12月4日と11日の二週連続でNHKのBS 3で放送された「歌舞伎狂詩曲NO5」という番組を観た。
江戸時代に実在した中村仲蔵という役者の出世物語であった。
これを中村勘九郎がものの見事に演じたのである。
仮名手本忠臣蔵の5段目という観客が昼飯を取ったり御不浄に行く時間となるあまり見せ場がない時間帯に
脚本家の嫌がらせに遭ってたった一回きりの台詞しか与えられなかった仲蔵がその悪役を
物凄い創意による演技で初めて演じた事によって大逆転して看板俳優になっていくという事実であった。
勘九郎は最近NHKの大河ドラマでは「韋駄天」(日本のマラソンの祖ともいえる金栗選手の物語)
の主演や最終回が近い晴天を衝け」ではちょっと悪役的な三菱の祖である岩崎弥太郎を演じたりしているが
この物語での彼の絶演技は素晴らしかった。
中村仲蔵という歌舞伎の名門の生まれではない役者が芝居小屋の店の上に自らの看板を挙げるほどの
出世をしてのけたこの物語は勘九郎の演技によってものの見事に再現されたのである。
以下はネットから
落語や講談で人気の「中村仲蔵」は、江戸時代の伝説の歌舞伎役者・初代中村仲蔵(1736-1790)が裸一貫からはい上がる実話をベースとした下克上物語。今回、その物語を、国民的人気を誇る「忠臣蔵」を軸にドラマ化。映像作品での主役は大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」以来となる中村勘九郎が、その傑出した身体表現力で天才俳優の一代記を力強く演じます。
番組のもうひとつの主役ともいえるのが、江戸の芝居小屋。初代中村勘三郎が興した中村座(猿若座)に始まるとされる芝居小屋は、江戸時代を通じて庶民最大の娯楽場でした。日の出から日没まで熱気に満ち満ちていたという当時の芝居小屋を、今回巨大セットで再現!小屋に生きる裏方や地方(歌舞伎音楽の演奏家)、稲荷町(いなりまち)と呼ばれた大部屋役者たちなど、芝居小屋の宇宙も生き生きと描き、江戸歌舞伎の熱狂と魅力を伝えます。
仲蔵の才能を見抜いて抜擢をする当時の大スター・四代目市川團十郎、それを妬んで敵対する人気歌舞伎役者や座付き作者など、一癖も二癖もある実在の江戸の演劇人たちを演じるのは現代の演劇界のオールスター。超人気演目『仮名手本忠臣蔵』の五段目で、全く見せ場のない地味な役を割り当てられた仲蔵に一発大逆転はあるのか?厳しい階級制度で縛られた当時の歌舞伎界で、貧困やいじめに苦しみながらも、血の滲むような努力と才智でスターの座をつかんだ仲蔵の痛快な出世物語!閉塞感の只中を生きる現代の日本人を励まし、奮い立たせる年末エンターテインメント巨編です。
さて、私は現役の頃は高校で日本史を教える教師であったので
江戸時代の文化としての歌舞伎についてはある程度知っているつもりではあった。
しかし、恥ずかしながら、実際に歌舞伎を鑑賞した記憶がないのである。
大学の友人には歌舞伎研究会を立ち上げた人もいたほどだが
私は精々、京都の四条の南座に歌舞伎がない時に入ってその食堂で鰊そばを食べた記憶しかない。
しかし、歌舞伎の事については高校生に授業で説明しなければならなかったので何とかその知識を蓄えたものである。
その主な点は
①歌舞伎は傾く(かぶく)・・かぶきものと言われる異様な装束で自己表現していた者たち‥から由来
②出雲のお国と言われる女性の踊りから女歌舞伎が発展・・女郎歌舞伎
③若衆歌舞伎と言われる若い男性によるものも評判を呼んだ(男色からみ)
④女郎歌舞伎や若衆歌舞伎がその目当ての役者の武士層の取り合いからのもめ事が発生し幕府がこの二つを禁止
⑤それ以後成人男性だけで演じる野郎歌舞伎が始まり、女形も登場
元禄年間には
市川團十郎が得意とする 荒事
坂田藤十郎の 「やつし事(和事)」・・・ で一世を風靡した
⑥歌舞伎役者は士農工商以下の身分とされ、川原乞食扱いで弾左衛門(被差別部落の長吏)の支配下に置かれていた
⑦1708年江戸町奉行は弾左衛から「歌舞伎と傀儡子の支配権」をはく奪したのでその支配から独立できた
⑧歌舞伎の演技で掛け声がかかると役者は大変喜び、更に大見得を切るようになった
これは役者が平民になりたくて商売などをしたからその屋号を呼ばれる事は
観客が自分たちを平民として見てくれたと信じたからである。
荒事の代表的な演目 初代市川團十郎
また
⑨大向こうからかかる 掛け声は歌舞伎の営みの大切なところであるのである。
因みにその掛け声は
市川團十郎は成田屋! 尾上菊五郎は音羽屋! 片岡仁左衛門は松嶋屋! 中村吉右衛門は播磨屋!
坂東玉三郎は大和屋! 中村芝翫は駒屋!松本幸四郎は高麗屋!、
市川海老蔵は成田屋!中村勘九郎は中村屋! などである。
→「いよっ!播磨屋日本一} {〇代目!!}・・・
因みに歌舞伎が屋根付きの演技場所になったのはかなり時代がたってからであり、
それまでは晴天の日に限って、屋外で演じられていたのである。
役者が川原乞食と呼ばれていた時代もあったのである。(弾左衛門(被差別部落の長吏)の支配下に置かれていた)
⑩大向こう(二回桟敷の最後方の観客席)・・
舞台から遠く離れているので俳優の台詞がよく聞き取れないとこころからつんぼ桟敷とも呼ばれた。しかし
この大向こうから掛け声を絶妙なタイミングでできる見巧者が集まるので俳優から重視された。
⑪廻り舞台も歌舞伎から始まる
⑫役者が登場する花道は男の花道と言われるが女性が舞台に立てなかったから男性の登場する場所をいう
⑬今でもNHKなどの歌謡ショーでは客席の中から歌手が登場することが多いがこれも歌舞伎から始まった
・・・・今ブログを書き始めて3日かかっている・・しかし・・・
まだまだ、書きたいことがあるが今回はこれまでとする。ブログを書くスピードが厳しくなったかなあ・・・