こちらは “tiger と Tigris” の “3” にござります。 1 は↓
http://ameblo.jp/nirenoya/entry-10503182413.html
〓ここで、どうしても古典ギリシャ語の格変化 (曲用) をいくつか見てもらわん、なりません。これがわからないと、ギリシャ語版 「借ってきて」 と 「買ってきて」 のカンドコロがわからないからです。
〓まず、
(a) ヘーロドトスがペルシャ語の Tigrā を借用したつもりだった 「イオーニア方言」 の
Τίγρης Tígrēs の変化。
(b) それに正しく対応する 「アッティカ方言」 の *Τίγρᾱς Tígrās (実在しなかった) の変化。
(c) ヘーロドトスの語形を 「アッティカ方言」 のつもりで誤って変化させた Τίγρης Tígrēs
の変化。つまり、クセノポーンの語形。
の3つを対照して見ていただきやしょう。
(a) ᾱ-語幹の格変化、イオーニア方言
(b) ᾱ-語幹の格変化、アッティカ方言
(c) τ-語幹の格変化
【 主格 / ティグリス川は 】
(a) ὁ Τίγρης ho Tígrēs [ ホ ' ティグレース ]
(b) ὁ Τίγρᾱς ho Tígrās [ ホ ' ティグラース ]
(c) ὁ Τίγρης ho Tígrēs [ ホ ' ティグレース ]
※主格では、一見、(a) と (c) が一致しているように見えるが……
【 属格 / ティグリス川の 】
(a) τοῦ Τίγρεω tû Tígreō [ トゥー ' ティグレオー ]
(b) τοῦ Τίγρου tû Tígrū [ トゥー ' ティグルー ]
(c) τοῦ Τίγρητος tû Tígrētos [ トゥー ' ティグレートス ]
【 与格 / ティグリス川に 】
(a) τῷ Τίγρῃ tô Tígrē [ トー ' ティグレー ]
(b) τῷ Τίγρᾳ tô Tígrā [ トー ' ティグラー ]
(c) τῷ Τίγρητι tô Tígrēti [ トー ' ティグレーティ ]
【 対格 / ティグリス川を 】
(a) τὸν Τίγρην tòn Tígrēn [ トン ' ティグレーン ]
(b) τὸν Τίγρᾱν tòn Tígrān [ トン ' ティグラーン ]
(c) τὸν Τίγρητα tòn Tígrēta [ トン ' ティグレータ ]
【 呼格 / ティグリス川よ 】
(a) ὦ Τίγρη ô Tígrē [ オー ' ティグレー ]
(b) ὦ Τίγρᾱ ô Tígrā [ オー ' ティグラー ]
(c) ὦ Τίγρη ô Tígrē [ オー ' ティグレー ]
〓どうでしょう。「主格」、「呼格」 を見るかぎりでは、 (a) と (c) とが似ていますが、それは、クセノポーンがやったのと同じ錯覚です。実際には、母音が訛っているだけで、基本的に同じ変化 (曲用) をするのは、 (a) と (b) なんすね。しかし、古代ギリシャでは、こういう正しい解釈が行われなかった。
〓 (b) の呼格形なんぞ、見てくださいよ。「おお、ティグリスよ」 という言い方ですが、
ô Tigrā 「オー・ティグラー」 と、まったくのペルシャ語
ではありませんか。
〓クセノポーンがカン違いした (c) のタイプの格変化 (曲用) を “τ-語幹曲用” なんぞと言います。どういうことか、というと、このタイプの名詞は、本来の主格の語尾が -τς -ts なのです。
〓しかし、古典期のギリシャ語では [ ts ] という子音が存在しません。そのため、本来、 -τς -ts であるような語尾は、 -ς -s となります。 [ t ] が落ちるんですね。
〓「ティグレース」 以外にも例はたくさんあります。たとえば、英語でよくご存知のコレの語源となったギリシャ語。
英語 = rhinoceros 「サイ」
――――――――――――――――――――
語幹 = ῥῑνοκερωτ- rīnokerōt- / τ-語幹
……………………………………………………
ὁ ῥῑνόκερως ho rīnókerōs [ ホ リー ' ノケロース ] 主格 「サイは」
τοῦ ῥῑνοκέρωτος tû rīnokérōtos [ トゥー リーノ ' ケロートス ] 属格 「サイの」
τῷ ῥῑνοκέρωτι tô rīnokérōti [ トー リーノ ' ケローティ ] 与格 「サイに」
τὸν ῥῑνοκέρωτα ton rīnokérōta [ トン リーノ ' ケロータ ] 対格 「サイを」
ὦ ῥῑνόκερως ô rīnókerōs [ オー リー ' ノケロース ] 呼格 「サイよ」
〓英語で言う rhinoceros [ raɪ'nɑsərəs ] [ ライ ' ナサラス ] 「サイ」 ですね。つまり、主格は、本来、 *ῥῑνόκερωτς rīnókerōts [ リー ' ノケローツ ] のハズなんです。英語なら語末の -ts は可能ですから、 *rhinocerots 「ライナサラッツ」 と本来の語形を想像してみることができます。
〓古典ギリシャ語では 「角」 を κέρας kéras [ ' ケラス ] と言いました。それは、こんなトコロにも入ってます。
triceratops [ traɪ'serəˌtɑps ] [ トライ ' セラ ˌ タプス ] 「トリケラトプス」。英語
〓「トリケラ(ー)ト(ー)プス」 はラテン語読み。「トライセラトップス」 は英語読み。
τρι- tri- “3つ” の意味の接頭辞 ← τρεῖς tréis [ ト ' レイス ] 「3」
+
κερᾱτ- kerāt- ← κέρας kéras [ ' ケラス ] 「角」
+
ωπ- ōp- ← ὤψ ōps [ オ ' オプス ] 「顔」
+
-ς -s 主格語尾
↓
τρικερᾱ́τωψ trikerātōps [ トリケラ ' アトープス ] 「3本の角のある顔」
〓ムズカシイ余談ですが、 κέρας kéras 「角」 は、本来、 τ-語幹ではなく σ-語幹 (s-語幹) であったようです。つまり、属格で言うと
*κέρασ-ος kérasos → κέρᾱτος kérātos
↓
κέραος, κέρως kéraos, kérōs [ ' ケラオス、 ' ケロース ] 詩語およびアッティカ方言形
※古代ギリシャ語は、母音間の s が落ちやすい言語だった
ということです。
〓で、この語が、合成語の第2要素になると、2通りの語形が現れます。
-κέρᾱτος, -τον -kérātos, -ton 「~な角をした(もの)」
-κερως, -ρων -kerōs, -kerōn 「~な角をした(もの)」
〓つまり、後者はアッティカ式 (アテーナイ式) に母音間の σ s を落とした語形ということです。ギリシャ語では、 α + ο と母音が隣り合うと、融合して ω ō となります。
〓さらに、 ῥίς rīs [ リ ' イス ] 「鼻」 で、語幹は ῥῑν- rīn- です。ということで、
rhinoceros 「サイ」 = “鼻に角のあるもの”
ということです。
〓いっかん、いっかん、寄り道じゃ……
〓以上のことをまとめてみましょ。
〓「ティグリス川」 を最初に使ったヘーロドトスは、この語が次のように変化するコトバだと思っていたことになります。
Τίγρης Tígrēs 「ティグリス川」 男性名詞
――――――――――――――――――――
Τιγρη- Tigrē- 語幹 (ᾱ- 語幹 第1曲用) ※一般に女性名詞の変化
――――――――――――――――――――
ὁ Τίγρης ho Tígrēs [ ホ ' ティグレース ] 主格 「ティグリスは」
τοῦ Τίγρεω tû Tígreō [ トゥー ' ティグレオー ] 属格 「ティグリスの」
τῷ Τίγρῃ tô Tígrē [ トー ' ティグレー ] 与格 「ティグリスに」
τὸν Τίγρην tòn Tígrēn [ トン ' ティグレーン ] 対格 「ティグリスを」
ὦ Τίγρη ô Tígrē [ オー ' ティグレー ] 呼格 「ティグリスよ!」
〓しかるに、クセノポーンは、これを字面どおりにアテーナイ式 (アッティカ方言) に変化させてしまいました。
Τίγρης Tígrēs 「ティグリス川」 男性名詞
――――――――――――――――――――
Τιγρητ- Tigrēt- 語幹 (τ- 語幹 第3曲用)
――――――――――――――――――――
ὁ Τίγρης ho Tígrēs [ ホ ' ティグレース ] 主格 「ティグリスは」
τοῦ Τίγρητος tū Tígrētos [ トゥー ' ティグレートス ] 属格 「ティグリスの」
τῷ Τíγρητι tō(i) Tígrēti [ トー ' ティグレーティ ] 与格 「ティグリスに」
τὸν Τίγρητα ton Tígrēta [ トン ' ティグレータ ] 対格 「ティグリスを」
ὦ Τίγρη ō Tígrē [ オー ' ティグレー ] 呼格 「ティグリスよ!」
〓ところが、クセノポーンの2世紀半後のことです。
〓アルカディアの人、ポリュビオス Πολύβιος Polýbios (c.203BC~c.120BC) が紀元前2世紀に書いた 『歴史』 という書には 「ティグリス川」 というコトバが7回出てきます。
〓それは、すべて同じ語形で、対格形でした。
τὸν Τίγριν tòn Tígrin [ トン ' ティグリン ] ポリュビオスの対格
τὸν Τίγρην tòn Tígrēn [ トン ' ティグレーン ] ヘーロドトスの対格
τὸν Τίγρητα ton Tígrēta [ トン ' ティグレータ ] クセノポーンの対格
〓どうですか。またもアタマをひねらなければなりません。ヘーロドトスの対格 Τίγρην Tígrēn、クセノポーンの対格 Τίγρητα Tígrēta のいずれでもないんですね。
〓何が起こったのか?
【 「トラ」 というコトバの登場 】
〓この間にナニがあったのか、と言うと、ギリシャ語に 「トラ」 という単語が登場したのです。
τίγρις tígris [ ' ティグリス ] 「トラ」
〓最初に、このコトバを使ったのは、あの有名なアリストテレース Ἀριστοτέλης Aristotélēs (384BC~322BC) です。もっとも、主格形ではなく、属格形でした。
Φασὶ δὲ καὶ ἐκ τοῦ τίγριος καὶ κυνὸς γίνεσθαι τοὺς Ἰνδικούς,
οὐκ εὐθὺς δ᾽ ἀλλ᾽ ἐπὶ τῆς τρίτης μίξεως·
Phasì dè kaì ek tû tígrios kaì kynòs gínesthai tū̀s Indikū́s,
ūk euthỳs d all epì tês trítēs mī́xeōs
「また、インド犬はトラと犬とから生まれると言う。
ただし、一世代目ではなく、三世代目だと言う」
〓ここに現れたのは、
τοῦ τίγριος tû tígrios [ ' ティグリオス ] 属格 「トラの」
という語形です。 ἐκ ek 「~から」 (from, out of) という前置詞の支配を受けるので属格を取っています。この属格から想定される主格が ὁ τίγρις ho tígris [ ホ ' ティグリス ] であるわけです。
〓ところが、この単語がひじょうに奇妙な軌跡をたどるんです。単純に、「古典ギリシャ語で “トラ” は τίγρις である」 と言って済ませられないんですね。
〓というのも、古典ギリシャ語の τίγρις tígris 「トラ」 という単語は、人によって、まったく体系のちがう2通りの格変化 (曲用) をするからなんです。
τίγρις tígris 男性名詞 / 女性名詞
――――――――――――――――――――
語幹 τιγρι- tigri- (ι-語幹) / τιγριδ- tigrid- (δ-語幹)
――――――――――――――――――――
τίγρις tígris [ ヘー / ホ ' ティグリス ] 単数主格 「トラは」
τίγριος / τίγριδος tígrios / tígridos [ ' ティグリオス / ' ティグリドス ] 属格 「トラの」
τίγρῑ / τíγριδι tígrī / tígridi [ ' ティグリー / ' ティグリディ ] 与格 「トラに」
tίγριν tígrin [ テーン / トン ' ティグリン ] 対格 「トラを」
τίγρι tígri [ ' ティグリ ] 呼格 「トラよ!」
――――――――――――――――――――
τίγριες / τίγριδες tígries / tígrides [ ' ティグリエス / ' ティグリデス ] 複数主格・呼格 「トラたちは・トラたちよ!」
τιγρίων / τιγρίδων tigríōn / tigrídōn [ ティグ ' リオーン / ティグ ' リドーン ] 複数属格 「トラたちの」
τίγρισι(ν) tígrisi(n) [ ' ティグリスィ(ン) ] 複数与格 「トラたちに」
τίγρῑς / τίγριδας tígrīs / tígridas [ ' ティグリース / ' ティグリダス ] 複数対格 「トラたちを」
〓ひじょうにヤヤコシイ表になってしまいました。ヤヤコシイのもムベなるかな、で、古代ギリシャ人たちも、この単語についてはかなりの混乱を見せています。
〓まず、文法上の性ですが、男性名詞/女性名詞どちらでも現れています。
【 男性 】
紀元前4世紀=アリストテレース Ἀριστοτέλης Aristotelēs 384~322BC マケドニア生まれの哲学者
紀元前4~3世紀=テオプラストス Θεόφραστος Theóphrastos c.371~c.287BC レスボス島生まれの哲学者・博物学者
紀元2世紀=パウサニアース Παυσανίας Pausaníās イオーニアの旅行家・地理学者
紀元2世紀=アレクサンドロス Ἀλέξανδρος Aléxandros 雄弁家
【 女性 】
紀元前4~3世紀=ピレーモーン Φιλήμων Philēmōn シチリア島シラクサの喜劇詩人
紀元前1世紀の=ディオドーロス・シケリオーテース Διόδωρος Σικελιώτης Diódōros Sikeliōtēs シチリア島の歴史家
紀元1~2世紀=プルタルコス Πλούταρχος Plūtarkhos c.46~c.120AD ボイオティア出身の歴史家
〓どちらかというと、男性名詞扱いが古く、かつ、優勢に見えるんですが、けっきょく、後世、 τίγρις tígris という単語は 「女性扱い」 が固定化し、現代ギリシャ語でも女性名詞です。
〓さらにややこしいのが、古典ギリシャ語では、
動物を指す名詞は、定冠詞を変えるだけで、“オス/メス” の区別をあらわすことができた
という点なんです。たとえば、
ὁ ἵππος ho híppos [ ホ ' ヒッポス ] 「オス馬」
ἡ ἵππος hē híppos [ ヘー ' ヒッポス ] 「メス馬」
※ ὁ ho が男性定冠詞、 ἡ hē が女性定冠詞。フランス語の le / la、ドイツ語の der / die と同じペア。
しかし、印欧語族の現代語はおろか、古典語でも、このように、冠詞を変えるだけでオス/メスを言い分ける、
というような言語は、他にない。
〓つまり、古典ギリシャ語で女性名詞扱いのものは “メスのトラ” を指している可能性もあるんです。
〓また、最大のモンダイが、この語を ι-語幹 (i-語幹) として扱うか、δ-語幹 (d-語幹) として扱うか、 という点です。
〓またも、古典ギリシャ語の勉強をば、してもらわにゃなりません。
〓古典ギリシャ語では -ις -is に終わる単語に2種類があって、
(a) -ι -i に終わる語幹に、主格語尾 -ς -s が付いた語
(b) -ιτ, -ιδ, -ιθ (-it, -id, -ith) に終わる語幹に、主格語尾 -ς -s が付いて、
主格で τ, δ, θ が消失している語
があるんですね。「ティグリス川」 のときに勉強したのと同じ現象です。語末が -τς -ts だと -ς -s になるんでしたね。同様に、
-ιτ- + -ς [ -it + -s ] → [ -its ] → [ -s ] -ις
-ιδ- + -ς [ -id + -s ] → [ -its ] → [ -s ] -ις
-ιθ- + -ς [ -itʰ + -s ] → [ -its ] → [ -s ] -ις
という現象です。 -d や -th の場合は、あとに -s が続くことによって、「有声性」 や 「気息性」 までもが失われます。英語の場合は head → heads [ -d + -s ] → [ -dz ] と、後続の -s が有声化しますが、ギリシャ語では逆です。
〓つまり、 τίγρις tígris という単語を見たときに、
主格を τίγριδς tígrids と δ d が隠れているとみなすのか、
綴りどおり、 τίγρι- + -ς tígri- + -s とみなすのか
という点で、古代ギリシャ人はどちらかを選ばなければ、このコトバが使えなかったわけです。古くからあるギリシャ語本来の単語ならば、伝統的な使用例がありますから先人に倣 (なら) えばいいのですが、
ポッと出の新語
となると、混乱は避けがたい。案の定、こうなりました。
【 τιγρι- tigri- を語幹とする例 (ι-語幹) 】
紀元前4世紀=アリストテレース
τίγριος tígrios ι-語幹 属格
紀元前4~3世紀=テオプラストス
同上
紀元前1世紀=ディオドーロス・シケリオーテース
τίγρεςιν tígresin ι-語幹 複数与格
【 τιγριδ- tigrid- を語幹とする例 (δ-語幹) 】
紀元3世紀=オッピアノス Ὀππιανός Oppianós シリアの詩人
τίγριδος tígridos δ-語幹 属格
【 両方使っている例 】
紀元2~3世紀=ディオーン・ホ・カッシオス Δίων ὁ Κάσσιος Díōn ho Kássios 歴史家
τίγρεις tígreis ι-語幹 複数主格
τίγριδες tígrides δ-語幹 複数主格
〓こうしてみると、アリストテレースやテオプラストスといった紀元前4~3世紀ごろの哲学者・博物学者の使用法である
τίγρις tígris (属格 τίγριος tígirios / ι-語幹) 男性名詞
というのが、本来なんでしょう。
〓歴史とともに、しだいに、 δ-語幹と混乱するようになったようです。
〓河川名の Τίγρις Tígris と、トラを指す τίγρις tígris のあいだに関係はない、とする説もあります。しかし、出現時期、借用モト、語形、語形変化 (曲用) のユレなど、あらゆる点で、この両語は一致します。
〓実は、 τίγρις tígris 「トラ」 というコトバがギリシャ語に入ったのち、「ティグリス川」 の語形が変化を起こしました。
紀元前1世紀~紀元1世紀=ストラボーン Στράβων Strábōn の 『地理誌』
ὁ Τίγρις ho Tígris [ ホ ' ティグリス ] 主格形×5回
τοῦ Τίγριος tû Tígrios [ トゥー ' ティグリオス ] 属格形×3回
τὸν Τίγριν tòn Tígrin [ トン ' ティグリン ] 対格形×1回
〓彼の時代は、すでにヘレニズム時代の終末期でしたが、
μεταξὺ Εὐφράτου καὶ τοῦ Τίγριος metaxý Euphrátū kaí tū Tígrios
[ メタク ' スュ エウぷラ ' アトゥー カイ トゥー ' ティグリオス ]
「ユーフラテスとティグリスのあいだに」
と、この通り、紀元前4世紀のアリストテレースが使った 「トラの」 という語と同形です。
〓 μεταξύ metaxý [ メタク ' スュ ] 「~のあいだに」 というのは、英語の between に相当する前置詞で、属格を取ります。
〓この用例は、ストラボーンが
「ティグリス川」 という単語は “男性名詞 / ι-語幹” である
と見なしていたことを示します。これは、とりもなおさず、
アリストテレースの使用した 「トラ」 という単語と “まったく同一” である
ということです。
〓そして、このストラボーンの対格形 Τίγριν Tígrin こそは、前章の最後でモンダイとした 「ポリュビオス」 が 『歴史』 の中で7回も使用した対格なのです。
〓つまり、これは、
紀元前2世紀には、すでに、ギリシャ語の 「ティグリス川」 は 「トラ」 と同一になっていた
という事実を示しています。
〓ギリシャ語で 「トラ」 に関する言及が現れたのは、アリストテレースによる紀元前4世紀が最初でしたが、実際に、ギリシャにトラがやって来たのは、「セレウコス朝シリア」 の時代 (紀元前4世紀末~) になってからでした。
〓「セレウコス朝シリア」 は、一名を 「シリア王国」 などと呼びますが、実質的には “ティグリス川というコトバを提供したアケメネス朝ペルシャ” の後継の国家でした。ただし、支配者はペルシャ人からギリシャ人に変わっていました。つまり、首がすげ変わっていたんです。
「アケメネス朝ペルシャ」 紀元前550~330年 公用語=古期ペルシャ語、アラム語
↓
アレクサンドロス大王の東方遠征 紀元前334~323年 ペルシャの滅亡は紀元前331年
↓
「セレウコス朝シリア」 紀元前312~63年 公用語=ギリシャ語
〓セレウコス朝シリアを建てたのは、エジプトのプトレマイオス1世などと同様、ディアドコイ (後継者) と呼ばれるアレクサンドロス大王の家臣のひとり、セレウコス1世でした。
〓彼は、アテーナイとの友好関係を良好に保ち、在位中に1頭もしくは数頭のトラをアテーナイに送っています。これは記録に、
ὁ Σελεύκου τίγρις ho Seleúkū tígris [ ホ セれ ' ウクー ' ティグリス ] 「セレウコスのトラ」
※英語に置き換えると the Seleucus's tiger となる。
ギリシャ語では、名詞が属格 (所有格) の他の名詞で修飾されても定冠詞が付く。
として残っています。ホンモノのトラはアテーナイ人にセンセーションを巻き起こしたようです。日本に初めて 「象」 が来たときの祭り騒ぎを思い起こさせてユカイです。
例によりまして、4 に続きます。まだ、アップしておりませんが……