岸本伊織



愛知県碧南市在住、兵庫県丹波生まれ西脇育ちの妻子あり43歳サラリーマン。自転車競技に対しての想い・生い立ちを書いてみました。所属や機材は下に記述しいます。

また、基本的に日記となりまして、専門的な言葉を使っていますので知りたい時は、コメントください。


想い
仕事・身体的・家庭・環境等の変化で、自転車競技から身を引いた知り合いは多く居ます。否定はしませんし、その選択に間違いはないと思います。私も色々状況が変化し、一度は身を引いた側です。


私は「自転車競技をしたい。戻りたい。同じ心境だから頑張りたい。」と思われた方の手助けになればと考えてます。その為に出来るだけの経験が必要と思い、練習やレースを頑張ってますウインク



小学生時代
小児喘息でして、扁桃腺もすぐに腫れ体が強くはなかったので、母の進めで水泳をしてました。運動神経は一般的で、特に秀でたスポーツはありませんでしたが、自転車に乗るのは好きでした。当時は珍しいMTBを祖父に購入してもらい、飽きる事なく乗ってました照れ


中学生時代
学校の通学は片道10㌔程で自転車通学をしてました。近所で1つ上のスポーツ万能な、サッカー部キャプテンと一緒に通学してましたが、なんと速さが同じぐらいでした。それでか、高校を選考する時は「自転車競技」が有る事を基準に決めました。

勘違い?  まあ、挑戦ですね爆笑


高校生時代
全寮制の男子校でして、かなり辛かったです。勿論自転車競技部に入りました。今でもそうですが、近畿ブロックは強豪校が多くあります。

個人の実力もそこそこありましたが、2年の最後にキャプテンとなり「皆で頂点を目指す」を、本気で考えてました。練習方法も変え、皆からは非難を食らいましたが結果チームとして、兵庫県総合優勝・近畿総合優勝ができ、個人としても国体に出場して順風満帆でした。(それから20年以上の今も、兵庫からの総合優勝はありません)


大学生時代
名立たる大学からお声を頂きましたが、燃え尽きてしまい私の選考基準に「自転車競技」はありませんでした。


ただ、スポーツを辞めることはできずウインドサーフィン部に入り、3年でキャプテンになりました。そして部は初?の県総合優勝。個人は西日本学生チャンピョンになりました。これも高校時代の頑張りの成果と考えます。


30歳
職場で1人の男性に出会います。
シマッチョとは歳も近く意気投合しましたが、彼は離婚後で気持ちが下がってました。なんとかしようと得意な自転車で、サイクリングへ誘いました。どうせなら多い方が良くないか?とのことで、4人で行いましたが物足りず、近く鈴鹿サーキットでレースが有る事を知り参戦することにしました。


31歳
それをきっかけにまた「どうせなら多い方が…」と10名近く集まり「チーム名を付けよう」となり、素人が0から作り羽ばたけるチーム「零式」を2012年立ち上げました。


150/700位くらいで始まりましたが、今では上位に位置しており、人数も増えそれなりに有名になりました。私も零式の代表からか「ボス」と通称で呼ばれてます。(たしか、おかず先生が言い出した)

メンバーの前田さんが作ってくれた参戦記録(動画)
https://youtu.be/viL3dgIEbYQ


34歳
2015年、ワンマンで育てたチームはそれが居なくなると崩壊するので、取り纏めを入谷さんを始めメンバーにお願いしました。


個人としては息子が生まれたので、私の勇姿を見てもらいたく、新たな目標として国体を目指しました。息子は体の一部が機能を果たせません。自己満足かもしれませんが、それを乗り越えてスポーツ(可能なら自転車)を頑張ってもらえたら嬉しいです。


それもあり若くはありませんが、頑張れば国体に行けると証明したく、愛知県代表に挑戦しました。





35歳
努力が報われ、2016年の愛知県国体代表に選ばれました。しかし、国体1ヶ月前の中部大会にて落車し、鎖骨・肩甲骨・肋骨の骨折に加え、くも膜下出血で病院へ運ばれました。(救急車からのICU)


競技役員や病院の方々の迅速な対応で、一命は取りとめましたが、記憶障害や激痛で社会復帰に難を感じ、精神科へ通う事となりました。職場では仕事が変わり、家族に迷惑をかけてる自分が嫌になりました。入院中の1ヶ月以上は前日の記憶が無くなり、寝て起きたら「俺、なんでここにいる?」と毎回、妻に聞いてたみたいです…


そんな時に今も一緒に走ってるヤッシーが「ボス自転車乗りましょうよ」と言ってくれました。そうです、私には自転車があるじゃないですか。2ヶ月乗ってません。国体にも出場したい。辛い練習でした。

でも仲間が支えてくれたんです。

 



36歳
私は追い込まれる事を恐れません。そこでチャリダーでも有名な、五郎さんに弟子入りしました。そして実業団レースに挑戦するため、イナーメへ入り中畑監督から色々学ぶことにしました。チームの成長、そして自分の成長のためです。結果、去年より速くなりました。


しかし、国体予選2週間前の練習中に落車し、アバラを骨折しました。選考種目は1㌔と3㌔で、シングルギアなのでスタートが痛みで心配でした。ダブルで優勝し代表になるつもりでしたが、1㌔よりスタートがゆっくりな3㌔に絞りました。そして2017年も、私は愛知県国体代表となったのです。


ですが、国体1週間前の練習中に落車し、鎖骨骨折。気負い過ぎてかハンドル操作をあやまりました。ほとんどの方が「国体辞退」と言います。しかし一番近い存在の家族・練習仲間・師匠は「走れるなら走れ」と言ってくれました。



泣きました。


37歳
そんな坂バカでも有名な、五郎さんを監督として「ロードレース男子部」がNHK番組のチャリダーで作られました。弟子の1人である私もそのメンバーとして参加することになりました。

始まったばかりで苦難は有るでしょうが、走れる間は挑戦します。


38歳
チャリダーの出演が大きく、レースや行き付けのカトーサイクルで声をかけてもらえます。こんな私でも感動を届けることができ、今年もロードレース男子部として走る決意がもてました。現状の練習やレースは、妻との約束で息子が小学校へ入るまで。今年が最後の1年となります。けして引退はしませんが、悔いなく走ります。



39歳
4月から息子が小学生、娘が中学生。仕事もですが習い事に時間は奪われます。しかし妻が少しの制限だけで、自転車乗るのを許してくれました。(あきらめ?)

まあ、私から自転車とったら何もないし、ありがたいです。そして目標はマスターズで日本一になることにしました。2021年(2022年に変更)にはワールドマスターズゲームで、世界一です。勿論、ロードレースも走れるようにしときます。多分元プロや日本代表選手が参加するでしょから仕上げます。(コロナにて延期され、現状未定)


この年、コロナの影響でまともな状態でのレースはAACAの1度だけで、なんとか走って周回賞のみとなりました。


また イベントに初ゲストとして呼んでいただけたことは、凄く嬉しかったですし、やりがいがありました。
 




40歳
コロナの影響で色々な事が変化しました。昨年できなかった事は次やります。私でもできることがあるので、頑張ってみます。 ↓まとめ


41歳
男子部が復活し、何故か成績も上がり本厄なのに絶好調でした。 ↓まとめ


42歳

後厄も無事?に終わり、沖縄も頑張れたし問題無かったと思います。 ↓まとめ 

mkwも本格的に、JBCFに参戦することになりました。





所属チーム
零式、MKW、イナーメ信濃山形、ロードレース男子部

使用機材
(妥協しません。勝てないなら己が悪い)

ロード

TT

SHIV-TT
メインコンポ 9070
Fr-イオリオ or コリマ
Rr-アウトバーン


ピスト

アルゴン18 ELECTRON PRO RIO
メインコンポ 7600
ハンドル Evolver 38cm,100mm
Fr-イオリオ
Rr-ギブリ



シクロクロス

キャニオン inflite CF SLX
メインコンポ FORCE eTap
ハンド PRO vibe
ホイール AR41




ウェア
サンボルト


メット
MET/kabto


シューズ
LAKE (↓シューズブログ)




主な成績

 JCFエリート

  全日本トライク 

    インディビデュアルパーシュート 12位

  中部8県大会

     1㌔タイムトライアル  2位


 JCFマスターズ

  全日本トラック 

    インディビデュアルパーシュート 1位

     チームスプリント 1位

  全日本ロードタイムトライアル

   2022/3年 1位



最後に一言
吾以外皆我師