食道楽
食と云うのは生きることに直接の関わりがあります。
出張や、旅行の際も食は僕にとって大きな比重を占めました。
例えば、ヨーロッパへの出張ですと、仕事上催事の多いフランスの
カンヌは春と秋の二回、訪問の機会に恵れました。
僕はどうした訳か、フランス料理よりイタリアンの方を好み、
パリ経由でカンヌ入りするのが常ですが、
食に引かれローマを経由してのカンヌ入りが多かったように思います。
初体験の海外旅行での最初の地がイタリヤであった為か、
その後もイタリアンが土地も食も好みになってしまいました。
いわゆる贔屓と云うことです。
ローマへ到着し、一番にすることは食事でした。、
料理はお肉、魚を問わず何でも好きなのです。
特にフィオレンティーナ(フローレンスの牛のステーキ)は大のお好みでした。
前菜で生ハムを充分に食べ、後から出てくるそれはたまらない楽しみでした。
昔は違いましたが、今の日本では刺しの入った肉が主流ですが、
外国ではあまりそれは好まれません。
ハッキリと赤身と脂身が別れている肉です。
だから、量を多く食べても、もたれないのです。
僕は昔から大食で、ステーキは今でも500グラムをぺろりと行きます。
ある日息子と二人、焼き肉を食べに行き注文すると、
何と通算15人前に達したのです。
当然二人とも完食を前提でのオーダーです。
お店の店員に、”後からのお客様はいつ頃お見えになりますか。”と問われ、
僕達二人ですよ。と答えると最初は驚いていたようですが、
二人の食べっぷりを見て何処に行っても納得されました。
しかし、その二人を間もなく不幸が襲うのです。
ある日、何か親指の付け根が痛む。
おや?変な蹴り方をしただろうか。
しかし、なかなか痛みが取れません。
医者に行きますと”痛風”と宣言されました。
それもそのはず、野菜は一切取らず肉だけの食事でしたから・・・
それからは流石に食のスタイルを変えました。
それから暫くして全く同じ食のスタイルであった息子も
追いかけ痛風になりました。
親子共に悲劇に見舞われたのです。
皆様も呉々もお気を付け下さい。好きなことは全て程々に。
葉隠塾 成嶋弘毅

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宜しくお願い致します。
出張や、旅行の際も食は僕にとって大きな比重を占めました。
例えば、ヨーロッパへの出張ですと、仕事上催事の多いフランスの
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僕はどうした訳か、フランス料理よりイタリアンの方を好み、
パリ経由でカンヌ入りするのが常ですが、
食に引かれローマを経由してのカンヌ入りが多かったように思います。
初体験の海外旅行での最初の地がイタリヤであった為か、
その後もイタリアンが土地も食も好みになってしまいました。
いわゆる贔屓と云うことです。
ローマへ到着し、一番にすることは食事でした。、
料理はお肉、魚を問わず何でも好きなのです。
特にフィオレンティーナ(フローレンスの牛のステーキ)は大のお好みでした。
前菜で生ハムを充分に食べ、後から出てくるそれはたまらない楽しみでした。
昔は違いましたが、今の日本では刺しの入った肉が主流ですが、
外国ではあまりそれは好まれません。
ハッキリと赤身と脂身が別れている肉です。
だから、量を多く食べても、もたれないのです。
僕は昔から大食で、ステーキは今でも500グラムをぺろりと行きます。
ある日息子と二人、焼き肉を食べに行き注文すると、
何と通算15人前に達したのです。
当然二人とも完食を前提でのオーダーです。
お店の店員に、”後からのお客様はいつ頃お見えになりますか。”と問われ、
僕達二人ですよ。と答えると最初は驚いていたようですが、
二人の食べっぷりを見て何処に行っても納得されました。
しかし、その二人を間もなく不幸が襲うのです。
ある日、何か親指の付け根が痛む。
おや?変な蹴り方をしただろうか。
しかし、なかなか痛みが取れません。
医者に行きますと”痛風”と宣言されました。
それもそのはず、野菜は一切取らず肉だけの食事でしたから・・・
それからは流石に食のスタイルを変えました。
それから暫くして全く同じ食のスタイルであった息子も
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サムライの恐ろしい愛
『サムライの恐ろしい愛』
新渡戸稲造の武士道に、
『武士の仁愛は他の者の仁愛と異なる訳ではない。
しかし武士においては正義を忘れない仁愛があり、
その背後に,相手に対する生殺与奪の権力を有した愛なのである』と綴っています。
何か、わけ判んない気持ちにさせられるかも知れませんが、
ここでは少し表現を変え、お伝えしたいと思います。
先ず、説明にこんな難解な言葉はありません。
単純に表現すれば、生かし、殺し、与え、そして奪う。
と云うことですが、武士道でのそれはまた少しニュアンスが違うのです。
それには愛がありながら、サムライの正義を優先する権力が付いて来るのです。
心に、愛があるから生かす権利も、また殺すことも権力者の思い通りと言うこと
なのです。
『良いな。我が愛を与えよう。
なれど、必要な時には裸となり、我が為に命も投げ出せ。』と言う
権力者の独善的強制なのです。
すなわち、これこそサムライの持つ『生殺与奪』の恐ろしい観念です。
意味:生かし、殺し、与え奪う。
道場のHP、武士道の欄に4月7日、詳しく掲載。
すなわち、
僕は『生殺与奪』と聞きますと、直ぐに思い出すのが織田信長です。
明智光秀には分以上と思われる出世をさせました。
一介の浪人の身から、領地も城も与えられたのです。
しかし、信長は自分の都合でその両方を取り上げました。
心では、『待て。悪いようにはせぬ』だったのでしょうが、
やられた方は酷い、横暴だ。となります。
結果、光秀は信長を討ちました。
しかし、現代でもこの『生殺与奪』を行う個人も会社はあります。
昨日の社長も今日は平社員。そんな話はいくらでも聞きます。
権力者の身勝手こそ今日に残る『生殺与奪』と呼べるでしょう。
葉隠塾 成嶋弘毅

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何か、わけ判んない気持ちにさせられるかも知れませんが、
ここでは少し表現を変え、お伝えしたいと思います。
先ず、説明にこんな難解な言葉はありません。
単純に表現すれば、生かし、殺し、与え、そして奪う。
と云うことですが、武士道でのそれはまた少しニュアンスが違うのです。
それには愛がありながら、サムライの正義を優先する権力が付いて来るのです。
心に、愛があるから生かす権利も、また殺すことも権力者の思い通りと言うこと
なのです。
『良いな。我が愛を与えよう。
なれど、必要な時には裸となり、我が為に命も投げ出せ。』と言う
権力者の独善的強制なのです。
すなわち、これこそサムライの持つ『生殺与奪』の恐ろしい観念です。
意味:生かし、殺し、与え奪う。
道場のHP、武士道の欄に4月7日、詳しく掲載。
すなわち、
僕は『生殺与奪』と聞きますと、直ぐに思い出すのが織田信長です。
明智光秀には分以上と思われる出世をさせました。
一介の浪人の身から、領地も城も与えられたのです。
しかし、信長は自分の都合でその両方を取り上げました。
心では、『待て。悪いようにはせぬ』だったのでしょうが、
やられた方は酷い、横暴だ。となります。
結果、光秀は信長を討ちました。
しかし、現代でもこの『生殺与奪』を行う個人も会社はあります。
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蛍の光窓の雪
『蛍雪の功』 4月の嬉しい別れ
小学校に入学と同時に入門し、修行を続けて来た僕の自慢の弟子ですが、
今回念願叶い“防衛大学”に目出度く入学致しました。
自分の腹を叩かせ、蹴らせの13年。
別れは決して嬉しいばかりではありませんでした。
しかし両親のそれを思えば、
空手の師匠の思いなど口に出せるものではありません。
せめて両親に代わって自慢させてもらうくらいのものです。
浪人は、一回。受験期間も空手の試合こそ出なかったものの、
稽古は休まずに続けました。
さらに、親に負担をかけたくない。
その思いのため予備校も、塾にさえ行かない独学だったのです。
師匠の信頼と云えば格好よく、悪く言えば無責任。合格を確信していたのです。
4月に入ると防衛大は寄宿舎での生活が課され、教育を受ける事になります。
まさに“蛍雪の功” ほたるの光窓の雪。嬉しく悲しいお別れでした。
いつか古巣に戻る日を待ちながら、見守りたいと思っています。
葉隠塾 成嶋弘毅

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自分の腹を叩かせ、蹴らせの13年。
別れは決して嬉しいばかりではありませんでした。
しかし両親のそれを思えば、
空手の師匠の思いなど口に出せるものではありません。
せめて両親に代わって自慢させてもらうくらいのものです。
浪人は、一回。受験期間も空手の試合こそ出なかったものの、
稽古は休まずに続けました。
さらに、親に負担をかけたくない。
その思いのため予備校も、塾にさえ行かない独学だったのです。
師匠の信頼と云えば格好よく、悪く言えば無責任。合格を確信していたのです。
4月に入ると防衛大は寄宿舎での生活が課され、教育を受ける事になります。
まさに“蛍雪の功” ほたるの光窓の雪。嬉しく悲しいお別れでした。
いつか古巣に戻る日を待ちながら、見守りたいと思っています。
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五常の徳
『若きサムライたちに』
五常の徳を心において学び、遊び、行動して欲しい。
それは、人間の守るべき道徳です。
仁. 他に及ぼすいたわり
義. 理論にかなった教え 正義
礼. 人として、他人に正しい姿での対応
智. 理を知った知識
信. 忠実なこと
上の五つの徳目を胸に置けば、君も今日から日本のサムライです。
葉隠塾 成嶋弘毅

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礼. 人として、他人に正しい姿での対応
智. 理を知った知識
信. 忠実なこと
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母の知恵と武士道
『母の知恵と武士道』
僕は、日本の伝統的な育てられ方で成長したと思っています。
親が事業を営んでいたため経験した経済的浮き沈み、
成長してからの自分自身の変化にも、
自然親から教えられた通りに生きてきました。
10代の反抗期に、
それを押さえ込んだのも母からの巧みな操作、誘導でした。
それは伝統的日本の教育と言うより、
いわゆる『武士道』に依拠した躾けであったと今実感しています。
子供のころの毎日は、朝顔を洗い、まず親に挨拶に行きます。
それから家族全員での食事が始まります。
終ると席を立つ時、親に挨拶を済ませます。
それは、家長が留守の時でも変わりません。
家長の席には陰膳(不在の家長の為に用意された食卓)が用意され、
皆がそれに向っていつも通りの礼を尽くすのです。
従って家長は家の内では絶対的な存在でした。
親は大切にされる立場であり、また親自身もそのように努力するのです。
それに、回りも雰囲気を守り、家長いない時もその存在感を守るのです。
何か僕が間違いをすれば、お父様がいれば許されません。その一言で
全てが治まり終るのです。それが一般的家庭の教育でした。
父は僕が小学校にあがる直前に亡くなりました。
でもその存在は家から消えることはなかったのです。
母はいつ、もどんな時にも父が偉大であったかを私に語り、自慢しました。
だから僕はその陰にずっとコントロールされ続けたのです。
今にして思えば、父を失った家庭がどうして規律と秩序を、子供が大きくなる迄
守るかと言う日本の伝統的知恵だったのです。
それは経済的状況の変化にも、形を変えながら守られました。
もし、貴方が母親から父親はだらしなく、職場でも芽が出ない駄目な人だ。
そう教えられて育ったら素直に親の言う事を聞くでしょうか。
“それは作り上げられた偶像だ”と言う人もいるかも知れません。
でも、ご神体、ご神仏も不遜ですが人の作り上げたものではありませんか。
そこに魂を入れ、信じることに寄り、偶像も実像に昇華するのだと思います。
今回、日本を襲った悲劇的災害に寄せ、
世界各国から日本人に対する評価を受けました。それは嬉しい思いでした。
特に原発の補修に働く勇敢な人々を誉め、
日本人が育って来た教えに寄るものだとニューヨークタイムスが書いていました。
確かにそれは言えます。
それに、欧米諸国の原子力に対する知識は日本人のそれ以上でしょう。
でも、日本は世界でただ一国、原爆の攻撃を受け、
被害を受けた民族である事も忘れてはいません。
恐ろしさは身に染みています。
それでも、恐怖に立ち向かう勇気は、日本の風土が育て来た心がそうさせるのです。
日本の心から出た魂こそ、今、また見直したい伝統です。
それを表しているのが『武士道』と古い日本と母の知恵なのです。
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親が事業を営んでいたため経験した経済的浮き沈み、
成長してからの自分自身の変化にも、
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それを押さえ込んだのも母からの巧みな操作、誘導でした。
それは伝統的日本の教育と言うより、
いわゆる『武士道』に依拠した躾けであったと今実感しています。
子供のころの毎日は、朝顔を洗い、まず親に挨拶に行きます。
それから家族全員での食事が始まります。
終ると席を立つ時、親に挨拶を済ませます。
それは、家長が留守の時でも変わりません。
家長の席には陰膳(不在の家長の為に用意された食卓)が用意され、
皆がそれに向っていつも通りの礼を尽くすのです。
従って家長は家の内では絶対的な存在でした。
親は大切にされる立場であり、また親自身もそのように努力するのです。
それに、回りも雰囲気を守り、家長いない時もその存在感を守るのです。
何か僕が間違いをすれば、お父様がいれば許されません。その一言で
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父は僕が小学校にあがる直前に亡くなりました。
でもその存在は家から消えることはなかったのです。
母はいつ、もどんな時にも父が偉大であったかを私に語り、自慢しました。
だから僕はその陰にずっとコントロールされ続けたのです。
今にして思えば、父を失った家庭がどうして規律と秩序を、子供が大きくなる迄
守るかと言う日本の伝統的知恵だったのです。
それは経済的状況の変化にも、形を変えながら守られました。
もし、貴方が母親から父親はだらしなく、職場でも芽が出ない駄目な人だ。
そう教えられて育ったら素直に親の言う事を聞くでしょうか。
“それは作り上げられた偶像だ”と言う人もいるかも知れません。
でも、ご神体、ご神仏も不遜ですが人の作り上げたものではありませんか。
そこに魂を入れ、信じることに寄り、偶像も実像に昇華するのだと思います。
今回、日本を襲った悲劇的災害に寄せ、
世界各国から日本人に対する評価を受けました。それは嬉しい思いでした。
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日本人が育って来た教えに寄るものだとニューヨークタイムスが書いていました。
確かにそれは言えます。
それに、欧米諸国の原子力に対する知識は日本人のそれ以上でしょう。
でも、日本は世界でただ一国、原爆の攻撃を受け、
被害を受けた民族である事も忘れてはいません。
恐ろしさは身に染みています。
それでも、恐怖に立ち向かう勇気は、日本の風土が育て来た心がそうさせるのです。
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