運命の恋人なんかいないんだよ。
「Hedwig and the angry inch」 は2001年に公開されたときに滞在していたオレゴン州ポートランドで映画館に3回も観に行ってしまった映画。どういう映画かはwiki引用すると・全米各地を旅する売れないロック歌手のヘドウィグは、共産主義体制下の東ドイツで生まれ、幼少期に母親から「愛の起源」の話を聴かされる。当時はハンセルという青年だった彼はアメリカ軍人ルーサーに出会い恋に落ちる。ルーサーと結婚してアメリカに渡れるように母親はハンセルにヘドウィグの名とパスポートを与えて性別適合手術を受けさせたが失敗し、股間に「怒りの1インチ(アングリー・インチ)」が残された。2人は渡米するが、ルーサーは結局ヘドウィグのもとを去る。その日は最初の結婚記念日で、ベルリンの壁崩壊の日だった。絶望に暮れるヘドウィグは、昔抱いたロック歌手になる夢を思い起こし、韓国軍兵の妻たちを引連れバンドを結成する。アルバイトをしながら身を繋いでいると、同じくロックスターに憧れる17歳の少年トミーと出会う。ヘドウィグは誰よりもトミーを愛してロックの全てを注ぎ込んだが、手術痕がばれて別れる。トミーは作った曲をすべて盗んでヒットを飛ばして人気絶頂のロックスターになった。ヘドウィグは自分のバンド「アングリー・インチ」を引きつれてトミーの全米コンサートを追いかけながら巡業し、愛を捜し求める。私の2000年、2001年頃っていったら本当に本当に惚れちゃった方と長距離恋愛(山梨ー京都&アメリカー京都)の結果ダメになって「好きって感情なんか何の役にも立たねぇじゃないか!」と完ぺきにやさぐれていました。とはいえ性懲りもなく「では自分でなくて相手が自分をより好きならいいのではないか」とか「結局お互いが同じくらいお互いを好きじゃなきゃだめだ」とか不毛なトライにこの後もたくさん漕ぎ出したりするわけなんですが。まぁほんとうに主人公ヘドウィグと同様の痛い恋愛脳の女だったわけです。この劇中歌「愛の起源」の思想も楽曲も素晴らしく甘やかで これを大間違いの幻想のコンコンチキ!と認めるにはヘドも私もロマンチスト過ぎたわけですよ。今となっては解るんだよ。自分の欠乏を外に探してもどうにもならないことを。自愛ができなければ「愛」自体が始まらないことを。そして・「愛」っていろんな意味で結局「自愛」から出られない、というか全ての愛は結局自愛に収拾されるって。映画の終盤、ヘドウイグの見る夢幻空間で 想い人のトミーがヘドがとっても言って欲しかった言葉と絶対聞きたくなかった言葉を歌います。Hedwig and the Angry Inch - Wicked Little Town (reprise)Forgive me,For I did not know.'Cause I was just a boyAnd you were so much moreThan any god could ever plan,More than a woman or a man.And now I understand how much I took from you:That, when everything starts breaking down,You take the pieces off the groundAnd show this wicked townsomething beautiful and new.You think that LuckHas left you there.But maybe there's nothingup in the sky but air.And there's no mystical design,No cosmic lover preassigned.There's nothing you can findthat can not be found.'Cause with all the changesyou've been throughIt seems the stranger's always you.Alone again in some newWicked little town.So when you've got no other choiceYou know you can follow my voiceThrough the dark turns and noiseOf this wicked little town.Oh it's a wicked, little town.Goodbye, wicked little town.(www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳)僕を許してね僕は知らなかった、ただの少年だったから。あなたは神が計画した以上、どんな神の計画よりも女よりも男よりもそして今、僕がどれだけあなたから奪ったかをわかっているよ。全てが壊れ始めた時にあなたは地面からピースを取って邪悪な町に美しく新しいものを美しくて新しいものを見せてくれるということ。あなたは運命があなたを置き去りにしたと思っている。でも、空には何もないのかもしれない空の上には空気しかないのかもしれない。神秘的な計らいはないし宇宙の恋人があらかじめ用意されているわけでもない。見つからないものは見つからない見つけられないものはもともと無い。なぜなら、あなたが経験したすべての変化とあなたが経験してきたこと見知らぬ人はいつもあなたのようです。新しい町でまた一人邪悪な小さな町で他に選択肢がないときは僕の声に従えばいいんだよ暗い曲がり角や雑音の中をこの邪悪な小さな町のOh it's a wicked little townさようなら、邪悪な小さな町。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~この夢幻空間での別れと悟りのシーンののちに吹っ切れたように女装を捨てて元のハンセル青年の姿、しかし想い人トミーに自分が施した額に十字のメイクアップを施した姿で力強く音楽の持つ力と女性ロックシンガーを讃える「Midnight radio」を歌います。この曲の最後にヘドウイグの腰に入れられた陰陽のマークを擬人化したような二つの顔の向かい合ったマークが溶け合って一つの顔のマークになっていくアニメが流れます。そして陰陽マークから統合された一人の顔マークになったタトゥを入れた全裸のハンセル/ヘドウィッグが夜の街を独り歩いていく、これがこの映画のラストシーン。これ、ちょっとわかりづらいんですが映画読み解きサイトなどを参照するともうこの時ヘドウィグはこの世の人ではない、という説があります。トミーとヘドウィグは映画の終盤再会して、2人で車に乗っていて事故を起こしてトミーとヘドの関係性が暴露されてヘドは一躍時の人となる・・・というストーリー展開になるんですがこれが実は現実世界のヘドはその事故で瀕死、もしくは亡くなってしまい事故以降のストーリーはヘドの脳内夢幻空間であり夢幻空間の中でヘドはすべての自分の鬱屈した思いのたけをのせた過激な楽曲を聴衆の前で歌いステージの上で自分の女装を解いてすべてをさらけ出して聴衆からトマトやリンゴやら投げつけられて舞台を降ろされそこからトミーが出てきて「Wicked little town」を歌われて、涙ながらに外に求めるむなしい愛への執着を手放して男も女も超越した統合された存在として「Midnight radio」を歌って昇天というか成仏というか解脱する、ということらしいのです。確かに事故後のストーリーはそう考えるのが一番自然ではある。でも私としてはヘドウィグは事故後も生きていて、最後の全裸シーンは精神的に統合されて「素」の自分で世界に踏み出していく姿の象徴と捉えたいところだけれど。そしてお陰様でこうした優れた表現の存在が私を含む多くの愛のさすらい人達(笑)が彷徨をやめて自己の中を見つめ始めて癒えていけるきっかけとなるわけです。