人事労務日記~所長のつぶやき~ -323ページ目

人事労務日記~所長のつぶやき~

人事労務コンサルティング事務所を経営する所長が日々の業務について思うことを綴ってます。

平成24年6月20日


「四十歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」と

言われることがあります。


「生まれて直ぐは遺伝が百パーセント。

その顔を土台にして、成人するまでの二十年間は

育った環境が顔をつくる。

そしてさらにその顔を土台に、成人してから四十歳

までの二十年間は、その人の意志が顔をつくる。

つまり、“幼い頃の顔は百パーセントが遺伝でも、

その後どんな生き方を選ぶかで顔つきが変わってくる。

その顔付きを長年続けるうちに次第に定着し、やがて

その人の顔ができあがる。その年齢が四十歳”である」

という意味で、この言葉は、使われているようです。


私は、電車の中で周りを観察することがありますが、

夫々人生を過ごして来た有り様が拝察できることも

あります。

年齢を重ね、それにつれ「イイ顔」になっている人を

発見し、“その人の人生は、きっと満足できるもの

なんだろうな”

と拝察することもあります。
 

ちなみに私が「イイ顔」になるのは、もう手遅れです。

平成24年6月19日


 先週の土曜日あたりから、ギックリ腰みたいに

なったしまいました。

私は、元々右股関節が悪いのですが、日常生活

では、どうしても悪い部分を守ろうとするので、

回りの筋肉などが無理をするようです。


若いときは、なんとも無かった過重負担も負担を

強いられる筋肉などにも余裕がなくなっている

のでしょう。

“もう限界”と悲鳴を挙げているのかもしれません。


そのため、土曜日、日曜日の両日は家で安静

(一日中妬ました)にしていました。

昨日は、アポがあったので通常通りの活動を

しましたが、やはり足と腰の痛みに悩まされました。

今日の朝は、そんな痛みに加え、通勤電車が

人身事故で止まってしまいました。

タクシーを漸くつかまえ、何とかオフィスに出ましたが、

本当に「踏んだり蹴ったり」の目にあいました。



平成24年6月15日


 「弱り目に祟り目」。「好事魔多し」。

と昔から、「生きているというのは厄介なこと」

だということを現す言葉があります。

浮き世の風は冷たいものとよく言われますが,

イヤなことが、次から次と降り掛かってくると、

“自分はなんて運がないのだろう”とも

思ってしまいます。


思い通りにことが運ばないのは世間の常としても,

想定外のことが飛び込んでくるのはかないません。

思いもしなかったことに直面させられるのは,

思わなかった方の落ち度といえばそれまでですが,

それが重なることになると嫌になってきます。

そんなときは、家に帰って一杯やって憂さを

らすのが一番です。





平成24年6月14日


 私の家は、3人家族です。

私と妻と愛犬(牝のパグ、3歳、名前は「ハナコ」)

3人です。


「ハナコ」は、とてもお茶目で元気な賢い子です。

朝、私を起こすことから「ハナコ」の一日が始まり、

その後、私の出勤の見送り、帰宅の出迎えと

続きます。

そして、「晩酌」に付き合って私の愚痴を聞いたあと、

夜は、寝転びながらテレビを見ている私と一緒に

うたた寝します。


テレビの騒音や鼾に耐えながら私の腕枕でうたた寝

していた「ハナコ」も、11時になるとムックリと起き上がり、

“さぁ、寝るわよ”と私に目配せして、トコトコと自分の

寝床に歩いて行きます。

私も自分のベッドにもぐりこみます。

これで「ハナコ」の一日が終わります。


私たちは、毎日まいにち、こんな平凡な生活

を繰り返しながら、ドンドンと歳をとって行きます。

平成24年6月13日


 団塊の世代が今年65歳を迎え始め、本格的な

リタイア生活を迎える人が増えてくるとのことです。

実際にリタイア生活に入った人が、皆さん思うのが、

会社という「安定した居場所」を失うことが、思っていた

以上に大きな問題だと実感するということだそうです。



リタイアといっても60歳代は、まだまだ身体は元気だし、

気力も充実しています。

だから、何もすることもなく所在なげに家にずっといると気が

滅入ってしまいます。

本人だけでなく奥さんも、旦那が四六時中ズッと家にいる

ことには息が詰まり、どう扱ったらよいか戸惑ってしまいます。


そこで結局は、旦那が外に出て家にさえいなければ、

今まで通りで万事丸く治まるということになるのですが、

問題は、男にはそう簡単には「行く場所」が見つけられない

ということです。


会社という安定した「行く場所」が無くなると、多くのリタイア族は、

朝起きたら先ず“今日はどこに行ったらよいだろうか”という問題に

悩むようです。


図書館に行ったり、大学の聴講生になっても直ぐに飽きてしまいます。
そこで、町会長になったり、町会監事になったりと地域の組織に

関わる人が多くなるようです。



平成24年6月12日


 今日は、家から取引先へ直行しました。

郊外のやや遠い先なので、やや長い時間、

電車に乗っていました。

今日は不思議なことにオフィスに戻るまでの

半日の間に酔っ払い朝から酔っ払っている人に

遭遇する羽目に会いました。


それは、顧客近くの駅のトイレです。

私が用をたして、手を洗っているとき、大声で

ブツブツ独り言を言っている中年男性がトイレ

に飛び込んできました。

“どん百姓め”とか怒鳴りながら・・・・

なにかあったのでしょうが、朝から酒を飲んで

いるのが不思議でした。

でも、何か因縁でもつけられは、かなわないので、

そのままソッとトイレの外に出ました。


でも、世の中は、朝から酒を飲まなくてはやって

いられないほど、不愉快なことが多くなっている

のでしょうか?




平成24年6月11日


 生きていると実にいろんな事があります。

道を歩いているだけで、見知らぬ人に、

訳の分からない理由で刺されてしまったり、

車にぶつけられたりなど

突然に不幸に見まわれてしまうこともあります。


こんな状態を考えると世の中は理不尽の積み重ね

のようにも思えてしまいますが、悪い事もあれば、

その内に、好い事も必ずあります。


好事と悪事は判断の物差し次第で変わります。

今日の悪事は明日には好事を産み出すことにも

なります。

だから、そうなるように努力することが今日なすべき

こととも言えます。

明日にどうつなげるか,それが今日を生きるということの

基本の覚悟だと言う人もいます。


だから、今日は悪事に見えたのは,明日好事にかえる

ための努力すべき課題が見えたということもいえるわけです

このことを昔の人は試練が与えられたと考えるようにして

きたのでしょう

そうでも思わなければ,悪事に見舞われた今日を

生きることが辛くなるからです。






平成24年6月9日


 先日、新宿から地下鉄に乗ったとき、

私の後から若い男性が杖をついて乗込みました。

足は、私より不自由そうでした。


私は、優先席横のドア前に立ちましたが、

その人は優先席の前まで進んで立ちました。

それは間違いなく「座らせてもらえませんか」

という意志表示でした。

しかし、誰も席を譲ろうとしませんでした。

見るに見かねて、後ろに座っていた女性が

立ち上がり、その人に席を譲って一件落着と

なりましたが、

最近、こんなことを見るのが珍しくなくなりました。


誰もが疲れているのか、チョッとの間でも

座りたがります。

勿論親切な人も多く、私なんかも何度か席を譲られ、

恐縮したことが数多く在ります。

世の中、捨てたものでもない面もあるのも、また

事実です。

平成24年6月8日


 今日も市場が急落しております。

どうも世界中で、政治も経済も変調と来たして

いるようです。世の中では、先行きを悲観的な

見方をする人が増えているようです。


「悲観主義者は、機会の中に難しさを探す。

楽観主義者は、難しさの中に機会を見いだす」との

言葉がありますが、物事をどのように捉えるかは

その人によって異なります。

そして、そのことが結果を大きく左右します。


よく引用される次のような話があります。

ある靴メーカーが未開の島に営業マン二人を派遣した

ところ、一人は「この島では靴を履く者がいないので

見込みはない。靴は売れないだろう」と報告し、

もう一方は、「この島は誰も靴を履いていない!

(たくさん売れそうだから)今すぐ大量に靴を送れ!」

連絡したそうです。

この二人の営業マンの成績は言うまでも無いでしょう。


平成24年6月7日


 昨日は、午前・午後と取引先を訪問、

訪問後雨も降っているし疲れたので、直帰しました。

最近は、随分と疲れるようになってしまいました。


ところで、学校の先生の研修会で使われる話に次の

ようなものがあるそうです。

「くもの巣に蝶がかかっており、幼稚園の先生はその蝶を

逃がしてやりました。
見ていた園児の一人が食ってかかってきて

“先生!そんなことをしたら、くもがかわいそうじゃないか?!”

先生は一瞬、「いやなことを言う子だ」と思いましたが、

よくよく考えてみたら、その子の言うことにも一理ある。

せっかくの餌を逃がされて、くもは腹をすかせたに違いない。

だとすれば、自分は蝶を助けて、くもを虐めたことになるのでは

ないか。」


ものごとは、多面的な事情の組み合わせにより、

「今がある」のは事実でしょう。

それを、自分の価値観とかそのときの社会の価値観とかで、

ひとは、良いとか悪いとか判断してしまっているようです。


でも、

その価値観によって現代社会が成り立っているのもまた、

事実でしょうから、果たして子供たちにはどのように教えたら

よいのでしょうか?