ボクは、昭和28年生まれだ。
「花のニッパチ」と言われると嬉しい。
特に大相撲は、花のニッパチ組が活躍した。
なかでも、元関脇・麒麟児は、同じ中学の出身。
彼が、相撲部屋に入門する旅立ちを見送った記憶がある。
北陣親方になった彼に、NHK時代挨拶したこともある。
そして、第55代横綱北の湖、第56代横綱若乃花。
花のニッパチの牽引車、幕内24回優勝を誇る北の湖は、
憎らしいほど強かった。
ボクは、当時、輪島の贔屓だったので、北の湖を応援したことはなかった。
倒した相手が起き上がる際、北の湖は相手に一切手を貸さず、
背を向けてさっさと勝ち名乗りを受けてしまう態度も気にいらなかった。
観衆からも、「憎らしい」「ふてぶてしい」などと言われた。
しかし、この行動の理由について、
北の湖本人は「自分が負けた時に相手から手を貸されたら屈辱だと思うから、自分も相手に手を貸すことはしない」と、後年、明確に説明していた。
批判の声にひるむことなく、黙々と土俵に上がり続けた。
それは、理事長就任後も変わらなかった。
相撲協会の改革に手を染め、公益法人化を成し遂げた。
がんと闘いながら、理事長の要職を務めていたが、
九州場所のさなか、急逝した。
花のニッパチの同級生の死去。
少なからずショックである。
ご冥福を祈る。