人事労務日記~所長のつぶやき~ -203ページ目

人事労務日記~所長のつぶやき~

人事労務コンサルティング事務所を経営する所長が日々の業務について思うことを綴ってます。

平成29年7月17日

 

  先日、「カールじいさんの飛ぶ家」という映画を見ました。

この映画の冒頭シーンは、「カールじいさんが子供時代に

妻と出会い、結婚し、日々を積み重ねて、やがて妻を失い

一人になる」という流れを無声画像で綴るものでした。

 

  印象的だったのは、妻が毎日ネクタイを締めてあげる

シーンでした。ここのカットで一気に年月が経つのですが、

実際の人生もそうかもしれないぁと思ったりしました。

 

  なにか特別なことが積み重なるのではなく、ルーティンワーク

のような日々の積み重ねが人生をつむいで行く・・・・。

そして、その同じことの繰り返しを一緒に過ごす相棒こそが、

人生の伴侶である妻や夫なのだろうと思ったのです。

その人生の相棒が、突然に亡くなり一人になる悲しみ・・・・。

 

 私にはカールじいさんの悲しみが心に響きます。

 

平成29年7月15日

 

  私はサラリーマンを辞めてからもう〇十年近く経ちますので、

退職時の感慨などもうはるか彼方“忘却の淵”に行って

しまいましたが、私の友人の中には第2、第3の職場も

勤め上げ、本格的な「リタイア生活」を迎えた人も少なくなくなりました。

 

  そして実際に「リタイア生活」に入ってみて、会社という

「安定した居場所」を失うことが、思っていた以上に大きな

問題だと実感する人も少なくないようです。

 

  会社という安定した「行く場所」が無くなると、

多くのリタイア族は、朝起きたら先ず“今日はどこに行ったら

よいだろうか”という問題に悩むようです。

 

その結果、電車に乗ってどこかに行こうと思い立つ

ようでして、「遅く出勤して早く帰宅する」私と出会うことが

最近とみに多くなっています。

平成29年7月14日

 

私は(自慢じゃないですが)、誰にも負けない立派な

「方向音痴」です。

 

あ  る日取引先を初めて訪問するため、通りを歩いていたとき、

喉が渇いたので「何か飲み物」と思っていたら、右手にコンビニ

がありました。

早速、店に入って、一息ついた後、改めて取引先に向かいました。

 

  然し、店を出てから暫くすると“あれっ!”と思ったのです。

そこには見たことがある看板が立っていたからです。

何と小休止後歩き始めた方向を間違えてしまい、

いつのまにかもとの場所に戻ってしまっていたのです。

 

これには、流石に自分でもびっくり、無駄な時間を使ってしまったことを

嘆きました。

 

 

平成29年7月12日

 

   仕事をしている際には、さしあたってのことをやり終えて,

時間の空きができることがあります。
何をどうするか,その焦点が定まらなくて,ぼうっとしていると,

やがて落ち着かない気分になります。


  「走っていないと倒れてしまう」という忙しない気持ちが、

身についているからでしょう。
「貧乏性」ともいわれています。だから「貧乏性」の私は、

この空き時間ができるといつも「しょうもない」ことを始めだし、

一旦始めると止めるに止められず、自分で自分を罵る羽目

になったりしています。

 

平成29年7月10日

 

  作家の童門冬二さんが執筆された「サラリーマン生態学

(いきざまがく)」の中で、大変興味深い話があります。
「Qさんは万年課長だ。今まで何度か部長昇進の機会があったが、

理由があってうまくいかなかった。しかし、人事異動期になると、

Qさんは獅子奮迅の活躍をする。自分ではなく部下の売り込みだ。

そのセリフが、『オレのような無能課長を支えてきた有能社員だ。

ぜひ昇進させてやってくれ』というキマリ文句だ。」


  そして、けっこうQさんの主張は通る。
そのため、『社で出世するなら、まずQさんの部下になれ』というような

冗談が半分本気でささやかれている。
 

  上記のような話ですが、特に現在サラリーマンの方なら、いや既に

引退されている方、退社された方等々も、「なるほど」と身に覚えの

ある方が多いのではないでしょうか?
 恐らく、社内では「失敗したら責任は部下のもの、成功したら手ガラは

自分のもの・・・・」というような人の方が多いのかもしれません。

 

平成29年7月8日

歳を重ねるにつれてどんどんと増える「アレ」。                   食卓の醤油瓶も、朝ドラのヒロインの名前も、仕事に欠かせない大事な書類も、         次から次へと「アレ」に“改名”されて行きます。
                                             私の場合は、余り「アレ、アレ」とかは言わないんですが                       「固有名詞を思い出せない」ということでは、全く変わりはありません。            そこで出てこない言葉を説明するために、冷や汗をたらし乍ら余計な               回りくどい話をして、「話し相手」に「あぁ○○さんのこと」と                 何とか思い出して貰おうとするのです。                                                    

でも、よく考えれば、会話の途中で回りくどい話を織り込むのは             相手にとっては、却ってえらい迷惑なのかもしれません。

 

平成29年7月5日

 

  “今、自分は幸せなのかどうか?”よく自問するテーマです。

昔の識者によると、

「自分が、今幸せかどうか。それは就寝の時明日の朝起きるのが

楽しみであるかどうか」だそうです。

 

  今日精一杯生きた,明日に希望を持つ,そのプロセスが

幸せ感ということだといいます。

「今が恵まれている」と言えても,「今は幸せ」とまではいえない

かもしれません。まだ人生の途上にいる身では,今が幸せと

確信するには至らないからです。

 

  ただ言えることは,そう考えていた方が生きるのに楽だと

思えそうです。

 楽しみは,ものごとを明るく考えていくことから手に入る

ような気がするからです。

 

平成29年7月4日

 

  ある専門家によると、「ど忘れ」と「物忘れ」は似ているようで、

全然違うものだそうです。

例えば、「部下の名字がとっさに出てこない」というのは「物忘れ」

ではなく、「ど忘れ」だそうです。

  

  脳は、覚えていられる容量を超えそうになると「必要でないと

判断したものは一旦しまいこむ」という性質があり、それが

「ど忘れ」なんだそうです。

 

   部下の名字を「ど忘れ」すると、「毎日コミュニケーションを

とっている人の名前を忘れるなんて」と自分で自分にびっくりして

しまいますが、「いまの状況では部下の名字は別に重要ではないと、

脳がそう判断しただけのこと」と考えるようにすると、なんか安心しませんか?

 

   「ものは考えよう」と昔から言いますから…………

 

平成29年7月3日

 

   少し前の新聞記事に、「シニア層の横柄な態度に憤り」

というものがありました。

現役サラリーマンは未だ仕事中のある日の午後4時過ぎ、

駅の傍の居酒屋で登山帰りらしいシニアの男女グループが

酒を飲んで盛り上がり、中の一人がグラスを割ってしまいました。

 

  店員が破片を拾って後片付けをしていると“早く拭いて頂戴”

と居丈高にせかされた一方で、謝罪の言葉はまったくなかった

とのことです。

 

 最近は、鉄道の駅で暴れたり、コンビニの店員にキレて暴言を

吐いたりなど、ちょっとしたことにも我慢できないシニア層の横柄な

態度は、確かによく見たり聞いたりするようになりました。

 

 私は、勿論定員には、親切丁寧に接し、決してこんな態度は

取りませんよ(?)

 

 

平成29年6月29日 

 

   最近、介護問題が非常に多く取り沙汰されるようになりました。

それだけ「介護」が、誰にでも(自分にも)何れ訪れるであろう

人生の一大事として関心が高まってきているからなのでしょう。

 

  私も今は元気で一人暮らしをしていますが、ときどきフッと

“自分の介護は誰が?”と頭に浮かぶことがあります。

もう人生を共にした連れ合いはいませんので、気兼ねなく面倒を

見て貰える人はいません。

 

  でも、妻を介護し看取ったことが自信にでもなっているのか、

“子供を煩わせるようなことはしたくない”、“身体の自由が利く内に、

立派な老人ホームにでも入ればいいや”と結構気楽に構えています。

また、大方の人と同じように“ポックリ逝ければなぁ”とも願ってもいます。

 

  そしてこの問題はいつも頭を振りながら、“今から先のことをあれこれ

心配してもストレスが溜まるだけだ。先のことは、

ケセラセラ(なるようになる)さ”との結論で、終わりになります。