↑のつづき。
さて、
阿波市から吉野川を渡って
吉野川市鴨島町にやってきた。
吉野川市は元々「麻を植えた地」を意味する
『麻植(おえ)郡』と呼ばれた。
麻植の地名は阿波忌部氏の祖神
天日鷲命が麻種を植えたことから
名づけられたのだそうな。
鴨島町の向麻山(こうのやま)は、
元の名は『神ノ山(こうのやま)』であり、
麻植の神天日鷲命の御陵が
あったと伝えられている。
周辺の駅名にもなっている
『麻植塚』の由来もソコからである。
また、古語拾遺では
上古、忌部の祖神天太玉命の孫
『天富命』が麻を植えた地とされている。
天富命はその後、
千葉の房総半島を開拓したのだった。
その後の阿波忌部の足取りは、
徳島編の後に控える関東編の記事で
書いていけたらと思います。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240411/08/noginohi107/9b/95/j/o1080081015424300720.jpg?caw=800)
事代主神社から車で十数分。
『中内神社』にたどり着いた。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240411/08/noginohi107/5c/b0/j/o0810108015424300728.jpg?caw=800)
鳥居には、式内社 中内神社の扁額。
阿波徳島では、
こぢんまりとしたこの神社でさえ
とても重要な社なのだ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240411/08/noginohi107/ab/82/j/o1080081015424300732.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240411/08/noginohi107/d4/6c/j/o1080081015424300740.jpg?caw=800)
拝殿
延喜式内社 麻植郡
秘羽目神足浜目門比売神社 二座 論社
『中内(なかうち)神社』
鎮座地 徳島県吉野川市鴨島町西麻植中筋
創建 不詳
別称 中の内宮
祭神 秘羽目神 足濱目門比賣神
忌部神社の仮宮の伝承がある。
祭神の足濱目門比賣神は
「斎部宿禰本系帳」によると、
阿波忌部の祖神であり、
麻植神とも称される
『天日鷲命(アメノヒワシ)』の后神。
もう一柱の祭神秘羽目神(ヒワメ)は、
「ヒワシ」の訛化であり、
夫婦神を祀るという説もあるが、
「目(メ)」を『女(メ)』とも書き
『天日鷲命(アメノヒワシ)』の妹を表すとも。
つまり、事代主神の后神
ヒワメ⇒阿波咩(アワメ)。
寛保元年(1741年)には、二座に加えて
天日鷲命も祀られていた記録があり、
やはり、
秘羽目神は秘羽女神と見てよさそうである。
式内社秘羽目神足浜目門比売神社の
論社は他に、
徳島県吉野川市鴨島町の『杉尾神社』や
吉野川市川島町の「鎮守八幡神社」がある。
鎮守八幡神社の由緒書き↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
もとは秘羽目神社と称して、
現在の社地の南側に鎮座していたが、
天正年間、
武士の起こした戦により火をかけられ
神宝・社記など社殿とともに
すっかり焼失した。
その後、現在の位置に
式内日羽女(ひわめ)神社として再建した。
ところが、
蜂須賀氏が阿波藩の領主となり、
式内日羽女神社の社号は
さしつかえがあるとされ、
名前を変えるように申し渡された。
その結果、誉田別命を合祀して、
鎮守八幡神社と改称したと伝えられている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
元々の社名に八幡神を合祀するパターンは
よく見かける。
つまり、
蜂須賀氏に社名を変えられてしまったのだ。
日羽女は文字通り『秘羽女』となった。
その理由とは一体…
天正13年(1585年)、
四国を平定した豊臣秀吉は
阿波国を蜂須賀家政に与えた。
尾張国海東郡蜂須賀村出身である蜂須賀家は、
阿波入国後に
色々と怪しげな動きをしていたようだ。
※元が「八須賀」だったのなら、
スサノオに繋がりそうな姓名である。
実際、
阿波国初代藩主となった蜂須賀家政は
土着の豪族を優遇せずに
尾張や播磨の出身者を重用したのだそうな。
古代から続く、
大切な阿波土着の信仰にも
メスを入れていったことだろう。
徳島の素晴らしさに感動し、
阿波古代史が大好きになった者としては、
多少なりとも思うところはある。
しかしながら、蜂須賀家が
阿波の伝統文化に貢献したこともあるようだ。
そのひとつが、『阿波藍』である。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240411/08/noginohi107/97/97/j/o1080081015424300745.jpg?caw=800)
横から本殿。
千木は女千木である。
さもありなん。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240411/08/noginohi107/26/c8/j/o1080081015424300750.jpg?caw=800)
小さな祠の後ろには
石が積まれている。
原初の信仰がひっそりと残されている。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240411/08/noginohi107/c7/fa/j/o1080081015424300755.jpg?caw=800)
藍産業振興協会Webサイトの
徳島城博物館館長 根津寿夫氏によると↓
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「三草」という言葉がある。
「三草」という言葉がある。
人々の生活に有用な三種の草をいい、
麻と紅花、そして藍を呼んだ。
東南アジア原産の藍は、
蓼科の一年草で葉や茎から染料をとった。
日本には奈良時代までに中国から輸入され、
江戸時代には栽培が本格化した。
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阿波での栽培は、
室町時代から行われていた。
阿波の気候と土壌が
藍作に適していたことに加え、
徳島藩蜂須賀家の保護によって
藍作は次第に拡大していた。
藍作の行われた吉野川流域は、
江戸時代には無堤防地帯で、
吉野川の適度な氾濫が肥沃な客土を運び、
藍作に貢献した。
藍作に必要な肥料や藍玉を運ぶのにも
吉野川が使われたから、
藍は吉野川の恵みを受けて
成長していったことになる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
阿波藍商人たちは、
江戸から明治大正にかけて
海上交易を通して阿波藍を全国に流通させ、
日本経済に大きな影響を与えた。
そんな阿波藍商人の信仰対象は、
海の神エビス様だったのだそうな。
※同じく海上保安の神
金比羅さんの信仰もあったようだが、
大物主として見れば、
エビス(事代主)と同一神となる為、
結局同じ神を信仰していたのかもしれない↓
藍染めの色は、
世界では「JAPAN BLUE」として
日本を代表する鮮やかな青色。
サッカー日本代表のユニフォームも
「藍色」を表現しているのだそうな⚽
後日、実際に阿波藍を見たのだが
本当にステキだった。
倭国の探求心や向上心は
ワタシ達も見習い、
受け継ぐべきものである。
ちなみに、
同じく徳島県の佐那河内村の
とある神社には『藍神様』が祀られている。
どうやらその正体は、なんと
『○田彦大神』なのだそうな。
※後日、記事になります🐒
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240411/08/noginohi107/4a/7f/j/o1080081015424300759.jpg?caw=800)
大切にしたい『阿波藍』。
今ワタシの中で溢れている思いは
『阿波愛』ですけどね(=゚ω゚=)❗
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240411/08/noginohi107/3a/f4/j/o1080081015424300763.jpg?caw=800)
まだまだ吉野川市の旅は続きます。
次の神社には、
善入寺島(粟島)で爆破されたアノ神社が
合祀されていた。
そして、向かう途中になんと、
雪が降ってきた…⛄
※参拝日2023/12/21
つづく。
ではまた❗
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