年の瀬となり、いろいろ整理をしていたら父の関係の手紙が出てきた。

父が亡くなったのは1989年(平成元年)の7月1日である。(84歳)

まだ、実家が商売も継続していた時代であり、商家では月末が決算等で、かき入れ時の時間であったので

父が月初めに亡くなったことは最後まで自分の勤めを果たしたのである。(商売に迷惑をかけないという意味で)

来年は2022年であるので父の33回忌になる年である。

自分もこの12月6日で76歳になったのだが、父の寿命の84歳までは厳しいと思いつつ

何とか、来年7月1日に父の墓参りを願う今日この頃である。

さて、父の葬儀の後、宮古市の浄土ヶ浜パークホテルで姉弟等が宿泊して懇親し、

次の日の朝日が昇る浄土ヶ浜の景色を楽しんだが

その宿泊費を全部出してくれた長姉も今は施設で暮らす状況となっている。

尊敬してやまなかった次姉も3年前に亡くなり5人兄弟で残ったのは

7歳上の盛岡で暮らす3番目の姉様と私だけになった。

でもこの姉様はとても元気でいつも私を励ましてくれている。

彼女の素晴らしい健康な毎日を喜ぶと共に自らも、もう少し頑張りたいものと願う今日この頃である。

以下はその父が次姉にあてた手紙である。 父の原文に限りなく近く再現したものである。○○〇は筆者

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ご無沙汰致して居ります。 さて皆様お元気の事でしょう

早速、申し上げますが産地の二戸市からのりんご壱箱送りました。

又、國香へたのんで之は小箱10K入として送上げるよう頼みましたので到着しましたら

どうぞふるさとのかほるをお吸いください。

次におBAちゃんは相変わらず何一つお話しも出来ず又この頃は舌を口から出して困っておりましたが

私は

色々考えた結果蜂蜜のローやんぜりーで舌と口びりにぬってあげようとて近くのスーパーから

ローヤル5千円を買って来ていざふたをあけて見たら液体でない固体のつぶでがっかりしました。

それから考え直ほしたら何んの事はない蜂蜜そのものでもいいじゃないかと

ためしに少し口びりと舌にぬって上げたら之はきまり こまった時の神たのみが

天に通じたのか少しあってから行って見れば驚いたことに出しっぱなしの舌をお口の中へ入れて居り

また口びりが荒れて皮が張ってたのもキレイに取れました全く感激の一駒でした

どうか之から之を契機にずんずん直ほって下さる事を神かけて祈って居ます

私はBAちゃんの手指と足の指を50回廻し50回をくり返し都合100回を足の指を動かして居ります

シアツのえらい先生の本によれば手の指は内臓の出張所のような物だから

之を実行すれば必ず奇跡が起こるとあったので早朝と午と夕方の3回まじめに続けて

何とかしていのち丈は生かしたいと一生懸命念願致して居ります

私も腎臓が悪いことになって居りますが外観は病人のようではないと言われてます

たヾ朝におみおつけちょっと一杯で昼も夜もつきません

之は塩分を取らせない関係で野菜もホーチョーで切った丈けの物がつきます

私は考えました 今はやりの玄米酢 コレを何かになんでもかけて食べます 

すると味もよく からだの為にもなると言うので一石二鳥とは之の事でしょう

いつかお話ししたように

夜ねると膝から下がほてってきますこう言う時これをだッしめんにつけてぬると心よく よくなります

さて、今日は火曜日ですが午前中雪がジャンジャンふっておりますがまだ根雪にはならないでしょう

病院は暖房が入りますので夜も暖かです

おふろは月水金と三日あります 

粗末ですが之で終わります

御皆々様へもよろしくお願いします

S61年11月11日

湯山台山田様ご一同様

   盛岡市 第2松園病院四〇三室~ 中村正蔵

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この3年後の平成元年7月 父は亡くなった。

その日の夕食を美味しそうに食べて

近いうちに故郷安代の温泉に行くことを楽しみにしていたという。

義理の姉が21時頃様子を見に行ったら眠るように逝ったという。84歳であった。

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この

父の看病の姿を長姉が随筆に書いて岩手県の芸術祭に応募した所「岩手県芸術祭賞」を受賞した。

次回はその文章と載せたい・・   続く