平成25年3月22日
今日は、靖国通りの桜並木も満開となり
枝一杯に咲き誇っています。
でも、パッと咲いてパッと散る桜は、来週の今頃には
花を落としているでしょう。
私の桜に対しての想いは、ここ数年変化してきた
ように感じます。
それは桜の綺麗さに感嘆する一方で、“来年もまた
この見事な桜を見ることが出来るだろうか”という
思いが加わったからです。
不安や恐怖などではありません。
今現在は、ときどき足が痛む以外はいたって健康ですし、
勿論、今年の桜が最後というわけでも全くありません。
ただ漠然と“来年もこの見事な桜が見られるのだろうか”
と感じるのです。
それは私の心の奥底で「桜のはかなさに共鳴するところ
があるためなのか」、それとも「自分が歳を取って来たため
なのか」、よく分かりません。
多分、私が十分に歳を取り、人生の散り際を何となく
意識するようになったためなのでしょう。
そのため、前よりズッと「桜のはかなさ」に共鳴するところが
多くなったためなのでしょう。