↑のつづき。
さて、長距離バスで3時間の長旅を終え、
その日の夜、高知駅⇒徳島駅に着いた。
翌朝、ワクワクを抑えきれずに
まだ暗いうちに出発しんこー。
神山高校前行きのバスに乗り、
大木南バス停で下車。
朝焼けの徳島市上八万町。
すごぉーく良いところだ。
そして、徒歩10分。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240304/17/noginohi107/69/48/j/o1080081015409095876.jpg?caw=800)
個人的に、
もっとも参拝したかった神社のひとつ
『宅宮神社』にたどり着いた。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240304/17/noginohi107/70/59/j/o0810108015409095880.jpg?caw=800)
鳥居の扁額に刻まれる
『延喜式内』『十二社第一』。
のちに、
改めて実感することになるのだが、
阿波徳島は、延喜式内社の宝庫だった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240304/17/noginohi107/3e/ca/j/o1080081015409095886.jpg?caw=800)
手水舎には、カエル。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240304/17/noginohi107/02/88/j/o1080081015409095895.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240304/17/noginohi107/43/dd/j/o0810108015409095901.jpg?caw=800)
徳島市指定保存樹木のクスノキ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240304/17/noginohi107/dc/10/j/o1080081015409095913.jpg?caw=800)
解説文には、
阿波国名方郡十二社の
第一位に列せられているとのことや、
日本唯一の家宅の神が祀られていること、
また、毎年五穀豊穣悪病退除をお祈りし
社前で古式豊かな『神踊り』が
奉納されていることが記されている。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240304/17/noginohi107/c4/4c/j/o1080081015409095933.jpg?caw=800)
随神門。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240304/17/noginohi107/0e/7c/j/o1080081015409095954.jpg?caw=800)
拝殿。
名方郡十二社第一位 延喜式内社
『宅宮(えのみや)神社』
鎮座地 徳島県徳島市上八万町上中筋
創建 不詳
祭神 大苫辺尊 大年大神 稚武彦命
延喜式神名帳の式内小社
阿波国名方郡
「意富門麻比売(オオトマヒメ)神社」
に比定されている。
延喜式内社で唯一、
神世七代の第五代目
『大苫辺尊オオトマベ(大斗乃弁神オオトノベ)』
を祀る神社。
イザナギイザナミが第七代なので、
日本全体で見ても大変貴重な神社である。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240304/17/noginohi107/b8/66/j/o1080081015409095970.jpg?caw=800)
宅宮神社略記↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一、千数百年以前より
意富門麻比売神社と奉称された式内社にして
現在地の南方約二丁余(上八万小学校西南)
山間の堂と称せられし平坦地に鎮座す
一、天正年間、長曽我部元親
阿波国攻入の際、兵火により社殿焼失す
兵乱鎮まりて後、
神林地の現在地に社殿を建立し、
その時より宅宮大明神として
奉斎された日本唯一の家宅の守護神なり
一、寛保元年三月
稚武彦命の御神体を勧請せり
祭典神事
一、大御神楽祭 旧二月一日
一、例大祭 十一月三日
一、神 踊(徳島市指定重要文化財) 八月十五日
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240304/17/noginohi107/8f/06/j/o1080081015409095976.jpg?caw=800)
大苫辺尊(オオトマベ)の他、
豊穣の神『大年大神』と
第7代孝霊天皇の皇子であり、
鬼退治の神『稚武彦命』を祀る。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240304/17/noginohi107/4a/9b/j/o1080081015409095986.jpg?caw=800)
拝殿の中を少し覗けた。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240304/17/noginohi107/10/8f/j/o1080081015409095998.jpg?caw=800)
横から本殿。
千木は女千木。
祭神はイザナミの二代前の大女王である。
敬愛する
引用させて頂きますと、
祭神の『意富門麻比売』の神名の意味は、
『意富(オホ)』⇒「大(オオ)」、
『門麻(トマ)』⇒「泊(トマリ)(港のこと)」
を意味しているのだそうな。
つまり、
「八萬津(現在の上八万町)」を祀る神であり、
大昔は「大きな港」だったのである。
昔の地形や海岸線は、
現代とは違うことを加味しなければ、
神話の謎は謎のまま。
例えば、現在は平地でも
地名に「島」がつけば、
昔は島だったりとかするのだ。
「津」がつけば港だったのだ。
昔の地名がいかに重要なのかを
改めて痛感する今日この頃。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240304/17/noginohi107/0c/b4/j/o1080081015409096011.jpg?caw=800)
さてさて、以前↓の記事で書いたとおり、
この宅宮神社には、
少なくとも平安時代の頃から
『神踊り』が伝承されている。
県の無形民俗文化財にも指定される
『神踊り』は、
五穀豊穣や悪病退散を祈願し、
毎年旧暦7月16日に
13地区の馬組と称す氏子によって奉納される。
踊りは計12種類。
神踊、出雲踊、伯母踊、住吉踊、駿河踊、
汐汲、博多踊、燕踊、鐘巻踊、
忍び踊、赤黄踊、清水踊。
そんな踊りの中に
『出雲踊』というものがある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●出雲踊の歌詞
伊豆毛の国の伯母御の宗女
御年十三ならせます
こくちは壱字とおたしなむ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そして、
魏志倭人伝には、こう記されている。
~~~~~~~~~~~~~~~~
卑弥呼亡き後に国は乱れたが、
十三歳の壱与が王となり、
国は治まった
~~~~~~~~~~~~~~~~
つまり、
千年以上も前から
阿波の神社に受け継がれてきた
神踊り『伊豆毛踊り』の歌詞に、
邪馬台国の女王卑弥呼の後継者
『壱与』が登場している事実。
『伊豆毛(イヅモ)』とは、もちろん
島根県の「出雲」ではなく、
かつて、阿波徳島の海岸部にあった
「イの国の面(ツモ)」のことである。
元々、宅宮神社は現在の位置より
南側の山周辺に鎮座しており、
その背後には古墳もあったのだそうな。
宅宮神社の祭神が、
実は『壱与』だった説もあるため、
古墳がその陵墓だったのかもしれない。
壱与(イヨ)の別名は『台与(トヨ)』であり、
数々の阿波説にある通り、
『トヨウケ大神(オオゲツヒメ)』であり、
卑弥呼=大日孁尊(オオヒルメ)
台与=豊日孁尊(トヨヒルメ)であり、
阿波国式内社の
⛩️天石門別八倉比売神社
⛩️天石門別豊玉比売神社
が絶妙に絡んでくる。
まさに、
ワクワクのワクムスビなのである🤣
そして、なんとびっくり。
『神踊り』の本当の漢字は↓
こう書くのだそうな。
これはやばいですね💧
つづいて境内の様子を。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240304/17/noginohi107/e5/01/j/o1080081015409096023.jpg?caw=800)
古(いにしえ)からある井戸。
時々、地下から水が沸き上がるのが見える。
飲料としても良い成分のようだ。
有り難く頂戴いたします。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240304/17/noginohi107/75/44/j/o1080081015409098283.jpg?caw=800)
ずっと参拝したかった宅宮神社は
想像以上に素晴らしかった。
今回の阿波徳島編一社目にふさわしい。
そして、次なる神社に向かった。
前述した境内の朝宮神社。
その鳥居のむく方向にもあるのだ。
『朝宮神社』が❗
朝焼けの上八万町の旅は
つづく。
ではまた❗
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