「エトー、エトー」 というと、なんだか 「衛藤」 みたいだ。 | げたにれの “日日是言語学”

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やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

   げたにれの “日日是言語学”-サミュエル・エトー






〓ええ、


   祝 岡田ジャパン 初戦突破 音譜


です。


〓そこで、おそらく、多くの日本人が 「ハテ?」 と感じているにちがいないことを調べてみました。






  【 エトー、エトーと聞くと、日本人みたいだ 】


〓ということですよ。みんな思ってるでしょ。初めて、その名を聞いたときには、


   衛藤選手


という日本人のことだと思った。


〓カメルーンのサミュエル・エトー選手ですね。彼の名前は、各国語の Wikipedia を参照すると、


   Samuel Etoʼo もしくは、
   Samuel Etoʼo Fils


となっています。


〓実は、最後に付いている Fils というのは “名前の一部ではない” のです。英語で言うところの Junior です。つまり、「息子のほうの」 という意味ですね。米国の作家、カート・ヴォネガットを例にあげてみましょ。


   Kurt Vonnegut, Sr. (=Senior) 父親のカート・ヴォネガット
   Kurt Vonnegut, Jr. (=Junior) 息子のカート・ヴォネガット。作家のヴォネガット

      ※父親の没後、ヴォネガットは Jr. を付けなくなった。
       英国の場合、 Jr., Sr. のピリオドを付けない。


〓欧米では、父親-息子と二代にわたって名前が同じ場合が少なくありません。そういう場合に、 Junior, Senior を付けます。


〓三代以上、同じ名前が続くと、


   Usher Raymond IV (=the Fourth) 「アッシャー・レイモンド4世」 ※米国の歌手 アッシャーの本名


というぐあいにローマ数字で序数を付けます。


〓また、祖父-孫のように隔世で名前が同じ場合も序数を付けます。


   Oscar Hammerstein I (=the First) 祖父のオスカー・ハマースタイン1世
   Oscar Hammerstein II (=the Second) 孫のオスカー・ハマースタイン2世。作詞家・脚本家


海外では、“ルパン三世” を “アルセーヌ・ルパン三世” としていることが多いんですが、これはもっともなハナシなんですよ。欧米では、


   「わが家に二世が誕生しました」 的な発想


はないんです。つまり、“息子=二世”、“孫=三世” ではない。あくまで、


   名前が同じ場合にのみ II, III, IV が付く


のに過ぎないんですね。


   Arsène Lupin III …… 15,800   ※ウェブ全体


〓「ルパン三世」 には、英語版・フランス語版・イタリア語版・クロアチア語版の Wikipedia があるんですが、項目の見出しはこうなってますよ。


   Arsène Lupin III …… 英語版・フランス語版・クロアチア語版
   Arsenio Lupin III …… イタリア語版


〓日本語版の Wikipedia には、


  ――――――――――――――――――――――――――――――
  モーリス・ルブランの連作小説 『怪盗ルパン』 の主人公 「アルセーヌ・ルパン」 の孫であり、同じく

  怪盗である。アメリカ合衆国で発売された英語版DVDでは 「Arsène Lupin III」 が本名となっている。

  ただし、日本では作中でも一切 「アルセーヌ・ルパン三世」 と言及されたことは無い。
  ――――――――――――――――――――――――――――――


と書かれています。そうじゃないんですよ! むっ


   ルパン三世 “Lupin the Third” と名乗るのは、
   本名が “Arsène Lupin III” であると公言するのと同じこと


なんです。それが欧米の常識です。



               サッカー               サッカー               サッカー



〓エトー選手に戻りましょ。


〓フランス語の場合、父親-息子で名前が同じ場合、名前のあとに père [ ペール ] 「父親」、 fils [ フィス ] 「息子」 を付けます。


   Alexandre Dumas, père アレクサンドル・デュマ・ペール。仏の作家
   Alexandre Dumas, fils アレクサンドル・デュマ・フィス。仏の作家


〓つまり、エトー選手の名前のあとに付いている Fils も同じものです。フランス語の正しい正書法では、


   Samuel Etoʼo, fils [ samɥɛl eto 'fis ] [ サミュエる エト ' フィス ]

      ※フランス語には音素としての長母音がないので、 Etoʼo は 「エト」 にしかならない。


となります。つまり、彼の名前は、


   個人名 Samuel 「サミュエル」
   姓    Etoʼo  「エトー」


です。


〓するってえと、父親の名前は、やはり、 Samuel Etoʼo となりそうなものですが、現実には、



   げたにれの “日日是言語学”-David-Etoo

   David Etoʼo 「ダヴィッド・エトー」 父親の名前


です。「あれっ?」 ということになるんですが、 Samuel というのは、ダヴィッド・エトーの父親の名前 ── つまり、サミュエル・エトー選手のオジイサン (すでに故人) の名前なんだそうです。


〓なので、 fils “息子のほうの” という修飾語を付けるのはオカシイんですが、まあ、エトー家では、孫を Samuel fils と呼んでいたんでしょう。


〓サミュエル・エトー選手の弟に、やはり、サッカー選手の


   David Etoʼo, fils 「ダヴィッド・エトー選手」
      ※この人の名前も、ほとんどの場合、 David Etoʼo Fils と書かれている。


がいます。こちらは、ある意味で、ホントウの fils 「フィス」 です。





  【 カメルーンは民族と言語の坩堝 (るつぼ) 】


〓カメルーンの公用語は 「フランス語と英語」 です。また、ヨーロッパ人の都合で国境が引かれたアフリカの国家のつねとして、この国には多数の民族が住み、多数の言語が話されます。


〓概算で、


   230~282の民族・言語がある


と見積もられています。正確な数はなかなかわかりません。ある言語とある言語が同じなのか別なのか、という見方ひとつで総数が変わってしまいます。ただ、多いことにはちがいない。この地域は、アフリカでも有数の多民族・多言語地域です。



   げたにれの “日日是言語学”-東西カメルーン
    緑色の部分が元フランス領、赤い部分が元英国領。



〓カメルーンは、19世紀末にドイツの植民地となりましたが、第一次大戦でドイツが敗れたことにより、1922年 (大正11年) から、その大部分の地域はフランス領 (東カメルーン) となり、西部の狭い帯状の地域がイギリス領 (西カメルーン) となりました。


〓そのため、カメルーンの大部分でフランス語が話されるようになり、西カメルーンにあたる西部の狭い地域で英語が話されるようになりました。
〓現在では、カメルーン全域で英語も話されるようになり、公用語が 「フランス語と英語」 の2本立てになったわけです。



               黄色い花               黄色い花               黄色い花



〓カメルーン本来の民族・言語は、3語族にもわたります。


   アフロ=アジア語族 55言語  ※アラビア語、ヘブライ語、古代エジプト語が属する
   ナイル・サハラ語族 2言語
   ニジェール・コンゴ語族 173言語




   げたにれの “日日是言語学”-ベナン-ナイジェリア-カメルーンの言語地図
      ギニア湾に面するベナン・ナイジェリア・カメルーンの言語地図

       で囲んだところにドゥアラ Duala がある。

      もう1つの  で囲んだイバダン Ibadan はナイジェリアのボビー・オロゴンのふるさと。




〓エトー選手が生まれたのは、カメルーンの 「沿岸州」 (Région du Littoral / Littoral Region) です。生まれた土地は Wikipedia では、


   Nkon 「ヌコン」


となっています。この Nkon というのがヤッカイもの。 Google Map でもヒットしません。 Wikipedia に、カメルーンの民族名として Nkon という項目がありますが、これはまったく関係がありません。

〓いったい Nkon っていう町だか村だかは、いったいどこにあるんだ? と悩んでしまいます。しかし、灯台もと暗し。実は、


   サミュエル・エトー選手が生まれたのは “ドゥアラ市” の一画


なのです。


〓「ドゥアラ」 (Douala / Duala) というのは、カメルーンの首都である、内陸の 「ヤウンデ」 (Yaoundé) よりも大きい、同国で最大の都市です。また、貿易に有利なギニア湾に面しており、同国の経済の中心地でもあります。




   げたにれの “日日是言語学”-地図Douala
    ドゥアラの位置



〓この都市の住民は、都市名と同じ 「ドゥアラ人」 (Doualas / Duala people) であり、彼らの母語を 「ドゥアラ語」 (langue Douala / Duala language) と言います。カメルーンでも識字率の高い民族で、公用語であるフランス語も話します。


〓宗教的には、1930年代からキリスト教徒化していて、なかでも、プロテスタントの一派である 「バプテスト教会」 the Baptist church が主流だと言います。




   げたにれの “日日是言語学”-地図Nkongmondo
    Nkongmondo 「ヌコンモンド」 の位置




〓このドゥァラ市内の一画に、


   Nkongmondo 「ヌコンモンド」


という地区があり、エトー選手が生まれ育ったのは、まさにここなのです。


〓実は、各国語の Wikipedia がエトー選手の生まれた地を Nkon としているのはムリからぬことで、他でもないエトー選手じしんの公式サイトにおいて、


   Place of birth: Nkon, Cameroon


としているのです。これは奇妙なナゾなのですが、ことによると、地元では Nkongmondo 「ヌコンモンド」 を略して Nkon 「ヌコン」 と呼んでいるのかもしれません。


〓この件は、いずれにしても、 “AfricaNews” の記者による故郷 「ヌコンモンド」 の人たちや、エトー選手の父親へのインタビューがオンライン上にあるので間違いありません。




   げたにれの “日日是言語学”-Nkongmondo
    ヌコンモンドの街角。 サミュエル・エトーの像が建っている。





  【 エトー Etoʼo のアポストロフィは何なんだろう? 】


〓ところで、ドゥアラ語という言語は、次のように分類されます。


   ニジェール=コンゴ語族
       バントゥー語群   ※スワヒリ語、ショナ語、ズールー語などが属する
           Zone A  ※バントゥー語群は A~S の地域にわけられる
               ドゥアラ語 Douala / Duala


〓つまり、スワヒリ語 (Zone G)、あるいは、南アフリカ共和国で最大の話者 (約24%) を持つズールー語 (Zone S) などと親戚の言語、ということになります。


〓いやいや、それどころか、実は、バントゥー語群の先祖の地はカメルーンあたりなんですね。だから Zone A なわけです。そして、アフリカ大陸を南下していったんです。いちばん、遠くまでたどり着いたのが Zone S、つまり、南アフリカ共和国のズールー人などのグループなんですね。



〓ドゥアラ語は、声調を持つ言語です。つまり、中国語に似た “音節高低アクセント” なんですね。この言語は、単語の音節ごとに5種類の声調を持ちえます。



   á 高調=高く発音する音節
   ā 中調=中ぐらいに発音する音節
   a 低調=低く発音する音節。声調記号を付けない
   â 下降調=高→低と変化する音節
   ǎ 上昇調=低→高と変化する音節



Etoʼo のアポストロフィは、こうした声調記号の “代用表記” かとも思ったんですが、 Etoʼo の綴りは故郷ドゥアラの落書きでも Etoʼo となっているので、そうではないらしいのです。

〓さらに、ドゥアラ語の声調記号は、しばしば、省略されます。声調によって区別される単語もあるんですが、付けなくても理解できるんでしょう。


〓そのいっぽうで、ドゥアラ語では、フランス語で言うところの 「エリジオン」、つまり、次の語と続けて発音するときに、先行する単語の語末の母音が脱落する現象が起こるようです。さらに、半母音 y [ j ] や ń [ ɲ ] なども脱落することがあります。そうした “音声の省略” があった場合に、アポストロフィが使われるようです。
〓しかし、姓の中に単語の切れ目がある、というのは、オカシなハナシです。



               黄色い花               黄色い花               黄色い花



〓いっぽうで、フランス語では、 [ e'to ] [ エ ' ト ] と読まれないように、音節が異なることを示している、という説も、ネット上に見えます。つまり、


   Etoʼo [ eto'o ] [ エト ' オ ] と読ませたい


という理屈ですね。それだと、ドゥアラ語の正書法とは関係ないことになります。ただ、フランス語の正書法では、音節が分かれることを示す場合、


   Etoö [ eto'o ] と書くのが正式


です。


〓しかしながら、 AfricaNews の 「ヌコンモンド」 の人たちへのインタビューでは、誰もが、フランス語で、


   Etoʼo [ e'to ] [ エ ' ト ]


と発音しているので、この説は誤りだとわかります。



〓あるいは、これは、英語を第2言語とする人たちに、


   Etoo [ e'tu: ] [ エ ' トゥー ] と読ませない


ための工夫である可能性もあります。地下鉄日比谷線で 「広尾」 が Hiro-o となっているのと同じ理由ということです。


〓いずれにしても、 Etoʼo という綴りは、彼らの母語 「ドゥアラ語」 の綴りではない、と言えそうです。カメルーンにおける、


   「フランス語+英語」 公用語環境における綴り


と言ったほうが適切だろうと思います。


〓また、ドゥアラ語には、 e と o に広狭 (こうきょう) 2種の母音があります。つまり、


   e [ e ]  狭いエ
   e̠ [ ɛ ]  広いエ
   o [ o ]  狭いオ
   o̠ [ ɔ ]  広いオ


があるのです。これも、通例は書き分けられていない可能性があり、 Etoʼo という姓にも、広い母音 e̠, o̠ が含まれていないともかぎりません。


〓そもそも、こうした


   ヨーロッパの旧植民地で、日常の言語生活がバイリンガルのアフリカの多民族国家


では、


   「母語」 は仲間うちでの口語
   社会に出て読み書きに使うのがフランス語や英語などの 「公用語」


という位置づけであることが多く、そのために、


   土着の 「母語」 は文字で書かれることが少ない


のです。実際、インターネットでも、アフリカの土着の言語が使用されている例は少ないんですね。通用範囲が狭い少数言語になると、使用例は稀 (まれ) です。



〓たとえば、ズールー語は、南アフリカ共和国で使用される最大の言語で、1千万人を超える使用者をかかえていますが、それにも関わらず、ネット上では、同国のメディアで使用される英語にまったくかなわないのです。「サッカー」 という単語で比べてみましょうか。


   ibhola ……      7,000 件 (0.06%)  ズールー語
   soccer …… 11,700,000  (99.94%)  英語
       ※ Google South Africa で南アフリカ国内限定


ibhola [ i:'bɔ:la ] [ イー ' ボーら ] はズールー語で 「サッカー」 の意味です。もとは英語の ball を借用したもので、接頭辞 i- は、しばしば、外来語に付く 「名詞クラス」 を示す接頭辞です。単なる 「ボール」 が 「サッカー」 に転じてしまうあたり、南アフリカの人々のサッカー熱がうかがえます。

               サッカー               サッカー               サッカー



〓で、今回も、けっきょくシリ切れトンボになってしまいました。申し訳ござらん。 しょぼん


〓残念ながら、ドゥアラ語の辞書は、書籍でも、オンラインでも入手が困難で、 Etoʼo という姓が、どのような意味なのか、そして、アポストロフィの正確な役割は何なのか、調べがつきませんでした。


〓ただ、 Etoʼo という綴りの2つの o が別々の音節に属し、


   エトオ


と読むべきことだけは確かでしょう。そのとき、本来のドゥアラ語では、「エ・ト・オ」 という3つの音節が、それぞれ5つの声調のどれかで発音されることはお忘れなく。