さて、
出張の合間の神社巡り阿波徳島編の
一日目を先日書き終えて、
二日目に取り掛かりたいところだが、
少し小休憩を挟みたいと存じます。


阿波古代史に深く潜るためには
欠かせないことのひとつ。

それが『太龍寺』である。



山号 舎心山
四国八十八箇所の第二十一番札所
『太龍寺(たいりゅうじ)

所在地 徳島県阿南市加茂町龍山
宗派 高野山真言宗
本尊 虚空蔵菩薩
別称 西の高野

海抜600mの太龍寺山の山頂付近にあり、
真言宗準別格本山の格式を持つ。

弘法大師 空海』の創建と伝えられている。





現存する古事記は
磯上乃古事記(いそのかみのふることふみ)』
と呼ばれている。


弘法大師空海が残した『太龍寺縁起』には↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
天長二年(825年)、
空海教王護国寺の管長になりて三年、
阿波国太龍寺縁起金剛遍照撰を修め、
「阿波国那賀郡舎心山太龍寺
 天神七代之内六世面足尊煌根尊降居坐
 磯輪上秀真国阿波国也」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

つまり、
国常立尊からイザナギイザナミまでの
天神(神世)七代の六代目にあたる
面足尊(オモダル)・惶根尊(カシコネ)
降り立った磯輪上秀真国(ホツマのくに)
阿波だった。

と空海が記しているのである。


日本書紀の神武天皇の段には↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~
昔、伊弉諾尊(イザナギノミコト)、
此の国を目(なづ)けて曰(いわ)く、
日本は浦安国(うらやすくに)、
細(くはし)戈千足国(ほこちたるくに)、
磯輪上秀真国(しわかみのほつまくに)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

イザナギが、
日本を磯輪上秀真国
と名付けた。


「日本の始まりが『阿波』だった」
と、空海さんがおっしゃっているのである。


『磯輪上(しわかみ)』の由来については、

潮が輪となって打ち寄せる
 磯の上にある国』
の意味という説があるのだそうな。


伊弉諾神宮の鎮座する『淡路島』と
阿波』の境界にあるのが…

潮が輪となっている

鳴門のうずしお』❗❗



そして、

磯輪上秀真国つまり、

日本の始まりを神話に綴るのが

磯上乃古事記』なのである。


また、
阿波古代史のバイブル
『道は阿波より始まる』では
こう解説されている↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
僧空海が帰国後、
わが国第一の学僧として嵯峨天皇の信を得
教王護国寺の管長になりました。

その三年後、
わざわざに阿波太龍寺に一文を寄せ、
「面足尊(オモタル)降居
 磯輪上(しわかみ)
 秀真国(ほつまくに)是阿波国也」
と明言したのも留学中の知識から、
倭奴国面土国王面足尊のことで、
邪馬台磯輪上の秀真国と呼ばれる
阿波国だと確信をもっていたればこその
一文です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


邪馬台国(邪馬壹国)卑弥呼以前、
後漢書東夷伝の記述では、
帥升(スイショウ)』という
まだクニが統一されていない時代の
ヤマトの王がいた。

また、
これより以前の西暦57年に
後漢に朝貢して
金印(漢委奴国王印❓️)を授けられた
委奴国王(わのなのこくおう)の存在。

委(ワ)」の本来の読みは「委(イ)」、
つまり
阿波の元の国名『イの国』であり、
」の中の『奴国(なこく)』は
阿波の南部『長国(ながこく)』のことだと
する説が存在する。
つまり伊面毛(イヅモ)ですね

その領土には、太龍寺のある
徳島県阿南市も含まれるのである。

古代、阿南市全域は那賀郡に属していた。
那賀郡(阿南市)の式内社には、
八千矛神(大国主)を祀る八桙神社や、
天照大御神の幼名を冠する
賀志波比売神社などが鎮座している。

委奴国とは
いの那賀国』のことだった。

※八桙神社


※賀志波比売神社



そして、イザナギ以前の王
面土国王とは面足尊だったのである。


邪馬壹国卑弥呼
『天照大日孁尊(オオヒルメ)』
つまり、今でいうところの
天照大御神』だとするのなら、
その二世代前が面足尊だと
しっくりぴったり
時系列と系図にフィットする。


空海さんは、
阿波が始まりの地ですよ』と
懇切丁寧にワタシ達現代人に
説いてくれていたのだ。


さらに、
帥升(スイショウ)』は、
中国語で「シュイシャヌウ」と読める事から
スサノオとの関連も指摘されている。

さしづめ、先代スサノオといったところか。


空海と言えば、
空海・橘逸勢とともに『三筆』と呼ばれた
第52代嵯峨天皇。

空海に東寺を賜るなど、
空海と交流深き嵯峨天皇ならば、
古代日本の神話についても
意見交換の場はあったはずである。

嵯峨天皇が残した有名な言葉↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「素戔嗚尊(スサノオ)は
 即ち皇国の本主なり、
 故に日本の総社と崇め給いしなり」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

スサノオこそが、皇祖神なのだと。。


このスサノオは実は、
天照大御神(卑弥呼)の弟ではなく、
その二代前である

シュイシャヌウ

つまり、『面足尊(オモダル)』のこと
だったのかもしれない。




さらに、大龍寺の奥の院
南舎心ヶ嶽は
空海さんが19歳頃に100日間の
虚空蔵求聞持法を試みた場所とされ、
断崖の岩場に高野山に向って
弘法大師像が鎮座している。

また、
補陀落彦命の祠
不動明王の祠
神武天皇の祠
天照皇大神の祠が鎮座している。

なぜ神武天皇の祠があるか…
と、いうことなのだが、

舎心山太龍寺縁起に関するブログを
引用、参考にさせて頂きますと、


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(太龍寺 南舎心嶽前の神武天皇祠)
往昔、神武天皇狭野尊
筑紫日向宮崎宮より大和国御坐入りの時、
五月十六日舎心山行幸あり、
舎心の峰の明星
御影向石に通じ夜上に向き明星に礼し給う
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

つまり、
神武天皇がこの舎心山太龍寺付近に
来ていたことがはっきりと記されている。





さらに↓
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大海原に天の樟船で流された蛭子(ヒルコ)
和修吉(わじき)龍王が拾って養育し
エビスと名付けた
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「その内容の証拠はこれですよ」
と言わんばかりに、
那賀郡 鷲敷(わじき)町和食(わじき)には
式内社 和奈佐意富曾神社の論社
蛭子神社」が鎮座しているのである。

祭神は蛭子大神天照大神須佐之男神

和食(わじき)大明神と称される。


蛭子神社は那賀川沿いの

太龍寺ロープウェイ入口付近に鎮座する。



太龍寺縁起によると↓

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弘法大師は和食大明神の勧めにより
太龍寺山に登り修行を行ったと伝える。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




いかがでしたでしょうか。

ワタシが
阿波に興味を持ってしまった理由が
少しでもおわかり頂けたのなら幸いです。

そして、実際に徳島に行くと
想像を遥かに越える衝撃とワクワクに
出逢うことができます。


一旦、これまでの定説を忘れて
楽しむことにフォーカスすれば、
きっと素敵な発見があるはず。



それでは、次回から
阿波徳島編二日目が始まるよ☀️


つづく。


ではまた❗









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