松茸博士吉村文彦先生を現在の岩泉やその賛同者たちはどうとらえているのだろうか・・・
ネットで調べてみたのでコピーする。
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岩泉町では、松茸に関するさまざまな取り組みを行ってきました。そのなかの一つ1990年に設立した「岩泉まつたけ研究所」は、全国初の松茸専門研究機関でした。町が研究所の所長として要請したのは、当時キノコの研究が日本一の京都大学で松茸研究を行っていた吉村文彦さんです。
研究所は100近くあった栽培法を一つひとつ検証し、岩泉独自の栽培法を確立。研究所発足前の約4倍に当たる10トンの収穫量を上げるまでになりました。
15年間にも及ぶ研究所の地道な活動のもと、岩泉町は全国でも有数の松茸産地となったのです。
・・・・②
今春、1つの研究所が閉鎖されたことが
今朝の朝日新聞(05年11月17日)に載っていました。
岩手県岩泉町にあった「岩泉まつたけ研究所」です。
こういう切り口の研究所が日本にあってしかるべきですが
それにしてもすてきな研究所が閉鎖されてしまったものです・・・。
15年間の活動に敬意を表して、また、
このブログを見て、誰かがインスパイアされるようにと
願いを込めて、「岩泉まつたけ研究所」を
紹介させていただきます。
以下は岩手県広聴広報課発行のメールマガジン
「銀河系いわて情報スクエア」
(No. 42/2000.09.01)からの転載です。
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岩手県北部に位置する岩泉町は、全国のマツタケ生産地の中で、
最も早くマツタケが採れる地域に属しています。
その岩泉町でマツタケのブランド化を目指し、平成2年に
「岩泉まつたけ研究所」が設立されました。
※http://www.echna.ne.jp/~iwaizumi/txt/h02.html
岩泉まつたけ研究所は、岩泉町がマツタケを町の主軸産業に育てようと、
全国初のマツタケ専門研究機関として誕生しました。
所長の吉村文彦氏は、キノコの研究では日本一の京都大学でマツタケの研
究をしていましたが、岩泉町の要請を受け、平成2年から岩泉に移り、研究
を行っています。
研究所設立以来、増産に向けた研究を重ね、町内全体での収穫量は、発足
前の約4倍に当たる10トン、3億円の収益を上げるまでになっています。最
近では、栽培法を勉強しようと全国から見学者がたえず、海外からも研修に
訪れているほど、マツタケ栽培の最先端の研究所なのです。
菌根性のマツタケ菌は、松の根に感染して一種の共生関係を築きます。菌
は、マツから養分をもらい、代わりに窒素やリンをマツに与えます。ですが、
この菌は非常に弱く、生長率がシイタケに比べ20分の1と低いため、植物が
生い茂る富栄養化が進んでいる林では、微生物が多く繁殖しているので、菌
は生存競争に敗れてしまうのです。
そこで、研究所が考え出したのが、マツ林の管理を徹底して、生育環境を
整備する林地栽培法でした。下草などを除き、土壌の富栄養化を防ぐことで、
マツタケが生育しやすいようにしたのです。「昭和30年代の林」こそ、マツ
タケが発生しやすい林だったのです。
研究所は、これまで百近くあった栽培法の一つ一つを検証し、適切な指導
を通して、岩泉独自の栽培法を確立しました。10トンもの収穫量は、この研
究成果が、生産者間に確実に浸透したことを示しているといえるでしょう。
岩泉町に広がるアカマツ林は国有林も含め約2万ヘクタール。そのうち、森
林組合の生産事業は85ヘクタール。これからのマツタケ栽培の大きな可能性
が岩泉の山に広がっているのです。
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マツタケ栽培の最先端の研究所!
それにしても閉鎖は残念です。
所長だった吉村文彦さん(マツタケアドバイザー/京都出身)は
マツタケ研究の第一人者。
現在は京都でのまつたけ山再生に向けて奮闘中。
「まつたけ十字軍」を結成され、
すてきな活動を展開されています。
15年の研究所活動によって、吉村さんの研究は
さらに日本に伝播し、すてきな芽
(まつたけと里山再生、万象交流など)を出していることでしょう。
次のステップのために閉鎖も必要なときがあるのかもですね。
半農半X研究所もそんな日が来るのかな。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・下の写真は岩泉産マツタケ
吉村博士のマツタケに対するこれまでのご研究とその実践活動に心から敬意を表します。
吉村博士が手にするマツタケは10万円!?の値!?
吉村博士のご指導で整備された岩手県立大野高校のマツタケ山
~女性が日傘をさしてハイヒール!で歩ける山に整備した~