人事労務日記~所長のつぶやき~ -304ページ目

人事労務日記~所長のつぶやき~

人事労務コンサルティング事務所を経営する所長が日々の業務について思うことを綴ってます。

平成25年3月26日


 今日も靖国通りの桜並木を楽しむために、

多くの観光客が通りを歩いています。

最近は、この上を向いて歩く人たちに混じって、

携帯やスマートフォンを手で操作し、耳から

補聴器ならぬイアフォンをぶら下げて歩く人たち

が加わりました。


歩きながら一心不乱に、携帯やスマートフォンを

眺めています。

この人たちが、自分だけ石につまずいて転んだり、

ひったくりに会ったり、するのは一向に構わない

のですが、この連中が桜見物で混み合う歩道を

歩くと、ほかの歩行者が迷惑するのが困りもんです。



勿論、この人たちは、そんな迷惑には一向に

お構いなしです。廻りの人々が急いでいようと、

上を見ながら歩いていようと全く関係ありません。

そして、時々、歩行中に突然立ち止まるから一層

危ないのです。

特に、反射神経が鈍り、足元が覚束ない私のような

高齢者には厄介極まりありません。
“危ないよ”と言うものなら、“なんだ、このクソ爺…”

と言いたげな冷たい視線が返ってくるので、かないません。


「困ったもんだ」

平成25年3月25日


 先の衆議院選挙で民主党が大敗し、

自民党中心の安倍内閣になって、国内経済
を取り巻く雰囲気は随分と変わりました。

金融緩和や景気対策でデフレ脱却を目指す

「アベノミクス」は、その期待感からマーケットを

多いに刺激し、円安・株高を招来しました。
日本の経営者も概ねこれを歓迎しているようです。

勿論、今は期待感からマーケットが反応して

いるので、真価を問われるのはこれからでしょう。

やはり、国内総生産に占める割合がもっとも大きい

個人消費をどのように梃子入れしていくかがポイント

のようです。
理屈の上では、一人ひとりが数%ずつ消費を

増やせば大きな力になるのでしょうが、
これが中々難しいようです。

企業景気が実態面でも回復して、利益が増嵩し、

その利益が労働にも分配されて、
固定賃金が上がって行かないと、サラリーマンの

先行き不安は中々解消しないからです。


でも、この内閣で何とか「失われた20年」を

脱却して欲しいものです。



平成25年3月23日


 民主党政権が終り、安倍内閣となってから、

円安・株高と順調に経済が上向いているように

見受けられます。然し、日本経済が本当に好転

したのかは、未だ分かりません。


人生も同じです。順調なときこそ、気をつけなくては

ならないでしょう。

「好事魔多し」とも言います。

これは、順風満帆なときこそ人生の落し穴に落ちて

しまうことが多いことへの警句です。

人は順調なときは、これからも順調に行くだろうと

思い込みがちです。

だから、「順調なときこそ落し穴には注意すべき」

という古くからの教えなのでしょう。


そう考えると人生というのは実に恐ろしいもので、

蜘蛛の糸一本でかろうじて吊り下がっているの

かもしれません。


退職したら“カミさんとゆっくり旅行にでも行って、

夫婦水入らずの時間を過ごそう”、そうすれば、

“カミサンはきっと喜ぶはずだ”とサラリーマン時代と同じように

「奥さんは、自分と一緒の生活をしたいはずだ」と勝手に

思い込んでいる人は、ある日突然、奥さんからの

手痛いシッペ返しを受けて、“なんで?どうして?”

と慌ててしまうかもしれません。


「人生の落し穴」は、いつ口を開けて待っているか

分らないのです。

平成25年3月22日


 今日は、靖国通りの桜並木も満開となり

枝一杯に咲き誇っています。

でも、パッと咲いてパッと散る桜は、来週の今頃には

花を落としているでしょう。


私の桜に対しての想いは、ここ数年変化してきた

ように感じます。

それは桜の綺麗さに感嘆する一方で、“来年もまた

この見事な桜を見ることが出来るだろうか”という

思いが加わったからです。

不安や恐怖などではありません。

今現在は、ときどき足が痛む以外はいたって健康ですし、

勿論、今年の桜が最後というわけでも全くありません。


ただ漠然と“来年もこの見事な桜が見られるのだろうか”

と感じるのです。
それは私の心の奥底で「桜のはかなさに共鳴するところ

があるためなのか」、それとも「自分が歳を取って来たため

なのか」、よく分かりません。

多分、私が十分に歳を取り、人生の散り際を何となく

意識するようになったためなのでしょう。

そのため、前よりズッと「桜のはかなさ」に共鳴するところが

多くなったためなのでしょう。

平成25年3月18日


 年をとると物忘れが進むと言われますが、

わたしの場合も、実際、そうとうキテいます。
認知症なのかどうかは分りませんが、忘れっぽく

なったのです。


「物事を忘れる」に至る途中を考えてみると、

「ぼんやりしたり、他のことを考えていたり」して

いるようで。その間に忘れてしまうらしいのです。


若い頃なら、ぼんやりしても、何かに他のことに

気をとられても、すぐにその前に考えていたこと

を思い出せました。

今はこの復元力がだいぶ弱って、いわば、

ゴムが古びた状態になってしまったのかもしれません。



伸びた古いゴムは、替えなければ元に戻りません。

とすると、これから、ずっと伸びた古いゴム状態で

過ごさなくてはならないのでしょうか?


「それは困った!」


平成25年3月16日


 『人生一人旅』という昔からの言葉があります。
これは、自分の人生は、結局のところ一人で旅を

するものだということを言い表しています。


「一人旅」は何かと危険だし、何から何まで自分で

決めなければならないので、団体旅行の方が合って

いると思う人は、人生の航路を一人で決定することに

不安を感じて、人に決めて貰った方が楽だと思って

生きているのかもしれません。


逆に自分は一人で何でも出来るし、一人でいても

寂しくも何ともないから誰の世話にもならずに一人で

生きていけると豪語する人がいるとしたら、その人は

ちょっと傲慢な考えを持っているのかもしれません。

人里はなれた山奥で、仙人のような生活をすると

いうのでしたら別かもしれませんが、世の中のほとんどの

人はなんらかの形で自分以外の人のご厄介になって

いるものだからです。


ここのところ、採用面接をしていますが、応募者は

夫々の人生を抱えて、何とか新しい道を探そうと

必死です。

私たちもそれに答え、「人生の道連れ」になれるよう

必死に業務を行っています。


平成25年3月14日


 ここのところブログ記事の更改を休んでしまいました。

兎も角忙しくて、記事を書く暇が無かったからです。


3月は元々繁忙月なのですが、今年はそれに加え、

スポットの仕事を引き受けてしまったので、てんてこ舞い

となってしまいました。


スポットの仕事は今週一杯で片付けてしまう予定なので、

もう少しの頑張りです。

もっとも、夜遅くまで仕事をすれば、もっと余裕をもって

いられるのですが、夜はいつも通りに早く帰りたいため、

こんな有り様となってしまいました。


もう少し、頑張ります!




平成25年3月8日


 最近、直ぐ傍に住む人の凶悪な事件が増えています。

事件が起きた後、テレビのインタービューで“時々見かける

程度だが、悪い人には見えなかった”などと話している人の

声を聞く事も少なくありません。



私の子供時代は、「隣三軒両隣」と呼ばれた近所の身近な

地域社会が、お互いに見守り、必要があれば助けるという機能

がありました。地域社会の濃密な関係が子供を育ててきました。

然し、今は「隣は何をする人ぞ」の言葉通り、隣近所の付合いが

無くなってしまいました。

そして、昔のあのような地域社会の機能、近所の人とかの日常の

触れ合いに支えられていた「一緒に暮らす」という機能が失われて

しまったのです。



それが、良いのか悪いのか分りません。両方の要素があるのだろう

と思いますが、少なくても隣近所には余り関わりたくないとの気持ち

を持つ人が増えていることがこのような事件の背景にあるのかも

しれません。



平成25年3月7日


 昨日は春の強風が吹きましたが、ここのところ

暖かい日が続いています。

もう直ぐ、桜も一斉に鮮やかな花をつけてくる

のでしょう。



桜といえば、中国古典に、「花は半開きを看る」

という一文があります。

これは、「満開に咲き乱れている花は確かに

きれいだが、すぐに見飽きてしまう。

だから、満開よりも五分咲きぐらいの方に、かえって

花の風情があるのだ」という意味だそうです。



確かに、満ち足りた状態というのは、だれでも

願うところではあります。

然し、「満ち足りた状態には、必ずいつかは

終わりが来る」というのもまた他面の真実です。


だから、遂に満開に至ることなく、五分咲きぐらいで

終ってしまう人生も「また楽しからずや!」だろう

と思っています。

平成25年3月5日


 『旅は道連れ、世は情け』と言われるように、

『人生』を一緒に旅してくれる友人や家族がいて

くれたら『旅』の楽しさは倍増するかもしれませんが、

それでも結局は、「自分の人生」は、自分一人の

旅であることに違いはないのです。


人生という旅は、本人が自分のために考え、悩み、

決断して歩いて行く「長旅」だからです。
だから、人生を共にする人と出会い、結婚し、一緒に

『旅』する間柄になっても、夫々が夫々の人生航路を

旅しているのだということをわきまえておくことが肝心な

ようです。


結婚後相当の時間が流れ、長い間一緒に旅してきた

「連合い」は、「死ぬまで自分と同じ人生を歩いて行くもんだ」

と勝手に思い込んでいるサラリーマンご同輩は、退職後に

酷い目に会うこともあるようです。


「連合い」もまた、“自分の人生を別に歩いているんだ”と

ワキマエル事が退職後の人生を無事に過ごしていく為の

こつのようです。