長野県の諏訪湖周辺の4宮からなる『諏訪大社』。
信濃国一宮であり、言わずと知れた全国約25000社もある諏訪神社の総本山である。
その祭神は
『建御名方神(タケミナカタノカミ)』と
その妃である
『八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)』。
しかし、古くは別の神が祀られていたという伝承もある。
それが謎の神『ミシャグジ』という竜神あるいは蛇神なのだそうだが、それはまた別の機会に。
また、後から入ってきたユダヤの文化とも深い関わりを持つが、本日は違うお話。
今回は『タケミナカタ』にスポットを当ててみたい。
『タケミナカタ』はとても興味深い神である。
旧暦10月、日本全国が「神無月」のとき、出雲だけが『神在月』となる。
全国から八百万の神々が出雲に集まり、一年のことをあーでもないこーでもないと会議するためである。
そんな中、『タケミナカタ』は出雲には来ない。
「サボり」や「仲間外れ」ではなく、あまりに「巨大な竜」であったため、会議を「免除」されたのだ。
もちろん、その逸話をそのまま鵜呑みにすることは出来ない。
古事記では、『タケミナカタ』は国譲りの際、最後まで『天孫』に対抗し、武神『タケミカヅチ』に相撲で敗北し、諏訪まで追いやられた。
国を譲る気満々の父『大国主』や兄『事代主』の意に背き、「勘当された神」とも言われている。
諏訪まで逃げ延びた際、「この地から一生出ない」という宣言をしてしまった為とも。。
ここで、まず考えなければならないことは、この時点での『大国主』つまり『タケミナカタ』の父が誰だったのか…ということ。
そして、「出雲」から「諏訪」までの距離感…である。
まず、『タケミナカタ』は竜神の神格を持つ。
ならばその親神も竜神でなければ辻褄が合わない。
そして、恐らく初代『大国主』は白竜『大物主』。
「物」とは「物部氏」との関連性がある。
物部氏の祖神は『ニギハヤヒ』である。
『タケミナカタ』は『ニギハヤヒ』の子であったのだろうか。
それならば、本当の初代大王を隠したい者達は、その正当な血筋である『タケミナカタ』も何処かに追いやりたいはずである。
さらにもう一つは「距離感」である。
いくら『タケミナカタ』が巨大な竜神であったとしても、わざわざ諏訪まで逃げるとは…
少し違和感を感じる。
そこで、『諏訪大社』の話に戻ります。
四国徳島県に『元諏訪』つまり『諏訪大社』の本宮があるというのだ。
『多祁御奈刀弥(タケミナトミ)神社』。
徳島県名西郡石井町に鎮座し、その主祭神はもちろん、
『建御名方神(タケミナカタノカミ)』と
『八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)』。
社名の「タケミナトミ」とは、この二柱が合わさって出来たのだとか。
これだけではさほど驚きがないかもしれないが、実は…
『諏訪大社』の『御頭祭』という神事では、75頭の鹿の頭を捧げる。
『多祁御奈刀弥(タケミナトミ)神社』では、なんと75のお膳をお供えするというのだ。
さらに、程近い場所には、タケミナカタの母『沼河比売(ヌナカワヒメ)』を祀る『杉尾神社』があり、この二社を繋ぐ道は古くから参拝のルートであった。
さらにさらに、付近には『大御和(おおみわ)神社』があり、奈良の『大神(おおみわ)神社』の主祭神と同一神、つまり、タケミナカタの父が主祭神なのである。
なぜこうも、『出雲』の神々が徳島の同じ地域に祀られているのか。。
ちなみに、徳島『阿波の国』は大昔、別の名で呼ばれていたそうだ。
『イの国』。
そして、その海岸部を「イの面(ツモ)」つまり…
『イツモ』と。。
これが古事記等に記されている『出雲(イツモ)』のことであったなら、徳島の『イツモ』から徳島の『元諏訪』までの距離感は、、けっこう近い❗
『タケミナカタ』の知る『イツモ』と『スワ』は全て徳島県のことであったのだろうか。。
謎と興味は深まるばかりである。
つづく。
ではまた❗
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