↑のつづき。

さて、土佐一ノ宮から高知駅に戻り、
高知県最後の神社へと向かう。


駅から徒歩20分ほど。

久万川を越えて、愛宕山へ。


たどり着いたのは『愛宕神社』。



長い参道を登る。


そして拝殿。

『愛宕神社』

鎮座地 高知県高知市愛宕山
創建 寛永6年
祭神 伊邪那美大神 火産霊神


こぢんまりとした神社だが、
ホームページがある。

愛宕神社ホームページによる由緒↓
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火の神様である火産霊神と、
母の伊邪那美大神をお祀りしております。

起源は、当社棟札によると寛永6年、
山城国(現在の京都府北部)より
勧請したのがはじまりとされております。
土佐の国山内家2代藩主山内忠義公の尊崇篤く
承慶2年に米100石を献じて社殿を再建し、
藩内の火災防護、諸々の災難を防ぎ、
藩民の安全と生業の発展を
祈念されていたそうです。

社殿のある愛宕山頂上は
高知城とほぼ同じ高さにあり、
高知城の北方にあります。
また、明治初期までは祭典において
藩からの献納(毎年米29石9斗8升余)
されていたことから、
代々藩主は最も恐ろしい
火災から城下をはじめ、
藩内を守る為に崇拝されていたものと
見られます。

現在では、火災除け・厄除けをはじめ、
家内安全・商売繁盛の神様として
崇敬されております。
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つづいて、境内社を。



『水神社』
創建 不詳
祭神 水速能女神 御井神 忍雲根神

HPによる由緒書き↓
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社殿前に手水舎と並んで
お祀りされています。

火の神様と共に祀られている水神様。
古くからある当社の井戸は、
高い標高にも関わらず
如何なる日照りにも
水が切れたことのない井戸で、
火の鎮めとして本殿と相対して祀られており、
火と水の生活に欠かせない
二つの力の源を表したお社であります。
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祀られているのは、
水の神と井戸の神。

そして、
水と農業の神格を持つ『忍雲根神』。

別名『天村雲命』である。
※式内社で天村雲命を祀る神社は徳島のみ。
また、水神ミヅハノメの名を冠する
式内社も阿波徳島のみなのです。




『杉尾神社』

祭神 大物主神

HPによる由緒書き↓
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境内東にあり、大国主神の和魂である
大物主神をお祀りしております。 
荒々しい荒魂と相対し、
平和と発展の神様で、
我々国民の安寧と五穀豊穣を司っています。

大国主神との関係が深いことから、
縁結びや開運招福の神様として
多くの方に崇敬されています。
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大物主を祀る神社が『杉尾神社』。

これがとても重要である。

徳島県板野郡藍住町に鎮座する
杉尾神社』の祭神は
『天石門別八倉比売命(大日孁女命)』。

また、
徳島市国府町矢野に鎮座する
『天石門別八倉比売神社』の御神体は
杉尾山(気延山)。

天石門別八倉比売神社は
杉尾大明神』と称された。

その由緒書きには、
天照大御神(大日孁女命)の
葬儀委員長を努めた
『大地主神(大国主)』の名がある。


徳島県内には『杉尾神社』が
20社以上存在し、
ほとんどの祭神は大己貴命(大国主)だが、
事代主など、様々な神が祀られている。


和歌山県有田郡有田川町に鎮座する
生石(しょうせき)神社の社記には
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吾れは阿波国杉尾神なり、
播州にては生石子明神なり、
今や比処に迹を垂れ國家を守護せん、
殊に婦人は難産なく子孫繁栄を誓ふ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
とある。

ちなみに、
播州つまり、
兵庫県高砂市の宝殿山山腹に鎮座する
『生石(おうしこ)神社』の祭神は
大穴牟遅命(大国主)と少毘古那命である。
大国主大神、生石子大神、
 粟嶋大神、高御位大神を配祀。

いずれにせよ、
『杉尾』を冠する神社は
阿波発祥だということが
証明されているのではなかろうか。

そして、
天石門別八倉比売神社の摂社には
『松神社』が鎮座していることを
頭の片隅に置いておきながら、
今回の本当の目的地である
「奥の院」へと向かった。

愛宕山は標高が約40m以上あり、
高知城とほぼ同じ高さなのだそうな。
そして、高知城の鬼門に当たる。


見えてきた。

さっきまで雨が降っていたのに、
行く手には急に光が差す。


奥の院『天熊社

祭神 天熊大人(天熊人命アメノクマヒト)

HPによる由緒書き↓
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境内北にあり、
保食神(うけもちのかみ)から生まれた
稲・麦・大豆・小豆・稗の五穀、
蚕・牛馬を高天の原に持っていき
天照大御神に献上した
天熊大人をお祀りしております。

生命の根源である食作に深い関係があり、
身体健全・病気平癒に
ご利益があると言われています。
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古墳に鎮座している。


この愛宕山は、
昔は津ノ崎山と呼ばれていて、
6世紀後半~7世紀前半頃には
この辺りまで浦戸湾が入り込んでおり、
中津という港があったのだそうな。


祭神の天熊人命は、
保食神の御子神。

日本書紀では、
保食神が口から食物を出したので
汚らわしいとして
ツクヨミに斬られてしまう。

その時、
天照大神に遣わされて
保食神の死を確認した神が天熊人命

天熊人命は、
保食神から出た穀物を持ち帰ると、
天照大神は喜び、民が生きてゆくために
必要な食物だとして
これらを田畑の種とした。

※古事記では
保食神オオゲツヒメ
ツクヨミ⇒スサノオになっている。
※オオゲツヒメは阿波の祖神


また、天熊人命の別名は
武三熊之大人(たけみくまのうし)』
大背飯三熊之大人(おおせいいのみくまのうし)』
上記の神名は天穂日命の御子神だが、
古事記では、
建比良鳥命(鳥命)とあり、
同神だと考えられる。

その神名には『』、
そして『(ヒナ、エビス)』が
組み込まれていることから、
その正体は、
天日鷲(大国主)の子である
『事代主』
なのではないかなぁ…と。

そして、
事代主の后は、
五穀豊穣の神
保食神(オオゲツヒメ)

なのだ。


天熊人命の神名の「熊」は
『神』と同義であり、
『カモ』もまた、同じ意味とされる。

つまり、天鴨人命なのである。



古墳と神社のセットって
最高に面白いのです。


この天熊社を後にしたら、
また雨が振りだした。


土佐国、まだまだ深堀が必要だ。



さてさて、

高知県の旅は、これにて終了。

駅に戻り、長距離バスに乗った。


そして、3時間。

ついに、阿波徳島にたどり着いたのでした。


怒涛の徳島編、スタート。



つづく。

ではまた❗




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