジラ)は、全て「虫偏」からなる生物ですな。

 

 上のwikipediaなどの情報から簡単に纏めますと、有力な考え方として、ミシャグジさまは蛇神であり、祭神となっている建御名方神(諏訪明神)の生ける神体、或いは男性的精霊のようです。

 また、同時に石の神、木の神(御柱大祭)、塞の神などの性質を持ち合わせているといったところでしょうか。

 ただし諸説あり、田中基氏の説や出雲(島根県)地域での伝承が皆無であることから、建御名方神=土着神であるミジャグジとの関係性が低い、もしくはヤマト王権の国譲り神話に後に組み込まれた等の説も存在します。

 

 さてここからが更に穿った考察をしていく訳なのですが、

 建御名方神の御子神である出早雄命、その妻にあたる多満留姫、その別名が多留姫命(多留比売)とあり、神名を考察しますと、

 「多(た)」は「多(おお)い」の文字で、これは古代の文字にしますと、意富意富富杼王(おおほどのおおきみ)や、意富臣:(おほのおみ)、千葉県にある意富比神社(おおひじんじゃ)や阿波国式内社和奈佐意富曽神社(わなさおほそじんじゃ)と同じ、「意富:おほ(おお)」と同義であり、また留(る)の方の読みも、留(とま)るとも読めます。

 従って訓み直した神名の解は、(おほとまひめ)となり、こちらも娘をお祀りする伊自波夜比売神社と同じく阿波国麻植郡式内社に、

 

 秘羽目神足浜目門比売神社 二座が御鎮座し、論社である中内神社

 

 ◆御祭神 秘羽目神・足濱目門比賣神(足浜目門比売神)

 

 足浜目門比売神は、『日本書紀』天の岩戸の章一書(第三)に登場する、粟の国の忌部の遠祖天日鷲命の后神です。

 

 ●「安房国忌部家系図」

 「安房国忌部系」によると、

 

 「天日鷲命此神之子(中略)言苫比賣命所生子也。」

 と書かれてあるように、天日鷲命の后神は、「おほとまひめ=いふとまひめ=あはまとひめ」ということになります。

 

 

 これを地図にすると父から孫の代にかけて、段々と吉野川を遡上しながら西へと移動して行っておりますね。

 御祭神の秘羽目神の「目」を横にすると「四」と読めることから、阿波古代史研究者からは秘羽四(ひはし)=天日鷲命との説もあり、仮にそうであった場合、秘羽目神足浜目門比売二座は夫婦でお祀りされていることになり、これもまた父の多祁御奈刀弥神社と孫の天村雲神伊自波夜比売神社二座と全て夫婦でお祀りされている神社の構図となりますな(´・ω・`)

 

 因みに「い(お)ふとまひめ」と呼んだ地域と思われるのは、徳島県の沿岸側の方で、

 

 式内社阿波國名方郡 意富門麻比売神社(宅宮神社)(徳島県徳島市上八万町上中筋558)

 

 ◆御祭神 大苫辺尊 大歳神 稚武彦命

 

 社名から察するに、御祭神の大苫辺尊=意富門麻比売と考えられる訳なのですが、何故か大苫辺「尊」と稚武彦「命」が使い分けられているのが個人的には気になりますな(´・ω・`)

 

 距離感はこんな感じ下差し

 

 名方郡の著名大社12社を巡る「十二社詣り」というのがあり、当社がその第一であると、鳥居扁額に記されています。

 また例の神踊りでも有名なところでありますな(´・ω・`)詳細は割愛

 

 ここで一つ注目したいのが、海側にある意富門麻比売神社のみ、ご夫婦でお祀りされていないところ。まぁここではこの考察はしないでおきましょう。

 ということで早速例の如くはてなマーク阿波忌部氏系図にてご説明を致しますれば、

 

 

 天日鷲翔矢命=出早雄命なので、その父天背男命となりこれが建御名方神に置き換わります。

 出早雄命の息子が天村雲命であることから、次代の大麻比古命、天白羽鳥命、天羽富命の何れかに該当すると思われます。

 ただし注意点として、阿波國「続」風土記によると、天村雲命は、天日鷲命の”御弟神”と記されています。

 

 従って天日鷲命を中心に、その「弟」と「息子」に天村雲命が存在するということに注目です。

 これを解決するのがまたしても「安房国忌部系」

 

 「由布津主命は天止美命(天富命)と定め」云々と記録されており、

 

 

 由布津主命と天富命(天止美命)が同じ人物であると記しております。

 つまり上下異系譜に見える2つの系譜は実は同じであり、1世代のズレが生じる結果となっています。

 一体これはどういうことなのでしょうかはてなマーク

 

 その答えは…「妻」にあります。

 

 吉野川市鴨島町麻植塚字堂の本に御鎮座する五所神社。別名喩伽(ゆうが)神社。

 

 『麻植郡郷土誌』には、「祭神大麻綜杵命(おおへつきのみこと)を祀る」、「阿波風土記曰く、天富命は、忌部太玉命の孫にして十代崇神天皇第二王子なり母は伊香色謎命にして大麻綜杵命娘なり、大麻綜杵と呼びにくき故、麻植津賀(おえづか)、麻植塚と称するならんと云う」

 つまり天富命は10代崇神天皇の御子で、(崇神の)母が伊香色謎命であると記します。これをまた忌部氏系図に追加しますと、

 

 

 このようになり、天太玉命が崇神天皇の父である第9代開化天皇となります。

 

 先述にあった出早雄命と多留比売は共に建御名方神の御子ですので、これにより伊香色謎命と天比理乃咩命が同神であるという解釈となります。

 

 お次は阿波忌部側から紐解いてみますと、一般社団法人忌部文化研究所の「徳島と日本各地を拓いた阿波忌部」によれば、大麻比古神と天太玉命は同神。

 

 また「大麻比古命の謎に迫る」でも記しましたが、阿波国一宮の大麻比古神社の御祭神、大麻比古神社宮司「山口定實」氏著「国幣中社大麻比古神社御祭神考證」「大日本國一宮記」には、全て御祭神は猿田彦神であると記されてあり、

 

 

 これまでの考察等から、猿田彦命=船戸(岐)神=麻能等比古神となり、『三輪高宮家系図』にもある、大国主命の子の都美波八重事代主命=大物主神でもあるということ。

 

 

 ということは、系譜的には猿田彦命(事代主命)を基準として、その父が大己貴命(大国主命)ですよね。

 

 そして問題となるのが大己貴命「妻」なのですが、『播磨国風土記』より「伊和大神(大己貴神)の妻の許乃波奈佐久夜比命」の記録があり、同時にこの木花之佐久夜毘売は『記紀』では天照大御神の「孫」の邇邇芸命の妻でもあるということ。

 また大国主命は須佐之男命の娘の須勢理毘売を本后としたことにより「子」となっていること等から須佐之男命側の系譜では、

 

 ①須佐之男命ー大国主命ー事代主命 の3代系譜となり、

 

 皇祖系譜側は、

 

 ②アマテラスー天忍穂耳命ー邇邇芸命 の3代系譜となります。

 (須佐之男命)

 

 つまり大国主命と邇邇芸命の「妻」となった許乃波奈佐久夜比命(木花之佐久夜毘売)は、2世代に渡って別の夫の妻となっていることがお分かり頂けるかと思います。

 

 これを忌部氏系図に置き換えますと、

 

 

 橙色ラインから上側が忌部氏及び海部氏等の系図側となり、一方下側がいわゆる『記紀』及び皇孫(天皇側)の系譜となります。

 

 ●置き換え版

 

 これできっちり置き換わっているはずです。

 例えば、「大麻比古神と天太玉命と同神」の説であれば、皇孫側の天太玉命(天津彦彦火瓊瓊杵尊:あまつひこひこほのににぎのみこと)

 

 

 が上側では大国主命の息子事代主命(大麻比古神)の位置となり、

 その妻もまた木花之佐久夜毘売と同神となることから、天皇系譜側で2世代に渡って妻となった伊香色謎命がこれに対応し、その夫の開化天皇(若倭根子日子大毘毘命:わかやまとねこひこおおびびのみこと)つまり「ひひ=猿=猿田彦大神)」と同一人物ということになります。

 

 上下で世代を超えた系譜のマジックとなっている訳ですが、これを更に「諏訪」系で考察しますと、

 

 阿波国那賀郡 式内論社 室比賣神社(徳島県海部郡海陽町相川阿津1)

 

 通称 阿津神社の御祭神は、木花開耶姫命

 

 徳島県南部の海部の地では阿津(あづ)姫さんと呼ばれておりますが、木花開耶姫命は、『古事記』では本名を神阿多都比売(かむあたつひめ)とあり、筑波大学附属図書館に所蔵されている「阿波国続風土記」には、

 

 徳島県板野郡の謂れに、「此板ノト云根元ハ神宅村板野神社ヨリ起レル名ナリ此神飯田姫ノ命ト云本名ハ吾田鹿葦津姫ト云」と記されて在り板野郡は、「紀」にある神吾田鹿葦津姫(木花之佐久夜毘売)の神名により起ったと書かれています。

 

 邇邇芸命の妻となった木花之佐久夜毘売(阿津姫)ですが、これが吉野川流域にある忌部の地に行くと、先述致しました天村雲命の妻である伊自波夜比売(会津(あづ)比売命:諏訪信仰の人物)となる訳です。

 この神名もまた別訓みすれば、会津(あえづ・あわづ/かいづ・かわづ)比売とも訓めますなぁウインク

 

 ということで、大麻比古神=八重事代主命=大物主神=猿田彦命=天村雲命

とその妃(御崎(前))となります。

 

 阿津姫さんも吉野川河口域だと猿田彦命の妻となった天宇受売命(大宮売神)になると考えられ、吉野川流域である忌部の地では伊香色謎命(伊自波夜比売)がこれに対応すると考えられます。

 

 最後に、建御名方神の子、そして伊自波夜比売の父である出早雄命(いづはやお)ですが、こちらも訓みを変えると、

 づる)く)たける)となり、須佐之男命の息子五十猛神となり、こちらも忌部氏系図に置き換えますと、

 

 

 このように諏訪系の神々を敢えて神名を訓み直すことにより、阿波では馴染み深~い式内社にてお祀りされている神様のお名前へと変化するのです。

 従って「諏訪信仰」の神々は、阿波の神々を(わざわざ一手間加えて)訓み直しされた別神名であることがお分かり頂けるのではないでしょうか。

 

 信濃の方には大変申し訳ないのですが、「元諏訪」が実は阿波であったという事実は俄かには受け入れ難いかも知れません。

 これまでの考察から、徳島県においてもこの諏訪信仰の神に対応するのは凡そ吉野川中・下流域の範囲、つまり忌部の痕跡が強く残る地域であると考えられます。

 

 重ね重ねですがあくまでこれは私説考察ですので、信じる信じないは個人の判断にお任せ致します<(_ _)>アシカラズ