令和3年8月6日
何の準備もしないで年金暮らしとなった人の
先ずは喫茶店が多いようです。
そしてもうひとつ、多くの人が向かう先に、図書館があります。
私もサラリーマン退職後、一時毎日のように(電車に乗って)通った
日比谷の都立図書館では、昼間の新聞閲覧コーナーは
オジサン族が占拠していましたし、閲覧室では、雑誌を抱えて
居眠りするシニアをよく見かけたものでした。今
コロナ禍にある今は、年金暮らしの「男の居場所」は、やはり
家になっているのでしょうか?
令和3年8月6日
何の準備もしないで年金暮らしとなった人の
先ずは喫茶店が多いようです。
そしてもうひとつ、多くの人が向かう先に、図書館があります。
私もサラリーマン退職後、一時毎日のように(電車に乗って)通った
日比谷の都立図書館では、昼間の新聞閲覧コーナーは
オジサン族が占拠していましたし、閲覧室では、雑誌を抱えて
居眠りするシニアをよく見かけたものでした。今
コロナ禍にある今は、年金暮らしの「男の居場所」は、やはり
家になっているのでしょうか?
令和3年8月5日
働き方改革で残業なしで早く帰宅しても、自宅の方では
「平日の早い時間は、旦那は家にいない」との前提で、
奥さん中心に動いています。
そんなところに早く帰ってしまっても、家での居場所を
見つけられません。うっかりしていると、慣れない家事を
押し付けられてしまうかもしれません。
“毎日飲み歩くほど小遣いは無いしなぁ、どう過ごそうか?”
と思い悩むのが、「働き方改革」が中高年社員に与える
負の側面です。
令和3年8月2日
人生を長く歩いてきた私は、最近つくづく
「結局人生って、楽しいと思って過ごした者勝ちだな」
と思うことがあります。
勿論生きている限り、楽しいことばかりが起きる
はずはありません。辛いことや悲しいこと、嫌なこと
だって沢山起こります。
でも、辛いことや悲しいことなどは直ぐに忘れて、
嬉しいことや楽しいことだけを反復反芻し、余韻を
楽しんで生活すれば、結局「その人の人生は
楽しいもの」になるんではないかと思います。
令和3年7月31日
「縁は異なもの味なもの」という言葉もあります。
誠に変幻自在な縁の有り様は、生きていく上で何度も
経験させられます。
縁を切るか深めるか、そんな局面に立つ場合もあります。
昔、サラリーマン時代に仕事上のことで、一度ならず
同一人物から口汚く罵られたことがありますが、その際、
その人とは「金輪際2度と会うまい」と思い、心の中で
縁切りしたことがありました。
その人の噂は他の人から聞く事が在りますが、
果たしてその人とは2度とお目にかからずにもう数十年が
経っています。これからも多分会うことはないでしょう。
縁とは異なものであると同時にしつこい心の葛藤
を反映する場合でもあるようです。
令和3年7月30日
第一生命保険のサラリーマン川柳の作品の中には、
企業が人手不足や長時間労働是正のため、AIなどを
活用して急速に推進する業務効率化に戸惑う中高年
サラリーマンの姿をユーモラスに詠んだ作品
(「効率化 進めて気づく 俺が無駄」、
「電子化に ついて行けずに紙対応」等)
がある一方、
家庭での人間関係をテーマにした句もあります。
「『ちがうだろ!』 妻が言うなら そうだろう」、
「『マジですか』 上司に使う 丁寧語」など、
妻に頭が上がらない夫の立場を詠んだ句などは、
最近の「フラリーマン」の辛い状況を映しているそうです。
「亭主関白」を気取っていた一昔前の私にはとても
理解できない家庭状況となっているようです。
令和3年7月29日
サラリーマンをしていると1度は出会うだろうと思います。
「偉そうな人 いやいや 偉そうにしている人」にです。
そんな人とは合わないのに越したことがないので、
何とか合わないですむように色々と工夫するのですが、
運が悪いことに、そのような人に限って本当に
「偉い」ポジションであることも多いのです。
だから、会って話しをしなければならない場面も
少なくないので、余計にしゃくにさわってしまいます。
「でも、そんなイヤな相手とも、きちんと付き合わないと
いけないのがサラリーマンの辛いところ・・・・」です。
令和3年7月28日
どこかの雑誌で“日本のサラリーマンあがりの高齢者
というのは、「ソーシャルスキル(普通に他人と交わり、生活
していくために必要な能力)を持っていない」という指摘を
しているのを読みました。
要するに、一般社会のなかで、普通の人と普通に
話したりする技術(あるいは能力)が、 多くの高齢男性に
欠けているとの指摘でした。
私のサラリーマン時代は、よく同僚と仕事帰りに呑みに
行きましたが、話の中心は、いつも会社や上司の悪口
だったような気がします。
「ソーシャルスキル」を余り持っていなかったのかもしれません。
令和3年7月27日
「時を経る」ということは、色々な場面で重要な働きを
するものです。
“失恋の悲しみも、事業の失敗による失意も”、
「時を経る」ことで軽減していきます。
ヒトの顔も「時を経る」事で、顔つきが変ってくるようです。
「四十歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」と云われることが
あります。
“幼い頃の顔は百パーセントが遺伝でも、その後どんな生き方を
選ぶかで顔つきが変わってくる。その顔つきを長年続けるうちに
次第に定着し、やがてその人の顔ができあがる。その年齢が
四十歳”
という意味のようです。
そういえば、顔を見れば、そのヒトの過ごしてきた人生が何となく、
分るような気もします。
令和3年7月26日
「老後」という言葉があります。よく考えてみると、何とも
理解し難い言葉です。
サラリーマンが、定年間近になると話題にする「老後をどう
過ごそうか?」というときの老後は、定年後のことを言っているようです。
他方で、九十歳半ばをゆうに越えたお婆さんが、野良仕事を
しながら年金をせっせと貯めている理由を問われると“老後の為”と
答えていました。
九十歳台後半で、もう十分に老いている人の考える「老後」とは、
やはり働けなくなってから後のことなのかもしれません。
働いているうちは、幾つになっても、まだまだ「老後」ではないのでしょう。
令和3年7月24日
コロナ感染が勢いを増す中でオリンピックが
始まりましたけれど、今回のコロナ禍は、
日本のデジタル敗戦、ワクチン敗戦……
を改めて顕在化させてしまいました。
ここに来て政府も慌ててデジタル庁の創設など
行政や社会制度のデジタル化に乗り出しました。
勿論、企業も生き残りをかけて経営、組織、人事など
諸制度の抜本的な改革を急速に進めています。
そんな企業の改革の嵐の中で戸惑うのは、
サラリーマンたちです。
新型コロナウイルスの感染拡大をきっかけに人間関係や
働き方が大きく変化する中、戸惑いながらも奮闘しています。